mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

私たちの終活

2023-01-26 15:00:31 | 日記
 デジタル送信された「日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている/BBC東京特派員が振り返る BBC News -01/22/ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ、BBC東京特派員」を読んで、今、考え込んでいます。
 7千文字ほどのこの一文は、1993年に来日し、日本人の奥さんを持ち子どもも二人いるBBC特派員が日本を去るに当たって書いた文章です。バブルの残り香がまだ色濃い頃から「失われた**十年」を目にしてきた30年。私たちに即していえば、50歳から80歳までの期間を、日本列島で共に過ごした同時代人でもあります。
その間に目にした日本社会の印象が,端的に表題に表れています。私がオモシロイと思ったのは、この一文が素描だからです。いかにもジャーナリストらしく、取材のプロットを拾っています。豊かで清潔な1990年代前半の東京、それから30年年経って山林を売ろうとする所有者の金銭感覚、マンホール蓋学会という妙な好みを偏愛する地方自治体、自動車安全運転講習会という名の退職警察官の働き口を保障する風景、東京から2時間という好立地の寂れ行く房総半島の限界集落の、しかし外国人を受け容れようとしない頑なさ。それと対照させるように、バブルの頃の日本の感じさせた「未来」とその後にたどって現在位置している衰退する経済大国日本が「とらわれている過去」を素描して、「日本は次第に存在感のない存在へと色褪せていくのか」と慨嘆する。
 それは、日本社会の総体を的確に描き出しているかといえば、むろんそうではありません。また、外国人がスケッチした異情趣味だろうと名付ければ、そうも言えると思います。でも、彼の素描は「日本社会の不思議」を漠然と描き出していると感じます。
 彼の取り出すプロットの一つひとつに対して私たち日本人は、それなりに答えを出すことができます。だが、どうしてそう感じ考えているのだろうとわが身を振り返ると、自身が気づいていない感性や感覚が浮かび上がってきます。無意識に仕舞い込まれて、しかし私たちの直感的選好を左右しているように思えます。自身が抱いている既成観念を疑うことまで「探求」していくと、なかなか奥行きの深いモンダイに突き当たります。
 80歳になって私たちは、そろそろ彼岸への渡る地点を探りはじめる気分になっています。同窓生が集まった先日のseminarでも、「皆さんはどう終活しているのか」と問う声も聞こえていました。だが、この一文を読んで、ヘイズさんの感じ取った「日本社会の不思議」に共感する心の響きは、「不思議」とはわたしたちのことを指しているのではないか、と感じます。イギリス人の口を借りて、わたしたちの身の裡の「こだわり」が照らし出されているようです。それを解きほぐすのは、わたしたち自身しかいません。それこそが、わたしたちの終活になるように思い、皆さんにこれを読んで頂いて、ヘイズさんが感じている「不思議」が奈辺にあるか解きほぐしておこうではないかと考えました。いうまでもなくそれは、イギリス人・ヘイズさんの「不思議」を露わにすることでもありますが、それが当面の目的ではありません。
 いきなり「本題」に切り込むというのではなく、この文章のいう「未来であった」と「過去にとらわれている」との間に揺蕩う「わたしたち」の感性や感覚の根っこに足をつけるようにして、長い時間を掛けて考えていっては如何かと思いました。
 一先ずわが身が無意識に抱いている感性や感覚、価値意識を一つひとつ取り出して意識化し、なぜそう感じ、そう考えているのかと、モンダイを拾い出していきましょう。ヘイズさんの取材領域に限ることはありません。もっとわたしたちの日常の振る舞いに立ち戻り、ワタシはどうしているかと思い巡らす。そうやってみると、「不思議」というよりも「わからない」ことがそちらこちらに転がっているように感じます。
