11月24日(金)晴れ【神通力を示す宝誌大士】
今国立博物館で開催されている『仏像』展の中に、一体奇妙な像がある。顔の皮を裂いてそこから別の顔が出ている像である。有り難いという感じよりも不気味である。この仏像は中国南北朝時代に実在した僧侶、宝誌大士(418~514)の像である。
宝誌大士は多くの奇瑞きずいを現した人として名高い。奇瑞は奇跡と同じような意味である。分かりやすく言うと神通力である。その赤子の頃にさえ面白い逸話があり、たまたま私の研究している器之為璠禅師語録の中にも出てくる。
「十一面観音菩薩」の開眼の法語に出てくるのであるが、原文は長いので一部分且つ訓読文のみ次にあげる。
「蚌蛤ぼうこうの殻裏に唐主を妖魅し、或いは鷹子の巣中に梁家を誑謼きょうこす。是れ聞薫無作の妙力と謂う。豈に亡所の尾巴に入流せざらんや。然も与麼なりと雖も、若し衲僧の門下に約さば、猶お泥を隔つこと在るがごとし。且く道え、衲僧に什麼の威力か有らん。〈便ち筆を以って点眼して云く〉、毫端に点出す頂門の眼。眼処何ぞ兼て耳処に差わん。
赤字の部分に関してのみ訳すと、鷹の巣の中で泣いていたという赤子は宝誌大士のことで、梁の武帝の尊崇を集めた人であるという。『釈氏稽古略』巻二に鷹の巣の中で啼いていた子の話がある。その子が宝誌大士であると書かれている。赤子の時、已にこのように不思議な話がある宝誌大士である。
私にとっては、この『仏像』展で宝誌大士の像を見て、赤字の部分の箇所に関して、苦労して宝誌大士のことと探し出してすでに知っていた面白味があった。しかしなぜ観音菩薩の点眼に使われているかと謂えば、次のことからであったことを、私は知らなかったのである。研究にはきりがないと痛感する。宝誌大士については日本では平安時代後期には広く知られていたという。室町時代には当然多くの人に知られていて、器之為璠禅師でなくとも知れ渡っていたようである。
国立博物館の像は、顔の中から観音菩薩を現した像と言われるが、これは梁の武帝が画家に宝誌大士の絵を描かせようとしたところ、大士が自分の顔を真ん中から剥ぐと、そこから十一面觀音が現れたのだという。ところが、観音が様々な表情を現すので、絵師が描こうとしたが描ききれなかったという。この「剥がれた顔の中から十一面觀音」が現れている像はこの説話に基づいている。
しかし不思議さに心打たれるというよりは、気味が悪い、と私は感じた。素晴らしいと感じる御仁もいられるかもしれない。目の前で宝誌大士に顔の中から別の顔を現されたなら、腰を抜かしてしまうかも知れない。奇瑞(奇跡)にもいろいろあろうが、なんとなく有り難い感じのする奇瑞のほうがよいと願うのはこちらの勝手であろう。宝誌大士はそんなことにはお構いなしの人に思える。
先日中国に旅行した人から、霊光寺(たぶん?)にある宝誌大士の像の写真を見せて貰ったが、柄の長い楽器を手にして頭にかぶり物をしている像であった。中国でも今でも祀られているような人のようである。
国立博物館に出かけられたら、是非宝誌大士像についてご感想をお教え下さい。
*奇瑞は奇跡のなかでもめでたいことの前兆として現れる不思議な現象。
*「宝誌和尚立像」京都西往寺所蔵。
*「宝公大士 諱宝誌。世称宝公。尊之也。手足鷹爪。初建康東陽民朱氏之婦。聞児[口*帚]鷹巣中。梯樹得之。挙以為子。七歳依鍾山僧倹出家。專修禅観。至是顕跡。以剪尺払扇掛杖頭。負之行聚落。嘗遇食鱠者。従而求食。啗者遺而薄之。誌即吐水中皆成活魚。今江中回魚是也。居多神異。至梁武帝天監十三年十二月六日入滅。寿九十三歳。梁武皇帝以金二十万易建康鍾山之独龍岡葬之。」(『釈氏稽古略』巻二T49-792b)
今国立博物館で開催されている『仏像』展の中に、一体奇妙な像がある。顔の皮を裂いてそこから別の顔が出ている像である。有り難いという感じよりも不気味である。この仏像は中国南北朝時代に実在した僧侶、宝誌大士(418~514)の像である。
宝誌大士は多くの奇瑞きずいを現した人として名高い。奇瑞は奇跡と同じような意味である。分かりやすく言うと神通力である。その赤子の頃にさえ面白い逸話があり、たまたま私の研究している器之為璠禅師語録の中にも出てくる。
「十一面観音菩薩」の開眼の法語に出てくるのであるが、原文は長いので一部分且つ訓読文のみ次にあげる。
「蚌蛤ぼうこうの殻裏に唐主を妖魅し、或いは鷹子の巣中に梁家を誑謼きょうこす。是れ聞薫無作の妙力と謂う。豈に亡所の尾巴に入流せざらんや。然も与麼なりと雖も、若し衲僧の門下に約さば、猶お泥を隔つこと在るがごとし。且く道え、衲僧に什麼の威力か有らん。〈便ち筆を以って点眼して云く〉、毫端に点出す頂門の眼。眼処何ぞ兼て耳処に差わん。
