ジェンダーからみるカンボジア

カンボジア社会について、ジェンダー視点から色々な情報をお届けします。

中華正月2014

2014年01月31日 | カンボジアの生活

 

 

中華正月2014年。

なんでも、大みそかの前日から、とある巨大な役所では宴会やってたそう・・・・会議にいった友達が、「みんな酔っぱらってて、ひどいのよ!!」って激怒してたのである。

↓家の前でお金とかを燃やしてる様子

大学では、「何人くるかな~」ってのんびり構えてる教員もいれば、「学生が来ない!!」って怒ってる先生とか・・・・・当然だけれど、大みそか(2013年最後の日)は、ほとんど学生が来ないのである。

↓おおおみそかに、お祝いに中華料理のご招待をうけてハッピーなのである

毎年、中華正月でもなんでもいいんだけれど、お祝いごとは規模が大きくなってるような気がする。気のせいかな・・・・?バレンタインデーも、もうすぐで、友達が若者の意識調査をやってるんだけれど、バレンタインデーにかける若者の気合の入れ方は、政府の政策に反して、毎年どんどんフリーセックスへと進んでいる気がするのである。ゲストハウス行くなってテレビとかで大々的に広報するより、正しくコンドーム使えって教育するほうがよほど効果的ではないかと思うのはわたしだけだろうか・・・・・

↓前菜、サーモンがのってて、なかなか不思議な味

↓豚肉、味が濃いけれどとってもおいしい

↓鶏肉かな?ちょっと甘い味付け

↓エビ料理、これも不思議な味としかいいようがない

↓ダックの足らしいけれど、みただけで食べられない・・・・・シイタケはおいしい

ついこの前正月を祝ったばかりで、また正月。そして、再来月にはまた正月。

そのたびに、大学では学生が休んで地方に帰省してて、課題の提出は延期を繰り返すことになり、教員としてはなんともやってられないのである。

同僚も、「学生はあんまりこないから講義しても仕方ないし、もう午後は休講にしてこれから田舎にもどろっと」などなど言ってて、なんとも適当。ま、ここはカンボジア、のんびり構えるかな。

 


女性と仏教

2014年01月30日 | 女性の自立

 

 

アメリカからカンボジアを訪問中の仏教う僧侶で活動家を大学に招いて、女性と仏教について講演してもらうことに。

 ↓会議ホールは学生で満員、仏教と女性の講演は珍しい

 

男性の僧侶が、ブッダを含めて、どういう経緯で仏教の世界にはいったかの紹介や、仏教が女性を排除するどころか女性を重要な存在として扱ってきた経緯を、仏教の教えを通じて語ってくれた講師。学生に、フォローアップで「講演で何が面白かった?」って聞くと、「ダライラマの話」とか「アウサンスーチの話」など、有名人の個人的な体験に関心が高いことが判明。

「女性に対する差別は存在していて、それは私たちの心の中から始まってる。私たち自身がかわっていかないと、社会は変わらない」というシンプルなメッセージを学生に伝えてくれた。

日本では、瀬戸内寂聴さんっていう、若いころは激しい恋愛をしてめちゃくちゃな生活をし、そのあと作家になって仏門に入った女性がいる。カンボジアには、彼女のような女性はまだ表れていない。仏門にいる女性が、もっと自己表現して、若い世代をエンパワーしていけるようになるといいのにな。

 

 

 

 


NGO訪問

2014年01月29日 | カンボジアの生活

 

 

学生たちを連れて、無料で弁護サービスを提供しているNGOを訪問。

↓代表に講義してもらう、トピックは人身取引

このクラスは、学年でいうと3年生、建築専攻の学生たちで、圧倒的に男性が多いクラス。

なんでも、専門コースを先に履修して、3年次で一般教養をするっていう変則的なことになってるそうな。教室に入ると、学生たちはデザインとか手に持ってたり、普通の学生とはまったく違う雰囲気の学生ばかり。

ただ、ちょっと困るのは、「プレゼンテーションしたことないんですけれど・・・」「タームペーパーってどうやって書くんですか」などなど、学生の基礎的な知識が完全にぬけおちてるのだ。ま、建築学選考だから、仕方ないかと思って、こちらも接してるんだけれど。そもそも、ジェンダー学なんて、仕方ないから来てるってみえみえの態度だったので、ふつうに講義してたらやってられないので、手を変え品を変え、楽しんでもらって学生の個人的な将来に貢献できるように考えることにしたのである。

 

 

 


朝のお散歩

2014年01月29日 | 女性の自立

 

