たった今、奥日光から帰ってきました。いいお正月でした。
元旦は、朝8時半に家を出て奥日光へ向かいました。まったく混んでいません。先行する息子の車は私の車の運転を気遣ってか、ほぼ時速百キロを守り、概ね第二車線を走り続けます。東北道の制限時速は120km/h。だから後ろから来る車にどんどん追い抜かれますが、気持ちがいいほど前後にも左右にも気を遣わず,坦々と進みました。男体山は少し山頂部に雲がかかっていますが、女峰山とか筑波山とか雪を被った袈裟丸山や赤城山なども見えて、いかにも関東平野のそれらしい年明けでした。
わずか2時間余で菖蒲ヶ浜に着き、来ているオオワシを探そうとおりてみました。すでに何組もの探鳥家がスコープにカメラをつけて待ち構えています。聞くと、今朝はまだ出ないという。たくさんのオオバンが水際から湖面の上に泳いでいます。10センチくらい積もった雪を踏んで菖蒲ヶ浜の湖へ迫り出しているところまで歩いてみる。ヒドリガモ、マガモ、コガモやウ、ダイサギを見掛けたが、その程度か。クリスマスの頃に大雪が降り、その後晴れ続き、毎日夜には少しばかり降って積もるという程度だったから、道路脇の雪の量はずいぶんあるが、車道の路面は雪もなく乾いていた。
宿のロビーを借りて昼食を摂り、息子が子どもらを連れてスキーやスノボの用具を借り、リフト券を手に入れ、スノボの教室へ申し込んだ。高2と大1の孫は初めてのスノボに挑戦すると、不安と期待でハラハラしている。付近を一巡りして,教室のはじまる頃にゲレンデへ行ってみると、スノボの生徒は僅か二人。教師は、転び方、受け身の取り方から入り、用具の取り扱い方などを伝えてから、本格的な滑り方へと入るようであった。彼らのことは放っておいて、私らは付近の散策に出かけた。
子どもらは4時頃まで滑り通し、何とかスノボには乗って滑ることができるらしい。「オレ(スキーより)スノボが向いてる」と、うれしそうだ。もう一人高2の孫は四苦八苦しながらもボードの上に身を乗せて動こうとするが、同じところをくるくると回ってしまう野に、ほとほと疲れたようであった。それでも翌日もへこたれず朝一番のリフトに乗って滑りはじめ、やはり午後3時半まで帰ってこなかった。帰ってきたとき二人は、すっかりスノボに馴染んだようで、板を買おうかと話している。後でわかったのだが、大1孫は小さな動画を撮るカメラをもっていて、お互いにカメラで滑るところを撮影し合っていた。ゲレンデを調子よく滑り降ってきたり降っていったり、ときには手に持って撮影しながら滑っていると思える姿は、とても習い始めて2日目とは思えなかった。
中2の娘孫は2日間とも母親と一緒にスキーをして、一度も転ばなかったとうれしそうにばあちゃんに報告していた。年上の兄孫たちに比べると,まだまだ子どもだなと思った。
宿は老舗だが、スタッフも年老いて、世話を焼いて貰うのが一寸心苦しいような気持ちになった。スノー・ハイキング・ガイドをしているアラフォーのスタッフが,本当に若く見えてしまう。近くの別の宿はスタッフも若く、建物も新しい。そちらは,早々と満室となっていた。「半年前から申し込む方がいて」と申し訳なさそうに話していたが、そんなに早くから翌年の新年の予約をしなくちゃならないねと息子たちと話している。
でもまあ、恒例の正月行事を済ませることができた。今日は早めに帰宅して、年賀状の返事が必要なのに返信をし、カミさんは孫たちの夕食をつくるのにいそしい。穏やかに新年を迎えたって気分だ。
元旦は、朝8時半に家を出て奥日光へ向かいました。まったく混んでいません。先行する息子の車は私の車の運転を気遣ってか、ほぼ時速百キロを守り、概ね第二車線を走り続けます。東北道の制限時速は120km/h。だから後ろから来る車にどんどん追い抜かれますが、気持ちがいいほど前後にも左右にも気を遣わず,坦々と進みました。男体山は少し山頂部に雲がかかっていますが、女峰山とか筑波山とか雪を被った袈裟丸山や赤城山なども見えて、いかにも関東平野のそれらしい年明けでした。
わずか2時間余で菖蒲ヶ浜に着き、来ているオオワシを探そうとおりてみました。すでに何組もの探鳥家がスコープにカメラをつけて待ち構えています。聞くと、今朝はまだ出ないという。たくさんのオオバンが水際から湖面の上に泳いでいます。10センチくらい積もった雪を踏んで菖蒲ヶ浜の湖へ迫り出しているところまで歩いてみる。ヒドリガモ、マガモ、コガモやウ、ダイサギを見掛けたが、その程度か。クリスマスの頃に大雪が降り、その後晴れ続き、毎日夜には少しばかり降って積もるという程度だったから、道路脇の雪の量はずいぶんあるが、車道の路面は雪もなく乾いていた。
宿のロビーを借りて昼食を摂り、息子が子どもらを連れてスキーやスノボの用具を借り、リフト券を手に入れ、スノボの教室へ申し込んだ。高2と大1の孫は初めてのスノボに挑戦すると、不安と期待でハラハラしている。付近を一巡りして,教室のはじまる頃にゲレンデへ行ってみると、スノボの生徒は僅か二人。教師は、転び方、受け身の取り方から入り、用具の取り扱い方などを伝えてから、本格的な滑り方へと入るようであった。彼らのことは放っておいて、私らは付近の散策に出かけた。
子どもらは4時頃まで滑り通し、何とかスノボには乗って滑ることができるらしい。「オレ(スキーより)スノボが向いてる」と、うれしそうだ。もう一人高2の孫は四苦八苦しながらもボードの上に身を乗せて動こうとするが、同じところをくるくると回ってしまう野に、ほとほと疲れたようであった。それでも翌日もへこたれず朝一番のリフトに乗って滑りはじめ、やはり午後3時半まで帰ってこなかった。帰ってきたとき二人は、すっかりスノボに馴染んだようで、板を買おうかと話している。後でわかったのだが、大1孫は小さな動画を撮るカメラをもっていて、お互いにカメラで滑るところを撮影し合っていた。ゲレンデを調子よく滑り降ってきたり降っていったり、ときには手に持って撮影しながら滑っていると思える姿は、とても習い始めて2日目とは思えなかった。
中2の娘孫は2日間とも母親と一緒にスキーをして、一度も転ばなかったとうれしそうにばあちゃんに報告していた。年上の兄孫たちに比べると,まだまだ子どもだなと思った。
宿は老舗だが、スタッフも年老いて、世話を焼いて貰うのが一寸心苦しいような気持ちになった。スノー・ハイキング・ガイドをしているアラフォーのスタッフが,本当に若く見えてしまう。近くの別の宿はスタッフも若く、建物も新しい。そちらは,早々と満室となっていた。「半年前から申し込む方がいて」と申し訳なさそうに話していたが、そんなに早くから翌年の新年の予約をしなくちゃならないねと息子たちと話している。
でもまあ、恒例の正月行事を済ませることができた。今日は早めに帰宅して、年賀状の返事が必要なのに返信をし、カミさんは孫たちの夕食をつくるのにいそしい。穏やかに新年を迎えたって気分だ。