ジェンダーからみるカンボジア

カンボジア社会について、ジェンダー視点から色々な情報をお届けします。

クメールルージュ時代の調査はまだ続く・・・

2015年11月14日 | CHILDHOOD in KR

 

 

10月に気合を入れて実施した、クメールルージュ時代に子供グループにいれられていた人たちの調査。

↓仕事場と化してたカフェ、スターバックスとこちらで仕事に没頭

残念ながら、わたしもまだまだ勉強不足だなと反省するような失敗が多く、1月に調査手法を変えて第2ラウンドを実施することに。すでに、学生から次々と提出されてくる翻訳をみて、なんとなく「ダメかも・・・」って思ってたんだけれど、学生が提出してくれた事例(翻訳をライフストーリーとしてまとめてもらった)の一部を蘇州に持ってきていて、じっくり読んでみて、「追加でやらないと無理だな」と判断。要は、本としてまとめるには、十分な情報が集まってないのだ。

↓ラタナキリの被害者の事例、コメントびっしりで返却

かなり頑張ってくれてるんだけれど、いまいちなんだよな・・・・だから!!ってところで踏み込んで聞いてくれてなくて、どうも消化不良なのである。やはり自分でちゃんとインタビュー取らないとダメかなあ。いや、手法の問題だろうなあ。経験則からいって、学生は相当能力が高いので、わたしの指導が不十分だったのだ。

↓バブリーだなと思った、スターバックスでみた大量買いの様子

 

10月に実施した調査で、不十分にしか情報を集められなかった理由は、きっといくつかあるんだけれど(大学で学生からも意見を聞く予定)、ざくっと検討してみたのは・・・

1 質問項目が多すぎた(準備しすぎた)

2 インタビューの最初で、回答者の多くが「小さかったから覚えてない」という発言を繰り返してて、このネガティブな過去の振り返りが、そのあとのインタビューに悪影響を及ぼしたー前回の母性の調査インタビューでは、戦争前の経験を振り返るのにみんなとっても楽しそうで、幼少期のことを聞くのは戦争期の思い出にも鮮明につながったので大成功だった

3 子供グループにいた人たちは、戦争期のことを聞くには、ちょっと幼すぎたのかもしれないーでも相当苦労している人もいるから、一般論では語れない

4 「若者グループに聞いた方がよく知ってるし、あの人たちのほうがよほど苦労してる」って発言がかなり出て、学生たちの「聞く」意欲がそがれた

 

 

 

 


学生たちの発表ーシエムリアップ・チーム

2015年11月02日 | CHILDHOOD in KR

 

フィールドワークの成果を、グループごとに発表してもらう。

↓社会調査のクラス

このクラスは、45名程度いたのが、「わたしの講義は厳しいから真面目についてこれない人は受講するな」っておどしまくったら20人くらい脱落したんだけれど、それでも25名くらい残ってる。それでもまだ適当な学生がいて、夜の学生は働いてる学生が多いこともあって、なかなか負けてないなと思う。シエムリアップにいったのは半数で、あと半数はプノンペンとかタケオでインタビューをとってる。

インタビューでの共通点と相違点をまとめてもらったけれど、共通点としては、

1 空腹

2 両親から引き離されてる

3 強制労働

4 勉強の機会を奪われた

 

というかんじ。

全体的には、「こういった調査ができて経験になってよかった」というかんじかな。

 

 


大成功のラタナキリ〜モンドルキリを経由して帰宅

2015年10月26日 | CHILDHOOD in KR

 

とってもとっても大満足に終わったラタナキリ調査。

↓毎晩楽しんだラオス料理、同僚が予約してくれてた特別料理

今回は同僚もRegional Power  っていう上級クラスの学生を引率してのラタナキリで、2クラス合同で行こう!!って企画した旅行だったのだ。といっても、ほとんどずっと別々だったけれど。ただ同僚のクラスには、わたしの元学生もいたので、成長を見るのはとても嬉しかった。二つのクラスで、何か出会いとかあったかな?そういうのも目的にはいってるのである。

↓夜は学生にさそわれてカラオケにでかける!!

学生とのカラオケはとっても久しぶり・・・そもそもわたしが学生とカラオケに行くなんて、あったかな??

今回の調査はほんとに大成功だったので、みんなでぱーっと騒ぎたい気分だったのも事実。といってもわたしは10時過ぎにダウン、学生は2時まで歌ってたそうな。

↓池にもみんなで寄りました

6時に池で朝食、「お腹すいてない・・・」って言ってたアシスタント、単に二日酔いじゃないかと察する。

↓ずっとにゃんこを追っかけてた子ども

↓みんなほんとに立派な仕事をしました!!

