mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

私の山の会の終わり

2016-12-15 14:17:37 | 日記

 私の山の会は、ボチボチ終わりだなと、昨日の山を登って思った。山梨県の御正体山(みしょうたいやま)。1681m、日本二百名山の一つ(でも、誰が決めたんだ?)。今年の7月20日に私は一度上っている。そのことは「見事な針広混淆林の御正体山」としてブログに載せた。

 《御正体山は丹沢山塊の北、大月を挟む中央沿線の山並みの南、山中湖平野の北東数キロのところに位置する。6月に歩いた倉見山の南東に位置する大きな山である。二百名山にも入っている。調べてみると御正体山の登山口は、4カ所ある。都留市の方から2カ所、道志村の方から2カ所。そのどこから入っても、山頂まで3時間余かかるほど、奥が深い。当初の計画では、都留市側の2カ所の登山口に車を止めて登り、山頂でキーを交換してそれぞれ別のルートへ下山するという「交差登山」を考えていた。三輪神社からの標高差が1000mを超えるが、まあ、このくらいは頑張れるとみた。ところが、もう一つの登山口である池の平登山口に冬季は車が入れないことがわかった。そこでもう一つ別の山伏峠登山口から歩いてみようというわけ。》

 これを下見として、昨日、山の会の人たちを案内したわけである。11月に高川山に登った際、山頂から東にみた御正体山の姿は、みごとであった。大きな山体を南北に広げて道志山塊の中心に位置している。山伏峠からの標高差は600mほど。二カ所の急登を除くとあとは稜線を歩くだけだから、山の会の人たちにも十分大丈夫と思っていた。

 ところが、1週間前の「道志村」の天気予報を見ると「80%の降水確率、雨または雪」とあったので、「12日に延期かどうか判断します」とお知らせして様子を見た。そうして12日の予報、「9時弱雨、12時曇り、3時曇り、降水確率40%、降水量0mm」。気温が9℃と高いのが気になったが、稜線の上は雪になるかもしれない。雪なら歩くのにそう不都合はない。雨の方がむしろ怖い。「実施します」と連絡した。軽アイゼンとストックは用意してもらう。

 と、一人の方から「御正体山の天気をみると、山行「不適」となっている。朝雨だったら参加しませんので、よろしく」とメールが入った。そうだ、山の情報サイトがあって、「適/不適」の表示を3段階に分けて出している、それか。「ご随意に」だ。私の山の会の「規約」では「山行に際しては、倫理的・道義的責任は共有しますが、法的には自己責任で行動するものとします。」という一項が入っているから、参加者本人の判断が最優先される。それで、もう四年。月一回山行が月に二回になるほど、皆さんの脚を現地で鍛えてきていると思っている。私はほとんど「山居/やまい/病」と思っている。

 ところが13日に「道志村の予報」を見ると「3時雨、6時曇り、9時から15時まで晴れ。降水確率は10%、降水量は0mm」である。と、くだんの会員から「山行・適「A」になりました。疑った非礼をお許しください」とメールが来て、行くことになった。相変わらず最高気温は9℃、10%確率が当たると、雨か雪か稜線ではすれすれだなと思うが、晴れマークが心強く、そんなことはすっかり忘れていた。

 出発のさいたま市は雨、高速を走っているうちに雨が上がり、天気予報が当たる感触。ところが待ち合わせの藤野駅に近くなると雨が落ちてくる。結構な降りだ。皆さんがそろって2台の車で出発したのは8時10分ころ。途中道の駅「どうし」でトイレを借り、相変わらず雨が落ちていたから身支度を整える。このとき、kwrさんが足が痛むという。今朝、駅舎を歩いているときに、緩んでいた自分の靴紐に躓いて転び、膝の上を打ったと痛そうである。彼はここからバスに乗って帰ろうかとひと思案して、でも、歩けるだけ歩いてむつかしそうだったら、先に車に引き返すことにしたいという。

 山伏峠に着き、車を置いてトンネルを抜ける。トンネルの出口に集められた雪が凍っている。除雪してここに溜めおいたものだろう。登山口へ回り込み、上り始める。9時40分。雨は落ちている。緩やかだが細い山道をたどること10分。「山伏峠」の標示がある分岐に出る。標高1100m、南へ「丹沢 大棚の頭」、北へ「石割山分岐・御正体山」とあり、その脇に(距離が長い健脚向き)とコメントが加えてある。上り3時間、降り2時間15分のコースタイム。足元が凍りついているとそれぞれ30分くらい余計にみておく必要があるかと思っていたが、その必要はなさそうだ。

