昨日、36会seminarが行われました。14名出席の予定が12名。一人は連れ合いが救急車で運ばれ、その介助・介護に手が離せない。もう一人は本人が「熱も喉の痛みもないのですが、咳が止まりません」と風邪を訴えてきた。聞いた出席者は「そうなのよ、私もコロナに罹ったとき、咳き込みがひどくて・・・」と、収まりそうもないコロナ禍への懸念が広まっていました。いかにも「80歳の風景」でした。
今日のお題は「80歳のわたしの風景」。12月seminarで、第傘期のトップを切って「お題」を提供するはずであったミコちゃんが(親族に不礼があって出来なかったのを埋め合わせようと)、80歳になってみえるセカイを語ろうというもの。それを知ったご亭主のマンちゃんが「うちの内情を喋るんなら、わしはもう皆さんに顔向けできない」とミコちゃんを牽制。それを知った女性連が「私たちが加勢するから、やって」と応援して実施する運びになった。
ミコちゃんは何冊か本をもってきている。
「なに、それ?」
「うん、いま読んでる本よ。話が行き詰まったときに、こんな本に刺激受けていると紹介しようと思って」
と、今日の運びに慎重である。ご亭主の牽制に、自己規制しようという構えだろうか。生憎加勢組の一人が欠席とあって、むしろ私は運びがどうなるか心配であった。
ミコちゃんの話は、意外であった。とうてい私たちの想定する「80歳の風景」に収まらない勢いをもっていて、驚かせた。子細はとうてい紹介できないが、ミコちゃん実は、「100歳のわたしの風景」を夢見ていた。
「えっ? 80歳のわたしは、まだ未熟ってこと?」
「そうやなあ、keiさんみたいに自分のやることをしてきたって充実感がないの」
「仕事をしたいわけ?」
「そう、今のままで終わっちゃいけん、そう思うとんよ」
いま働いているお店は、ビル建て替えのために2年後に一旦終わりになる。その後3年掛けて新しいビルを建てる。そのための話しが間もなくはじまる。が、その後の店舗展開をどうするか(ミコちゃん家では)問われることになるそうだ。
そう言われて思い出した。私たちが70歳になろうという頃、お店の入っているビルの建て替えの話が持ち上がっていた。マンちゃんはそれを機にお店を止めて,その後どう暮らすかを思案していると話していた。ところが2013年、東京オリンピックが2020年に開催決定となった。そのため東京に建設ラッシュがはじまり、ビル建て替えの話しは,オリンピックが終わってからということになる。加えて、コロナ禍だ。オリンピックも1年延長になった。結局マンちゃんのリタイアは10年以上延長になった。
その間に彼も、連れ合いのミコちゃんも、十年歳をとった。身体機能も変化した。マンちゃんは糖尿の持病をかかえて出来する体各所の異変に対応し、私にいわせればいつ墜落しても不思議じゃない低空飛行を諄々とつづけてきた。その間の2011年6月にミコちゃんが脳梗塞になった。詳しくは『うちらぁの人生 わいらぁの時代』(pp28~29)をご覧頂きたい。いまのマンちゃんは、見事に年寄りになった。目も悪くなりTV画面を見ていることができない。耳が遠くなり、普通の会話は聞こえない。補聴器を使ったりしているが、いろんな音がざわざわと聞こえてきて、五月蠅くて適わないという。歩くのもゆっくりだ。でも、食べるのも(何かと煩わしいのか)ごく少なく、痩せ細っている。とはいえ、暮らしの大半を自力でやっていける。ミコちゃんも、脳梗塞からすっかり回復し、マンちゃんの暮らしを介助しながら、姪御さんの手伝いを得てお店を切り回している。
最初驚いたのは、マンちゃんが仕事をやめたいと思っていることに、ミコちゃんが不平を鳴らしたことだ。
「えっ? まだ働けっていうの?」
「だって働かなくなると、この人、死ぬんよ。仕事へ行くから 朝は起きるし、着替えもする」
マンちゃんの生活習慣ともいうべき、お店に出るということが断たれると、どう暮らして良いかわからない。なによりマンちゃんの低空飛行とはいえ生活習慣の維持を、どうやったら良いかわからない。そういう不安が、ミコちゃんを取り囲んでいるようだ。