数日間で、学生達がどんどん成長してくのをみれる現地調査は、わたしにとってもとても元気をもらえる。

今回のクメールルージュの子どもグループに関する調査は、10月の毎週末を活用しての調査、合計4回目。ラタナキリはその中でも最後の調査だったんだけれど、ダントツに大成功。

それは、たぶん、最初のラタナキリ調査に参加した男子2名、ビトーとウドンが再度参加してくれて、コーディネーションとかやってくれたからもあるんだと思う。ドライバーも、私たちの仕事のやり方に慣れたので、すっごく手伝ってくれたし。

↓モンドルキリを経由して帰宅

↓ピロンはムードメーカーでいつもみんなを笑わせてた

↓今月は3度目のドライバー、彼のおかげで盛り上がりました!!

↓モンドルキリでのランチ

とっても広いリゾートで、たらたらビールを飲めるかんじ

↓ちょっと硬い肉料理

↓食事はおいしかったのか不明・・・学生とずっと話し込んでたのである

また来たいこの大自然のレストラン

↓コーヒーを買いにプランテーションにも寄りました

2つ調査を実施しながら、次の新しい調査の打ち合わせもしながらのラタナキリ。どうしても自分の調査が優先なんだけれど、なかなかそうはいってられない。本夫と不倫相手を数名を同時平行でつきあってるってかんじの、めちゃくちゃな集中度なのである。さらに子どもまでいるから、「Where is my son?」を移動のたびに言ってて、「大丈夫忘れてません」って確認してもらってたのであった。仕事のことに集中すると、つい子どものことを忘れるのであった・・・・


アシスタントは、よく我慢してついてきてくれたと思う。そもそも、わたしは思いついたら、その場ですぐ指示するし、赤から緑から紫までいろんな事柄にいろいろ口を出すので、アシスタントとしては嬉しくない存在だと思う。彼は海外留学がたぶん間近なので、今はとにかく自分の後任を育てろ!!っていうわたしの指示にも対応してて、さらに大変。最後までがんばってくれるかな。

 

 

 


看護婦だった子ども(RF19)

2015年10月26日 | CHILDHOOD in KR

 

学生達もどんどんインタビューをとってるので、わたしが同席できるのは数少ないインタビューのみ。

↓1月にインタビューをとってた教育局の女性

↓特別料理、レアの魚の料理

 

↓肉料理、骨ばかりでちょっと食べにくい・・・・

優秀な学生ジャスミンに「インタビューする人探してこい!!」って追い出された、悲しい男性二人、スリエンとサムナン。わたしも副知事さんとのインタビューがおわって次の人を探しながら道を歩いてて、ふたりがジャスミンを連れずに男子だけで歩いてるのを見かけたので、追いかけて話しながら歩いてて、手伝うことにしたのである。

週末の午後、ただ、どの家にいってもカードばっかりやってて、「楽しんでる人たちを邪魔できない・・」っていう草食系男子に怒りつつあった時、見つけた家の前で、「なんでもいいから、とりあえずこの家にいってみ!!」って指示したら、見つけたのは看護婦だった女性。

サムナンとスリエンは、漫才やってんじゃないかっていうかんじのコンビで、どうしようもないんだけれど、看護婦だった女性は夫も横からいろいろいってきて、すごく楽しいインタビューになったのである。笑いが絶えないインタビューで、数多くやった中でもこれは抜群に面白かった。

そもそも、夫が「自分が回答する」って言ったのを、サムナンが「ジェンダーだから女性じゃないとだめ」とかわけのわからないことをいって、夫が納得しなかったから、スリエンが「先生が女性にインタビューしたいって言ってる」とかいって始めたインタビューだったのである。男子の母になるって楽しいなあ。

 

楽しかった理由は多分、この女性はほとんど苦労をしてないから。誰も殺されてないし、空腹でもなかったし、わたしたちから見ると「特別な村」にいた様子。モデル村ではないかと思うんだけれど、そのへんはわからないなあ・・・

 

 

 


ラタナキリ副知事にインタビュー(RM15)

2015年10月26日 | CHILDHOOD in KR

 

美人グループがインタビューする人を探せなくって困ってたので、一緒に探すことに。3人とも美人で、さらにとてもチャーミングで優秀なので、話してて楽しいグループで、一緒に暑い中を歩いてまわるのもいいかなと思ったのだ。

ど田舎の真ん中で、「すっごく素敵な家じゃない??」たまたま見つけた家。

↓家は建設中だったので、美女に隣の家に探索にいってもらった

ランチ中だったのだけれど、男性がインタビューをうけてくれることに。

いきなり、「この前もVOAのインタビューを受けたよ」って言い出して、なんか普通じゃない?って思いつつ、まあ「順番に、年代ごとに話ましょう」と先方が言ってくれたので、幼少期から戦争、現在まで、わかりやすく2時間以上のながーいライフストーリーがきけたのである。

