mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

森には分け入らない

2018-12-15 16:49:42 | 日記
 
 先日やっとガラケーを始末し、スマホに一本化した。2年前にスマホを導入したのは、山歩きの地図をGPSと一緒にみて、迷子にならないようにしようと考えたため。それはそれで結構役立ち、週一回の山歩きの私の同伴者になってくれた。もっとも現在地が分かることで、地理院地図にない場所でもあるけるという「不敵な」考えが入り込んできて、それなりに危ない目にも遭ってはいるのですが。その私のスマホが容量が小さいのか、「お財布ケイタイ」には使えませんと郵便局でいわれてしまったこともあったから、折を見て切り替えようとは思っていた。
 
 もひとつ、スマホを導入したとにきに、ガラケーと同一番号にすることができず、ガラケーも、ショートメール用に持ち歩くという妙な事態になってしまっていた。やはりスマホでSNSがやりとりできるから、ガラケーの番号を引き継ぐことができる機会を待っていた。それがやっと実現した。
 
 引き留めるガラケーの会社は、なかなか切り替え用の「何とか番号」を教えようとしない。自社製品の値段なんかをアピールして、引き留めようとするから、「悪いけど、番号だけ教えて」と冷たく言って手続きをした。その会社も、来年にはガラケーを全面廃止するって言っていたから、切り替え料金なんか取る根拠はないはずなのだが、然るべく手続きに従うビジネスライクであった。
 
 しかしスマホは、相変わらず、電話へ送るSNSとわずかの知り合いとのLINEだけ。ほかは地図をダウンロードして山歩きに備えている。音楽とかネットとか、便利なアプリがいろいろとある(と聞く)が、近寄らない。いつのまにか時代は、ITの時代からAIの時代へ移行しつつあるようだが、そこまでお付き合いしていると、こちらの人柄まで変わってくるように思えて、気分が悪い。森には分け入らないで、これまで使い慣れた周辺の便利機能を、少しだけおすそ分けしてもらう程度で、勘弁してもらおう。

世の中とアレルギー

2018-12-14 10:54:06 | 日記
 
 昨日(12/13)は「ささらほうさら」の月例会。講師はnkjさん。お題は「文字で聴く中島みゆきの世界」。彼自身が長年のファンである中島みゆきの「歌詞」を読み解いていこうというもの。そう言えば、メロディとリズムとが伴わない中島みゆきというのを、私は考えたこともなかった。彼女は、シンガーソングライターであった。歌詞もまた、それ自体として読み取れるものを持っているとhkjさんはみたわけだ。
 
 「活字になった歌のことばは、ある意味ではぬけがらにすぎない……」という谷川俊太郎の引用をしてからはじめるものだから、話しがどこへ漂着するのか興味が湧く。谷川俊太郎はつづけてこういう。
 「歌はメロディとリズムに支えられた生身の歌い手の声がことばの意味と感情を新しくよみがえらせてくれる」

  これはエクリチュール(書きとどめられたことば)とパロール(口を突いて出てくる言葉)の違いを抜き出しているのであろうか。それともさらに踏み込んで、話し言葉と歌う言葉の違いを取り上げているのであろうか。
 
 nkjさんは(中島みゆきが柏原芳恵に提供した)「春なのに」を取り上げ、柏原芳恵が歌ったものと中島みゆき自身が歌ったものとを聴き比べ、柏原の方の歌い方では「(卒業の記念にもらった)ボタン」を後生大事にとっておいて、寄せる思いが胸中に残り続けるとおもい、中島みゆきの歌い方では「ボタン」を寄せた思いとともに捨てて、次へと踏み出す姿を想いうかべたという。面白い。この対比だけでも、ふたりの歌手の歌い方とそれを聞くnkjさんの共鳴の仕方が重層的に重なり合って、彼の人生をかたどって来たのではないかと思わせる。
 
 中島みゆきの「詞を書かせるもの」の引用が、今の私の感性にぴったりとそぐう。長いが再引用する。
 
 「これらの詩は、すでに私のものではない。/なぜならばその一語一語は、読まれた途端にその持つ意味がすでに読み手の解釈する、解釈できる、解釈したいetc…意味へと取って代われるのだから」
 まず、そう思う。反転して中島みゆきは、こうつづける。
 「したがって、これらの詞は、ついに私一人のものでしかない……と。/したがって、これらの詞は、私のものでさえもない……と。/言葉は、危険な玩具であり、あてにならない暗号だ。/その信憑性のなさへの疑心が私に詞を書かせ、/その信憑性のなさへの信心が私に詞を書かせ、/そうこうするうちに詞はやがて私を、己自身に対する信憑性の淵へと誘いこんでゆく。」
 