加えて、仕事に関する彼女の「達成感」が姿を現したように感じた。聞くと、マンちゃんは、ずうっとお店を仕切ってきた。いつも一緒に店番をしてきたミコちゃんも、マンちゃんに頼りっきりであったことを忘れていない。それがいま、姪御さんの手伝いを得て辛うじて切り回している。マンちゃんは今、ほぼ役に立っていない。だがそのときミコちゃんは、働くことにやり甲斐ってものが、お店を切り回す役回りにあると気づいたのではないか。そうして、これまでそれを自分がやったことがない。ミコちゃんが言う「働くことの充足感/達成感」は、いまようやく目覚めたのだ。「遅れてきた少女時代」と私は思った。「100歳の夢」は、やっとほの見えた人生の達成感を手に入れることだったと、私は気づいた。
それを、同席の女性陣が別様に言葉にした。
「ミコちゃんは、これまでが恵まれていた。みな周りの人が手を貸してくれ、何不自由なくやってくることが出来た。だから80歳になって今が一番健康だし、体力もある、気持ちが前向きになって、100歳を夢見るようになっている。でも普通は、マンちゃんのように体力は落ちる、目も耳も悪くなる。そうした現実を受け容れて、もっと違った生き甲斐を見つけることを考えた方がいいんじゃないか」
私はミコちゃんのかかえている「混沌」を、彼女自身が身の裡を覗き込むようにして腑分けしていくことを考えていた。その言葉は,自ずからミコちゃんの「矛盾」に向けられ、問い詰めるような口調になる。そんなことをいうつもりはないのに、彼女がマンちゃんに対する「感謝」を忘れているんじゃないか、かつて僧侶修業をしていたときの「他力本願」とどう整合性を持っているのかと問うている。彼女は大乗仏教からスリランカの僧侶が説いた小乗仏教に魅力を感じていると、真っ正直に応えていたが、その遣り取りが本筋を離れていると断っていた。私の見当違いを軽くいなしたのであったろう。
そう考えてみるとミコちゃんの「100歳の夢」というのは、ただ単に「遅れてきた少女の夢」というのではなく、じつは女性を保護さるべきものとして父権主義的に振る舞ってきた私たち世代の男・夫がもたらした必然であったとも言える。妻は夫に遵うことを旨として生き、歳をとってからは夫の世話をするのを当然としてきた。
そうだ、イプセンの『人形の家』のノラだ。そう思った。とすると、80歳になってやっとそういう風景を見るようになったのが、ミコちゃんということか。しかもその心情の根っこに、マンちゃんの生活習慣を崩さずに持続するにはこうするしかないという志があり、そう思案する自分を「愛情がないんじゃろうか」と問い詰める、アンビバレンツな心持ちが静かに流れている。
うちらぁの人生の総集編のような「お題」でした。
今日のお題は「80歳のわたしの風景」。12月seminarで、第傘期のトップを切って「お題」を提供するはずであったミコちゃんが(親族に不礼があって出来なかったのを埋め合わせようと)、80歳になってみえるセカイを語ろうというもの。それを知ったご亭主のマンちゃんが「うちの内情を喋るんなら、わしはもう皆さんに顔向けできない」とミコちゃんを牽制。それを知った女性連が「私たちが加勢するから、やって」と応援して実施する運びになった。
ミコちゃんは何冊か本をもってきている。
「なに、それ?」
「うん、いま読んでる本よ。話が行き詰まったときに、こんな本に刺激受けていると紹介しようと思って」
と、今日の運びに慎重である。ご亭主の牽制に、自己規制しようという構えだろうか。生憎加勢組の一人が欠席とあって、むしろ私は運びがどうなるか心配であった。
ミコちゃんの話は、意外であった。とうてい私たちの想定する「80歳の風景」に収まらない勢いをもっていて、驚かせた。子細はとうてい紹介できないが、ミコちゃん実は、「100歳のわたしの風景」を夢見ていた。
「えっ? 80歳のわたしは、まだ未熟ってこと?」
「そうやなあ、keiさんみたいに自分のやることをしてきたって充実感がないの」
「仕事をしたいわけ?」
「そう、今のままで終わっちゃいけん、そう思うとんよ」
いま働いているお店は、ビル建て替えのために2年後に一旦終わりになる。その後3年掛けて新しいビルを建てる。そのための話しが間もなくはじまる。が、その後の店舗展開をどうするか(ミコちゃん家では)問われることになるそうだ。
そう言われて思い出した。私たちが70歳になろうという頃、お店の入っているビルの建て替えの話が持ち上がっていた。マンちゃんはそれを機にお店を止めて,その後どう暮らすかを思案していると話していた。ところが2013年、東京オリンピックが2020年に開催決定となった。そのため東京に建設ラッシュがはじまり、ビル建て替えの話しは,オリンピックが終わってからということになる。加えて、コロナ禍だ。オリンピックも1年延長になった。結局マンちゃんのリタイアは10年以上延長になった。
