風呂桶理論
もう半世紀以上前になる。オーディオ・マニアの間で「風呂桶理論」というものが取り交わされたことがあった。当時、スピーカーの値段も性能もものすごいのが売り出されて、一本のスピー......
一年前のこの記述を読んで、考えるところがあった。すでに一年前に問題になっていた「修繕積立金の値上げ案」は、「説明会」を終えて、来月の総会で担ぎされるはずである。専門家たちの見立てを住民目線でとらえ直そうとするのにいろいろと腐心したが、おおむね順調に事は運んだ。
ただ、一年前に考えていた「風呂桶理論」の桶の板が、私の胸中でかなり変わった。わが団地の躯体は、このあと40年は持つというのが専門家の見立てだ。それを聞いたとき、40年経ったら、風呂桶の一つに都市計画が加わるであろう。人口減少も、もっと深刻にかかわって来るであろう。首都圏への一極集中的なありようも変わるであろう。もし変わらなければ、日本そのものが滅びに向かうと、私は感じている。
にもかかわらず、一年前に私の見た専門家たちは、外部の状況は変わらないと見立てて、住民が古び、建物が古びてスラム化することを懸念している。だが、そのときこそ私たちは、国の将来像を描いて、都市計画を立て、それに従って団地などをどう始末するのか思案しなくてはならない。そのために私たちは、「都市計画税」や「固定資産税」を支払っているのだ。
議会の人たちがそういうことを視野に収めているかどうかは知らないが、もし住民がそれを考えろというのなら、それだけの地方行政の権限を与えてほしいと思う。そうならないと、住民の、専門家たちの、ありとあらゆる世界で醸成してきたイメージが錯綜するばかりで、具体的な結論をもつことにならないと、思う。
所詮、自分の寿命程度のことしか考えられないのだが、死後の世界が滅びの道行きになってほしいと思っているわけではないから、そういう道行のイメージを描いてくれる学者や政治家はいないものなのかね。
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