mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

「思い残すことがない」ほど満喫した鳥海山

2016-08-25 16:38:14 | 日記
 
 台風の進路と発生にやきもきした鳥海山への山行は、台風一過、好天に恵まれて、快適な山行になった。
 
【第1日目】
 
 23日(火)早朝、前日の台風9号が足早に東北へ向かったのを見ながら、大宮から新潟行き新幹線の人に。わずか1時間40分ほどで新潟に到着。その直前の車内放送で、「運行を見合わせておりました羽越線特急いなほは、定刻通りに出発します」と聴き、止まっていたことを知った。そうだよな、大雨洪水警報が発令されていたんだから、土砂崩れがあっても不思議ではない。何と運がいいことよと思いながら、いそいそと乗り換える。
 
 特急「いなほ」は、新発田とか村上という聞き覚えのある地名の駅を通って越後平野を抜ける。と、急に海に迫る山並みの腹をくぐることが多くなる。トンネルを抜けながら海辺を走るようになると山形県。木々も家並みも路面も、先ほどまでの雨が思いを残すように湿り気を帯びて、台風一過の気配を湛える。海の方に目をやると、ぽかりぽかりと湧き起った雲が浮いて青空と見事なコントラストをつくり、夏の日の子どものころを思わせる。さらに北上して秋田県との境にまで足を伸ばし、庄内平野の酒田駅で降りる。レンタカーを借り、鳥海山の吹浦登山口まで楽ちんアプローチ。そこでお昼を摂って12時15分、登りはじめる。標高は1080m。今日は1700mの御浜小屋まで。標高差600m余、コースタイム2時間半の行程。
 
 いきなり標高差300mほどの急登になる。登山路は砂利を混ぜた簡易舗装をしてあり、昨夜来の雨が流れをつくって下ってくる。そこからあふれた水が脇の溝をほとばしる。まるで浅い沢のようだ。古い簡易舗装が崩れたところは、剥き出しの土が水流に削られて深く抉られ、歩きにくくなっている。ゆっくりのペースで進むが、着いてくる最高齢のOtさんは黙々と頑張っている。30分ほどで見晴らしの良い展望台に着く。出発点に近い大平山荘の白い建物が、緑の樹林に囲まれてひときわ目につく。遠くへ目をやると日本海の海岸線がくっきりと一望できる。海の見える山に立つと、その間にある庄内平野の田んぼをふくめて、神の眼で見ているように世界をとらえている感じがする。ふと「国見」という言葉が各地にあるなあ、と思いが浮かぶ。むかしの領主は、こうした高台に立って我が領国の民草の暮らしに思いを致していたのであろうか。
 
 展望台から先は、道の両側に密生する背の高さほどのクマザサとナナカマドなどの灌木の回廊を抜けるようだ。鳥海山の手前の丸くなだらかな山嶺のかたちが、みてとれる。あれを登り切った辺りが今日の目的地だと話す。Otさんは息が切れるようだ。歩き始めて1時間、一休みする。Khさんが気遣い、Otさんの荷を少し軽くする。同道の女性陣は、元気そのもの。道々の草花の名を問い、木々に色づく実に目を止め、ときには赤いイチゴをむしり取って口に入れ、ひとしきり談義を交わして歩を進めるという調子。高齢者の山歩きというのは、こういうところがいいのかもしれない。
 
 ここからKzさんに先頭を任せ、私は最後尾を歩く。分岐に来る。国土地理院地図からするとここで左側のルートをとるとなる。左へ向かう。ところが、地図では下るはずがないのに、河原歩きのようになって、どんどん下る。山腹の上の方に下ってくる道が見える。そこへどこか合流する地点があるだろうと思うが、クマザサに人が歩けるような道はない。標高差100mは下ったろうか。標識が立っていて、「御浜→」とある。なんだここか。それにしても、地理院地図とは違うなと思う。地理院地図は、分岐からストレートに坦々とした登り道が描かれているのに、こちらは、V字型に屈曲して、降ってから登っている。上から下ってくる人が見えるから、道を間違えてはいないのだろうと思って上り、御浜小屋に着く。2時45分。先頭は2時間半のコースタイムで上っている。Otさんと私は10分遅れ。なんだ、けっこういいペースで歩いているじゃないか。
 
 御浜小屋は、鳥海山大物忌神社の中の宮に併設する山小屋です。昔は修験者の宿坊だったのでしょうね。宮司さんのような方が一人居て、私たち宿泊者の世話をしてくれました。20畳敷きくらいの畳部屋と、16畳敷きくらいの畳にビニールのブルーシートを敷いた食事室。部屋の仕切りは柱だけだから、全体では学校の教室くらいの大きさを二つに分けて使っているという山小屋。さらにその棟続きに台所をふくめて事務所や宮司さんの住いがあるという格好。トイレは別の場所にはなれてある。北側の入口の前は人2人がすれ違えるほどの幅の通路、その北側は高さと幅50センチほどのコンクリート製の土手があり、その下の崖に落ちないようにしてあるという具合。泊り客は私たちだけだったので、気分的にはのんびりゆったり。着替えたり荷物を整理した後は、部屋の中央に集まってビールを飲んだり持ち込みの焼酎をお湯割りにして飲んだりと、さっそくおしゃべり会。
 
