mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

知らない世界・ブラックボックス

2018-12-01 10:11:50 | 日記
 
 団地の業務管理の一部を、住宅管理会社に委託している。団地創設のときから、住都公団の団地はこの管理会社が請け負うようにしてやってきているから、ま、いわば第一線の下請け。東京電力の関電工のような存在とでも言おうか。専門業者だから、わが団地の隅々のことまで熟知している。
 
 委託している項目は「管理窓口業務」「収納会計業務」「清掃業務」「給水関係保守管理業務」に分けられている。契約はそれぞれに分けて金額が明示され、契約額は合計年間500万円余。毎年一戸当たり4万円ほどを支払っている計算になる。これが高いか安いかは、わからない。「収納会計業務」以外は、目に見える形になっている。週4日間の窓口業務は、住民ばかりか業者とのやりとりや理事会業務や理事会と住民の連絡などを引き受けて、よくやっていると思う。清掃業務も週に4日間、丁寧に行われているし、毎月の給水管系のチェックや水質検査、年何回かの清掃なども滞りがない。
 「収納会計業務」だけは、目に見えない。業者への支払いや駐車場敷金の収納や返却などなど、窓口を通して支払い書類をつくり、銀行に足を運んで入金を確認したり支払いを済ませるものは目に見えるが、銀行からの入金や銀行を介在させる支払いの大部分は、管理会社の本部を通して行われている。窓口で行うのは、ごくわずか。その「収納会計業務」について、値上げをするから了承してほしいと、担当者が説明に来ることになった。
 
 こちらはそれがいつ、いかほど値上げになったかを知らないから、説明を聞く前に調べて置こうと、古い「議案書」を繙いてみた。すると、10年前からはこの業者との「契約」について毎年の「議案」のひとつになり、決議を得ている。ところがそれ以前は、そういう「契約」をすることがどの議題にも入っていない。せいぜい「予算書」と「決算書」に記されている額しかわからない。そこには、上記四つの「業務」のうちの三つは記載され金額も明示されているが、「収納会計業務」だけは、どこにもない。はて、どこから支出していたのだろう。今の会計理事に訊ねると、「たぶん管理窓口業務と一緒になっていると思う」との回答。なるほど、「契約」が議案書に記載されるようになる前の年の「管理窓口業務費」の金額が年間16万円ほど引き下げられ、「収納業務費」が独立して設けられ、27万円強の金額となっている。差し引きでいうと、10万円ほど値上げになっているわけだ。
 
 この変化に関する「説明」は議案書のどこにも記載されていない。説明に来たスタッフも、「ここ20年程のあいだ値上げしないで、内部処理で頑張ってきた。何とかここで値上げを認めてもらいたい」と2009年からの値上げのことは知らぬふりをしている。ところが、2004年から2005年にかけて9万円強、2005年から2006年にかけて2万円弱、値下がりしている。予決算書の記載だから、管理会社との関係ばかりではないかもしれないが、これはどうしてか。議案書にも説明はないし、説明スタッフも、私の問いに応えられない。「調べれ来る」ことになったのは幸いであった。だって、これが管理会社の知る(べき)ことなのかどうか、私にもわからないからだ。
 
 管理会社は、重要事項説明書を組合員全員に送ったり、毎月の収納会計報告を管理責任者に直送したりして、コンプライアンスを確保しなさいと、法的な指導を受けているという。また、個人情報保護法などの遵守もあって、情報の保守管理にシステム構築など、経費が掛かるようになってきたという。加えて、不在所有者が増え重要事項説明書の郵送なども費用が掛かるともいう。でもそれって、うちのこと? と聞くと、関東一円の団地管理を一括しているから、全部の関係団地の経費を頭割りにしたものだという。それって、無茶苦茶じゃない? 不在所有者が多くなっているっていうほかの団地の事情までどうしてわが団地が背負わなくちゃならないのか。そういうのは、「説明になっていないよ」と返すが、でもそういうシステムだと、困った顔をしている。
 
 これまでそういう方面のことを私は、まったく関心外に置いてきた。理事会や修繕専門委員会という奇特なボランティアたちがやってくれているから、すっかりお任せ。私にとっては、「知らない世界」だ。説明者は「埼玉県の雇用情勢をあげて、2005年と2018年を比較すると、22%も時間当たりの賃金が上がっている」と説明する。そういうことはあるだろう。でも私の感覚から言うと、値上げにつながる理由はあれこれと全部上げるが、値下げになる事情はひとつも説明しない。だって収納会計業務といたって、ここ十数年のITの能力向上とソフト開発とによる合理化の方はどうなのよと話を転がしたいが、企業が経営をどうやっているかにまで、口を挟む気力はない。
 
 そういうわけで、たいていのことはブラックボックスということにしておいて、しょうがないなあと慨嘆するばかりである。世の中自体が、だんだんブラックボックス化してきているような気がする。機械仕掛けの社会なんて、人が棲むには魑魅魍魎の住む世界とそう変わらないのではないか。そんなことを考えさせてくれた。