ジェンダーからみるカンボジア

カンボジア社会について、ジェンダー視点から色々な情報をお届けします。

大連旅行へ持参した本

2015年08月20日 | 大連旅行2015

 

簡単に読めそうな大連関係の本を持参しての大連旅行。

↓戦前の大連について、少年の視点から描かれてる

中国人たちとの交流で、ほのぼのとした少年時代を送った筆者の回想録。

日本人学校の話では、中国人の生徒はお金持ちが多いのに、教員が中国人を差別していたと書かれてる。

↓ハイクラスの生活を送っていた筆者の回想録

松原さんの大連生活は、内地が貧しいこととか描かれていて、大連が本土と比べて美しい場所だったのがよく分かる。実際に行ってみて、まさにそうだなというかんじ。

↓中国人文化論といっていいかんじの本

ジャーナリストの筆者の日本語が美しい。イトーヨーカドーを中国で開店させるために奮闘した日本人たちの記録。

↓従軍画家が描いた日中戦争の記録

↓写真が次々と出てきて、日露戦争のことがよく分かる

↓なんとなく持参したけれど、ちょっと期待した方向性と違ってた

戦後70年、有名人たちが自分の戦争体験を次々に語っているけれど、そういう視点からはこの司馬さんの本はおもしろいかもしれない。

↓大連もちょこっとでてくる村上春樹の旅行記

中国語が読めたら、現地でも本を買って読めたのにな。大学一年の時、明朝の科挙制度についての歴史書を原文で読まされていたのが遠い昔のよう・・・・

 

 

 

 


大連最後の日

2015年08月19日 | 大連旅行2015

 

あっという間に大連滞在も終わり。

↓最終日の朝食もゴージャス

↓手づかみで肉を取る下の子、1週間前は絶食だったのに・・・

↓この野菜、なんなのか最後まで不明だった、ゴボウのような野菜

↓大和ホテルともお別れ

↓子どもは走り回ってたけれど誘拐もされず無事帰国できそう

↓大連10店舗あるはずが、一つしかいけなかったのが残念

しっかりタンブラーをゲット。マグは、迷ったのだけれど、大連っぽいのがなくて諦める。

↓絶対コピー商品、しっかり騙されて市場で購入

↓天津街の野菜売り、ブドウを購入

↓バスとか公共交通機関が発達してて便利

中国は、タクシーでも行き先を書けば理解してくれるのでとても便利。さらに、大連では最初3キロまでは10元と格安なので、どこでもタクシーで行けちゃう気軽さもあって、旅行者にはありがたい。

↓ホテルでは日本語を理解するスタッフがいて便利

↓またみんなで来たい、大和ホテル

↓大連空港の中、ショッピングゾーンはとほほ・・・・

↓帰路の機内食、トマトが抜群においしい

↓あっという間に関空到着

↓往路も帰路も、着陸前にフライトで大泣きした子ども

中国は、1989年に広州(青年の船で寄った)、2001年に中国一周(チベットまで行った)、2007年に学会で上海(北京も寄った)、そして今回2015年で4回目。2001年に1ヶ月旅行した時も、各地をまわって美味しいものを食べて、トラブルの連続でびっくりさせられて、それなりに楽しかったけれど、今回大連に行ってみて、中国をもっと旅行したいなって思った。

5月の旅行でトルファンをキャンセルしてたから、またシルクロード旅行は計画したい・・・・のと、旅順まで大連から電車でいける方法もあったらしいから、また大連にいって、東北部をまわってみたい気もする。戦後70年で、満州で悲惨な目に合った人たちの体験が広く共有されるようになってきていて、私自身も、もっと当時のことを知りたいと思うのである。

 

 

 

 

 

 


旅順へと小旅行

2015年08月18日 | 大連旅行2015

 

大連から旅順へと小旅行。

↓この日の朝食は、黒い色の蒸しパンが珍しい

↓南京はとっても甘い、子どもは肉ばかり食べる

↓朝からはちょっと厳しい、ナスと肉の揚げ料理

大連には電車で行けないので、ホテルで聞いてみたりしてたら、出会った大連リピーターの高齢者男性たちが、丁寧に調べてくれて、行き方を教えてくれた。が、現地人対象のツアーだったので、203高地とか行かない・・・・とわかり、自力でバスで行くことに。

