17 真宗東本願寺派・徳本寺(西浅草1-8-11)
でも、裏口のようなので、グルっと回って、正面へ。
墓域には、江戸城内で田沼意次の子意知(おきとも)を切り付け、切腹を命じられた「世直し大明神」こと旗本の佐野善左衛門政言(まさこと)と江戸中期の画家宋紫石の墓があるというが、寺にことわってまで入る気がせず、断念。
18 浄土真宗東本願寺派本山東本願寺(西浅草1-5-5)
恥を晒せば、我が家の宗派が浄土真宗と知ったのは、両親の葬儀の時でした。
墓もなく、それまで仏事らしい仏事をしたことがなかったせいでもあります。
宗教に無関心だったからかもしれません。
更に言えば、浄土真宗ではあるものの、西なのか、東なのか、我が家はどちらに所属しているのか、今でも知りません。
今回、西浅草の寺町を書くにあたって、何点かの資料を参考にしましたが、本によって「浅草本願寺」、「東京本願寺」、「本山東本願寺」と名称が異なるのに面喰いました。
子院も東本願寺派もあれば、大谷派もある。
何が何だか分からないので、ネット検索。
私にとって一番わかりよかったのが、Yahoo知恵袋のベストアンサー。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1253254262
明暦の大火で神田明神下から移転するにあたって、幕府から移転先として示されたのは築地と浅草だったそうで、もし築地を選んでいれば、東西本願寺が軒を並べて、内部抗争の愚が形として見られたのに、とこれはつまらない「たら、れば」でした。
これで西浅草1の寺まわりは終わり。