赤字の部分に関してのみ訳すと、鷹の巣の中で泣いていたという赤子は宝誌大士のことで、梁の武帝の尊崇を集めた人であるという。『釈氏稽古略』巻二に鷹の巣の中で啼いていた子の話がある。その子が宝誌大士であると書かれている。赤子の時、已にこのように不思議な話がある宝誌大士である。
私にとっては、この『仏像』展で宝誌大士の像を見て、赤字の部分の箇所に関して、苦労して宝誌大士のことと探し出してすでに知っていた面白味があった。しかしなぜ観音菩薩の点眼に使われているかと謂えば、次のことからであったことを、私は知らなかったのである。研究にはきりがないと痛感する。宝誌大士については日本では平安時代後期には広く知られていたという。室町時代には当然多くの人に知られていて、器之為璠禅師でなくとも知れ渡っていたようである。
国立博物館の像は、顔の中から観音菩薩を現した像と言われるが、これは梁の武帝が画家に宝誌大士の絵を描かせようとしたところ、大士が自分の顔を真ん中から剥ぐと、そこから十一面觀音が現れたのだという。ところが、観音が様々な表情を現すので、絵師が描こうとしたが描ききれなかったという。この「剥がれた顔の中から十一面觀音」が現れている像はこの説話に基づいている。
しかし不思議さに心打たれるというよりは、気味が悪い、と私は感じた。素晴らしいと感じる御仁もいられるかもしれない。目の前で宝誌大士に顔の中から別の顔を現されたなら、腰を抜かしてしまうかも知れない。奇瑞(奇跡)にもいろいろあろうが、なんとなく有り難い感じのする奇瑞のほうがよいと願うのはこちらの勝手であろう。宝誌大士はそんなことにはお構いなしの人に思える。
先日中国に旅行した人から、霊光寺(たぶん?)にある宝誌大士の像の写真を見せて貰ったが、柄の長い楽器を手にして頭にかぶり物をしている像であった。中国でも今でも祀られているような人のようである。
国立博物館に出かけられたら、是非宝誌大士像についてご感想をお教え下さい。
*奇瑞は奇跡のなかでもめでたいことの前兆として現れる不思議な現象。
*「宝誌和尚立像」京都西往寺所蔵。
*「宝公大士 諱宝誌。世称宝公。尊之也。手足鷹爪。初建康東陽民朱氏之婦。聞児[口*帚]鷹巣中。梯樹得之。挙以為子。七歳依鍾山僧倹出家。專修禅観。至是顕跡。以剪尺払扇掛杖頭。負之行聚落。嘗遇食鱠者。従而求食。啗者遺而薄之。誌即吐水中皆成活魚。今江中回魚是也。居多神異。至梁武帝天監十三年十二月六日入滅。寿九十三歳。梁武皇帝以金二十万易建康鍾山之独龍岡葬之。」(『釈氏稽古略』巻二T49-792b)
やはり気持ちが悪かった、と言って居りました。
それほど強烈なものを見逃すと言うのは、どうゆう事なのでしょう。あまり突拍子も無いものは、理解できないまま受け止めてしまう性格なので、特に感動することも無く通り過ぎたのかもしれません。
宝誌大士についての記述の最古の文献を見つけたいと思いましたが、家のパソコンで何回かチャレンジしたのですが、検索機能が壊れていて駄目でした。今分かっているものでは、『五灯會元』(1253)『仏祖統記』(1271)『釋氏稽古略』(1544)『仏祖歴代通載』(1576)ですので、『五灯會元』が一番古いようです。ただ五灯なので、景徳か聯燈会要か五灯のうちのどれかにあるのではないかと思うのですが。
器之為ばんには『釋氏稽古略』は年代が後なので、あまりよい出典ではありませんでした。
うさじいさんへ》
おそらくうさじいさんの時は展示の仏像がいくつか違ったのかもしれません。先日私の友人曰く、国宝の入れ替えがあったと言ってましたので、宝誌さんも後の展示だったかもしれません。
あの宝誌大士が出展されていて見逃すはずがありません。あまりに強烈ですから。
カードもやたらに宝誌大士のカードを売っていました。
奇妙な、或いはこの世のものとは思えないほど美しく神々しいお姿は、見るものの心に深く刻み込まれ、それが種となって信仰心が芽生えることを目指しているのでしょうか?
それにしてもtenjin老師の書き込み時間が気になります。まだお休み前なのか、もう既に起きて居られるのでしょうか?
?だらけの書き込みで申し訳ありません。
宝誌和尚の記事をご紹介いただき、ありがとうございます。勉強になります。
当方では、『五燈会元』の記事を使いましたが、実際にはもっと早い燈史文献でも出るような気がします。なお、拙僧も、あの像にはホラーな感じがしまして、薄気味悪かったと思いました。