mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

震災から4年――D層としてはどう生きていくか

2015-03-11 21:47:16 | 日記

 東日本大震災から4年。TVの報道は盛んに復興を元気づけようとしているが、被災地の人口減少は止まらない。ことにフクシマの原発関連の被災地には、もはや帰る意思を失った人たちが新しい移住先に定着して暮らしを立て直している様子が、伝えられる。そうだよね。ことに小さな子どもや学齢期の小中高校生を抱えた世帯は、「ふるさと」に執着して子どもの生活を細切れにさせたくないから、早い決断をして新天地に適応しようとしている。たぶんそれが正解なのだろう。

 

 放射線量を測って、いくら許容範囲内にあると喧伝しても、果たしてその許容範囲が政治的に設定されたものかどうかについて、信頼がない。つい先日も東電が溢れる汚染水を直接外洋に流していたことがあきらかになったとき、担当者は「公表するものだとは思わなかった」と驚くような弁明をしている。つまり彼の中では、東電内で起きることは内部問題であって、なぜ外部の人たちがそれに関心を持っているのか理解する関心経路をもっていないということである。

 「そんなもんだよ、あの人たちのやることは」と私たちは受け止める

。もはや「信頼」などというものは、彼らの関心事ではない。文句を言われさえしなければ、凌げる。文句を言われれば、平身低頭して暴風が収まるまで待つ。あとは忘れてくれるのを待つばかり。いわば、日にち薬だ。

 

 忘れるのを待たれている私は、忘れないかというと、そうではない。簡単に忘れてしまう。「そんなもんだよ」と思っているから、東電とか原子力委員会とか政府の当局者や官僚の、つまり現世社会で支配的な権力を持つ人たちの説明や弁明は、ほとんど信用しない。期待もしない。そうしていると、ニュースも見ないし、彼らが何を言うか言わないかにも関心がなくなり、アンテナが立たなくなる。そうすると、彼らは無視しているということを、最近知った。

 

 「B層」というそうだ。Wikipediaを覗くと、

 

 《2005年、小泉内閣の進める郵政民営化政策に関する宣伝企画の立案を内閣府から受注した広告会社・有限会社スリードが、小泉政権の主な支持基盤として想定した概念である。スリードの企画書では国民を「構造改革に肯定的か否か」を横軸、「IQ軸(EQ、ITQを含む独自の概念とされる)」を縦軸として分類し、「IQ」が比較的低くかつ構造改革に中立ないし肯定的な層を「B層」とした。B層には、「主婦と子供を中心した層、シルバー層」を含み、「具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層、内閣閣僚を何となく支持する層」を指すとされる。》

 

 とある。つまり、縦軸と横軸で仕切られる四象限の第一象限をA層と呼ぶと第二象限をB層と呼んでいる。つまり、スリード社の企画方針ではA層とB層を相手とするが、第三象限や第四象限の人たちは視界に入れない、ということになる。さしずめ私などは、D層になる。もちろんサヨクの人たちは、ニヒリズムとかシニシズムと言われて、政治的な綱引き場面の埒外の人に置いておかれる。

 

 ま、仕方がない。じっさいにはそれほど「関せず焉」であるわけではない。ふつうに銭金は必要だし使っている。公共財も利用している。電気もガスも水道も、他人様ほどではないが、使わせていただいている。だからその限りでは、かかわりを怠らないようにしてはいるが、義務的に市民的なアクションをすることは願い下げにしている。消極的な市民。むかしの安保のころの首相なら「声なき声」に入れるかもしれないが、残念ながら、政権を支持するような前向きな生き方はしない。

 

 以上が現今の私を取り巻く政治状況である。さて、これからD層としてはどう生きていくか、それをいくらかでも言葉にすることが、今後の私の課題になるのかもしれない。そんなことを、震災4年目の今日、思ったりした。 


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