 もちろんその話が、「80歳の風景」にかわる「100歳の風景」に移っていくこともあると思っています。ヘイズさんは2050年の日本の人口のことに触れています。2050年というと、もし生きていれば107歳か108歳。いつだったか、同じ同窓のタツコさんが2045年まで生きてシンギュラリティがどうなっているか楽しみと話していたのを思い出します。
 おしゃべりseminarが、そうやって日常の遣り取りの積み重ねとして形を変えていけば、それはそれなりに面白いと思うのですが、皆さんはどう考えるでしょうか。


言葉もない

2023-01-25 16:56:45 | 日記
 半世紀来の友人から電話が入る。やはり半世紀来のグルーピングをしてきた末裔とも言える老人会「ささらほうさら」のメンバーの一人・Nさんが亡くなったという知らせ。私より4つほど若い。最初に就職した職場で顔見知りになった。職域は違ったが、振る舞いと考えの誠実さと堅実さが際立っていて、彼の職域の人たちをひとつにまとめる行動力を(目には見えなかったが)もっていた。
 その後彼が転勤した職場でのモンダイを発端に顔を再び合わせるようになり、いつしかグルーピングが発生していた。出入りした人の数は百人を超える。はじめのモンダイがほぼ解消した後も、そのときに開始した半月刊誌を2006年まで、じつに35年間にわたってつづけてきた。月2回集まり、編集作業をする。年に何回か「合宿」と称して子ども連れで行事を行う。遊びや勉強やおしゃべりなどをする運びになり、いわば初めは若衆宿のように、歳をとるにつれて家住期・遊行期・林住期と移り変わるようにして「ささらほうさら」となってきた。寡黙で実務肌のNさんは、半月刊誌刊行の裏方に徹し、その慥かさで半世紀を超すアクションを支えてきた。
 年を経るにつれて体も思うに任せなくなり、2020年からのコロナ禍によって月一回の集まりも出来なくなった。でもそろそろ集まってもいいんじゃないか,車を出すからと提案する人もいて、「ささらほうさら」の再開を検討したのは先月であった。だがNさんは、その間に喉に癌が出来、それへの対処と治療に入退院を繰り返していた。Nさんが参加できないのではやるわけにはいかないとなったとき、毎日訪問看護を受け、点滴をして家で過ごしているのなら一度見舞いにこうと連絡を取ったら、「子どもにも来るなといっている。いましばらくご勘弁を」とSMSが返ってきた。
 そうして昨日の訃報である。知らせてきた亮一さんと手分けしてメンバーに知らせる。電話に出たマサオキさんは一瞬、黙ったまんま,絞り出すように口にしたのは、「そうですか」だった。ありうることと予測していたとは言え、言葉にならない。Nさんより少し若いOsさんはメールで「言葉もない」と返信してきた。
 Nさんの得意技であった事務・実務とは、会場の予約・準備、泊まりの時の宿の確保・食事の手配,そして何より、会計の始末であった。会計といえば、文字が発明されて書き残されていたことは、まず王や豪族にかかわる贈答の中味であり、会計の処理であった。そのために文字が必要となったかと思うほど、日本の木簡などにも,そのときの会計始末が記されている。つまりNさんの技は、人類史的に最初に記録することが人の身から切り離され、人はそれを対象としてみることによって、時間を意識することへと踏み出したとさえ言えることだ。いつしかそれを凌ぐコトゴトが作り出されては来たが、ついに会計記録をないがしろに出来たものはなく、未だに原初以来の記録の伝統を繰り返し用いることによって、暮らしが円環ではなく、変わりゆくものであると考えるようになった。時間が起点から未来へ向けて途切れることなく続くという観念も、会計処理による文字の発明と記録に残す事務・実務の継承によって人々の無意識に定着していったと言える。
