牛久城跡。 牛久藩なる小藩が存在したが、ここがその居城だったわけではありません。ここのお城があったの
は江戸開幕前です。秀吉の命令で廃城となったようです。
河童の碑 その牛久藩の重臣だった人が維新後に廃藩置県で職を失い、帰ってきて芸術家になりました。それが
小川芋銭(うせん)という人で、河童伝説を広めました。
小川芋銭のアトリエ。 当時のままに残されています。
河童の碑の手前は牛久沼に面してベンチが並ぶが、一見森に面して座すが如き。 ほとんど木漏れ日さえ射さな
い程の木陰の中から僅かに木々の隙間に垣間見える湖面を望むことが出来ます。一番奥に見える石碑が河童の碑
です。
もっとも視界が良くてこの程度。
この辺りは誰でも無料で立ち入ることが可能です。
ここも元牛久城の城郭内。城の面影はほとんど残っていませんが、明治の臭いは残されています。
河童の碑から下ってきて湖畔に出ると牛久菖蒲園と三日月橋という河童が佇む橋に出る。牛久市民の散歩コース
になっています。
三日月橋から右手後方を望むと、河童の碑や雲魚亭がある湖畔の丘が湖に突き出しているのが見えます。牛久沼
の向こう側に見えるのは藤代という町。夏の甲子園茨城代表の県立藤代高校があるところ。
自分が住む地はつくば市の南端付近ですからご近所の言ってもほとんどが牛久市や龍ヶ崎市になってしまいます。
つくば市はここから北へ直線でも20キロ以上広がっています。つくばの小旅行となると相当な距離を走ることに
なるので原チャリではきついかもですね。
は江戸開幕前です。秀吉の命令で廃城となったようです。
河童の碑 その牛久藩の重臣だった人が維新後に廃藩置県で職を失い、帰ってきて芸術家になりました。それが
小川芋銭(うせん)という人で、河童伝説を広めました。
小川芋銭のアトリエ。 当時のままに残されています。
河童の碑の手前は牛久沼に面してベンチが並ぶが、一見森に面して座すが如き。 ほとんど木漏れ日さえ射さな
い程の木陰の中から僅かに木々の隙間に垣間見える湖面を望むことが出来ます。一番奥に見える石碑が河童の碑
です。
もっとも視界が良くてこの程度。
この辺りは誰でも無料で立ち入ることが可能です。
ここも元牛久城の城郭内。城の面影はほとんど残っていませんが、明治の臭いは残されています。
河童の碑から下ってきて湖畔に出ると牛久菖蒲園と三日月橋という河童が佇む橋に出る。牛久市民の散歩コース
になっています。
三日月橋から右手後方を望むと、河童の碑や雲魚亭がある湖畔の丘が湖に突き出しているのが見えます。牛久沼
の向こう側に見えるのは藤代という町。夏の甲子園茨城代表の県立藤代高校があるところ。
自分が住む地はつくば市の南端付近ですからご近所の言ってもほとんどが牛久市や龍ヶ崎市になってしまいます。
つくば市はここから北へ直線でも20キロ以上広がっています。つくばの小旅行となると相当な距離を走ることに
なるので原チャリではきついかもですね。
旅行で行くような感じの景色が続きますね~
ガマさんは、その辺りをいつもブラブラ走ってらっしゃるのかしら。
秋口になると、空気も爽やかで気持ちいいだろうな~
ガマさんとこから土浦は離れてるの?
兄貴がいます。
河童伝説って!!!河童で本当にいるんじゃないですか!?笑 ってのは冗談ですが、なんだかいそうな生き物だなーって思っていました。
のんびり過ごせて良いですねー。
こんな緑の多い場所で、一日散歩したいですよ。
カメラを持って、一緒に原チャリツーリングしたいですね。
私の場合は、ご近所ツーリングというタイトルにはできそうもありませんが(笑)
昨年の夏は、比較的暇だったので、今年は忙しいけれど、助かっています^^
生活の不安が少し解消できるので(笑)
昨年は、仕事をした会社が支払してくれず、
大変でした、いや、大変です。。。進行形。
まだ、EOSのフラッぐシップモデル2台買えるくらい未払いがあります。
それでも撮影依頼をしてくるんですよね。
神経が分からないですね。
流石に前回は、お断りしましたが。。。
未払いが~~~~
なので、その分、今年は頑張らないといけないわけなのです(泣)