ジェンダーからみるカンボジア

カンボジア社会について、ジェンダー視点から色々な情報をお届けします。

引揚者の中絶強制の歴史

2015年07月20日 | LGBT-KR調査分析

 

「沈黙の40年ー引き上げ女性強制中絶の記録」

戦後、中国から福岡に引き上げてきた女性たちが、健康診断を受けて、妊娠している場合には強制中絶させられたという記録。

「させられた」というよりも、「医療行政が女性たちを救った」と表現したほうがいいかも・・・・タイトルをみると、「え??」って感じで、思わず買ったんだけれど、実際には、お医者さんたちが女性のために必死になって中絶をした話が紹介されてる。

終戦後直後、大陸に残されていた日本人は悲惨な目にあった人がたくさんいる。その中でもソ連軍とかにレイプされた女性たちで、妊娠してしまった女性たちを救うというミッションを与えられたお医者さんたちの話。かなりナマナマしくて、慣れているわたしでも、読みながら、なんどか休憩しないとつらくて読めないくらいの内容。

 

「暴行をうけたときのショックからまだ立ち直れなず、精神的にも非常に不安定になっているものもおおいはずだ。そういう女性を手術する場合、手術に耐えられる状態かどうか、あらかじめたしかめておく必要がある」。

実際、引揚者が最初に戻ってきて健康診断にきた時、「なんで男がまじってるんだ?」って思った状況だったそう。がりがりでぼろぼろ、レイプから身を守るためにほぼ剃髪している女性たち・・・・地獄絵が展開された。

↓巨大な鯖のランチ、日本食はほっとする・・・

レイプされて妊娠してしまった女性たちについては、差別の目があるために中絶を、というのも、大名義として説明された。「病気にしろ妊娠にしろ、ここできれいな身体になって帰郷しても、郷里の人たちから白い目で見られ、郷里にはいられなくなるだろう。この国には、そういう偏見がまだまだ根強く残っているからな。だから、被害者は必死になって被害を隠そうとするんだ。

 

健康診断を名目に性犯罪の被害者をスクリーニングしていた、厚生省の指示による大学の医師たち。彼らも、戦場から戻ってきたばかりだったり、中絶などしたことなかった医者ばかり。さらにジェンダー配慮なんて、そもそも???ってかんじだっただろう。

 

貴重な歴史の記録で、男性なのに筆者はよくがんばって資料を集めたりインタビューをとったなと感心。

 

カナダにいるエラがクメールルージュ時代に出産した時に赤ん坊をとりあげてくれた助産婦は、内戦後もコンポンスプーにいたんだけれど、5年くらい前になくなったのがつい先日確認された。歴史は、早く記録しておかないと、証言者が次々に死んでいく。この本を読みながら、次の調査の構想もしっかり練るのである。

 

 

 

 


クメールルージュ時代の性犯罪の被害者ニーズ

2015年07月17日 | LGBT-KR調査分析

 

 

カンボジア国家女性評議会によって、クメールルージュ時代の性犯罪の被害者のニーズにどう対応するかについての協議。

カンボジアは、10月までに、国連CEDAWに2年前のConcluding Observaitons について回答する必要があるのだ。

3月に被害者と対話の場を儲けたそうで、被害者のニーズはだいたい以下のようにまとめられる。(UNWOMENのとりまとめで、わたしのまとめではない)

  1. 保健医療問題・サービス
  2. 公共による認識
  3. 被害者としてのエンパワーメント

これらの問題について、各省の回答は以下のとおり。

 

保健医療分野

保健省:全般的な対応しかしていない、ただ貧困者に対しては貧困カードで対応している。メンタルな対応もどうするか検討したい。もし被害者が、特別な医院などを儲けてほしいということであれば、検討は可能。もし被害者にアクセスがない場合は、・・・回答がなかった・・・・(ただし、保健省も人材不足なので難しい・・・とのことは主張してた)

国際裁判所;ECCCは計画省と協力して、被害者に貧困カードを配布するように依頼している(ただし civil party対象)。

サービス:コンサルテーション(被害者にどういう対応が必要かの助言、700人程度に実施)

