mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

なぜ食べると力になるのか

2020-10-25 11:30:23 | 日記

 山を歩くと腹が減る。行動食と呼ぶが、飴を口にしたり、羊羹を食べたり、餡パンを頬張ったりして、カロリーの補給をする。栄養分の吸収はどうやっているんだろうと思ったことがある。そりゃあ胃腸が吸収してるのさと誰かに言われて、そうだよなあと思って、長く納得してきた。
 いつであったか、その栄養分の吸収のたびに細胞が壊れ、新しい細胞が生まれてんだよ。だから75日かなんかで、お前さんの体は全部新しくなってるんだぜと、訳知り顔の知人にいわれて、驚いたことがあった。後に、全部新しくなるには7カ月とか7年とかを要すると、これまた訳知り顔のTV番組が話していて、私の知人よりはTVの方が正しいのだろうと、そちらを信用することにしてきた。

 でもどういうふうに、細胞が壊れ、どういうふうに更新されているのか。それが、福岡伸一『生物と無生物のあいだ』を読むと子細に展開している。細胞の内部と外部がどう接合して、どう分離するのか。その過程で栄養素などがどのように運ばれるのか。その精妙な仕組みとそれに目を付けて極めていく研究者のものの見方と、そこに分け入るための技法に感嘆しながら、読みすすめる。
 すでに記したが、福岡伸一の逆説的な仕組みを受け容れるセンスの奥行きの深さに、彼の人間認識の繊細な広がりを感じて、ストーリーテラーとしての才覚に惚れこんでしまった。「動的平衡」という彼の造語が、ただ単に、そのメカニックな仕組みだけではなく、福岡伸一の持つ複雑さと繊細さと豊潤さの周縁部が一つになって、わが身の裡に揺蕩うようになっている。それは、わが身の複雑さと繊細さと豊潤さを言い当てられているようで、でもまるでそれに気づいていない「わたし」と、しかしいつしかそれを身につけて作用と振る舞いをしていることに、何か大きな力に支えられていると感じる。それが「生物としてのわたし」であり、自然の力なのだと思う。「識る」こと以上に「存在」することの(生物の)力強さに、思い及ばぬ不可思議さと感動を覚える。福岡伸一のいう「動的平衡」が、私にとっては「動態的平衡」と言い換えることができるほどの感懐をともなっている。まさに、天に感謝したい思いだ。
 この場合の「天」とは、生命誕生以来の37億年の全経過と、生命種の99.9%が絶滅したにもかかわらず、偶然にも1/1000の幸運に恵まれてここに至ったという運と、それらを自らの認識としてとらえることのできる知的な力をホモ・サピエンスに培ってくれた何かを指している。

 40年程も前になる。ある出版社の編集者に「これから(の時代)は宗教ですかね、哲学ですかね」と、人の関心の重きをなす傾向について問われたことを、思い出す。そのときは(哲学と言いたいが、でもこの人は何を考えてるんだろうと思って)「う~ん、なんでしょうね」と言葉を濁し、彼は道元の著した「正法眼蔵」に関心があると話してくれた。それは哲学でもあり、ある種の修業をともなう宗教でもあると(私は)感じてはいたが、当時の私は未だ、その身と心のあわいを一つとしてとらえる境地には踏み込んでいなかったのだと、いま振り返って思う。
 その当時手に入れた『正法眼蔵啓迪(上)(中)(下)』(大法輪閣、1981年第十刷)三巻を書架から引き出し、眺めてみると、思い当たることごとが綴られている。道元といえば13世紀の半ばを生きた方。約800年昔の道元からの手紙(の解説書)と読み取れば、いつしかわが身に刻まれていた「身の記憶」が浮かび上がってくるかもしれないと、読み心がくすぐられる。
 知的であるとは、形而上学的に考えることではない。食べたものが力になる。その不思議を不思議と受け止めて、でも力にしている身の精妙さに思いを致す。操作し向けている自然の摂理と幸運に感謝をする。それが知的ではないかと、動態的平衡を思っている。知的であるとは、知識を身につけることではない。知らないことがいっぱいあることを知ること。知らないことのもっとも身近な最大のものがわが身であることに気づくこと。それこそが知的だと思う。


コロナ対応の宿

2020-10-24 09:01:40 | 日記

 紅葉と小鳥を堪能した奥日光の宿は、コロナウィルス対応をしっかりしているなあと、好印象を持った。何がそう感じさせたのか、記しておきたい。
 泊まった宿は休暇村日光湯元。毎年、山歩きやスノーシューの宿として利用してきた。湯ノ湖畔の立地は満点。清潔感も抜群の宿。だが、コロナウィルス対策は徹底していた。なるほど「滅菌」と「三密対策」を、こういうふうに工夫しているのかと感心したことを箇条書きにしておく。

