mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

人のコントロールが利くか利かないか

2017-12-16 16:24:12 | 日記
 
  昨日は「ささらほうさら」の月例会。msokさんが体調不良でお休み。そろそろこういうことが多くなる。後期高齢者になる年齢だ。平均寿命が延びたからと言って、個人寿命が延びるわけではない。月例会ごとに、「おお、今月も(無事に)会えましたな」というのが挨拶になる。ところがnmさんが町で出合った古い知り合いから耳にしたのは、

「kwrさんが亡くなったんですか?」
 という問いかけ。kwrさんは、ささらほうさらのメンバー。えっ?(先月逢ったけど、聞いてない)
「どういうこと?」
「新聞に出てましたよ」
「……」

 と話していたところへ、当のkwrさんが顔を出す。
「いや、生憎まだ生きてるよ」
 と笑いながら、会がはじまった。
 
 今月の講師はwksさん。お題は「α線、β線、γ線」。東日本大震災を機に浮上した「放射能」と「放射線」に関する「腑に落ちない残余感が残った」。それはどうも「放射能や原子力についての知識・情報・理解をあまり持たない中での把握、そういう中で放射能について言っていることの危うさも覚えた」ことから、もう一度しっかりとらえなおそうという試みというわけである。
 
 「原子構造」から話ははじまる。水素原子核とヘリウム原子核の模式図をみせて陽子と電子と中性子の位置関係を説明し、「不安定な原子核を含む物質が安定な原子核に変化する過程で放射線を出す」8種の放射性物質へとすすめる。中学生に聞かせるような話の展開は、中学2年生に話すように言葉を選びなさいというNHKのアナウンサー教育の第一歩を思い起こさせる。むろん中身のレベルを落とせという意味ではない。わかったつもりのことばもきちんと吟味しろという意味合いだと(私は)受け止めている。
 
 ウランやプルトニウム、ストロンチウム90といったものやヨウ素131やセシウム137というフクシマ以来馴染になった放射性物質のほかに、炭素14が年代測定に使われていたり、カリウム14が筋肉量を図るのに用いられたりしているというのも、そうなんだ、あれも放射性物質だったんだとあらためて知ることにもなった。
 
 wksさんは「東日本大震災合同調査報告書」を読みこんで、ところどころをピックアップしながら「みえない放射能と闘う」ことの困難さを解きほぐしていく。大雑把に言うと、フクシマはチェルノブイリの放出した放射性物質を大幅に超えていたという。話を聞きながら思い浮かんだのは、高村薫の『土の記』。そこに2011年の3・11のことが書かれていて、アメリカに住む娘や孫が「アメリカに来たらどうか。それがムツカシイなら、沖縄にでも避難しなさい」と主人公に呼び掛けたりする場面があり、欧米の人たちと日本に住む人たちの「危機感」の抱き方の違いを描いていた。実際に私の方にも、名古屋に住む息子から「しばらくこちらに避難しないか」と誘いがあったことや、外国人ジャーナリストや大使館員の家族の日本脱出がつづいたことなど、欧米系の方々や知的仕事に携わっていた方々は、たいへんビビッドに反応していたことを、思い出した。私はと言えば、フクシマから300kmほど離れているから大丈夫とタカをくくっていたが、「報告書」のピックアップされた記述を読むと、風向きや雨によってはとんでもない事態になっていたようだ。この欧米や知的な仕事に携わる人々と異なる(私の)「鈍さ」は何だろうと、そちらの方に(私の)関心は向いていた。直感的には「自然観」の違いが横たわっているように感じたが、どう関連するかまで思いは及ばなかった。
 
 そのせいだろうか、ふと気づくとwksさんの話はすでに2時間を過ぎており、ええっ、いつの間にこんなに時間が経ったんだと、私自身が夢想の中に浸りきっていたのかと心配したほどであった。
 
 講師の説明は「宇宙最初の元素」としての水素の誕生にはじまり、重水素の原子核が他の陽子と衝突してヘリウム3の原子核を生み出し、それらが衝突してヘリウム4 になると、次々と新たな元素が生み出されていくメカニズムに踏み込み、「恒星の重力崩壊」とか「ベータ崩壊」反応を起こしながら安定な原子核に落ち着いていくと話はつづくが、そのメカニズムの仔細は頭に入らない。
 
 講師は「放射線利用の基礎知識」として「環境汚染物の無害化」「半導体チップ形成」「素材の強度・弾力性の強化等」に放射線が使われているケースやコンピュータによる断層撮影装置という産業用CT、医療・衛生器具の殺菌・滅菌、非破壊検査に使われる事例をとりあげ、コントロールされた放射線の利用が、現在の高度消費社会を支えていることを示す。
 
 つまり、核爆発から緩やかに熱エネルギーを取り出そうとコントロールしている原子力発電は、その付随する産出物である放射能の始末までは技術がおいついていないということのようだ。十万年経てば放射能汚染物も無害化されると、どこかの原子力技術者が発表していたが、わがホモ・サピエンスが生物樹から枝分かれしてやっと十万年というのに、この先そこまで経れば無害化などというのは、夢まぼろしのごとき言説だと思った。十万年も経てば、放射能汚染物が無害化する前に、たぶん私たち人類が放射能に適応した姿かたちに変わってしまうとみる方が、まだ説得力がある。
 
 北朝鮮を取り巻く戦争勃発の危機が取り沙汰されていることからすると、原子力発電どころか、核攻撃によって東京が壊滅するかもしれないという「状況」よ、それによって引き起こされる事態の方が、リアリティをもって迫ってくる。「核」に手を付けてしまった人類の好奇心と技術の産物が、「現在の状況」であろう。とすると、その事態にどう適応するか、そう考えた方がいいのかもしれない。

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