NGOからの提言:被害者支援のcriteriaが高すぎて、極貧の人たちにはアクセスできない 

UNWOMEN からの提言では、リーフレットを作って、被害者の人たちに、どういったサービスが非公式にでもあって、どうアクセスできるのかを紹介するようにしては、という提言。

 

メモリアルや認識

メモリアルは、ストゥーパなどという見える形で建設が進んでいる。例えば、トゥールスレンでも、ドイツ政府の支援をうけて文化省との協力でストゥーパが建設されている。

近年議論になっている、「非公式な賠償」(正式なルートを使わないという意味)は、裁判所の決定を得ずに判断を下すという点で、リスクがある。ただ、希望者が多すぎたため、裁判所は人々のこの期待には一切応じないことにしている。

学校教育の重要性も議論されたけれど、まあ、実際のところ、教えられる教員がいないからな・・・・・

UN WOMEN からは、なかなか鋭い以下の指摘。 

「Availability と realization  とを区別する必要があり、「こういうのがあります」というレベルではダメ。実際に、被害者が「アクセス可能であるサービスに、アクセスしていることが肝要」・・・

 

まったくそうなのだけれど、この指摘を受けて始まった議論の焦点が、「どういったcriteriaで、保健サービスとかを提供するか(無料で)」という点にかなり偏ってしまった印象が・・・実際、被害者は、もちろん保健サービスも必要としているけれど、それ以上に、過去に向き合うこととか、記録するとか(記念碑とか)が、とっても重要なのだよな。だって、これまで30年以上もほりっぱなしになってきたんだもの、今更急に何か期待するとかないのだ。

 

 

 


ダンサーだった少年 LGBT5

2015年04月15日 | LGBT-KR調査分析

 

インタビュー記録、その6。

↓マリンライナーに乗車して瀬戸大橋を渡る

 

数多くのLGBTにインタビューしていて、多くのゲイとトランスの女性が、母親に対して深い愛情と信頼をよせているのを感じた。

クメールルージュ時代若くてダンサーだったゲイでトランスジェンダーの女性は、「お母さんといたかったのに、無理やり離されてしまった」と語っている。彼は、強制結婚はのがれたものの、クメールルージュの兵士たち4人に交代でレイプされた。

「最初は、一人の男がやってきて、翌日になって他の男たちもやってきた。みんな、それぞれがやってることは恥におもってたおか、お互い隠していて、4人ともお互いの行為を秘密にしてた。でも全員が自分をレイプした。レイプの後は、(レイプのことを)秘密にしているように口止めされた。レイプは、一人ずつやった。Aがきて自分をレイプして、黙っているように指示した。その次Bがきて、同じことをやって、もし誰かに話したら殺すっていった。4人とも、手をつかわされた。まだ、下の方(アナル)をしたことがなかったから、やらせなかった。アナルのセックスを強要されたけれど、いやだって言ってやらせなかった。でも、手を使ってと、オーラルセックスはやらされた。」 

↓瀬戸大橋の線路、車で渡るのとはまた全然違う景色

 

この被害者は、クメールルージュ時代にダンスを教えられて、上手に踊っているうちに兵士たちの関心を集め、レイプや虐待を受けるようになった。

クメールルージュの兵士は、彼の部屋に来るように自分に命令して、部屋にはいったら自分の手をとってペニスに持っていった。そして、たのしませろって言った。とても怖かったから、命令に従った。こわくて拒否できなかった。」

こういう犯罪行為が続いて、でも毎回レイプされたあとは、なんらかの特権をもらえた。

「病気だったら、休ませてって言えば休ませてくれた。ただ、休んでいても、セックスは強要された。一人で部屋にいると、よく兵士がやってきた」 

↓児島駅では、アンパンマン特別トロッコ電車がとまってた・・・・・

 

この被害者の発言はかなりストレート。

「4人のうち一人が、彼が気持ちよくなるようなことは命令通りにやれって指示した。だから、手をつかってペニスを持った。手を止めたら、口を開けさせられて、ペニスをつっこまれた。彼がどうやればいいか、細かく命令した。それまでやったことがなかったので、どうやっていいのかわからず、下手だったので、彼に痛い思いをさせててしまった。そしたら、彼は自分をたたいた。なぜたたくの?って聞いたら、歯を使ったら痛い、って言われた。」

↓アンパンマン号がくっついてる普通電車

 