↓とりあえず止まってたバスに乗り込む、鈍行で2時間以上かかって到着

道中、日本語ができる若者たちと一緒になり、現地事情を教えてもらう。

大学院生の男性は、お母さんにべたべた甘えてて、一人っ子政策の悪影響を感じるのである・・・・ ITCを大学院で学んでるというので「どんな携帯使ってるの?」というと、「今はアップルですけど、ぼく、携帯は、たくさん持ってますから・・・・・全部お母さんに買ってもらいました」とのこと。

↓旅順についてまずしたことは、ランチ

↓食欲旺盛の子ども、がぶがぶ食べる

↓肉麺を頼んだら、大量に出てきた

バス停とか駅の近くには、たいていおいしいお店があって、冷えたビールがあるのが嬉しい。

↓卵、炒飯と書いてみたら、これがでてきた

「炒飯のモトをつかって自分で作った炒飯みたい」という父親のコメント。

↓水餃子、とってもおいしいけれど、ボリュームありすぎ

バスを降りた時からつきまとっててくれた女性タクシーの人と交渉して、350元で観光につれてってもらう。2時間ちょっとで、ちょっと高い!って交渉したのだけれど、とても優しい女性だった。交渉では、言葉の壁もあって、2時間ちょっとの観光っていうことが通じなかったのと、行かないって言ったところまで連れまわされて、先方も予定がはずれてしまったかんじ。

↓203高地、山をてくてく歩いていく

↓記念碑らしきものもある

↓残念ながら天候不良で港はあまり見えない

次に目指したのは、旅順女子高等学校。大連では、戦前の女学校はほとんど建物が残ってないのだけれど、旅順ではまだ残ってるというのを発見したのだ。

↓旧大和ホテル、愛新覚羅溥儀も住んだ建物

↓旅順女学校の塀、内部はなにもない

わたしの祖母は、10人兄弟姉妹の一番上。奉公に出されていた先で可愛がってもらって、「おじさん」に大陸に連れて行ってもらって学校に通わせてもらえたそう。ただ、残念ながら、卒業はしていないらしい。連れて行ってくれたおじさんが誰なのかも不明。

↓どうやら体育館か講堂

↓ぼろぼろになってるけれど、どうやら教室後

↓こちらは、日露戦争の講話条約が締結された場所

残念ながら、文革で破壊されて、今ある建物は再現だそう。「日露の戦争のせいで、旅順に住んでいた中国人は苦しめられた」という英語表記が。この建物には日本語での解説はない。

↓日本とロシアが監獄として使った場所が観光地となってる

安重根が投獄された部屋とか、首吊りが行われた部屋などなど、生々しい。上の子は、とても興味深そうに見てた。「ポリスはどこにいるの?」と何度も聞いてて、悪いことをしたら、ポリスがくるっていう発想と、刑務所が繋がらない様子。

↓旅順駅、今は使われていない。とてもとても小さい駅舎

ばたばたと観光を終えて、バスで一路大連へ。

↓直通バスのチケットをゲットできて、のんびりと席を確保して移動

中国人って、子どもに対してはとっても寛容で、優しいというのを改めて感じた旅順旅行。他人の子も自分の子のようにかわいがってる。一人っ子政策の影響だろうなあ。

 

 

 


東北地方:家庭料理の店

2015年08月17日 | 大連旅行2015

 