子どもと一緒に、朝のプノンペンをお散歩。

トゥールトゥンポン地区は、工事がとっても多くて、車での移動は大変・・・・ちょっと歩いてみると、工夫して工事を迂回できるように配慮されてるのに気づくのである。

↓かわいいポスター

でも、安全配慮はほんとに大丈夫なんだろうか・・・・? No entryとか書いてあるけれど、簡単に工事現場の中に入って様子を目の前で見れるようになってるのである。

↓お葬式の料理を炊き出ししているところにも遭遇、男性が働いてる

↓休憩がてら、クイティエウを食べる、魚味のスープが珍しい

プノンペンは、とっても活気があって、たのしいな。

子どもとお散歩してて、町の活気が伝わってきて、若くて元気な国だなあと感じるのである。

 

 

 


レイプ被害者:加害者は4歳と5歳

2014年01月28日 | 女性の自立

 

12歳のレイプ被害者は、4歳と5歳のいとこ兄弟にレイプされた。

両親が不在の時、いとこ二人が遊びにきて、「ドアを開けちゃダメってお母さんに言われたんだけれど、いとこだったから開けた」ところ、二人がかりで手足をロープでしばられてレイプされたそう。

↓子どもたちをみてて、こういう話のことを考えると、複雑なのである

「二人が去ってから、こわくて震えてた。お母さんには、このことを言ったらだめだと思ったんだけれど、震えがとまらなくって、何があったのかを話すようにお母さんに言われて、正直に話した」

↓超ローカル食堂で、高齢者の男性たちに囲まれて飲む苦いコーヒー

 

母親は、すぐに警察に訴えたそう。

子どもがレイプの被害者である場合は、加害者が同じ家に住んでいなくて、母親が一緒に生活していたら(あるいは叔母など親族でもいいかと思われる)、母親が警察に訴える可能性が高い。カンボジア社会では、娘と母親の絆は強いから、母親が絶対的な信頼を子どもから得ていれば(多くの家庭がそうであるように)、母親に被害を話せる。

ただ、母親が警察に被害を訴えるかは、別問題。その文化的背景は、レイプ被害者が、加害者と結婚させられるケースがまだ多々あるため。特に、被害者が未婚の場合、「この子には将来がない」と考える両親が、警察や村長さんなどを間に挟んで加害者と協議して、加害者と被害者を結婚させてしまうのだ。

↓市場で子どもとお買い物、巨大なナスを酒の肴のためにゲット

今回インタビューしたレイプ被害者の子どもたちは、すべて親族によるレイプで、被害者の母親・父親が身内を訴えている。

10歳の被害者は、「将来お医者さんになりたい」という前向きな夢を持ってる。子どもたちの夢がかなうような環境作りをしていく責務を負っていることを、大人はちゃんと真摯に受け止める必要がある。

 

 

 

 

 

 

 


被害者インタビュー:家庭内暴力その2

2014年01月27日 | 女性の自立

 

家庭内暴力の被害者へのインタビュー、二人目。

↓週末の朝食、久しぶりにみんなでおでかけ

まだ20代の被害者は、結婚して10年ほど、8歳の娘が一人いる。結婚当初から、夫は精神的な暴力をふるい続けて、家庭内が不安定なせいなのか、子どもは口をきけない子どもに育ってしまった(相関関係は不明)。精神的な暴力は、ほかの女性との恋愛や、ギャンブル・アルコールなど。逃げる前の2年くらいは身体的な暴力をふるいはじめ、2回ひどい怪我をおわされ、「このままだと死ぬ」と思って逃げだした。ナタやナイフを準備して、被害者に暴力をふるおうとしたそう。

↓モツのクイティエウ、味がかなり濃い目でおいしい

「自分は地方からプノンペンに出てきていて、助けを求めてどこに行っていいのかわからなかった。近所の人が、NGOを紹介してくれて、子どもをつれて逃げた。そのNGOが助けてくれて、このシェルターに連れてきてくれた」とのこと。

↓子どもたちは、目玉焼きにソーセージ

夫とはすでに離婚していて(というより、夫は誰かと一緒に夫婦生活を始めた)、今はこれからどうしようか検討している。

シェルターにいると、夫から暴力を振るわれることがないから、安心して子どもと安定した生活ができるって、複雑な様子だけれど笑いながら話してくれた。

↓お手伝いさんたちの朝食、食べた後二人とも気分が悪くなったそうな・・・・

話していて、しっかりと筋道をたてて話せるし、すでにかなり被害からリカバーしているように見える彼女。

子どもの養育が不安の様子だけれど、早く仕事をみつけて自立できるといいのにと期待するのである。

 

 

 

 

 

 

 

 


被害者インタビュー:レイプ

2014年01月26日 | 女性の自立

 