 ワタシはそれに気づかず、文字を読み、文字を書き、自分の感懐や思索を書き付けることが高尚な人類文化のように思い込んで、高等教育まで受けるに至ったのだが、その実、そのワタシの行為は、根柢的にNさんの担う事務・実務によって支えられていたことを、いまさらながら思い知らされたのであった。いわば、エクリチュールの起点から,一つひとつを丁寧に記録し、しかも、印刷・発行・郵送するという「仕事/アクション」を、誰でも出来る容易なことのようにみなして振る舞ってきたと、あらためて思う。いや、Nさんだけではない。そうした事務・実務を担う人たちが黙々とサ業変格活用をこなすことによって、グループの35年間の機関誌発行が続いていたにもかかわらず、それに依存しているとはつゆ思いもしなかったことを、今になって痛く感じる。
 これこそが、半世紀にわたるグルーピングの成し遂げたものであった。あらためて、そう思う。Nさんの訃報に接し、言葉がなくて当然だと思うのであった。


関係の絶対性という倫理発現の根拠

2023-01-24 08:59:27 | 日記
 1年前(2022-01-23)の記事「慟哭の絶対的関係と生存への欲望」を目にして読みながら、僅かこの一年で世界が露わにした相貌を振り返ってみている。呉叡人『台湾、あるいは孤立無援の島の思想――民主主義とナショナリズムのディレンマを超えて』(駒込武訳、みすず書房、2021年)に触発された感懐であるが、公刊された2016年と「日本語版への序文」が書かれた2020年5月との(台湾の置かれた)落差が大きく、さらに去年と今年の1年間の,本書を読むワタシたちの身を置く世界の変わりようが、露骨である。
 ロシアのウクライナ侵攻は、WWⅢを思わせた。未だそこへ突入せずに踏みとどまっているのは、「核の脅威/プーチンの錯乱」に欧米世界が脅えているからである。ウクライナに戦車を提供することへのドイツのもどかしい逡巡も、その動機がどこにあるにせよ、ウクライナ/ロシアの現事態に力を対置していくのがもたらす「核の脅威/WWⅢ」の発現では、世界の先行きがまったくみえなくなるからである。
 このとき「世界の先行き」として私の視野に入っているのは、欧米先進国や東アジアの近隣諸国。アフリカ諸国の人々や東南アジアの人々の暮らす姿は,ほぼ存在していない。みえていない人たちは(この事態に)「関係しない」と(私の胸中で)みなされている。ではみているワタシは「関係する」のかというと、国民国家という枠組みを通してかかわる回路しかもたない。国民国家を通す回路って、では、お前の知見を活かす通路になっているかと自問すると、じつは、まったくなっていない。だったら、アフリカや東南アジアの人たちと同じじゃないか。だったらなぜ、あなたは「世界の先行き」を懸念するのかと、自問が続く。そのときほとんど意識していなかった「関係の絶対性」が浮かび上がる。つまりワタシは日本という国民国家と同一化している。あるいは欧米先進国の、理知的な(私が思っている)思念と共有する観念をもっている(と思っている)。
 つまり、自分の置かれている地点はわが身のセカイで位置づけられ、そこから世界をみて「先行き」を考えている。だがそれは、国民国家の為政者やウクライナ/ロシアの戦争にかかわる国々の為政者たちの視界には入っていない。じゃあ何だよ、俺たちはっ、て文句が出ても可笑しくないし、何でもねえよ、ゴミだよと応えが返ってきても、それなりに説得力がある。じゃあ、知らねえよ、世界のことはと居直っても居直らなくても、為政者たちには関係ないことなのだ。
 呉叡人だってそうじゃないかと、台湾の今置かれている立場を知っていても言いたいくらい、一人のヒトは世界にとってみなゴミなのだ。にもかかわらず呉叡人は、ニヒリズムに陥らず、それどころか、自らを「賎民/パーリア」と自己規定しながら、「台湾の悲劇」を道徳的意義において意味づけようとする。
《…台湾人であるわれわれは…一切の高尚な価値を評価し直さないわけにはいかない》
