願龍寺を出て、浅草通りを西へ。
右手に「浅草本願寺」の巨大石塔。
まっすぐに伸びる参道の向こうに東京本願寺の威容が横たわっています。
参道両脇には2階建て木造家屋が並び、昭和の匂いを漂わせています。
東本願寺に向かって左に善照寺。
16 真宗東本願寺派・善照寺(西浅草1-4-15)
狭い参道の奥に本堂。
本堂の右脇に墓地への道。
墓地入口の手前を右に曲がると都指定の旧跡、清水浜臣の墓があります。
私は清水浜臣を知らない。
ネットで調べたら恰好なサイトがあった。
「やまとうた」http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/index.html
清水浜臣の経歴と作品紹介を転載しておきます。
清水浜臣 安永5-文政7(1776-1824)号 泊洦舎(ささなみのや)
江戸飯田町の町医者の家に生まれ、家業を継ぐ。通称、元長(玄長とも)。若くして村田春海に入門し、和歌と古学を学んだ。千蔭・春海亡き後江戸派を代表する歌人となる。門弟には前田夏蔭・岡本保孝(況斎)・岸本由豆流などがいる。土佐の鹿持雅澄とは書簡によって親しく交流した。諸侯から招かれることも多く、松平定信の寵遇も得た。上野不忍池の西に住み、自邸を泊洦舎(ささなみのや)と称した。文政七年(1824)八月十七日、没。四十九歳。
参道を挟んで、善照寺の反対側にも寺があります。(続く)
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