↓携帯2個にIPODまであって、只者ではない・・・・

ラタナキリの税関局に中央から送られて・・・・って話から、副知事に任命されたって話を聞いたのが、インタビュー開始から2時間くらいのところ。

騙されたり、いろんなめにあってる副知事さんで、わたし的にはトンチャイの話のようだなと思って聞いたのである。

ただ、この人は子供グループではなく、若者グループ。なので、ターゲット外。

実はこの地域では、若者グループが大量にいて、「若者グループじゃなぜダメなんですか!!!」って学生から苦情を言われるほど。

次回の戦争期の若者の実態調査もできそうなので、それはそれでわたしとしてはうれしいのである。

 


トゥールスレンに一夜拘禁された(RM10)

2015年10月26日 | CHILDHOOD in KR

 

 

今回のターゲットではないんだけれど、RF18が教えてくれたので、インタビューに車を走らせて向かった、RM10。

彼はロンロル時代に兵士になって、クメールルージュ時代も数百人を直属の部下として持っていた軍の高官。自分の上には2人しかいなかった。

自分は手を下していないけれど、部下が殺戮にかかわった。S21にも拘束されて、「水で拷問をしているのが大量にいて、悲惨だった」っていうナマナマしい話を・・・・「軍の兵站地には女性も数百人いて、結婚もあった。でも妊婦は一人もいなかった」とのこと。当時の軍の内部の話ってほんとにおもしろいし、聞いたことないので、学生達も必死に質問してたのである。

めちゃくちゃ面白かったんだけれど、この人はターゲットではなかった。わたしのターゲットは、子供グループにいた人。この人は軍にいて、子供グループとはまったくかかわってないので、直接欲しい情報はとれずじまい。ただ、わたしの親友がクメールルージュ兵士のドキュメンタリーをつくるとかいってるので、紹介したのである。

子育てでは、「政党のプロパガンダを信じるな」と言ってる、って何度も繰り返していた彼。息子さんがプノンペン大学で勉強中で、英語をちょっと話したりして、とってもなごやかで楽しかったインタビュー。今回のハイライトのひとつ。

 

 


殺害は井戸に突き落としてた(RF18)

2015年10月25日 | CHILDHOOD in KR

 

とってもにぎやかだったインタビュー。

↓姉が強制結婚させられた

病気の時は薬をもらえて、ひどいと病院で点滴もやってたそう。

↓このグループはサムナンがかなりいい味だしてて、インタビューも大成功

自分の子供を教育する時に、クメールルージュ時代のことに言及して、しっかり勉強してもらうように言ってるそう。

この女性のおかげで、クメールルージュ時代に軍の高官だったRM10と出会うことができたのである。超感謝!!

 


規律は黒板に書いて教育してた(RF17)

2015年10月25日 | CHILDHOOD in KR

 

ランパットはどんどん発展していて、この前なかったような店がつぎつぎにオープンしてる。

↓警察副局長の妻、夫は半年前に急死したばかり

ひどい暴力夫で、相当苦しんだけれど、出世してベトナムとか中国に研修にいったりしているうちに、だんだん「お酒を飲んでも暴力を振るわないようになった」

 

彼女でおもしろいのは、ベトナムが来た時、飛行機から大量に白い紙が落ちてきて、なにか書いてあったそう。文字を知らなかったからなにかわからなかったそうなんだけれど・・・・なんだったんだろう?

 

 


ケンヤ・レストランのオーナー(RF15)

2015年10月25日 | CHILDHOOD in KR

 

ラタナキリになぜ行きたいかというと、ケンヤ・レストランに行きたいから、っていうくらい大好きなお店の女主人は、子供グループにいたって調査済みだったので、今回はまず最初のインタビューをとる。

↓とっても素敵で、一緒に話してるだけで元気がもらえる女性

2時間くらいのインタビューで、お店の方が忙しくなってきたので中断・・・

泣いたら殺されるってわかってたから、ぐっと我慢して辛い時期を耐えた。

↓朝に再開、6時過ぎにインタビューに応じてくれた

「聞いてくれて嬉しい」って何度も言ってくれた彼女。ランパットでは当時の彼女の知り合いにもインタビューがとれて、つながってるなって思った。

 

 


病気のときは注射をしてた(RM9)

2015年10月25日 | CHILDHOOD in KR

 

何度かお世話になってる、レストランのオーナーの夫にインタビュー。

 

ストゥントレン出身、以前はドライバーをやってベトナムに物資を運んでた。

 

彼のエリアでは、指導者が頻繁に変わっていて、「変わるたびに、あの人は殺されたんだ」って思ったそう。とってもとっても小い兵士が大きな銃を担いてた。学生のか細い男子に「あの頃いた兵士は、あなたくらい小い子だった」って言ってて「ぼく、23歳なんですけれど・・・・」っておおわらいする場面もあったのである。