 いいねえ、こういう意味の反転と跳躍は。中島みゆきという歌手は、ことばの尖端で己自身と格闘している。この文章を引用して書き留めているだけで、私もまたともに格闘しているような気になってくるのが、不思議だ。この引用の文章だけで私は、中島みゆきを「読みたい」と思ってしまう。「ぬけがら」がこんなにわが胸中で跳び跳ねるのならば、メロディとリズムがつくとどう「新しく(何に)よみがえる」のか、音も聴いて見たくなる。
 
 nkjさんは中島みゆきの詞に使われるアイテムを一つひとつとりあげて、そこに底流する「こころ」を拾い出す。それは、同士討ちをするキツネ狩りの男たちであったり、世の流れに取り残された「頑固者」であったり、「「オオカミ」になれない若者や女たちであったりする。そのひとつが、私の現在をどきりと射抜く。
 
 「世の中はとても 臆病な猫だから/他愛のない嘘を いつも ついている/包帯のような 嘘を 見破ることで/学者は 世間を 見たような気になる」
 
 真実と対比させる嘘なんて、もはや中島みゆきの関心にはない。世の中もまた、包帯のような、それを解きほぐす程度の解析を良しとして、流れ流れていくという透徹した感性が宿る。「トーキョー迷子」になり、「鷗でも独り 見習えばいいのに/この葉でも独り一人ずつなのに」とわが身を見て取り、「涙の代わりに負けん気なジョークを言う」「サッポロSNOWY」に身を浸す。人の世って、そういうものよ、と。
 
 nkjさんは「あぶな坂」の喩えを辿って、抜け出ることができないこの世に馴染んでいくわが身を重ねて、嘆くでもなく、ただその様子を歌い上げるばかりの中島みゆきに目を凝らす。そして、「夜会」の詞を書きつける。
 
 「人よ信じるな けして信じるな/みえないものを/人よ欲しがるな けして欲しがるな」
 「嘘をつきなさい ものを盗りなさい/悪人になり/傷をつけなさい 春を売りなさい/悪人になり/救いなどを待つよりも 罪は軽い」
 
 昨日このブログに書いた「HOTEL SALVATION」と「解脱の家」との違いが思い浮かぶ。

 この世の佇まいを生き抜くには、「夜会」の詞のような内心のエネルギーが源に据えられなければならない。それは、「世の中とアレルギーを起こしている」とnkjさんが指摘するありようを、身に備えることではないかと震えるような心持で、思っている。

還る処

2018-12-13 09:31:02 | 日記
 
 昨日(12/12)、映画 『ガンジスに還る』(インド、シュバシシュ・ブティアニ監督、2016年)を観た。「コメディ映画」とwikipediaは紹介しているが、これを「コメディ」と名づけたのは、誰なのか記載していない。私にはコメディとは思えなかった。というか、もしこれがコメディだとしたら、人生というのはコメディだとも言える。哀しくも微笑ましいといおうか、哀しくもやがて微笑ましいといおうか。
 
 インドの聖地・ガンジスの上流バラナシ(私はベナレスと呼んでいたころ訪れたことがある)で死を迎えたいと思った父親とそれに付き添う会社勤めの(なんとも孝行な)息子。父親に付き添ってバラナシに行くというと、仕事をしばらく棚上げにしても良かった時代と、仕事に穴をあけるのか、ガンジスのほとりなら、ここの近くにでもあるじゃないかと口にする上司という対比も、時代の変わり目が十分後者重心が移っていることを感じさせる。
 
 いろいろな世相の、時代の移り変わりを描きとるのが、この映画の主題と言えば、それで映画批評は、お仕舞にしてもかまわない。だがその移り変わりに、かすかながら引き継がれていっているものがあることを、浮き彫りにする。爺と孫娘の交歓だ。父親も母親も娘において行かれる。孫娘は爺に縛られない自在さの実存感を感じている。文化の順接的な受け継ぎって、そういう距離を挟まないと難しいのだと、この監督は言っているように思う。親子では距離が近すぎて、継承は逆説的になってしまうこともあるわけだ。
 
 その距離を、この映画監督は、「所有感覚」とみている。息子を自分のものだと考えていたからこそ、期待もし、あれこれ指図がましいこともしてきた、と死期を前にして父親は感じる。その父親との魂のぶつかり合いを通して、息子は自分の娘との関係を見直す。それらを、ことばを通さず、振る舞いで見せるところが、映像ってものの強みだ。
 