 と言い置いて、こう崇高さを湛えた言葉で締めくくっている。
《…賎民は…無意味で残酷な現世に対してその意義を求めているのであり、この生存への欲望に対する承認を要求している。それが賎民による「自由」の追求の形である》
 去年私は、《このギリギリの場に身を置いて、ニヒリズムに陥らず、善へ向かう道徳的意義を堅持する気高さに、胸を衝かれる》と感想を記した。今年それを、国民国家という既成観念に収斂させるのではなく、国民国家という「関係の絶対性に」にとらわれた「賎民」が求める「生存への欲望に対する承認」を突き出して行く。誰に突き出すのか? プーチンではない。「関係の絶対性」に於いてキシダに向けて。そう考えると、a元首相が旧統一教会への憎しみにみちた銃弾に倒れたのも、aとyとの「関係の絶対性」に於いて,ある意味必然のことであったと腑に落ちる。
 私たちはそうした「目に見えない絶対性」に規定されて生存し、争い、絶対性を蹴破っていこうとする「自由への希求」において倫理的に振る舞う根拠を手に入れることが出来る。1年経って改めて、世界をみる視点を意識した次第です。


成長期の80歳という人形の家

2023-01-23 10:33:16 | 日記
 昨日、36会seminarが行われました。14名出席の予定が12名。一人は連れ合いが救急車で運ばれ、その介助・介護に手が離せない。もう一人は本人が「熱も喉の痛みもないのですが、咳が止まりません」と風邪を訴えてきた。聞いた出席者は「そうなのよ、私もコロナに罹ったとき、咳き込みがひどくて・・・」と、収まりそうもないコロナ禍への懸念が広まっていました。いかにも「80歳の風景」でした。
 今日のお題は「80歳のわたしの風景」。12月seminarで、第傘期のトップを切って「お題」を提供するはずであったミコちゃんが(親族に不礼があって出来なかったのを埋め合わせようと)、80歳になってみえるセカイを語ろうというもの。それを知ったご亭主のマンちゃんが「うちの内情を喋るんなら、わしはもう皆さんに顔向けできない」とミコちゃんを牽制。それを知った女性連が「私たちが加勢するから、やって」と応援して実施する運びになった。
 ミコちゃんは何冊か本をもってきている。
「なに、それ?」
「うん、いま読んでる本よ。話が行き詰まったときに、こんな本に刺激受けていると紹介しようと思って」
 と、今日の運びに慎重である。ご亭主の牽制に、自己規制しようという構えだろうか。生憎加勢組の一人が欠席とあって、むしろ私は運びがどうなるか心配であった。
 ミコちゃんの話は、意外であった。とうてい私たちの想定する「80歳の風景」に収まらない勢いをもっていて、驚かせた。子細はとうてい紹介できないが、ミコちゃん実は、「100歳のわたしの風景」を夢見ていた。
「えっ? 80歳のわたしは、まだ未熟ってこと?」
「そうやなあ、keiさんみたいに自分のやることをしてきたって充実感がないの」
「仕事をしたいわけ?」
「そう、今のままで終わっちゃいけん、そう思うとんよ」
 いま働いているお店は、ビル建て替えのために2年後に一旦終わりになる。その後3年掛けて新しいビルを建てる。そのための話しが間もなくはじまる。が、その後の店舗展開をどうするか(ミコちゃん家では)問われることになるそうだ。
 そう言われて思い出した。私たちが70歳になろうという頃、お店の入っているビルの建て替えの話が持ち上がっていた。マンちゃんはそれを機にお店を止めて,その後どう暮らすかを思案していると話していた。ところが2013年、東京オリンピックが2020年に開催決定となった。そのため東京に建設ラッシュがはじまり、ビル建て替えの話しは,オリンピックが終わってからということになる。加えて、コロナ禍だ。オリンピックも1年延長になった。結局マンちゃんのリタイアは10年以上延長になった。