「その後は、注意してやるようにして、二度と彼に痛い思いはさせなかった。食べ物を得るために、やった。やるしかなかった。食べ物以外欲しいものはなかった。命令に従ったら、ご褒美として食べ物をくれた。怖かった。」

↓瀬戸内海は、何度みてもとっても心がなごむ

 

インタビュー中に、お母さんについての言及が何度か出てきたこの被害者。今はその辺にいるふつーの高齢者の男性だけれど、若かった頃は、女性でいることに生きがいを感じていて、父親となんども衝突したそう。

 

 


強制結婚と性暴力の被害者 LGBT3

2015年04月14日 | LGBT-KR調査分析

 

インタビュー記録、その5。

↓香川で食べた肉うどん、おいしい〜!!!

クメールルージュの兵士は、トランス女性を虐待・性暴行する際には、必ず口止めしていた。もし被害者が、性犯罪について誰かに話したら、殺されると思いこませ、自分の犯罪が外部に知られないように手を尽くした。

「新しい人」であったトランスジェンダーの女性は、KR兵士にオーラルセックスを強要され、そのあと必ず口どめされた。

↓食欲旺盛の下の子

 

「だいたい、10分くらい、彼といた。おわったら、テントに戻っていいって言われて、彼がいっしょに送って行ってくれた。彼とやったことを秘密にしろと命令された。隠すしかなかった。」

↓ホテルの夕食、子どもは2回も食器を破壊・・・・

 

 この女性は、強制結婚も体験している。知恵を使って、病気があるから結婚できないとKRにいって、結婚を逃れている。当時、彼女はまだ15歳くらいだった。

↓紫芋のスープ、前菜、かなり甘い・・・

あの時、もし命令にしたがってなかったら、殺されていた。

↓ステーキ、子どもたちが大騒ぎで、わたしは食べ損ねた・・・・

 

And so, they forced and came to me often in order to fulfill their sexual desire. 

Then, I would be shot to death if I didn’t agree to what they wanted.

↓しゃぶしゃぶ

「殺される」「こわい」っていう単語が何度もなんども繰り返し登場するインタビュー。

戦争って、やっぱりやってはいけないことだ、LBGTが苦しんだ人権侵害は、人道に対する罪だ、って思う。

 

 

 


トランスジェンダー女性の結婚・アンカーは容認 LGBT S4

2015年04月13日 | LGBT-KR調査分析

 

インタビュー記録、4。

↓子どもだましで満足するのはいつまでだろう・・・・?

外見がとても美しくて、女性としか思えない彼女は、小さいときからオンナとして生きることを選んで、家族もみんなそれを受け入れていた。彼氏までいたそうな。Base Peole だった彼女、女性としてクメールルージュを生き抜いた。

I have to hide everyone about my identification as a man, I want them know me only a woman.

 because they will kill me if they know I’m a man, so my parents and relatives help me.

 they didn’t tell everybody about my identification as a man, they told them only I’m a woman.  

クメールルージュ時代に恋人がいて(男性)、二人は関係をもったのだけれど、まあ当然ながらクメールルージュの兵士に見つかってしまい、彼女たちは再教育キャンプに送られる。

K:How about the man as your husband? Did they bring him to educate? 

I:Yes he went with me, he went there because he want to confess and solved the case that he had sex with me.  

K:He went there to confess that he had sex with you? 

I:Yes, he confessed that he really had sex with me 

K:They didn’t kill you? 

I:Yes they didn’t kill us because both of us told them the truth, if we lie them they will kill us. 

↓成長しても、まだゴーカード大好きな上の子

 

彼と彼女のお母さんがクメールルージュにお願いした結果、彼女はキャンプから解放されて、彼と結婚する。

 

K:Did they know about your relationship? 

I:Yes, they did. They knew we loved each other, so they brought me to educate (the torture), they also beat me. 

k:Talking about that man that loved you- what could he do? 

I:He just tried to plead them and he said he would love me forever and would be getting married with me also. 

Then we got married, but the wedding has only my parents and his parents, no elders and any guests to joint our wedding.

K:Were you married? 

I:Yes I got married in Pol Pot regime. 

K:Did you get married with him? 