 5時半に夕食。アルマイトの長方形のお盆に一人分の御飯とお味噌汁、コロッケと少しばかりの生野菜、お漬物、筋子、などが盛り合わせてある。それが人数分ブルーシートに置かれ、昔の、銘々の箱膳を思い出す。陽が沈むのはそのあと。小屋の裏側に上がっていると、鳥海山がデンと見える。新山と名づけられた峨峨たる中央部山頂とそこを取り囲むように聳える外輪山の威容が、間近に迫る。夕日の沈むころに、ほんの一瞬間、鳥海山の山容が赤く染まってみえる。小屋の主人が教えてくれた通り、みごとに色づく。「赤鳥海」とどなたかが言う。西に目をやると、陽は海の上を覆う雲間に落ちかかる。小屋が逆光に輝き、夕日を眺める人たちのシルエットが際だって浮かび上がる。ほんとうに神々の座から下界を見下ろしているような気分だ。
 
【第2日目】
 
 夜中に一度ふるえて目が覚めた。後はぐっすりと寝込む。朝方、外の明るさに時計を見ると4時39分。日の出は4時50分と言っていたっけ。起きだして外へ出てみる。まだ陽は上っていないが、雲の一部が明るく照らし出されて、世界の夜が明ける風情に満ちている。小屋の主人がやってきて東を指さす。雲がかかる水平線の上に、不等辺三角形に傾いた頂が岩手山。北の方に、ポツンと離れて浮かぶ小さな三角形のいただきが岩木山。さらにその手前海に浮かぶ島は飛島ですかと、誰かが尋ねた。いやあれは男鹿半島、飛島はこちらだと90度違う西寄りの方に向かう。と、雲の下の海の中に平たく延べた餅のように小さな島が浮かぶ。
 
 陽のあかりに照らし出された雲海が、薄墨を流したような黒っぽい色から徐々に明るく色づき、ふわふわと中空に漂う透明な羽衣のように、横にたなびき層をなし、えもいわれぬ幻想的な風情を醸し出す。どなたかが「こんな光景を見たのは初めて。もう思い残すことはないわ」と至福の思いを口にする。冥途の土産というよりは、極楽浄土をみたような面持ちだったのだろう。
 
 太陽そのものは、鳥海山へつづく稜線の陰になっているから、直には見えない。ただ、今日は雲が出ているから、陽が登ると鳥海山の陰がちょうどこの方向にみえるかもしれないと、小屋の主人。その言の通り、くっきりと鳥海山の稜線の陰が裾野の方へ尾を引くように色を濃くしている。山頂の方は、雲がなく陽ざしが青空に溶け込んで明るく輝いている。ここに宿をとったのが私たちの山行力量のせいとはいえ、こんな光景を見ることができるとは思いもよらなかった。
 
 朝食をとって、小屋に置く荷物をパッキングしてまとめ、山頂へ向けて出発したのは6時5分。Kzさんを先頭にゆっくりと歩を進める。彼は半そで。若いねえと、高齢者が褒める。風もない。私も長袖一枚で寒くはない。小屋の裏の、かつての噴火口に出来た鳥海湖が黒々とした水を湛えて下方に静まっている。その向こう岸を回る下山路の踏み跡がみてとれる。御田ヶ原からひとたび標高差50mほどをなだらかに下る。「ここを帰りには上るのか」とどなたかがつぶやく。帰るときのくたびれ具合を想定しているのであろう。55分ほどで七五三掛(しめかけ)に着く。北の方には相変わらず岩木山と岩手山が雲の上に浮かんで見える。七五三掛の分岐から左の方、千蛇谷のルートへ分け入る。市販登山地図に「ガケ崩れあり危険」とあったので、右の方、外輪山へ登りそこを往復する予定であった。だが小屋の主人がこのルートをすすめる。ムツカシイのは最後の大岩を登るところくらいかな。帰りに外輪山を通るのが良りなさい、と。
 
 がけ崩れのところは梯子をかけて手入れがなされていた。外輪山の谷合いをトラバースする。お花畑があるが、目をやる余裕がないとMrさんがぼやきながら登っている。後ろから若い人がやってきて、追い越してゆく。5時に吹浦の駐車場を出発したという。いいペースだ。雪渓が残っている。そこに降り立ち対岸へ渡る。緩やかに高度を上げて、眼前にずうっと見えつづけている岩の新山山頂部を目指す。外輪山の北側斜面にも大きな雪田が残っている。Sさんが「あっ、ひとがいる」と声をあげる。外輪山の山頂部を登る人の姿が見える。やがて斜面の傾斜が強くなる。ぱっと眼前が広く開けて小屋が目に入る。
 