 その間に彼も、連れ合いのミコちゃんも、十年歳をとった。身体機能も変化した。マンちゃんは糖尿の持病をかかえて出来する体各所の異変に対応し、私にいわせればいつ墜落しても不思議じゃない低空飛行を諄々とつづけてきた。その間の2011年6月にミコちゃんが脳梗塞になった。詳しくは『うちらぁの人生 わいらぁの時代』(pp28~29)をご覧頂きたい。いまのマンちゃんは、見事に年寄りになった。目も悪くなりTV画面を見ていることができない。耳が遠くなり、普通の会話は聞こえない。補聴器を使ったりしているが、いろんな音がざわざわと聞こえてきて、五月蠅くて適わないという。歩くのもゆっくりだ。でも、食べるのも(何かと煩わしいのか)ごく少なく、痩せ細っている。とはいえ、暮らしの大半を自力でやっていける。ミコちゃんも、脳梗塞からすっかり回復し、マンちゃんの暮らしを介助しながら、姪御さんの手伝いを得てお店を切り回している。
 最初驚いたのは、マンちゃんが仕事をやめたいと思っていることに、ミコちゃんが不平を鳴らしたことだ。
「えっ? まだ働けっていうの?」
「だって働かなくなると、この人、死ぬんよ。仕事へ行くから 朝は起きるし、着替えもする」
 マンちゃんの生活習慣ともいうべき、お店に出るということが断たれると、どう暮らして良いかわからない。なによりマンちゃんの低空飛行とはいえ生活習慣の維持を、どうやったら良いかわからない。そういう不安が、ミコちゃんを取り囲んでいるようだ。
 加えて、仕事に関する彼女の「達成感」が姿を現したように感じた。聞くと、マンちゃんは、ずうっとお店を仕切ってきた。いつも一緒に店番をしてきたミコちゃんも、マンちゃんに頼りっきりであったことを忘れていない。それがいま、姪御さんの手伝いを得て辛うじて切り回している。マンちゃんは今、ほぼ役に立っていない。だがそのときミコちゃんは、働くことにやり甲斐ってものが、お店を切り回す役回りにあると気づいたのではないか。そうして、これまでそれを自分がやったことがない。ミコちゃんが言う「働くことの充足感/達成感」は、いまようやく目覚めたのだ。「遅れてきた少女時代」と私は思った。「100歳の夢」は、やっとほの見えた人生の達成感を手に入れることだったと、私は気づいた。
 それを、同席の女性陣が別様に言葉にした。
「ミコちゃんは、これまでが恵まれていた。みな周りの人が手を貸してくれ、何不自由なくやってくることが出来た。だから80歳になって今が一番健康だし、体力もある、気持ちが前向きになって、100歳を夢見るようになっている。でも普通は、マンちゃんのように体力は落ちる、目も耳も悪くなる。そうした現実を受け容れて、もっと違った生き甲斐を見つけることを考えた方がいいんじゃないか」
 私はミコちゃんのかかえている「混沌」を、彼女自身が身の裡を覗き込むようにして腑分けしていくことを考えていた。その言葉は,自ずからミコちゃんの「矛盾」に向けられ、問い詰めるような口調になる。そんなことをいうつもりはないのに、彼女がマンちゃんに対する「感謝」を忘れているんじゃないか、かつて僧侶修業をしていたときの「他力本願」とどう整合性を持っているのかと問うている。彼女は大乗仏教からスリランカの僧侶が説いた小乗仏教に魅力を感じていると、真っ正直に応えていたが、その遣り取りが本筋を離れていると断っていた。私の見当違いを軽くいなしたのであったろう。
 そう考えてみるとミコちゃんの「100歳の夢」というのは、ただ単に「遅れてきた少女の夢」というのではなく、じつは女性を保護さるべきものとして父権主義的に振る舞ってきた私たち世代の男・夫がもたらした必然であったとも言える。妻は夫に遵うことを旨として生き、歳をとってからは夫の世話をするのを当然としてきた。
 そうだ、イプセンの『人形の家』のノラだ。そう思った。とすると、80歳になってやっとそういう風景を見るようになったのが、ミコちゃんということか。しかもその心情の根っこに、マンちゃんの生活習慣を崩さずに持続するにはこうするしかないという志があり、そう思案する自分を「愛情がないんじゃろうか」と問い詰める、アンビバレンツな心持ちが静かに流れている。
