mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

身体の不思議

2020-10-18 10:27:18 | 日記

 季節の変わり目である。1年と少し前に買ったタニタの体組成計ではじめて計ったときの私の「体内年齢」は「61」歳であった。その年の誕生日に、それは「62」になった。なんだ15若く表示が出るように設定されているのかと思った。そして今年の誕生日の日、それは「63」。どのように「体内年齢」を算定しているのかわからないが、誕生日ごとにひとつずつ増えるというのは、私の年齢を基点にして、そこからの「(年齢)距離」を計っているのであろう。
 では、その他の数値もそうかというと、そうではない。同じく計量すると表示される「足腰年齢」は、2年前に「70」であったが、去年も今年も、相変わらず「70」のままだ。これも、どう算出しているのかわからないが、別の指標ではじき出しているのであろう。わからないままだから、喜んだり悲しんだりしているわけではない。「相変わらずだな」と、心静かに受け止めている。
 ところがこのところ、体重が減ってきている。
 半年前までは「63±1」kg台がふつうであった。体重を身長の二乗で割った値で導き出すと「61」ほどが、肥満でも痩せでもない中央値となる。だが、山を歩く私は、ちょっと多いくらいが「蓄えがある」とみて、良しとしてきた。
 ところが今年の夏ごろ、「62±1」kg台が良く表示されるようになった。1日の「代謝量」は変わらない。身体を不調を感じたこともない。だから「(この暑さなのに)水が不足しているかな」と思っていたのだが、いつしかそれが通常値になっていた。
 それが秋になって、「61±1」kgに変わりつつある。これはどうしたことだ。1日の「代謝量」は相変わらず「1375~1400」kcalで推移している。カミサンの値を聞くと、私のはちょっと多いのかなと思うが、それがいいことなのかまずい兆候なのかはわからないし、そのように善し悪しで考えたこともない。
  年々まちがいなく年を取る。それに伴い、身は衰えていく。体重が漸減していくのは、致し方ないことかもしれない。そう考えると、体重の1キロや2キロ減ったからと言って騒ぐことはない。だが目に見えて、自分のそれを日々突きつけられていると思うと、何処がどう衰微して行っているんだろうと、考えて見たくなる。食欲が落ちたわけではない。歯が悪くなってよく噛めないから、消化力が低下したかもしれないが、下痢をするわけでもなく、日々の排便も順調にやってきている。緩やかに彼岸へ渡る準備が進んでいるのだとすると、こういうペースの運びは、ありがたいとも思う。
 そうして今朝方、心臓の外側を通っている血管に流れる脈流を、私の左腕の二の腕の腋近くに感じた。ドクッ、ドクッと何回か脈打ち、おおっ、これは心臓の表側を流れる血脈ではないか。こんなふうに脈打っているのかと、感嘆とともに感じとり、ややっ、いま途絶えたのは不整脈というやつかと考えるともなく夢うつつで思いながら、目を覚ました。
 心臓に張り付いた血管の脈流をそれと感じたのは、生まれてはじめてのことだ。なにかの予兆なのであろうか。
 身体の不思議を、身をもって感じている。それこそ一つの宇宙と呼んでいいほどの壮大なメカニズムに保たれて、78年間も動いてきているこの身体。それだけでも不思議ではあるが、それを意識しはじめている自分がまた、いっそう不思議なのだと、入れ子状のからくりを想いうかべながら感嘆している。
 今日は、陽ざしがいい。

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