 木々はすっかり葉を落とし、見晴らしが利く。右手の樹林の中をのぞくと下草がまばらに白っぽい。昨夜の雪か。左手には石割山が、前面には奥の岳に連なる高い山が立ちはだかる。ここに上る急登が手ごわい。細いロープが張られている。ロープには瘤がつけられていて、つかむことができる。足元は落ち葉が散り積もって、滑りやすい。雨はいつしか上がっている。雨着を脱いで登りにかかる。コースタイムの50分で石割山との分岐につく。1330m。一息つきながらおしゃべりが弾む。少し上った奥の岳のさきは背の高いササが生い茂り、木々は葉を落とした広葉樹。いわゆるスギやヒノキの植林はなされていない。針葉樹はツガやモミ。広葉樹はミズナラやブナの混淆林。木の紅葉時期に歩くといいのかもしれない。10分ほどで送電鉄塔に着く。とどめのために網が張られ芝が植えられている。周りは木々が切り払われて見晴らしがいい。遠く下の方に山中湖がみえる。上方はすっかり厚い雲に覆われて見晴しは利かない。誰かが「石割山からの富士山が絶景ってあった」と話す声が聞こえる。その石割山が黒々と前に居座っている。どお~んという音が響く。「雷?」と誰か。「いや、自衛隊の演習場の音さ」と別の誰か。そうだ、この周辺の山で、何度かこれを雷と間違えたことがある。

 また雨が落ちてくる。少し下りまた登るという稜線歩き。中の岳の少し手前で小雪になった。11時27分、kwrさんが「私はここで折り返します。上りより下りのほうが足の痛みがひどいので、ゆっくり戻っていますから……」という。そこでお昼にする。少し風も出ていて、冷え込みはきつくなる。周りはすっかり雲の中。そそくさとお昼を済ませる。それでも20分ほど経って「さあ、次へ行きましょう」と、kwrさんと別れようとすると、「あのう私も、一緒に下山します。私、寒いのに弱いんです」と一人が言い、「私も生あくびが出て、今日はだめです」と声を出し、さらに一人が同じように手を挙げる。するともう一人が「私、自信がないんです」といい、「大丈夫だよ。行きましょう」と励ます声を袖にして、やはりkwrさんと一緒に下るという。kwrさんは男性、一緒に下山すると声を上げたのはみな女性。山頂を目指そうというのは今日のトップを務める男性のkzさんとkwrさんの奥さんkwmさんと私の3人だけになった。私の車のキーはすでにkwrさんに預けてあったが、kzさんの車のキーも預け、別れた。11時50分。

 kzさんは登行速度を上げた。kwmさんは懸命についていく。稜線歩きとはいえ、上り下りが繰り返され、緩やかに高度を上げる。「急がないで、自分のペースで」と後ろから声をかける。kzさんはそれを気にしつつも、ペースを緩めない。強いものが残ったのなら、早いペースで山頂往復をして、あまり待たせず全員合流しようと考えているのであろう。学生のころから鍛えた山岳部精神が、よみがえったように感じているのかもしれない。少し行くと日差しが差し込む。ちらりと木々の合間から、富士山が見える。南のほうは雲に隠れているが、北の方は3、4合目あたりまでの雪とその下の東富士演習場のクサモミジを日差しが照らし出している。そうだよこれを見てもらおうと思ったのだと、カメラのシャッターを押すが、自動焦点では手近の木に焦点があって、富士山が遠方にかすんでぼやける。ま、しょうがない。ここまで来たご褒美だと話しながら、きつい登りにかかる。前の岳を過ぎたところから急斜面の上りになり、一気に高度差200mほどを500m余の間に上げる。kzさんも「いやあ、結構きつい上りでしたね」と、あとで振り返っていた。あと標高50mほどになってから山頂までの大きかったこと。木々の西面に雪が付き、日の当たらないところの草地にも雪が残る。積もっているというほどではなく、さらりと雪を振りかけたような気配だ。気温は低い。鼻の先が冷たい。零度くらいか。