その間に彼も、連れ合いのミコちゃんも、十年歳をとった。身体機能も変化した。マンちゃんは糖尿の持病をかかえて出来する体各所の異変に対応し、私にいわせればいつ墜落しても不思議じゃない低空飛行を諄々とつづけてきた。その間の2011年6月にミコちゃんが脳梗塞になった。詳しくは『うちらぁの人生 わいらぁの時代』(pp28~29)をご覧頂きたい。いまのマンちゃんは、見事に年寄りになった。目も悪くなりTV画面を見ていることができない。耳が遠くなり、普通の会話は聞こえない。補聴器を使ったりしているが、いろんな音がざわざわと聞こえてきて、五月蠅くて適わないという。歩くのもゆっくりだ。でも、食べるのも(何かと煩わしいのか)ごく少なく、痩せ細っている。とはいえ、暮らしの大半を自力でやっていける。ミコちゃんも、脳梗塞からすっかり回復し、マンちゃんの暮らしを介助しながら、姪御さんの手伝いを得てお店を切り回している。
最初驚いたのは、マンちゃんが仕事をやめたいと思っていることに、ミコちゃんが不平を鳴らしたことだ。
「えっ? まだ働けっていうの?」
「だって働かなくなると、この人、死ぬんよ。仕事へ行くから 朝は起きるし、着替えもする」
マンちゃんの生活習慣ともいうべき、お店に出るということが断たれると、どう暮らして良いかわからない。なによりマンちゃんの低空飛行とはいえ生活習慣の維持を、どうやったら良いかわからない。そういう不安が、ミコちゃんを取り囲んでいるようだ。
加えて、仕事に関する彼女の「達成感」が姿を現したように感じた。聞くと、マンちゃんは、ずうっとお店を仕切ってきた。いつも一緒に店番をしてきたミコちゃんも、マンちゃんに頼りっきりであったことを忘れていない。それがいま、姪御さんの手伝いを得て辛うじて切り回している。マンちゃんは今、ほぼ役に立っていない。だがそのときミコちゃんは、働くことにやり甲斐ってものが、お店を切り回す役回りにあると気づいたのではないか。そうして、これまでそれを自分がやったことがない。ミコちゃんが言う「働くことの充足感/達成感」は、いまようやく目覚めたのだ。「遅れてきた少女時代」と私は思った。「100歳の夢」は、やっとほの見えた人生の達成感を手に入れることだったと、私は気づいた。
それを、同席の女性陣が別様に言葉にした。
「ミコちゃんは、これまでが恵まれていた。みな周りの人が手を貸してくれ、何不自由なくやってくることが出来た。だから80歳になって今が一番健康だし、体力もある、気持ちが前向きになって、100歳を夢見るようになっている。でも普通は、マンちゃんのように体力は落ちる、目も耳も悪くなる。そうした現実を受け容れて、もっと違った生き甲斐を見つけることを考えた方がいいんじゃないか」
私はミコちゃんのかかえている「混沌」を、彼女自身が身の裡を覗き込むようにして腑分けしていくことを考えていた。その言葉は,自ずからミコちゃんの「矛盾」に向けられ、問い詰めるような口調になる。そんなことをいうつもりはないのに、彼女がマンちゃんに対する「感謝」を忘れているんじゃないか、かつて僧侶修業をしていたときの「他力本願」とどう整合性を持っているのかと問うている。彼女は大乗仏教からスリランカの僧侶が説いた小乗仏教に魅力を感じていると、真っ正直に応えていたが、その遣り取りが本筋を離れていると断っていた。私の見当違いを軽くいなしたのであったろう。
そう考えてみるとミコちゃんの「100歳の夢」というのは、ただ単に「遅れてきた少女の夢」というのではなく、じつは女性を保護さるべきものとして父権主義的に振る舞ってきた私たち世代の男・夫がもたらした必然であったとも言える。妻は夫に遵うことを旨として生き、歳をとってからは夫の世話をするのを当然としてきた。
そうだ、イプセンの『人形の家』のノラだ。そう思った。とすると、80歳になってやっとそういう風景を見るようになったのが、ミコちゃんということか。しかもその心情の根っこに、マンちゃんの生活習慣を崩さずに持続するにはこうするしかないという志があり、そう思案する自分を「愛情がないんじゃろうか」と問い詰める、アンビバレンツな心持ちが静かに流れている。
うちらぁの人生の総集編のような「お題」でした。