 その描き方が、欧米的に深刻になっていないからと言って軽いと受け取り、コメディと名づけたのではないかと、私は思った。たぶん決定的に違うんだね、欧米とヒンドゥ的自然観とが。この違いが、生とか死というものを内心で戒律と引き比べて厳しく「査問」する欧米と、脱力したように「解脱する」ヒンドゥとの大きな違いに帰結する。孫娘が爺の死を悲しむ父親に、もっと喜んであげなきゃというように、介添えをする振る舞いが(たぶん)、キリスト教徒には滑稽に感じられるのであろう。だがそうじゃないんだよ。「神の救済」を深刻に受け止めているあなた方が、滑稽なんだよと、私なら言える。
 
 そう言えばこの映画の原題は英語で『HOTEL SALVATION』となっている。映画の中のことばは(たぶん)ヒンディ語だから、ヒンディ語で「原題」がどうであったかもチラシには書き記してしかるべきだと思ったが、どこにも書かれていない。SALVATIONは「(主にキリスト教で罪業sinからの)魂の救済(された状態)」と英和辞典は記している。映画の中の爺が身を寄せるところの名が「解脱の家」。「救済」というのは「神による救済」と、受動態である。だが「解脱」というのは実存の枷から抜け出す自動詞、または、抜け出ている状態を指し示す中動態である。タイトルの付け方ひとつで、落差を感じる。とすると、この映画を『ガンジスに還る』と名づける日本のセンスというのは、奈辺に位置するのか。
 
 私たちはガンジスをもたない。なぜなら、いま棲むこの地がガンジスだからだ。源流をもつガンジスと、世の中が移り変わるのは四季が経めぐること。私たちはただただこの地に止まり、土に還る。そう言えば近頃、樹木葬が流行りだとか。これもまた、日本の還る処を指し示している。私たちは植物に源を発し、植物に還ることを欲しているのか。
 
 そう言えばこの映画の最後の方で爺の詩が読み上げられる。「心にしたがえ」と。植物に還るのも悪くない。

低空飛行

2018-12-12 17:24:58 | 日記
 
廃業と解脱

  ミズ・グリーンからケイタイに電話があったと気づいたのは、後になってから。「お留守番」にメッセージが保留してあるというので、そちらに掛ける。「あのね、ハマちゃんになんかあった......
 

  この文中のハマちゃん、今もお店をつづけている。今年の6月に孫が生まれ、爺の立ち位置がほんのちょっぴり浮き彫りになったようだ。以前のようにお酒を呑むことは叶わないが、話しの口ぶりには力がこもる。

 昔風に数えで言えば喜寿。この年で毎朝お店を開け、夜まで店番をしているのは、日々遊んで暮らしている私からすると、頭が下がる。店の寿命も、彼が言うように天命があるのだとすると、このような低空飛行を続けて、案外長寿を達成するかもしれない。長年の知人が、このように頑張っているのを聞くと、うれしくなる。そうだ、俺もだねと、わが身を励ます気持ちになるのだね。


低山といえども侮れず

2018-12-12 15:31:20 | 日記
 
 夕方から天気が崩れるという昨日(12/11)、ひと歩きして来ようと中央線の猿橋に向かった。大月方面から相模湖に向けて流れる相模川の南側に沿うように尾根を連ねる山並みがある。

 因みにこの山並みの南側に東西に走る道志山塊がある。さらにその南側を同様に並行する丹沢の連山がある。これらの山並みが並行するのは太陽併用プレートなどが潜り込んで押し上げている大陸プレートの盛り上がりなのではないかと、私は推察しているが、地学的に確かめてみようとしたことがないから、確かなことはわからない。

  猿橋から登山口まで40分ほど歩いて稜線に取り付き、幡野山を経て鈴ヶ尾山834mへたどる。その先で九鬼山からの主稜線に合流して、大桑山980mから高畑山981mに登ってから鳥沢駅に下山するルート。だが、主稜線までのルートは、国土地理院地図にも昭文社の地図にも記されていない。昭文社地図には山名が表示されていたから、行けばわかると踏んだ。昔読んだ何かに、ここを歩いた記事があって、私のメモに残っていた。
 
 里山と言えば里山。低山ではあるが、実際に歩いてみて侮れないと思った。私は国土地理院地図を用意して見当をつけた。だがまず、とりつきがわからない。ここかと思ったところの先は民家の庭になっている。その脇にある踏み跡がをいけそうなので取り付いた。ところが、ぐるりとまわって舗装道路にはいるショートカットの道だった。舗装路を上へ辿り自宅の庭で車を動かそうとしている60歳ほどの男の方に訊ねた。ところが、