 日が差している山頂はベンチやテーブルもあって、思えば7月にはここでお昼をとった。いまは、12時50分。中の岳から1時間15分のコースタイムのところを、ほぼ1時間できている。小さなお社もあり、山頂の説明書きの大きな看板も据えられ、片隅に「皇太子殿下登頂記念 平成6年」の立て札もあった。10分ほどを過ごして下山にかかる。しばらくは私が先頭を歩いたが、急斜面で滑ってからは、kzさんに代わってもらった。kwmさんは慎重に、しかし、しっかりとkzさんについていく。お昼をとったところには45分で戻った。ここから引き返した人たちは、もうすでに車のところに戻っているだろう。この日差しがさした山稜を少しは味わったろうか、と思う。

 送電鉄塔のところに戻ると、富士山が石割山に南側のすそ野を隠すように姿を現す。山頂部は雲がかかって望めない。kzさんも立ち止まってアイ・パッドを取り出してシャッターを押している。日差しがまぶしい。そこから少し上る。kwmさんが立ち止まって太もものところをマッサージしている。攣りそうなのだなと、思う。以前の彼女はときどき足がつっていた。ここしばらくはそういう症状も見ることがなく、強くなったねと、彼女の足の施療をしたことのあるkhさんも感心をしていた。今日は、お昼以降の早い登りと冷え込みとにやられたのかもしれない。二度目に彼女が止まった時kzさんは「脚つりに」と記された薬を取り出し、彼女に奨める。彼女は山頂を出るときに自分で用意したそれを飲んでおいたのだが、長時間の強行軍に、その効力を使いつくしてしまったようだ。登りの時につりそうになるということだった。ここからは下りばかり、頑張りましょうと声をかけ、下り始める。そこから35分、石割山分岐を通り、急斜面を下って、「丹沢 大棚の頭」の分岐で道を分け、国道のトンネルをくぐって車のところについたのは15時15分。出発してから5時間35分。歩行時間はコースタイム通りであった。

 降りてから聞いたのだが、kwrさんたちは1時半にこちらについたという。最後の分岐のところで左に曲がらず、右の広い道を下り、すでに廃業しているホテルの脇に降りてきたらしい。入り口にはロープを張り「立ち入り禁止」の表示があったが「出るな」と書いてあったわけではないから、ロープを超えて車に戻ったのであろう。旧登山道という近道を通過したのだ。早く降りた女性陣は車の中でおしゃべりに興じ、挨拶も交わさずにそこで解散してkzさんの車で駅まで戻った。私はkw夫妻を乗せ「道の駅どうし」でトイレを借り、お店をのぞいたら、「芋焼酎・御正体山」というのが目に入った。それを買って帰途に就いたのであった。

 さて、8人で行って、一人は足を痛めたから仕方がないとはいえ、途中で「寒いから下山する」というのは、いったいどういうことであろうか。冬の山、軽アイゼンまで用意しての山歩き。しかもアイゼンを使うまでもないほどの気温。雪が待ったとはいえ、たぶん1~2℃。冬の山としては温かいといわねばならない。皆さん日ごろの暮らしで、お疲れなんだろうか。それとも寄る年波に勝てず、体力が落ちているのだろうか。そんなことを考えていたら、歩いている途中でkzさんが「皆さん、鍛えようという気持ちをお持ちじゃないんですね」という。「そうか、快適登山を希望しているってわけか」と、私の疑問が氷解する。

 山の会に対する私のモチーフは、「力ぎりぎりまでを歩いて、現在能力を保持する」にある。その「能力」というのはもっぱら「体力」のこと。もちろん「快適」であることを否定はしないが、それを最優先にしたら、(たぶん)登山意欲は削がれる場合が多くなろう。「ちから」は落ちる一方ではないか。だから山歩きに「快適」が加わったら「ラッキー」と思って感謝をする。そう思ってきた。晴れていても、そう。おいしい食べ物に出会っても、そう。山行中の面白い話を耳にしても、そう。皆さんが元気で無事に下山したらもちろん、その時々の場面を反芻していくと、苦しかったり、危なかったり、困ったりしたことを「面白かった」と振り返ることができる。そう思って登ったし、そう思いながら、このように山行記録をつづっている。どうも、それはこの後、続かないのではないか。幸いにも今年の春から、「日和見山歩」と称して少し楽に登れる山歩きを、会員が交代ごうたいでチーフ・リーダーを務めて毎月1回行ってきた。だから私は、これまでの月例会を担当して仕切ってきたのだが、それが叶わなくなってきている。75歳まではと思っていたが、本当に私は来年75歳になる。そうして山の会のほうも、「日和見山歩」の方が中軸になる。私の山歩きガイドは終わりを迎える。そんなことをわからせてくれた御正体山であった。「正体見たりわが登山」というところか。


コメントを投稿