大連ではたくさん歩くだろうと思って、3人とも丈夫な靴。

↓子供達はキャラクター、母はクロックス

ガイドブックにおすすめって出ていた、東北地方の家庭料理を出してくれる店へとお出かけ。

↓ホテルの出口、中山広場へ道を渡るのに一苦労

ちょうどラッシュ時間帯で、路面電車には乗られず、タクシーも苦労してつかまえて、さらに渋滞にまきこまれて、なんとかたどり着いた店。

↓ラム肉の唐揚げが有名だそうで、ガイドブックの写真を指して注文

確かに美味しい、ビールがぐいぐい進むかんじなんだけれど

↓3パーセントの薄いビールしかなくて、がっくり

ただ、下の子の食欲が完全に回復して、がぶがぶ食べてくれて、とても安心。

↓じゃがいもとか南京の甘い料理、家庭的な味

↓辛くないように、って頼んだのに、子供達には辛かった肉

↓ナス料理、とっても時間がかかってテーブルにでてきただけあって美味しい

↓上の子が、お手紙を書いてくれた

↓すべての絵に意味があるらしい、なかなか工夫してる

↓タクシーをつかまえようと頑張る子ども

ホテルの近くには、百貨店もあり、ローソンもあり、買い出しにはとっても便利。ただ、かつて東洋一をほこった巨大な中山病院と大連賓館の間の道路を工事していて、ほこりがひどかったのが残念かな。

 

 


大連を散策

2015年08月16日 | 大連旅行2015

 

 

大連を散策。とっても優雅な都市計画なんだけれど、高層ビルは連立してるし、車も人も大量にいて、中国だなってかんじがする。

↓路面電車を見学にいったら、そのまま乗ることに

↓ホテルのすぐそばにある駅から乗車してみる

↓上の子と二人でお出かけ、早朝のお散歩

↓路面電車とバスは、運転手の多くが女性

 

↓中山広場にはハトがたくさん

↓ホテルの朝食は、かつての宴会会場 

↓おかゆと、ゴージャスな家庭料理がたくさん並ぶ朝食

日本人もちょこちょこ宿泊しているけれど、大多数は中国人が宿泊してる。

↓再度路面電車でお出かけに出発、こちらはレトロな電車

日本人がたくさん往来した大連港を見学

↓公共交通機関は楽しいので、バスにも乗ってみる

↓鉄道の駅へと、旅順行きの切符を買いに出かける

とってもとっても混雑してて、とても切符は買えそうにないので、あきらめてランチすることに。

↓喧嘩ばかりしてる二人

↓近くの人たちが食べてたのを注文、あまい肉まん

↓ビールは、どこでも3パーセントくらいで薄い薄い・・・

↓東北地方は水餃子が有名らしい、硬い皮がおいしい

↓冷麺は失敗、だれも食べなかった・・・・

↓子供達にお昼寝してもらって、再度駅に切符を買いに出かけたのだが・・・・

 

旅順行きの電車はない、とのこと。ネットで情報を探していても、古い旅行情報しかなかったのはそのせいなのかしらん?

 

 

 

 

 

 


大連の鼎泰豊

2015年08月15日 | 大連旅行2015

 

 

ホテルを出てまちの散策をしながら夕食を食べるところを探しに出ようとしたら、撮影隊に遭遇。

↓この銀行をバックに連日結婚式用の写真撮影隊に遭遇

どうやら、派手な色の結婚式ドレスが流行っているのか、中国の伝統なのか、女性はみんな赤色のドレス。

↓自動貸出可能の図書館、さすが中国、日本より進んでる

中山広場からてくてく歩いてると、鼎泰豊の文字を発見したので、早速入ってみる。

↓ビルの10階、大連港を眺めながらのディナー

↓高級感溢れる鼎泰豊、子連れはほとんどいない

日本を出る前、4日間ほど、ほとんど食事をとらなかった下の子。牛乳とオレンジジュースだけで生きてて、元気とはいっても親としてはさすがに心配で、病院にいってから大連旅行へ。

↓鼎泰豊では食欲がでてきて、たくさん食べてくれて安心

↓枝豆の前菜、がぶがぶかじりつく子供達

↓大瓶はないそうで、小さい瓶でがぶがぶ喉の渇きを癒す

↓子供達は大よろこびのショーロンパオ、どこでも食べても共通の味

↓パックさんを思い出す、玉子チャーハン

↓大連ではまだあった、ザーサイのラーメン

↓ニラ餃子、かなりニラがつまってて、おいしい

中国の一人っ子政策の影響を感じたのは、中華航空の機内で、べたべた母親に甘えてた青年男子の振る舞いだった。日本男子でも、あんな子いるのかな?カンボジア男子はいるかも、とか思ったのである。