 うちらぁの人生の総集編のような「お題」でした。


マスク付きコロナフリー

2023-01-22 09:59:48 | 日記
 今日はこれから、seminar。昨日、「seminar次第」A4版12ページをコピーしようとコピー機に原稿を読み込み始めて、11ページであることに気づいた。末尾につける1ページ分のプリントしたものを忘れてきていることに気づいた。全くの迂闊、粗忽。
 家へ取りに帰ったが、すぐに出直す気にならず、3㌔ほど先へ買い物に行くことにした。実は昨日は年に一回の、各家庭の排水口の高圧洗浄の日。日にちだけが通知されていて、午前か午後かもわからない。留守中に業者が来ては気の毒だと思っていたから、買い物に行くのを躊躇っていた。隣の4号棟からはじめている。高圧器を積んだ車両の所まで行ってみるが、誰もいない。皆作業現場へ行っているようだ。となると、わが棟は午後と読んで、買い物に出かけた次第。往復1時間半ほど。
 北西の風が吹き、寒い。首回りと手が冷たい。ネックウォーマーをして手袋を塡める。歩いているうちにだんだん暖かくなる。晴れた空が気分を明るくする。カミサンが書き置いたメモを見ながら必要な品物を手早く買い求め、足早に帰宅する。帰りには少し暑いほどになり、羽毛ジャンパーの前を開けて風を入れる。帰りは追い風になるから、ネックウォーマーも取り払う。荷物はリュックに収まる。5㌔にもならない。
 11時過ぎに帰り着いてみると、高圧器を積んだ車両はまだ4号棟の方にあり、ホースだけがわが棟のわが階段にまで延びていて、入口で止まっている。良かった。まだ、のようだ。
 お昼を済ませ、ボーッとTVを観ていたら、ピンポーンがなった。ちょうど1時。作業の人が入ってきて、ブルーシートを玄関口から台所までさかさかと敷き、台所や洗面所、風呂場、洗濯器置き場、トイレの洗面台へ次々と高圧洗浄を済ませ、10分ほどで終了した。終了の印をつき、やあ、ご苦労様でしたと送り出す。やれやれ。
 この高圧洗浄は毎年一回行っている。先日関西に住む娘が話していたところでは、一戸建て家屋の排水がスムーズに行かないので、何カ所かの排水口から排出溝までが詰まっているようだと、覗いてみたら、石のようなものがこびりついていたという。それをいろんな器具を使って削るように取り払ってみたら、こぶし大の固まりがバケツいっぱい以上にもなった。聞くと、13年分の脂の固まりだそうだ。へえ、脂がそんなに溜まるんだと思うと同時に、(団地の場合)年に一回の高圧洗浄という作業がそういう面倒から持主を解放してくれていると思った。
 午後わりと早くカミサンが帰ってきた。お茶をしてから、seminar「次第」のコピーを取りに行く。お昼のTVでは「マスクは必要かどうか」とやっていたが、お客は皆さんマスクをしている。外を歩くときも、寒さのせいもあるのだろうか、ほぼ皆さんマスクをつけている。私は外ではマスクを外すが、自宅以外の建屋・家屋に入るときにはマスクをつける。政府がマスク不要と言おうと言うまいと、自己判断するしかないと人々は肚を決めた。メディアの云々も、ほぼ聞き流すだけだ。そこまで、この3年ほどの間に鍛えられた。「5類」にするとどんなモンダイが生じるかとTVは遣り取りしている。だが、その「分類」の枠組みそのものを流動的に考えようという意見は、ほとんど聞こえてこない。融通の利かない法的硬直性がこの国を縛り付けているようで、先行きが危うく感じられる。
 帰宅してまた、TVの前に座り、大相撲を観る。十両の朝乃山が優勝を決めた。千秋楽で勝つと、幕内へ戻ってくるようだ。下剋上とメディアは表現するが、平幕と役付き力士の力の差が小さくなった。平幕の琴勝峰も,千秋楽では貴景勝との取り組みになる。観ている分にはオモシロイ。国技館も連日「満員御礼」だから、コロナはマスク付きでフリーになったような感触だね。
 今みたら昨日の歩行数は「11200歩/8.2km/1:33」。なんだこれしき、であった。