シェルターに保護されている、レイプの被害者インタビュー。

14歳の被害者は、向かいの家に住んでいる叔父にレイプされた。黙っているよう脅迫されたのだけれど、勇気を出して母親に被害を伝えたら、すぐに警察につれていってくれた。

「警察は男ばかりだったけれど、お母さんが一緒にいてくれたから怖くなかった。そのあと、病院に行って、みてくれたのは女の先生だった。」

将来は、医者になりたいという彼女。毎日シェルターで勉強しているそうで、「医者になるには6年学校に行かないといけないけれど、優秀だったら奨学金もあるし、がんばってね、将来お医者さんになっておばちゃんの病気をなおしてね」と言ったら、とてもうれしそうにしてた。

もう一人の被害者は、やはり14歳で、叔父にレイプされた。たまたま、両親が市場に行っている間に、叔父がやってきてレイプしたそう。「とても怖かったけれど、お母さんに言ったら、お父さんが帰ってくるまで待ってて、お父さんに知らせたらすごく怒って、すぐに警察に訴えた」

彼女は将来学校の先生になりたいそう。

↓不思議とおいしかったサンドイッチ、会議中に空腹をごまかす・・・

二人ともすでに1年くらいシェルターで生活している。はきはきしていて、笑い顔も見せるし、医者になりたい彼女はとてもしっかりと事実関係や自分の気持ちを伝えることができる。今後、彼女たちがどういう人生を送るかわからないけれど、早く自宅に戻ってふつうの生活に戻れるようになってほしい。

このインタビューは、被害者だけから情報を得ているので、なぜ彼女たちが家に戻れないのかわからないのだけれど、レイプ被害者の多くは、安全さえ確保できれば家で家族と過ごしたいと思う傾向が強い。まだ就学年齢だし、たくさんの友達と遊ぶ機会を得られるような支援が必要。

 

 

 

 

 

 


被害者インタビュー:有名な児童労働事件

2014年01月25日 | 女性の自立

 

大金持ちの女性が、「養子にする」という口実で、実は家庭内労働者として搾取し、10年にわたって身体的虐待をした事件の被害者2名にインタビュー。彼女たちは、身の安全が確保できないため、いつシェルターを出られるかわからない状況。

被害者は二人とも17歳で、「貧しいくて、父親が死んだあと、母親が自分を知りあいの女性に託した」少女と、「両親が死んだあと、叔母にひきとられたけれど、育てられないという理由で知りあいの女性に預けられた」という少女。引き取り先の「育ての親」になるはずだった女性に、連日拷問され、精神的にも肉体的にも想像を絶するダメージを負わされた二人。

この事件は、新聞や雑誌でも大きく取り上げられていて、わたしも雑誌で事件の記事を読んだことがある。Toulkokの巨大な家に監禁されていた少女二人が、保護され、体中に傷を負っていたいたしい様子が報道されたのだ。

被害者の一人は、一度逃げ出したのだけれど、見つかってしまい、拷問を受けて二度と逃げられないと思ったそう。でも、「このままだと死んだほうがましだから、逃げたい」とずっと思っていた。拷問を受けるときは、裸にされて、硬いロープや棒で殴られた。

 

ある日、たまたま、門に鍵がかかってないことを発見したもう一人の被害者が、勇気をだして家を二人で飛び出したそう。家のちかくで見つけたバイクタクシーに、「バッタンバンにいる叔母が死にそうで、とにかく連れて行ってくれ」と頼んで、ガソリンがなくなったりタイヤがパンクしたりとトラブルがあったものの、ドライバーはバッタンバンまで連れて行ってくれたそう。バッタンバンは、被害者のうち一人の出身地、でも10年も離れていたので、地理もわからないし知りあいもいないし、バイクタクシーは事情を分かってくれてお金を請求しなかったけれど、二人だけで道端に取り残されて、「このまま死んじゃうんじゃないか」と思ったとのこと。

通りかかった人が助けてくれて、とあるNGOへ案内してくれて、そのあとは警察が保護、シェルターへ連れてきてもらった。

↓蓮の花がカンボジアらしい、CAFEでの仕事は日課

 

「家には、5歳くらいの男の子が2人いて、その子たちもひどい目にあってた。警察にその話をしたんだけれど、家にいったら子どもはいなかったと聞いた」

この事件は、裁判所送りになったんだけれど、加害者が裁判所にたぶん賄賂をはらって刑事訴追は取り下げてもらい、被害者には13000ドルずつ支払ったそう(ちなみに銀行口座を開設してちゃんと受け取ってるとのこと)。

家が貧しかったから、学校には通ったことのない二人。シェルターで、文字を学んで、洋裁を学んで、「シェムリアップにみんなで観光につれていってくれて、とても楽しかった」と笑う彼女たち。