I:Yes I did. I live with him is almost 2 years

↓坂出まで小旅行、お宿からの景色

 

読み返していても、「彼と結婚したの?」って驚いてしまったのを思い出すのである・・・・トランスの女性が、女性として結婚したと聞いたのは、初めてだったのだ。ただ、このインタビューをじっくり分析すると、この女性たちはANGKORの強制結婚の一環としてではなく、自由結婚している。双方の両親が立ち会っての結婚なのだ。クメールルージュ時代、地域によって、異なる対応があったっていうのは事実なのだなあ・・・・Angkorがトランスジェンダー女性と知っていて結婚を容認したっていうのも、超珍しいケースだと思う。

K:Did the organization know you are a man? 

I:Yes 

K:They know? 

I:Yes, they know I’m a man. 

K:Did they allow you to get married? 

We decided to get married by ourselves.

We can get married because nobody knows I’m a man only he that know about this.  

They just only know we love each other so they cannot break us.   

↓坂出、山の上野公園から瀬戸大橋を眺める

この女性は、クメールルージュ後、妻ある男性と10年ほど関係を持つんだけれど、その男性がほかのオトコとも関係を持っているのを嫉妬して別れてしまったそう。でもその男性は立派な人で、今でも時々50キロの米を送ってきてくれるそうな。律儀な人もいるものだ。

 

 

 

 

 


強制結婚で性交渉を持たなかったー無性愛? LGBT4

2015年04月12日 | LGBT-KR調査分析

 

インタビュー記録、3。

↓自宅で誕生日会

 

とてもおとなしそうな、上品な外見の男性は、「GAY」として紹介されたのだけれど、たぶんSexual orientation は無性愛で、Gender Identityは女性に近いのではないかと思う。彼がユニークな点は、ベースの人(田舎に住んでいてクメールルージュ・シンパだと思われていた人)だったから、女性的な外見や振る舞いでも比較的「いい」扱いを受けて悲惨な目にはあっていないっていう点と、強制結婚をさせられたのだけれど性交渉をしなくてすませたという点。

クメールルージュ時代、人々はBase PeopleかNew Peopleにわけられて、明らかにこの2者は異なる扱いを受けてる。今回あったlesbian7名のうち5名はBase Peopleだったので、残念ながらといってはなんだけれど、みんなそれほど悲惨な経験はしていなくて(大変だったのは間違いないが・・・)、リサーチャーとしてはSamplingに限界があったなあと残念なのである。

↓子どもはお寿司が大好き

無性愛と思われるこの男性は、両親を小さいときになくしていて、クメールルージュ時代の直前は兄弟姉妹5人と一緒に生活していた。クメールルージュ時代、自分の意思に反して、21歳の時に寡婦の年上の女性(32歳)と強制結婚させられる。この女性は、自分の 年老いた両輪といっしょにいたかったから、クメールルージュに結婚を頼んだそうで(結婚すれば年配の人たちと一緒にいることが許可されている地区だった)、やさしそうな外見の彼が彼女の恋愛の対象となって、夫として選ばれたらしい。彼は真面目で一生懸命働く人だったから、妻の両親も気にいっていたそう。ただ、彼は女性に関心がもてないことをかくしていて、結婚後に妻に話したところ、妻は悲しんで泣いたそう。

結婚後は、クメールルージュの兵士が夜になると部屋のまわりにやってきて、性交渉をしているかどうかチェックしていたのだけれど、性交渉はせずに隠し通したそう。

この男性はとても優しい人で、クメールルージュ時代、自分は比較的恵まれていたけれど、同じユニットにいたほかの人は、再教育キャンプにおくられたりして、二度と戻ってこなかった人もたくさんいて、かわいそうだと思ったとのこと。妻とはクメールルージュ後にわかれ、現在彼女はプノンペンにいて再婚し、子どももいる。

ちゃんと聞けなかったけれど、クメールルージュのあとも結婚もしてないしパートナーもいたことがないこの人は、たぶん無性愛の人だと思う。男性に対しても恋愛感情をもったことがないし、性については関心がない人なのだ。話していて、とても穏やかで優しくて、卓越しているような印象を与えた人。もう一度会えたら、クメールルージュ以降、どういう生活を送っていたのか、差別は経験しなかったのか、聞きたいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


強制結婚と兵士からのレイプ LGBT 3

2015年04月11日 | LGBT-KR調査分析

 

インタビュー記録、その2。

↓大学で講義をするのに、子どもも一緒に登校

  

クメールルージュの兵士に、夜な夜なひっそりと家に来るように言われて、オーラルセックスを強要されたゲイの男性。

  1. When you met the problem, were you afraid or how did you feel?

I was also afraid but I didn’t know how to do at that time.

