mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

意外なルドルフ・シュタイナー

2021-10-17 10:06:04 | 日記

 意外なところでルドルフ・シュタイナーに出逢った。彼が有機農法の開発に力を尽くしていたのだ。私が彼を知ったのは「シュタイナー学校」。神智学の世界観をバックに、子どもの教育に貢献した人という印象であった。その神智学が何なのかもよく分からないまま、子どもの感性に直に訴えかける教育手法と、それに携わる教師の身近な司祭のような振る舞いが、機能的に分節化して「学力」を語り始めていた70年代の日本の教育界には、新鮮に響いた。神智学というのは、よく分からないが、まるごと自然に浸っている人間をとらえているようで、私は好感を抱いていた。
 その彼の名が農業の本を読んでいる時に現れて、驚いたというわけ。藤原辰史『ナチス・ドイツの有機農業――「自然との共生」が生んだ民族の絶滅』(柏書房、2005年)。表題のサブタイトルに関心を抱いて手に取った。読み始めたばかり。その最初の章節で、ルドルフシュタイナーが提唱した「バイオ・ダイナミック農法」がナチス・ドイツの有機農業のスタート台をつくったと取り上げられている。その入口のところで、私は感じ入っているわけです。
 藤原辰史の「バイオ・ダイナミック農法」の紹介は、肝にして要を得ている。私は神智学と記憶していたが、藤原辰史は「人智学」「神秘学」と呼ぶ「占星学的な超自然的精神世界」をまず紹介する。「現代科学からするととりわけ理解しづらい」と藤原がいうシュタイナーの言葉が、なぜだか私にすんなり入るように感じるのは、小説『三体』を読んだ余韻のせいかとも思う。
《植物の内部に動物や人間のための食料となる物質が作り出されている場合には、ケイ石質という回路を通って火星、木星、土星が参与しています。ケイ石質は植物という存在を大宇宙の中へと解き放ち、植物の諸感覚を目覚めさせて、この地球から遠く離れた諸天体が形成したものを、全宇宙圏から受けとるようにするのです》
 全宇宙と地球の生命体とがひと繋がりに捉えられている、この感覚は、私の身についている自然観(の感覚)となんとなく見合うステージって感じがするのだ。
 藤原の紹介は、シュタイナーの、「人智学の用語を用い(た)自然界(の)四つの次元」をこう要約する。
《「鉱物的世界」「エーテル的=生命的世界」「アストラル的=魂的世界」最後に「自我の世界」である。人間は死ぬと鉱物に分解されるが、鉱物を生きた形態にするものが「エーテル的なもの」である。これは端的に言えば植物状態。「アストラル的なもの」は、意識を目覚めさせる。これは、端的に言えば動物状態である。「自我」とは、人間と動物を分け隔てるものである。「記憶」を可能とするのがこの「自我」である。》
 この世に存在するものが鉱物を含めて生態系のような全体の構造として捉えられている。「生命」と「魂」を分けるところはいかにも西欧キリスト教的であったり、動物と人間をことさら分け隔てるところも、西欧的世界観を感じるが、逆に私は、東洋的な自然観に相通じる回路があるように思っている。
 シュタイナーはこの自然観に基づいて、例えば窒素を肥料として鉱物的世界の中でしか理解していないと批判し、上記四つの次元と関連付けて施さなければならないと提起している。藤原はこう記す。
《つまり、シュタイナーは、肥料を、植物栄養の視点から論じるのではなく、惑星、大地、植物を結ぶ通路を通って、通常人間が感じることができないさまざまな次元で「生命」を運ぶ媒体として捉えている》
 この感覚が、「百姓は田を作る。稲は田が作る」という半世紀前から私が学校教育のモチーフとしてきた指針の感覚「教師は学校をつくる。生徒は学校が育てる」と見合うように思う。それはつまり、人間には分からないことがあると考えることだと思う。シュタイナーも、肥料を植物に直に施すと考えるのを愚とし、「大地の生命そのものへ」と関心を傾けるよう主張する。さらにシュタイナーは、チリから硝石を取り寄せることにも異を唱え、「(糞尿も)農場で生きている動物たちから得る」ようにすることが「自然を損な」わないことだという。シュタイナーの考える生態系は、バクテリア、キノコから森、湿地まで含めて、「調和した生態系」をイメージしており、「生物圏平等主義的」農場と藤原は記す。あるいはまた、鉱業機械を使用することにためらいを示し、手作業を重視する発言をしている。これを藤原は《ヴァイマル時代を生きるひとりの農民としての生活信条、生活風習、農作業に対する考え方や態度である》とみて、「農民の心情に根差した質問とシュタイナー理論との往復運動の中から、おそらくシュタイナー自身さえ予測がつかなかったであろう体系が積み上げられていく場面がある」と、「バイオ・ダイナミック農法」の提唱者の、現場農民との関係性をみてとっている。
 そうした世界観で農作業を見て取ることによって、収穫物の貨幣価値ではなく、働くことそのものが自然と関わる喜びをもたらすと述べる辺りに、シュタイナーの教育論との接点があるように感じた。
 さあ、それがどのようにしてナチスと結びつき、どのように「民族の絶滅」につながっていくのか、興味津々で、いま読み進めている。


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