朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

鳥羽・伏見の戦い

2013-05-25 | 京都の文化(夏)
明日のNHK大河ドラマで、徳川・会津の旧幕府軍と錦旗を得た薩長軍が戦う場面が放送されます。



東京から友人が来訪したので、伏見周辺を歩いてみることにしました。
京阪電車「中書島」駅にて降りて、10分くらい歩くと運河にでます。豊富秀吉が建てた伏見城の外堀にあたるようです。

「十石舟」に乗りました。



この広い水路は、琵琶湖疏水です。大津、蹴上とつながっています。



その先には、高瀬川の合流地点。

高瀬川は角倉了以が江戸時代に開削した人工の運河で、京都中心部の三条で鴨川につながっています。かつてはもっと広い川幅があって、船をつかう水運路として活躍していました。現代で言えば、新幹線や高速道路に相当するのでしょう。



さらに進むと「三栖閘門」に至ります。この水門は、淀川との合流地点に作られて、水路の高度を調整して船を通過させるシステムです。



三栖閘門下流の風景です。現在は使われていないので、土砂がたまって細い流れになっていました。



三栖閘門の運転室を利用して、記念館ができています。十石舟ツアーは、ここを見学するため15分くらい下船します。その後、次の船が来るのでそれに乗って元の場所に戻りました。



この水路沿いには、坂本龍馬とおりょうの像があります。明治維新前夜には、薩長土佐の脱藩藩士たちがこのあたりに潜伏し、それを追う新撰組や会津藩士が暗躍した場所ですね。



この絵地図は、三栖閘門記念館に展示されていた江戸時代の地図です。

この地一帯は、内陸の港となっていて、広い水路が広がっていました。京阪電車の駅、「中書島」もまさに島でした。
この交通の要所には、鳥羽街道と伏見街道が並行して京都と大坂を結んでいたのです。

徳川と会津、桑名などの幕府軍は、その両街道を京都に向かいました。迎え撃つ薩摩藩、長州藩、土佐藩は優勢な最新式洋式銃器と、西郷隆盛の指揮により勝利します。

多くの犠牲が払われたことは残念ですが、武力で決着をつけなければ、政治が変わりませんでした。近代日本出発の号砲。
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