(1)入口に消毒薬を置く。マスク着用の注意書き。各所に消毒薬は置いてある。
(2)モニター画面に向かって検温を行う。
(3)フロントの順番を待つよう係員を置き、順番が来ると呼ぶ。
(4)夕食も朝食も開始時刻が15分刻み。その時間差で座席が緩やかに埋まり、ビュッフェ方式の部分も混みあわない。
(5)マスクの「一時置き」用の挟み紙を用意。使い捨て手袋の箱を各テーブルに置き、ビュッフェに採りに行くときには、着用するようにウェイターが声をかける。
(6)夕食のメイン料理は係員がテーブルごとに配膳する。ご飯や汁物、飲み物、若干のお好みの品々はビュッフェ方式で各人が取りに行く。
(7)朝食はほぼすべてがビュッフェ方式だが、これも混みあわない。お二人様と団体様との会場を分けていたようにも思う。食事が終わったテーブルの片付けと消毒などは、一つひとつ念入りに行っていた。
(8)風呂の入口のスリッパ置き場を16人分に制限している。それ以上になると入らないで下さいと、注意を受けた。じっさいには8人くらいが入浴していたが、10人を超えることはなかった。
(9)部屋の清潔感は、いつもと同じであった。

 フロントや売店会計のビニールカバーなどは、街のスーパーなどと同じにあった。これが決め手というような大げさなことではないが、丁寧に「滅菌」と「三密」に気配りしていることが伝わる。宿が古いと、それだけで大丈夫かなという気持ちになりかねないが、建物の清潔感に加えてコロナウィルス対策をしていますという心持が加わり、安心して泊まることができた。
 なんとかこれで、この冬のスノーシューも実施したいものだと考えている。


どうしているか、乞う連絡

2020-10-23 07:02:09 | 日記

 タイに住む私の友人からの連絡が途絶えて、半年になる。
 十二指腸の辺りに腫瘍がある。良性か悪性か検査をしたら、このまま様子をみようという医師と手術して除去した方が良いという医師の意見が違った。タイの医療の水準は高いから心配はしていないが、言葉が通じないところがあるから、タイ人の女房に立ち会ってもらって、今やりとりをしている。そういうメールが3月から続き、4月11日に「手術を受けるために入院する」とメールがあってから、連絡が途絶えた。コロナウィルスの影響もあって、往来はできなかった。
 それ以降何度かメールを送信したが、返答がない。9月には私のスマホが故障して、古いデータが消えてしまった。彼のメールアドレスは残っているが、相変わらず応答がない。奥さんが読めるように英文のメールにしてみたが、やはり何の反応もない。
 去年の今頃であったか、彼のPCが故障してやりとりが途絶えたときに、このブログで(彼にはわかる方法で)メッセージを送ったら応答があった。半年を経て、同じようにYさんに呼び掛けてみる。Yさん、あるいはYさんの消息をご存知の方は、お知らせください。
 年に一度の帰国も、そろそろ時期が迫ってきている。両国間の往来も、だいぶできるようになったのではなかろうか。


紅葉の奥日光に身を浸す

2020-10-22 06:40:57 | 日記

 昨日(10/21)、8時40分に湯元を出発。歩き始める。私は何度も歩いた道。カミサンも、孫を連れて何度か歩いたルート。紅葉を見るつもりで湯元から、刈込湖・切込湖から光徳根抜けるルートを歩いた。
 湯元の泉源辺りから眺める山肌の紅葉は、文句なしに「秋色」に染まっている。ゆっくり歩く。カミサンは十年前に痛めた足が、まだ不安定という。金精道路を越えて三ツ岳のトラバースに入る。谷を挟んだ向かいの山肌に陽が差し、濃淡取り混ぜた色とりどりの黄色とところどころ赤や白の広がりが、奥日光の紅葉感を醸し出す。木の葉が落ちているせいか、幻の湖と言われる蓼ノ湖の湖面が見える。落ち葉を拾ってはこれはナニ、これはナニと木の名を確認する。ヒロハカツラの葉の付け根が心景になっていて、ふつうのカツラとこれこれここが違うと、寄せてみせる。
 光徳からの縦走者がやってくる。ずいぶん早いなあ。聞くと6時ころに光徳を出たという。そうか、ならば湯元に着くまでを考えると、彼は4時間の行程だ。この後しばらく時間をおいてだが、私たちと逆コースを歩く人たちはずいぶんと多い。むろん、同じコースを歩く人も多く、追いついたり追い越されたりして、のんびりと歩いた。
 鳥の声は少ない。カケスとアカゲラを見かけたくらい。何かわからない声も聞こえた。また光徳の下りたとき、駐車場そばの歩道にカメラの放列が並んでいる。なに? と聞くと、ムギマキを待っているが、こないですねえという。と、何か来た。アカゲラか。いやいやあれはオオアカゲラですよ。とかたわらの人が教えてくれる。長い時間、マユミの実をつつき、姿を見え隠れしながらみせてくれた。マミチャジナイも、また現れた。
 と、カミサンが肩をつつく。うん? と振り向くと、埼玉の鳥友のご夫婦がいる。日帰りで遊びに来たのだそうだ。やはりカメラの放列をみて、立ち寄ったところで、ばったりというわけだ。コロナウィルスのせいでしばらく会っていなかったせいか、あれやこれやカミサンは話し込んでいる。昨日夕方のTVニュースで、奥日光の紅葉が見ごろと報道があったので、わんさと押しかけてきていると、笑っている。
 折よく湯元行きのバスがやってきて、それに乗って宿へ戻った。バスも渋滞に巻き込まれて30分も遅れているそうな。6,7割の乗客。2時半。一休みして風呂に入る。暖かい湯に身体がほぐれる。出てからのワインも、家で呑むよりははかどる。それが身体に残らない。のんびり遊ぶってのは、体調にもいいようだ。
 さて明日(10/22)は、渋滞を避けて帰る。日光植物園にも寄らねばならない。身を浸した奥日光の紅葉は、お天気と小鳥の倍音をともなって、いつになく素敵なものになった。自力で動けるというのが、もたらしたご褒美であった。


