石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

118 スリランカの仏教遺跡巡り(1)アヌラーダプラ(dアバヤギリ大塔)

2016-01-13 06:52:40 | 遺跡巡り

トゥパーラーマ大塔の北東は、元王宮跡。

いたるところに石柱が立っていて、小さな寺や住まいかあったことを物語っている。

その一角に人だかり。

◇ムーンストーンの傑作

今は廃寺となった僧院前のムーンストーン見物の人たちだった。

彼らが注視しているのは、スリランカNO1と評価の高いムーンストーンの傑作。

外輪には、炎。

次から次へと燃え上がる欲望を表わしている。

その内側の動物は、仏教での「四苦」、生老病死を表わす。

象は「誕生」、馬は「老齢」、ライオンは「病気」、牛は「死」。

その内側のつる草は、人間の欲望を表現し、次なる嘴にハスの花を咥えるガチョウは、啓示を受けて家族と決別するお釈迦さまを表わしているという。

一番内側のハスの花は、最高潮の物欲なんだそうだ。

物欲と四苦、悟るために克服すべきものを視覚的にみせる仏教芸術です。

信者はこのムーンストーンで履物を脱ぐ。

いわば聖俗の、ここが境界線なのです。

 

◇アバヤギリ大塔

本来、旅行日程には、アバヤギリ大塔は入っていなかった。

上座部仏教(小乗仏教)のスリランカにあって、アバヤギリ大塔は大乗仏教の本山だったと聞き、是非、寄って見たいとガイド氏に頼み、訪れた。

思いがけず小奇麗なダーガバ(仏塔)。

一瞬、別の仏塔ではないかと思った。

事前に見た資料写真は、いずれも屋根に草木が生えて、緑色だったからです。

どうやら数年前、ユネスコによる修復が完成して、現在の姿になったらしい。

白い仏塔より、このこげ茶色の方が、落ち着いた雰囲気があって、私的には好み。

アバヤギリの名称は、二人の人物の名前、アバヤとギリからつけたもの。

アバヤは、この大塔を建てた王。

一方、ギリは、タミル軍に追われ放浪中のアバヤ王を侮蔑したジャイナ教の僧侶の名前だった。

紀元前1世紀、14年ぶりに、この地に凱旋した王は、屈辱の報復にジャイナ教寺院を破壊、その地にこの大塔を建てたと伝えられている。

ダーガバは仏塔、大きいダーガバだから大塔なのだが、日本人には寺院の名前がぴったりくるようだ。

アバヤギリ大寺院。

今はキャンディにある「仏歯」も、当時は、1年に3か月間だけここアバヤギリ大寺院に置かれていたという。

「アバヤギリ大塔は大乗仏教の本山」という言い方は、どうやら不正確らしい。

自由で開放的な雰囲気に満ちた大塔寺院は、外国の僧にも門戸を開き、大乗仏教や密教などを積極的に受け入れる寛大さがあったというのが、正解。

アバ゛ヤギリ大塔は、漢字で「無畏山寺」と書く。

5世紀にここに留学し学んだ中国の学僧法顕は、その著書『仏国記』に、無畏山寺には5000人の僧がいたと記録している。

その中には、日本と関係のある不空三蔵もいた。

不空三蔵は、空海の師・恵果の師。

空海が持ち帰った金剛頂経などの密教経典は、不空がアバヤギリ寺院から中国へ持ち込んだものでした。

仏教世界の中心的研究機関であったアバヤギリ僧院も、10世紀末のアヌラーダプラ陥落とともに破壊の限りが尽くされた。

12世紀に再興されるが、その時すでに首都機能はボロンナルワに移転していて、財政的なひっ迫が復興をないがしろにしてしまう。

マハビハラ(上座部仏教)に宗派統一がなされたばかりだったことも大きく影響した。

いくつかの主要施設は再興されたものの、大多数は今も密林の下に眠ったままなのです。

 午後4時、東京ほどではないが、影が長くなって夕方の気配がする。

次の目的地ミヒンタタレー観光があるから、ガイド氏は落ち着かない。

急いで、アヌラーダブラ最後の観光地へと急ぐ。

◇サマーデイ仏像

疎林のなかに、どっしりと仏さまが座しておわす。

 

高さ約2m、3-4世紀に造られたと見られている。

1886年、ここで発見されたときは、地面に横倒しになって鼻が欠けていたという。

「Samadhi」というシンハラ語は、瞑想の意。

右肩を出し、右腕の下から左の肩に衣を懸ける偏袒右肩で、両手は踝の上で掌を上にして重ね、足は右足を上にして胡坐のように座る勇猛座は、スリランカ座像仏の定番スタイル。

欠けていた鼻の修繕が稚拙で、画竜点睛を欠くというのが、美術専門家の意見らしいが、素人目には素晴らしく見える。

純真でピュアな雰囲気が漂っています。

 

実は、アバヤギリ大塔を離れる際、どこか場所は不明なのだが、一体の野仏と出会った。

いつもの癖でパチリと写真に納めはしたが、その氏素性は不明のままだった。

ところが今、資料を読み進めていて「第2サマデイ」の存在に気付いた。

どうやらこの石仏が「セカンドサマディ」のようなのです。

両手は欠損しているが、元の姿を想像しても、手を踝の上におく禅定三昧のサマデイではないように見える。

日本では釈迦如来に固有な印相とされる転法輪印(説法印)ではないか、とは仏教美術専門家の見解。

その印相の仏像が、ルワンウエリ・サーヤ大塔の仏殿にあったので、参考のために載せておきます。

   左の仏像の印相が転法輪印

私の好みでは、「セカンドサマディ」の方がいい。

一切の夾雑物を排して、すっきりと穏やかに、しかも凛として周囲の空気を支配しているそんな感じがします。

 

 ガイド氏に急かされるまま車へ。

次の目的地ミヒンターレへ急ぐ。

だから巨大な水浴場クッタムポクナは車上から撮影しただけ。

ここは僧侶の水浴場だった。

スリランカ人は水浴が好きで、平均一日に3回は体を洗う。

男でも裸にはならない。

サロンで男は腰から下、女は胸から下を覆って、その中で手を入れて洗う。

特に、女性の、サロンを巻いての脱衣の仕方はお見事。

弥次馬のすけべ心が入り込む余地は皆無です。

これはスリランカだけでなく、中近東から東南アジアの広範囲にみられるスタイル。

 1年中暖かいから、お湯に入ることはない。

水なら野外にどこにでもある。

野外では人の目があるから、いつの間にか、脱衣の名人になるのです。

≪次回は、ミヒンタレー≫


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