I was  afraid but I dared not to say anything about it. 

Although I was so afraid, but I still didn’t know to whom I could tell (about it).

Those soldiers were his felllows (KR) . 

If I told someone about this story, who was his follow (KR), I would be killed, so I dared to say anything.

彼は、この兵士のところに行くと、毎回10分ほどだけ性行為を要求され、その後は自分の寝ている場所へと戻っていった。被害にあった人の中には、朝までずっと一緒にいた人もいる。 

↓わたしも大好き、電車での移動

 

I usually spent at most 10 minutes. And after finish, I was allowed to get back to my tent. 

He also accompanied me along the way back. 

この人は、戦後このリーダーと再会している。リーダーがニュージーランドに移住して、結婚して、妻と一緒にカンボジアに一時帰国した際に、クメールルージュ時代に「恋人」とみなしていた彼を探したのだ。彼は、久しぶりに会えてうれしかったと語ってくれて、そのときに500ドルキャッシュでくれて困ったときには連絡したらいいって言ってくれたそう。口止めだったんだろうか・・・・・

↓須磨から塩屋への景色、この地点を走るのが大好き

 

  1. During Pol Pot regime, you were afraid of him or you loved him, and which feeling was stronger than?

I was afraid of him rather than I loved him because I would be killed all the times if any mistake took place.

 He was so kind, and he did not mistreat me. 

It seemed like I did a good deed, so I would meet a good person that’s why some people were in the hard working and some were in the comfortable life at that time. Most of the people at that time were thin and work in the hard condition, but luckily, I was like a normal person. I did a good merit, so I always met a good person. In contrast, some met a very bad person. During Pol Pot regime, I just sewed the cloths, which were very easy to me. When I was sick, he always brought me some medicines taken from China. It liked I had propensity with him since the beginning of our relationship. 

 

この兵士はどうやらハンサムだったそうで、彼もちょっと恋心を持ったようなことを言ったんだけれど、実際には精神的にはこわかったほうが大きかった。当然なんだけれど、この人がニュージーランドから戻ってきて、自分を探してくれたりしたから、思い出がポジティブに思い出されるのだろうか・・・・でも、困っていたときにはいつも助けてくれて強制労働からのがれたり(彼は洋裁に従事するだけだった)、食べ物や薬をもらえたり、ほかの人たちと比較して苦労がかなり少なかったと自分でも回顧している。

 

現在は、兄弟姉妹と生活していて90歳以上の母親とも一緒に暮らしている彼。家族が支えてくれるから、彼は猫に餌をやるだけが仕事ののんびり生活だそう。本当は、もっと言いたかったことがあるのではないかな・・・って、今こうやって振り返ってみると残念に思うと同時に、反省するのである。

 


クメールルージュ指導者との初恋 LGBT 2

2015年04月10日 | LGBT-KR調査分析

 

昨年、48人の LGBTにインタビューをして、分析対象にできる部分は全てインタビュー記録をクメール語にタイプして記録してもらって、さらに、翻訳してもらった。自分の本では、個々人に対して抱いた印象は書いていけれど(主観的になるため)、メモにはいろいろ書いていて、あとになってもその人のことが思い出せるように工夫した。ただ、個人情報の問題があるので、名前とかインタビューされた人が判明するような情報は一切記録してない。

以下は、インタビュー記録 

ゲイの男性、とても小さくて(150センチくらい)、失礼だけれど、一目見てとてもかわいいと思ってしまった人は、「初恋」がクメールルージュの兵士だった。

 they saw me small, in the previous time my shape was beautiful so they preferred therefor I was not mistreated. 

