HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

アルケミストby ACIDMAN

2012年11月11日 | ACIDMAN
こういう長い時間をかけての出会い方もあるんだなと最近感じることがあった。

それはACIDMANの音楽との出会い。

彼らのことを知ったのはもうずっと前、おそらくメジャーデビューするかしないか
あたりから彼らの存在は知っていたと思う。

彼らのイメージは最初から評価が高かったということ。
いろんな人が彼らをベタ誉めし、素晴らしいバンドだと言ってた。

私の彼らの最初の音楽の印象は「水写」であり
あのMVだった。

たぶんそれより以前の曲も聴いてたと思うけれど
あの音楽が私の中のACIDMAN像を作り上げてしまったように思う。

嫌いでは決してないのだけれど、どこか自分の中の
変なレディオヘッド考みたいなものが出て来てしまって
「あ~レディオヘッドみたいになりたいバンドなんだな。」って
勝手に決めつけてしまってた。まあ、レディオヘッドのファンにしたら
あるいはACIDMANのファンにしてもどこが似てるんだよ!って言われそうだけれど、
なんか感覚的に2バンドのひとつの静脈みたいなものが共通しているように
感じてしまったんだ。


私はレディオヘッドが好きだけれど、レディオヘッドの匂いがすごくする
他のバンドにはあまり興味がなかったんだ。


そこで、私はACIDMANの音楽と関わることはほとんどなくなってしまった。

ところが、いろんな場面でACIDMANという名前は私の前に登場し
まるで何かの電波を発しているかのように定期的にその名を
送ってきていた。


そんな中、年数も経った頃、Under the rainという曲が
CSの音楽番組でMVとともに流れた。

この曲は私をひっぱり始めた。
なんだよ。どうしてそんなにひっぱるんだよ。
そんな感じだったが、その曲は「水写」とは反対に
ACIDMANってこういうバンドだったのかと
新鮮な感動をくれるものだった。

それからあとに出たDEAR FREEDOMという曲。
この曲で私は自分の中にかなりの大きな変化が
起きたのを知る。

もうガマンができなくなり、CDを買いに行った。
そして何度も何度もくりかえし聴いていた。

私はこのバンドの深さを知った。

大木氏の書く詩がとてつもなく広大な奥行きをもって
人間を超えたものを描いていることに改め気がついたんだ。

そして、驚いたのが最新作の「アルケミスト」

これはパウロ・コエーリョの「アルケミスト」を
モチーフにしているらしい。きっと大木氏はこの本を
愛読しているんだね。


「何かを強く望めば宇宙のすべてが協力して
実現するように助けてくれる。」
(from 「アルケミスト」by パウロ・コエーリョ)

私はACIDMANの「ALMA」の大木氏のドキュメンタリー映像を
見たときにこの言葉がすごく思い出されたんだ。

大木氏はチリやボリビアなど「ALMA」のMVの撮影にでかけたんだけれど
この映像はほんと見ていて心打たれるものがある。
もちろん、淡々とそのまま撮影されていくのだけれど
そこにある自然の素晴らしさや美しさや過酷さなどが
そしてきっと見えるだろう満天の星を想像して
彼はまるでアルケミストに出て来る少年のような
自然からもらう力というものを感じているんだろうなと
見ていて、すごく感じた。

この映像はACIDMANというバンドを超えて素晴らしいと思った。

ALMAというのは電波望遠鏡のことで、可視光線を集光して天体を観測する一般の光学望遠鏡に対して、電波を収束させて天体を観測する装置の総称。
電波望遠鏡は、光学望遠鏡では観測できない波長の電磁波を広く観測することができる。可視光を放射しない星間ガス等を観測するのに有力である。
(wikipediaより)

この宇宙からの目に見えない電波を受信する場所はとてつもなく標高の高いところで
そこに大木氏は行って、歌ったんだ。

不思議なのは私がACIDMANの曲にぐいっと引き込まれてついにCDを買ったのが
この「ALMA」のアルバムに入っているDEAR FREEDOMからということだ。

ACIDMANからずっと放たれていた音楽の波を
やっと私がキャッチできたのが
どこかこのALMAが宇宙からずっと発せられていた
電磁波をキャッチできたのに重なる気がした。

私はこのブログでもたびたび書いているが
サン・テグジュペリの作品が好きなのは
自然の中で人間っていうのはちっぽけなものだけれど
どこかこの宇宙に包まれて、生かされて、
力をもらっているように感じるということを
感じさせてくれるからだ。

そして現代のサン・テグジュペリと言われる
パウロ・コエーリョの「アルケミスト」にも
やはりそれがあって、ときどき夜空を眺めると
この星々を何百年も前に生きていた人たちも
眺めていたんだろうかと思うだけで
胸の奥がきゅっとなるんだ。

サン・テグジュペリが言ってた。
「砂漠で満天の星を寝転がってみていると
まるで自分がその星々の中に落ちて行ってしまうようだ。」

私はそれを一度だけ経験したことがある。沖縄の宮古島で
夜草原に寝転がって空を見上げたら、ほんとうに自分が
その星空に落ちて行くような感覚になって思わず
手元の草を握りしめた。

きっと大木氏が見たALMA展望台での星空は
もっともっとすごいものだったんだろうね。
行ってみたいな。

細美武士さんもエジプトに旅行している時に
きっとそういう感覚になったと思う。
彼は実際に「アルケミスト」を道中読みながら
アフリカ大陸を旅したんだから。

アルケミストがまるで大事な言葉のように
最近思えて来る。

何か大事なものを発見したかのような
それが何なのかはっきりはわからないけれど

生きて行くうえでいろいろな困難なことや苦しいこともあるけれど
すべては自分の望むことへの「前兆」であって、それを
超えていくことで自分の夢はきっと叶えられるということを
信じさせてくれる存在が「アルケミスト」なんだなと。

あと、ACIDMANの曲ってどこかいろんな鉱石が組み合わされている
壁や柱や建物や噴水や石畳のようなイメージがある。

私がときどき行く科学センター。プラネタリウムを見るのが
結構好きなんだけれど、それ以外でもいろいろな鉱石を展示しているのを
見るのも好きなんだ。とても美しい鉱石がたくさんあって
こういうのはどこから来るんだろう?っていつも思う。

また、薄く切られた石を顕微鏡でのぞくと
ちょうどACIDMANの「アルケミスト」のジャケットのような
カラフルな模様が見えることがある。

彼らの歌は心の顕微鏡で見ると果てしなく美しい色を見せてくれるんだね。
今まで気がつかなかったけれど、やっと私も自分の心の顕微鏡を手に入れた気がする。
そして、自分の中のALMAもね。

遠くまで行くことを人を怖れるかもしれないけれど
遠くまで行くことで初めてわかることもあると思う。
もちろん、近い場所に真理があると言う人もいる。
どちらが正しいとかはないけれど、
私はACIDMANというバンドはいつも果てしない距離感を
描いて、そこに伝えたい何かを散りばめて行くバンドだと
思った。自分が豆粒みたいであっても、この広大な宇宙と
心で対峙できるんだということも教えてくれる気がする。


これって偶然なのかどうかわからないけれど
今年のRADIO CRAZYの30日にthe HIATUSとACIDMANが
出る。それぞれにどんな宇宙を見せて、聴かせてくれるのか
本当に楽しみだ。


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