大連に着いてからは、大人たちが往々にして子供にとっても優しいなという印象。そもそも町にあまり子供がいない。一人っ子政策の影響なのである。女の子たちは、夏休みのせいか、たいていドレスのような出で立ちで母親とかと手をつないで歩いてる。子どもを囲んで歩いてる大人たちとか、日本とも違うしカンボジアともかなり違う家庭環境を感じるのである。

 

 

 

 


家族の歴史をたどる旅・大連へ旅行

2015年08月14日 | 大連旅行2015

 

祖父が生活して、祖母が女学校を卒業した大連へと、家族で旅行。

↓関空の駐車場が満車でとっても苦労して空港内へ

関空からはいつも仁川行きなので、それ以外のところは久しぶり。大連へは南ウィングから出発で、お店とかも全然違うので新鮮。

↓直行便はCHINA AIRLINE、3時間ほどの旅

↓大連を空から眺める、なんだかとっても都会

↓大連空港、とても新しいビル

空港を出てタクシーをつかまえようとしたら、いない・・・・

↓すると、目の前にメトロの駅らしきもの発見

数ヶ月前に開通したばかりの地下鉄が、目指す中山広場まで行っているので、さっそく乗ってみることに。

↓一人4元(70円くらい)、30分ほどの移動

駅にいる人たちはとっても親切で、手伝ってくれて切符を買ったのである。

↓とってもとっても綺麗な構内

↓地下鉄の電車はぴかぴか、シートの上で滑ってしまうのである・・・

↓今回投宿する旧大和ホテル(現在は大連賓館となってる)

戦争前の大連の本を読んでいると、どの本にも必ずでてくる大和ホテル。

せっかく大連に行くのだから、当時最高級だったホテルに泊まって、今回の歴史の旅の開始。

↓ゴージャスな部屋、ツインベットタイプ

↓しきりがあって、スイートタイプになってる部屋

↓こちらはダブルベットの部屋、とっても天井が高い

323号室と319号室の2部屋で、間の部屋はどうやら事務所になっている様子。日本企業も2つはいっている旧大和ホテル、どうやら立地条件がいいことから、オフィスとして活用されいるほうが客室よりも多いのかもしれない。

↓こちらは広いベッド

↓重厚な家具がそなえてある、荷物を保管するところがたーくさんあるのがうれしい

かなりクラシックなホテルだけれど、歴史を堪能するには十分。

大連は神戸と比較してそれほど湿気が高くないのもうれしいかな。

 

 

 

 


満州難民

2015年08月10日 | 大連旅行2015

 

2015年5月に出版されたばかりの本、満州難民。

自分がいかに戦争直後の歴史を知らないか、反省させられるとともに、戦後満州から引き上げてきたものの、北朝鮮で留置され、北にも南にも動けない難民たちの生活が、70年前の歴史を掘り起こしたとは思えないくらい鮮明に描かれている。難民となった家族たちに焦点をあてているので、身近にいる人たちのことを学んでいるように読める。

1000人以上の難民の半数は子ども、大人の多数は女性。食べ物もなく、秋から冬にかけてどんどん寒くなって暖もとれず、ねんねこ1枚を3人でとりあうようにして寒さをしのいでいた親子の母親は子どもを置いて先に死んでしまった。

自分が書いている本のために、戦争時代の悲惨な経験の翻訳と格闘しているところだけれど、日本のように「書かれた歴史」がほとんど全く存在しないのはとても残念。「満州難民」では、当時の記録が次々と紹介されていて、やはり歴史を語るには、書かれた資料に基づく検証が必要だと思う。

ちょっと高いと思って買った本だけれど、読み応えは、最近読んだどの本よりも重くて、とても勉強になった。日本の学校教育でも、戦争についてもっと多様な視点から教育をして欲しいなと思う。