mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

つまらないワタシの出発点

2023-06-12 20:12:33 | 日記
 先月のささらほうさら講師・ナカジマさんから「また何か解説してくれるでしょう」と私のコメントを期待するような言葉を寄せられましたが、とてもそれに応じる余裕がありませんでした。いや余裕というより、中島さんの話を聞きながら考えていたことの、少しばかり言い訳もしたかったのです。
 小学6年生まで天井が落ちてくる悪夢にうなされていたことが、防空壕と分かって解消したという、つまらないお話をしました。でもそれとこれとをこのように即物的に結びつけて悪夢から解放されたというのは、心的帰結としてはまことにつまらない因果関係。ご飯を食べたので空腹が満たされたという程度の何の変哲もない物語です。これでなにかを説明したつもりになるのは、何も言わないのと同じだと思います。因果が逆転しているというか、商店が浮遊して移動していると、ささらほうさらの席上では感じていました。
 精確には、悪夢にうなされる以前から防空壕のことは聞いて知っていました。それとこれとが結びついていなかったのです。悪夢という混沌の海から、それとこれとを結びつけるというワタシの因果関係が出来上がったことで、混沌の始末が付き、身についた汚れが落ちるように、悪夢から解放された。その説明がつまらないのではなく、その因果の語るようなつまらないワタシになった。そういうことを感じていたと、今思います。
 同じことじゃないか? いや違うのです。
 小学六年くらいまでのワタシは、夢の中ばかりでなく、目が覚めている現実の世界でも混沌の中に居ました。リライトされたマクベスを読んだときの恐さは、ストーリーを忘れた後になっても覚えていました。小泉八雲の怪談や江戸期の百物語、四谷怪談などの話を身近に感じて過ごしていました。夜トイレに行くのが怖くて、隣に寝ている兄を起こして付いてきて貰ったこともボンヤリと覚えています。狐や狸に化かされる話も、リアルに感じていたように思います。進駐軍の配った薬物や煙草が身体をむしばむ子ども向けの絵本を、飽きもせず繰り返しみて、何が怖いのかも分からず夜が来るのを怖いと思っていました。この混沌の感触が、いつしかブンガクという「知」的なことへ整序されていってしまったとでも言いましょうか。
 その私の混沌が、ぱあっと整序されて片付いていったのが、中学へ行った頃、1955年頃からでした。混沌という何が何だかワカラナイ心にかかえていた因果を、近代合理的に言えば、トラウマという因果関係に落とし込んで片付けるようになった。そうすることで、それを合理的と感じる近代的な事象として受けとるようになった。混沌が整序され悪夢から解放されることが良かったのかどうかは、今でも分かりません。でも近代的な合理性を獲得したこと。それは(つまらない)と今思っています。でもたぶんそれ故に、中学校などの勉強には上手く適応できるようになったのだと、振り返っています。
 何が言いたいのか。先月から何度か書き記している作家・鈴木正興さんの『郁之亮御江戸遊学始末録』が「戯作」の境地、遊びの「無近代」小説だということの写したワタシの姿を、つまらないと感じていると言うことなのです。
 思えば鈴木正興さんは、全く子どものような興味関心を抱いて八十路を迎えようとしていると言えるかと思います。いや心裡に描いたそのような幻想世界というだけでなく、その心のままに人生を送ってきたと言えるように思っています。それを鏡として映し出されたワタシが、上記したつまらない姿に転轍したのは、小学6年生の頃。中学に入った頃にはすっかり、つまらない近代合理主義の道筋へ踏み込んでしまっていた。そのことに気づいたのが、ナカジマさんの「夢断章」を聞き、ワタシの悪夢が解消されたことを思い出し、それを口にした途端に、何とつまらないことをオレは喋ってんだと感じ、いや待てよ、そんなことを言いたくてこんなことを口にしたのだろうかと、わが振る舞いを信じがたく、考えてみた後に、そうか焦点が移っていったのだと思いついたわけです。
 合理的な因果を受け容れて悪夢から解消されるのと引き換えにワタシは、混沌の世界がワタシにもたらしていたよくワカラナイ世界への扉を閉じてしまったのです。それは、子どもの頃の関心であるだけでなく、自然に対する懼れとか畏敬の念という身に刻んできた「自然(じねん)」の無意識に蓋をすることであったと気づいたのです。ま、これについてはまた折を見て、考えてみましょう。


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