 山頂の方を見ると、大きな岩に白いペンキの矢印と○がつけられている。小屋に近づかずに、そちらへ足を向ける。Kzさんを先頭に、OdさんSさんが先行する。私が中に入り、Mrさん、Kkさん、Otさんとつづき、Khさんが最後尾を引き受ける。おっかなびっくりのKrさんが岩にとりつくと俄然気持ちを集中させて、摑むところをつかみ、踏むところを踏んで、身体を持ち上げる。「脚が短いから」とときどき愚痴をこぼしながら、緊張を切らさない。標高差100mほどを登ると、岩の連なる高台になり、その先に、立ち入りを阻む巨大な二つの岩の塔が立つ。そのあいだに下るルートが白い印に導かれ、狭い間隙を底部にまで下る。向こうを見やると、頂から手を振る人が見える。KzさんとSさんだ。Mrさんは肩が凝ると言いながら、私の後に続いてくる。
 
 下りきり、そこからまた登る。Kzさんが来て山頂部が狭いことを告げる。先に安定したところへ移動していていいと応じる。でも下山路は別の方、矢印に沿って行くと小屋を通り過ぎたところへ出る、と。ひと登りして山頂に着くと、まだSさんとOtさんはいた。上尾三人組の写真を撮ってあげようというと、カメラを出す。四人が立つと一杯になるほどの山頂だ。次の人が来ている。場所を空けようと下山にかかる。「ええっ、もう行くんですか」とMrさん。次が待っているから仕方なく、降りはじめる。「胎内くぐり」という狭い岩の間をくぐり抜ける通路がある。小さな石の社が祭ってある。くぐり抜けた先に、OdさんとSさんが待っている。Mrさんが笑顔になるには、まだ岩場の通なりがありすぎる。山腹の大岩をトラバースして、やっと東側の平地が見えホッとする。降り立ったところで、よく頑張りました、これで難しいところは終わり、とMrさんと握手をする。OtさんとKhさんが続いてくる。
 
 こうして山頂下の大物忌神社に着き、その広場の隅にある板敷に座って行動食を口にする。9時半。Otさんが足が攣るという。Khさんが冷気スプレーをかけて幹部を冷やす。太ももの裏側をほぐす。軽くなったと言って、食べ物を口に運ぶ。お昼を済ませたほかの方々は、ぼんやりと岩に腰かけて外輪山を眺めている。ただそこに身を置くのを味わっているという風情。30分も時間をとった。
 
 12時、出発。一度外輪山に登り、そこからほぼゆっくりした下りの稜線ルート。ハイマツが道を狭めるなどもするが、よく踏まれていて歩きやすい。下りの斜度もきつくはない。登ってくる人たちとすれ違う。けっこう若い人たちが多い。上で泊まるという人もいる。「日帰りで~す」と明るい山ガールの2人連れもいる。「行けるところまで行って、帰ればいいから」と陽気に笑っている。「若いっていいなあ」と誰かが口にする。
 
 40分ほどのところで、Kzさんに「先行してください。先に風呂に入って、16時前の電車に乗れる人は乗って帰ってもらえば……」と提案する。「次の電車にしてもいいから」と皆さんは、帰る時刻をそれほど気にしていない。私は1時間くらいの差が出るかなと思っていたが、御浜小屋では追いついた。小屋から先の道は、来たときの賽の河原を通る道ではなく、ササハラの中の地図通りのルートをたどった。帰りに注意してみたが、どこで間違ったのかわからなかった。そのあとも、先行者の声が聞こえたり姿が見えるところを歩いたように見える。結局5分ほどの差で帰着することになった。電車を遅らせることにしたから、気分的にはのんびりと歩いたといえる。だが、Otさんは三度ほど脚の手入れをしながら、自分を励まして懸命に歩を運んでいた。後期高齢者になってこれだけの頑張りを、山で見せるのは、容易ではない。今日の行動時間は8時間5分。下りの標高差は約1200m(累計標高差はもっと多くなる)。たいしたものと言わねばならない。
 
 でも、「着いたあ~」と道路に脚をついて声を上げたOtさんは、誇らしげである。大平山荘の日帰り風呂をつかった後、さっそくOtさんは「ご褒美、ご褒美」とアイスクリームを買っていた。順調に酒田駅に戻り、車を返し、電車までの1時間半ほどを、見つけてもらった居酒屋で下山祝い。帰途の特急はほとんど熟睡してご帰還。Kzさんは「こんなに簡単に秋田の県境までアプローチできるなんて、何だか自分の車でくることはないなあ」と感慨深げであった。

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