「幡野山? 知らないね。ここは幡野だから、そう名付けたのかな?」
「どこへ行きたいの? 鈴ヶ尾山?」
「あの正面に見えてる山だと思うんですが……。その先、大桑山へ行こうと」
「ああ、大桑山なら、あの左の山だよ。でも、それならこっちの方に登り口があるよ」
 と指し示したのは、幡野山とは別の稜線。
「こちらの稜線に上がる道はありませんか?」
「それなら、橋を渡ってすぐ右へ下る道だ。あの山までなら2時間はかかるよ」
 と、民家の庭へ通じるルートのことを話している。お礼を言って、そちらへ引き返す。おおよそ30分のロスか。
 民家の庭に入り込む。どう見ても抜けられるように見えない。ちょうど80歳ほどのおばあさんが出てきた。尋ねると
「山は行くんかね。だったら、そこを通るといい」

 と指さしたのは、作業小屋の脇1メートルもない通り道。抜けると行き止まりのような傍らに、踏み跡が上へと向かっている。これが取り付き点であった。その少し上に小さいがまだ新しい様子の神社があった。ひょっとするとこれがメモにあった、仙元神社か。駅から45分とあったが、1時間ほど経っている。
 
 ここからの上りが厄介であった。急峻な直登。積もる落ち葉。たくさんの倒木が前を阻む。ストックを出して腕力の援けを遣う。標高350mから600mほどまでぐいぐいと登る。岩や木の根元に足場を置いて、身を持ち上げる。木から木へ、幹をつかみ、枝を引いて身体を安定させ、歩を進める。里山ともいうようなこんな山に、これほどの急登があろうとは、思いもよらなかった。これで雪でも降ったら、踏路はわからない。ただ稜線の背骨を辿ると地図を読んでおけば、ほぼ間違うことはない。こうして鈴ヶ尾山に着いたのはほぼ11時。歩き始めて2時間半かかっている。何にもない。ただ広い平地になっていて、葉が落ちた木立の南側に道志山塊だろうか、稜線が青黒くスカイラインを描いている。
 
 まっすぐ下って進むと突坂峠。石仏がひとつある。10分ほどで舗装林道に出る。舗装林道を辿れば鈴懸峠へ行く。それを横切り主稜線沿いのルートに踏み込むと、やはり急峻な登路になる。一カ所、細い岩の上を1メートル半ほどバランスをとって歩くところがあった。凍っていたら、しり込みするだろう。安全確保のロープを用意しなければならないかもしれない。大桑山に着いたのはちょうど12時。測量の水準点はあるが見晴らしは良くない。腰掛ける丸太が置いてある。お昼にする。スープを二杯のみ、サンドイッチを四切れ口にしたら、体が温まり、歩く気力が湧きだす。20分くらいの休憩だったろうか、高畑山へ向かう。いったん標高差で150mほど下り、また同じくらい上る。30分かからずに高畑山に着く。12時45分。そして南西の方を振り返ったら、富士山が山頂まで全部見える。ただ、背景の西の空は曇りで灰色だから、富士山の姿は雲に溶け込みそうで、くっきりとはいかない。でもまあ、今日のご褒美だと思う。
 
 高畑山から鳥沢駅までのコースタイムは、2時間半。この調子だと駅に着くのは3時を過ぎる。じつはこのルート、1月の山に選んだコースなのだ。私がこの調子だと、山の会の人たちは1時間は余計にかかるとみなければならない。とすると、下山が4時ころになる。これは困る。いまが一番日が短いから1月下旬になると少しはいいだろうが、それでも4時下山は賢くない。雪が積もり軽アイゼンを使うと少しは上りの急登が楽かもしれないが、時間を短縮するのは、ごくわずかだろう。変更しなくちゃならないか。そう思案しながらの下山になった。そうそう、ひとつ。紅葉が全く美しくない。先週の秩父の入口の紅葉はすばらしかったのに、そう地域が違うわけでもないこの地の紅葉は、終わっているというよりも、紅葉する前に枯れ落ちてしまったような気配であった。今年の台風のいたずらだろうか。
 
 下山ルートは、ずいぶん緩やかに設計されていて、足早に駆け抜けることができる。ここまでの疲れがたいしたことなければいいのだが、どうだろう。1時間20分のところを46分で、そのあと1時間のところを45分で駅までたどり着いた。ちょうど電車が出たばかりだったので、駅舎の片隅に儲けられた風よけの待合室で30分ほどを過ごして、電車に乗って帰宅した。歩き始めたからの行動時間は6時間5分。三万歩を越えた。夕方5時帰着。