すでに1年ほどシェルターにいるから、精神的なダメージからも肉体的なダメージからもかなり立ち直っているけれど、たぶん身体中に傷痕がのこっていて、それは一生きえない。

彼女たちに、どうすれば困っている女性たちへの支援が効果的にできるかを聞いたら、「大人にお願いしたいのは、子どもを養子に出したりしないこと」、「貧しい人を助けてほしい」。

安全のため、まだ当分はシェルターで生活することを与儀なくされている二人。親と親族から養子に預けられた経緯があるので、加害者は彼女たちの身元を熟知しているのだ。つまり、実家や10年前にいたところには戻れない。

将来の夢が語れるくらい、彼女たちが前向きになれる日は、いつくるんだろうか。

 

 

 

 

 

 


被害者インタビュー:家庭内暴力その2

2014年01月24日 | 女性の自立

 

家庭内暴力の被害者へのインタビュー、二人目。

まだ20代の被害者は、結婚して10年ほど、8歳の娘が一人いる。結婚当初から、夫は精神的な暴力をふるい続けて、家庭内が不安定なせいなのか、子どもは口をきけない子どもに育ってしまった(相関関係は不明)。精神的な暴力は、ほかの女性との恋愛や、ギャンブル・アルコールなど。逃げる前の2年くらいは身体的な暴力をふるいはじめ、2回ひどい怪我をおわされ、「このままだと死ぬ」と思って逃げだしたそう。ナタやナイフを準備して、被害者に暴力をふるおうとしたそう。

↓コムアラメゾンのランチ、前菜のサラダは巨大

 

「自分は地方からプノンペンに出てきていて、助けを求めてどこに行っていいのかわからなかった。近所の人が、NGOを紹介してくれて、子どもをつれて逃げた。そのNGOが助けてくれて、このシェルターに連れてきてくれた」とのこと。

夫とはすでに離婚していて(というより、夫は誰かと一緒に夫婦生活を始めた)、今はこれからどうしようか検討している。シェルターにいると、夫から暴力を振るわれることがないから、安心して子どもと安定した生活ができる。

↓メインのAMOK、とっても巨大・・・・魚もかなりフレッシュでおいしい

しばらく話をきいていて、この女性がとても理論的に会話ができることが判明して、彼女の将来も明るいかなと思う。しっかりと筋道をたてて話せるし、すでにかなり被害からリカバーしているように見える彼女。子どもの養育が不安の様子だけれど、早く仕事をみつけて自立できるといいのにと期待するのである。

 

 

 

 

 

 

 

 


被害者インタビュー:家庭内暴力

2014年01月23日 | 女性の自立

 

 

暴力の被害にあって、女性のためのシェルターに保護されている女性へのインタビュー。久しぶりにインタビューをとるので、胸襟を開いてもらうための戦略をしっかり練るのである。

家庭内暴力の被害のインタビュー記録。

40歳代の彼女は、6人子どもがいて、一番上は20歳、一番下は3歳。「14-15年くらい結婚していた」という発言があって、改めて、正確に時系列的な情報を得るのは難しいと感じるのである。

↓MALISランチの前菜、ちょっと辛口でおいしい

彼女の夫は、結婚当初から比較的暴力的な夫で、苦労をさせられ続けたそう。夫から2回殴られた後、もうダメだと思って離婚しようと警察に訴えたところ、警察が事情を聴いたあと村長に連絡をとり、村長が夫婦を対面させて和解させようとしたそう。でも夫が応じず、10日間ほど知りあいの家に泊めてもらったあと、家に戻るのは危険だから子ども4人をつれてシェルターへと避難。

「どうして警察に行ったの?」という問いには、「子どもの出生届けを出しに行ったとき、たまたま警察の連絡先が紹介されていたので、メモしていた。」とのこと。警察へのアクセスについて聞くと、「とっても遠くて、1、5キロくらい家から離れてる。自分のバイクで行った」

「とにかく、離婚したかったけれど、和解するように言われた」のは嫌だったそう。

↓メインはAMOK、とってもとっても小さい・・・・・・

 

2011年に農村地域でDVの調査をした研究者にインタビューしたところ、「女性たちは正義なんて求めてない。夫が暴力を振るわないように変わってもらうことを期待しているだけ。離婚なんて、たいていの女性は求めてなくて、もし離婚したいと思うなら相当悲惨な事態になってる場合のみ」とのこと。

わたしがインタビューした被害者は、夫が離婚に応じないため、まだ結婚していることになってる。何度か泣きながら、夫に殴られてつらかったことを話してくれた彼女。現在は、小さい子ども4人を抱えてシェルターに住んでいる彼女、将来どうするのか、ついつい感情移入してしまうのである。