現在は多くの子どもたちといっしょに毎日過ごしている彼は、話し方もやさしいし、教育レベルも高くて、英語とフランス語が時々話にでた。ロンノル時代、父親が医者だったので、すぐに殺されて、お兄さんもそのあとすぐ殺されたそう。自分が体も小さく弱いから、きっと殺されるだろうと恐怖の中で生きたそう。ただ、団体生活の中で、自分はとても小さくて若かったから、みんなに好かれて、強制労働は大変だったけれど(100キロの砂袋を持たされたり・・・)、身体的に暴力を振るわれたことはなかったー性的関係を強要される以外は。

夜、クメールルージュのリーダーに呼ばれた時のことについては、

S: First, my consideration was not clear. 

I thought that I would be killed then I did not go, later on I thought of that if I won’t go, they would torture me. 

The Khmer Rouge had a lot of tactics; at the first time they asked in general, but if the respond got to their point they immediately caught me. 

Finally, it (KR) said that I want to sleep with you; its straight talk to me and then I did not say anything I kept quiet. 

Then, they slept without do anything to me.  

この男性に、「リーダーの部屋に連れて行かれて性行為を強制されたの?」って聞くと、そうではなくって、大部屋にいたとのこと。いまいち状況がよくわからなかったので、掘り下げて聞くと、

When we were so tired, no one cared about anything and fell deeply asleep

大勢寝ているところで彼とリーダーだけ離れて二人で寝たそう。確かに、この後聞いた話でも、「男性同士がくっついてても、誰もなんとも思わなかった」っていう発言が何度かあったのだ。

 

「初恋だった・・・」って恥ずかしそうに語った彼の顔は、今でも忘れられない。わたしにとっては、クメールルージュ兵士と恋をするなんて想像外のことだったので、衝撃的だったのだ。まあ、この人の恋愛対象は、子どもたちにも優しくて、いわゆる一般的なクメールルージュのイメージとはちょっとことなるリーダーだった様子(そういうリーダーと恋愛した人は、このあとにも出てきた)。でも、結局は、その人はクメールルージュに加担していた兵士なのだ。

今考えてみると、この人は、もしかしたら、クメールルージュ時代の性体験で、そのあと恋愛できない体質になってしまったのかもしれない。ずーっと孤独で生きてきたのだ。ただ、そこまで掘り下げて聞かなかったし、本人もそれを認めるかは別問題かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 


LBGT調査報告発表会

2015年02月27日 | LGBT-KR調査分析

 

 

やっと、ついに、LBGT調査の報告会を開催。

教室はいっぱい、裁判所からも来てくれた人がいたり、学生だけでなくって、いろんな人がきてくれて、感激。

↓多くはわたしの学生、みんな調査にかかわったので、関心は高い

調査報告書をデザイナーと最終的に仕上げたのは、マレーシアに行く直前。中華正月で、出版社の人たちが田舎に帰ってしまって、発表会に間に合わないと脅されたんだけれど・・・・・ぎりぎりまで間に合うかわからないまま、学生を出版社に送って、なんとか10部だけでも入手してきて!!って依頼したところ・・・・

↓4時半までの発表会で、3時半に届いた報告書

自分の調査が報告書になって、とっても嬉しい。でも、すでに次の調査の支援者との交渉も待ってるし、別の調査の企画書を書くのも進めたいし、なんだかやりたいことがたくさん。

こういう調査で、収入につながるような方法ってないのかな・・・・持ち出しばっかりはさすがにちょっとつらいかもなあ・・・・企画書を3本書きながら、楽しいし嬉しいけれど、生活面では困ったものだなと思う。

ただ、いつまでこうやって好きなことをやっていられるかわからないので、今やりたいって情熱をかけられることを、子どもたちを犠牲にしないで、自分の時間の許す限りやりたいなって思う。

この調査は、情熱をかけて実施して、ほんとに楽しかった。

手法はもっと向上したいし、分析ももっとレベルの高いものにしたいかな。

 

 

 

 

 

 


クメールルージュ時代の性犯罪

2015年02月26日 | LGBT-KR調査分析

 

