ジェンダーからみるカンボジア

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「美の陰謀」Byナオミ・ウルフ

2013年01月08日 | 女性の自立

 

「美の陰謀」は、ナオミ・ウルフの出世作。

仕事・文化・セックス・拒食・暴力、の5つの側面から女性が「美くしくいること」にがんじがらめにされているという女性に対する抑圧を分析している。この本は、女性に対する「見えざる」抑圧を見事に分析している。筆者ナオミ・ウルフが超美人なので、「何をやっても美人だからと言われる」部類に入っている彼女の苦悩もちょっと見え隠れするのである。

↓海神社にお参りする子ども

 

この一年くらい、マスキュリニティに関する理解を進めたい意欲が強いわたし。男性、それも中高年の少なからずの男性が、自分が住む社会が規定するいわゆる「あるべき男性像」にがんじがらめになって、自己表現につまづいていたり、配偶者に暴力をふるってしまうような状況をもっと理解することによって、女性に対する暴力を減らすこととと、男性がもっと自由に生きられる社会の構築に貢献したいなと思うのだ。

その観点からも、大学のジェンダー学でも、特に暴力との関連ではマスキュリニティ分析を通じて、学生といろいろ検討してきたのだけれど、女性に対する分析はまだまだ追求する必要性が・・・・

女性に対する抑圧は、すでにいろんな側面からの分析もあるしそれほど難しくないんだけれど、「美しさ」という側面からは、自分自身も学生にとっても、なかなか分析しにくいのだ。そもそも、「美しい」っていうとはかなり主観的な判断。さらに、とりまく文化や価値観によっても基準が異なるし、「美」を分析することは常に自分に鏡をあてているように自分の内部を探索されることにもなるので、とても難しい作業なのである。 その点、どの観点から判断しても明らかに美人である筆者は、厳しい視点から「美」を批判的に分析できるので、とても優位な立場だなと思う。

ナオミ・ウルフの、以下のような表現は、言いえて妙なのである。 

「女らしさ」というのは、女であることプラス、社会がたまたまそのとき売ろうとしているものの暗号である。 

彼女のメッセージは、女性がエンパワーされて自分らしい生き方をできる社会の構築。その意味から、以下のような発言も出てくる。

この地球が生き残れるかどうかは、女性が男性と同等の価値をもてるかどうかにかかっている。

作家の曽根綾子さんは、マンモスだって滅亡したんたんだから、人間だってずっと生き続けられる種であるとは限らない、と言っているのだけれど(「二一世紀への手紙、わたしの実践的教育論」)、そのメッセ―ジとナオミ・ウルフの主張は重なるものがあるのである。

 

女らしさ、「美」という幻想による女性の抑圧・・・・、こういう観点も、今年の講義ではとりあげていきたいなあ。