mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

お伊勢Seminar (1)彼岸から此岸をみる瀧原宮

2017-11-28 20:37:13 | 日記
 
 26日から昨日までの一泊二日、コーディネートしてくれたのはoくん。彼の後輩で、現在神宮ガイドをしているIさんが現地案内を細かく気遣ってしてくれました。今年三月にoくんが「お伊勢さんの不思議」と題するSeminarで、外宮や内宮、瀧原の宮や倭姫のことなど、概略を解説してくれていましたから、ずいぶんと踏み込んでみることができたと思っています。その上、出発2週間前になってtkくんから『伊勢の曙光』というミステリーが、記紀神話をはじめ伊勢神宮の「謎」について詳しい史料を読み解いていて「参考になる」「読むことをお勧め」ときたからそれも読んで、30個の「謎」を抱えて伊勢に足を運んだわけです。この本を読んで私が抱えた「謎」を事前に案内役のIさんに書き送りました。彼は「伊勢市の図書館に、この本があったので借り受けて読みます」と返信をくれていました。
 
 名古屋で乗り換え、近鉄特急に乗って近鉄松坂駅に向かいます。背の低い建物が切れることなく続く車窓の風景が田圃に代わるころ山が目に入り、1時間ちょっとなのに、ずいぶん名古屋から南へ入り込んだように感じました。東京と岡山からの参加予定の全員が顔をそろえ、Iさんと案内助手の女性とマイクロバスが出迎えてくれ、まずはお昼を食べるところへ向かいました。宮川の畔の茶畑の中にポツンと建つ古民家、「鄙茅(ひなかや)」。お茶の花の名残がまだ咲いていました。古民家と見えたのは外側だけ。中は改装され、すっかり質朴だが豪奢という面白い造りになっています。コーディネータ役のoくんは田舎料理と言っていたが、懐石風に手の込んだ品々を一品ずつ給仕してくれて、その都度解説がつきます。ビールとウーロン茶で乾杯し、挨拶を交わし、もうすぐに何年もの無沙汰を跳び越えてしまうような気配に包まれています。運転手も案内助手も話に加わり、うちとけて、このあとの参拝に期待が募ります。
 
 まず、瀧原の宮に立ち寄りました。倭姫命が伊勢に定める前に天照大神をここに祀ったことから、内宮の別宮とされ、天照大神の荒魂が祀られていると聞いていました。でも「あらみたま」ってなに? と私の「疑問符」がついていました。Iさんの話では、四つの魂があり、荒魂は「元気がいい活発な魂」だとか。天照大神が、それまでのアマ・テルという自動詞からアマ・テラスという他動詞へ変身しようとするアグレッシヴな様子だった時の御座所というわけか。入口の鳥居の脇には黄色のカエデが大きく枝を張りだし、その奥は針葉樹がうっそうと茂って薄暗く、玉砂利を敷いた参道がつづいています。参道の右側には川が流れていて、そちらで御手洗をしていたようであったが、いまは縄を張り巡らして、入り込まないようにしています。参道を塞ぐように大木が気ままに伸びています。樹齢が300年から700年の間になろうというのであろう。幹の下の方に竹矢来を巻き付けて縄で締まっています。虫がつかないように冬越しの準備をしているのでしょうか。
 
 hmdくんが参道の端っこの際石を踏むようにしてゆっくり歩くのを、kmkさんが「危ないが……」と気遣って声をかけます。「なに、この方が歩きやすい」と平然としています。hmdくんはひと月ほど前、大腸炎で四日ほど入院して体重が落ちてしまい、41kgになったと言っていましたから、見るからに心配になります。「いや、食べなきゃ回復しないと一所懸命食べて5kgは戻った」と話していますが、それでも46kg。骨皮筋衛門になっています。
 
 急に開けた場所に出ました。遷宮まで、古い社が立っていたところ。隣に社を建てて神を移し、後に裸の土の上に玉砂利よりは大きい丸っこい石を運んできて覆い、次の遷宮の年まで保つのだそうだ。その石も、中央に白い石が布かれて伸び、それを両側から包むように黒っぽい石が敷き詰められている。白い方が神の通る道、黒い方が人の通る道となっているそうだ。この石も、神宮の人や参拝の人たちが運んできて敷き詰めていくというのだが、この伊勢に別宮だけでも125社あるとかいうから、それら全部に、そのような手当てをするのは、並大抵のことではない。そんなことを考えながら、その奥へすすむ。
 
 瀧原宮と瀧原竝宮があり、そのさらに奥に若宮神社というのもあります。それぞれがどういう関係にあるのかまでは聞かなかったが、2013年の式年遷宮で移されているせいか、ほんとうに簡素。さっぱりとした佇まいに、ちょっと拍子抜けするくらいであった。アプローチの、参道の両側が深々とした森を思わせるのに、あっけらかんと開けた社の様子は、「かたじけなさに涙あふるる」と感触はなかった。
 
 狛犬がない。そのことを聞くと、もともとは榊をそなえつけて結界としたとう。つまり、榊が厄払いの役を果たし、それがのちにほかの処では狛犬に変わったようだ。それが秩父神社ではオオカミになっているというから、土地土地の習俗が取り入れられて神社の様式も変わるようですね。
 
 帰り道に気づいたのだが、うす暗い参道から入口の鳥居(の外)をみると、明るく開けて、紅葉がひときわ美しい。そうか、彼岸という死者の世界から現世という此岸に帰ってくると、この明るさが迎えてくれるんだと思う。やはり神社というのは、現世利益をモットーとする新興ではないかと、改めて思った次第です。(つづく)

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