絶品の紅葉、眼福の小鳥たち

2020-10-21 15:10:53 | 日記

 奥日光に来ている。ハイキングをして紅葉を愉しむというのが、当初の訪問目的。ところが、それを聞きつけたカミサンの鳥友が「私たちも、今日奥日光に行きます」と、出発の日に連絡してきた。紅葉なので、いつもの通りいろは坂は渋滞すると考えて、朝6時半前に家を出た。やはりうまい具合に渋滞前を走って8時半には赤沼に着いた。
 駐車場わきのズミの木にはたわわに赤い実がなっている。それを啄ばむ小鳥が群れを成している。アトリだよとカミサン。こんなにたくさんのアトリが来ているんだ。もっと南の方へ向かう途中なのかもしれない。その群れの近くに、マヒワが2羽飛び込む。アカハラが現れる。うん? 眉斑があるよと、マミチャジナイだとカミサンがいう。と、上空を、猛禽が飛ぶ。ハイタカだという。
 渋滞に巻き込まれた鳥友が、1時間遅れで着いた。もうその頃には何百台か入る駐車場がいっぱい。私などが双眼鏡をもって鳥をみていると、近づいてきた車が「もう出ますか?」と聞いてくる。鳥友は、かなり乱雑に止めてあった車の隙間に自分の車を押し込んだ。
 赤沼は、戦場ヶ原の入口。だが戦場ヶ原は目下、昨年の台風で壊れてしまった木道を補修中で、入域できない。ほとんどの人たちは、小田代ヶ原へ行くか、エコバスに乗って千手が浜の方へ行くようだ。バス待ちの人たちの列も長くなっている。日光白根山が雪をまとって外山の向こうに顔をのぞかせ、いかにも日光の最高峰・盟主という風貌である。
 私たちは、赤沼の奥、開拓村の方へ向かう。ここは昔、戦場ヶ原が開墾されたときに、最初に入植者がはいったところ。今は畑となり、雪のない季節の慣例を利用し、日光市の麓の方の農家からイチゴや栽培植物の苗を預かり、冬場が近づくと、それを麓に戻す事業を行っている。畑の苗はイチゴか? 作業をしていた方に訊ねると「これはオダマキだよ」と返事が返って来た。そんなものまで育てるんだ。畑のあいだを歩いていると、男体山から大真名子山、小真名子山、太郎山、山王帽子山、三ツ岳が陽ざしを受けて明るく、とてもクリアにみえる。その山体は針葉樹の緑を背景に、黄色や赤の紅葉が映え、ちょうどいい季節に来た思いを強くする。
 はて、行き止まりだったろうかと思う頃、電信柱が左へ折れて森の中に消えている。ああ、たぶんここを抜ければ、三本松だよと踏み込もうとする。と、ぱあっと小鳥が飛び立つ。アトリが森の中の踏み跡にたまった水を飲んでいる。しばらく見てさらに進むと、光徳から三本松へのクロカンのルートに入る。十人ほどの人たちがスコープを構えて何かをみている。ムギマキがいるという。いる、たしかに。コガラもいる。メジロもいる。シジュウカラもいる。ヒガラもいたように思った。
 お昼を済ませて赤沼から小田代方面へ少し入り込む。こちらではムギマキのオスをみることができた。カメラを持った鳥友はクロツグミもとらえていた。
 こうして、絶品の紅葉に眼福の小鳥たちを加えて、奥日光ののんびり時間の一日目がはじまった。