クメールルージュが政権をとってから40年になる2015年。

ドイツの団体が、クメールルージュ裁判と今後の行方を、とくにサーバイバーの視点から検討するという会議を開催して、わたしも性犯罪について講演させていただくことに。

↓大混雑の会場、100人以上が参加、大多数が白人

Truth Commission を作ったほうがいいのでは、っていうアイディアがあって、Kudei Karnaの人が賛成論と反対論について発表。

個人的には、ECCC にちゃんと仕事をしてほしいけれど、なんせあの混乱状態と、一般の人たちが関心を失ってしまっている今日現在のことを考えると、Truth commissionで議論をしていく過程を重視するほうがいいような気もするのであった・・・・

ちなみにこの日発表したECCCの検察の関係者はとってもとても素敵な南アの人だった。素敵というのは、外見がっていうことだけではなくて、発表の内容が、被害者視点にたっていて、被害者が自分の苦しみを語る場となっているECCCと、訴追されている側が被害者の回答にこたえようとしている姿勢がみえるっていうことを映像で紹介してくれたところ。なかなかよかった。

 

以下は、わたしの原稿草案。実際には、かなりアドリブをいれて、好き放題話したのであっった。




Justice and Reconciliation

After the Khmer Rouge Regime

What has been achieved?

 

 

18 February 2015

 

Gender based violence during the Khmer Rouge regime

 

Key words: Silence, culture of impunity, empowerment 

 

  1. Sexual violence in conflict affects both men and women but due to the under-reporting we can only estimate the numbers for both genders. The available statistics show that women are affected disproportionately because of the disadvantaged situation of women in society. However, there is a knowledge gap in regard to sexual violence perpetrated against boys and men, and against people from sexual minority groups, so we do not know the real magnitude of GBV in conflict.
  2. Sexual entitlement, discrimination, abuse of power and impunity all contribute towards the perpetration of such violence in a conflict setting. Rape is often used as a weapon in war as part of a military strategy to terrorise, displace and control communities. A culture of shame and stigmatising victims leads to the silencing of survivors, which also negatively affects the cycle of violence.
  3. Gender based violence is a continuum of gender based discrimination, which is a manifestation of societal cultures and institutions that value and prioritize men. The abuse of power and social beliefs and norms that subordinate women and marginalized groups in society are also factors that allow for widespread sexual violence to manifest in conflict.
  4. Conflict related sexual violence includes, Rape, Forced pregnancy, Forced abortion, Trafficking, Forced prostitution, Sexual slavery, Forced sterilization, Sexual torture, and the list goes on.
  5. Normally survivorskeep silent about crimes - due to fear, stigma, self-blame, fear of being shunned by their communities, to maintain reputation.
  6. As well as this, most perpetrators go unpunished, creating a culture of impunity - in many cases, the sexual violence was encouraged as a strategy of war, or seen as an inevitable side effect of war by many.
  7. Research into gender- based violence in the KR regime - When I tried to do a research into GBV during KR in 2005, no one believed survivors were still alive or even if they were alive they would never break the silence - however, yes, they were alive and they did speak to me. Survivors are willing to break silence, as long as safe environment is provided.
  8. In 2014 I did another research study on GBV against sexual minority groups, and documented many untold stories of violence, which were perpetrated against them. It also included sexual violence against men in the KR regime, which was the first documentation of this kind. It also documented the phenomenon of forced marriage- a unique form of widespread sexual violence used by KR.
  9. Failure to address past crimes – a culture of impunity –creates a vicious cycle of VAW and continues to affect safety of women and marginalized and vulnerable people.  This is reflected in the fact that latest statistics shows that Cambodian men perpetrate rape (crimes) at the high level in Asia- Pacific. It also found out that gang rape was a particular problem in Cambodia, particularly among the young men. Failure to address sexual violence in post-conflict settings also threatens peace and security, and can feed a cycle of conflict.
  10. Perpetration of GBV in the present time is, in part, a result of the normalization of violence in the community and in the home facilitated by weak legal system and limited security structures, widespread impunity, and weak community norms that do not condemn GBV.
  11. Government policy and service response to current cases of sexual violence needs to acknowledge the past crimes. We all need to consider the mental health impacts and trauma and how this has permeated through the generations. Survivors need a wide range of support, and must be at the centre of responses to sexual violence in conflict.
  12. Today is a great occasion to discuss the GBV in conflict.  We still need to create a safe environment for women and men, and all of those who suffered from GBV during the KR regime, to break the silence in order to stop the culture of impunity, and so they can heal, be empowered and act as agents for positive change.  

End