mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

余白の根源

2024-01-11 09:16:07 | 日記
 さて、鈴木正興の論稿は、汽水域の長谷川平蔵を枕にしてリアルへ迫るかと思いきや、逆にドラマに没入するようにして、第二節「木鶏が如き存在感」へと続いています。

 前触れが少しく長くなっちゃった。言及したいのはそのことではなくこのドラマに客演した或る人物のことである。
 何年前だったか、普通一話につき四十五分のところ、その時はプラス三十分の拡大版でしかも後編もあるので合わせて二時間半という長尺版を見たことがあった。十年程前の再放送らしかった。筋は省略する。で私が述べたいのはその時に客演した一人の俳優のことである。私にあっては初めて見る人であり、初めて名前を知った人なのだが、先ずはとにかくこんなスゲー俳優がいたんだと喫驚するやら感服するやら身震いするやらしたもんだ。同じく客演した尾上菊之助を含めていづれ錚々(そうそう)たる出演者にも伍して一歩も退(ひ)かぬ存在感を放っていた。一体何なんだ,この存在感は。
 彼の役柄の一つの流儀を編み出した剣の遣い手でありながら、期する所あって刀は封印して医業を修め、後の某所に報謝宿(ほうしゃやど)なる孤児、犛婦(りふ)、病者、老弱等々の生きる場を設けてその祭酒となる初老の武士であるが、施設運営の資金は金持の商家から闇に紛れて無断で調達するから裏の顔は盗人の頭領でもある。それにしても繰り返すが、その人物に扮した俳優の、その俳優の扮した人物の存在感たるや並ではない。それも他の俳優のように役者として己が役柄に成り切っての存在感と言ったような類いのものではない。そこに居るだけで自ずと発せられる存在感と称したらよいか。妙な表現だが演技とか何か以前の彼の身体そのものが、たたずまい、いずまいそれだけでもが敢えて主張せずして、つまり自分を勘定に入れずして自ずからに由って存在感を発してそれがために周辺の気配もピタッと変わり緊(し)まるのだ。そう、木鶏(ぼっけい)が如くに。但し木鶏は天与の才に恵まれてではなく厳しい鍛錬の末の産物であったことは周知の通りだから、人をして木鶏が如きと印象させる或る種静謐な精悍さを湛え、場をも引き緊める身体性を有するこの六十歳前後と目される人物は若い頃から相当の身体修業を重ねてきたのではないか。

 リアルなのかヴァーチャルなのか、あるいはその汽水域にて存在しているのか。ヒトは己ばかりか現実存在をも、疑ってかからねばならないほどの「しこう(嗜好・思考・志向)」と想念・妄想・想像力に取り囲まれて日々を過ごしている。そして「渥美清イコール車寅次郎が如く中村吉右衛門イコール長谷川平蔵との意識が成り立ちかねない程に」それらすべてがごちゃ混ぜになってセカイをなしている。それが、鈴木正興の「まえせつ」であった。
 ところが第2段落に入って、客演している役者を介在させて、いきなり身体性の屹立が投げ込まれる。「木鶏が如きと印象させる或る種静謐な精悍さを湛え、場をも引き緊める身体性を有するこの六十歳前後と目される人物」.。リアルもヴァーチャルもない。まさしく木鶏の如き、と。
 木鶏の話は双葉山だったかな。横綱・双葉山の3年に及ぶ七十連勝だったかが止まったとき「イマダモッケイタリエズ」と言ったという話をどこかで聞いた覚えがあった。正興さんはボッケイと仮名を振っていたので、おやっと思って広辞苑を引いたら、モッケイとあった。日本国語大辞典を引いたらモッケイもボッケイもなかった。ボッケイは正興方言かと思い、マイクロソフトの生成AI・Bingに訊いたら、どちらの読みもあるとのこと。さすが中国語に通じた、漢字自在の作家だけのことはある。
 因みに少し解説しておくと、闘鶏を鍛錬していた方に、どうだ強くなったかと何度か問うと、まだ空威張りしたり、昂奮したり、強さを誇示しているといっていたのが、最期に木鶏の如く泰然自若とするようになっていると、出来上がりを伝えたという中国のお話である。
 つまり正興さんが目を留めた人物は「妙な表現だが」と断りを入れつつ、「演技とか何か以前の彼の身体そのものが、たたずまい、いずまいそれだけでもが敢えて主張せずして、つまり自分を勘定に入れずして自ずからに由って存在感を発してそれがために周辺の気配もピタッと変わり緊(し)まる」。その存在自体が気配をピリリと引き締めるオーラを発していることを伝えている。
 ここには戦中生まれ戦後育ち鈴木正興を取り囲んできた生育環境の文化的変遷が反映されていて、同世代のワタシの(失ったふるさとを顧みるような)大きな共感を呼び覚ます。
 人のもつ身体的実在とそれ自体が関係に影響を及ぼす気風は、ヒトが皆公平で平等であるという民主社会においては、社会的・産業的あるいは政治的人権次元という構造的場に於いては、付随的な事項扱いを受けている。私たち八十爺が、昔教わったような、人として養成すべき佇まいとか居ずまい、人徳とか人柄とかは、社会的・経済的・政治的場に於いては些末事項となり、個々個別の関係に起ち上がるトリビアルな心掛けになってしまった。ヒトの在り様(の善し悪し)は、自身が評価するものではなく、(かかわった)他者によって、後に落ち着くものであったのが、自ら長所特性を履歴に掲げて喧伝し、売り込むという欧米的な近代人の作法へと移り変わってきた。戦後の大きな気風の変化が人を変えてしまったかに見える。
 現実のヒトとヒトとの関係の場面では、背の大きさ/小ささ、体の太さ/細さ、ぶよぶよしてるか/かっちりしてるか、体幹がひ弱そうか/しっかりしているかなどなどは、対面するときすでにそれ自体で力となって、威圧的であったり/和んだり、周囲に様々な波動を伝えることになる。いや実際には、体躯ばかりでない。美・醜・十人並みという顔立ち、佇まいや振る舞いの乱暴・粗雑か優雅・丁寧、言葉・語り口の剛柔も、瞬時に周囲に伝わり、その場の気風を規定することがある。ヒトとヒトの関係も、ちょうど脳神経に於ける情報伝達同様に、立ち居振る舞い・佇まいのシナプスから発せられる波動が、ヒトビトの感官シナプスに受けとられ、それはそれなりに好悪も交えて対面している人の(人柄として向き合っている)「しこう(嗜好・思考・志向)」に刻まれていく。つまり、ここでも情報伝達は、言葉だけでなく、身体性を通じて送受されている。
 戦後に於ける気風は、欧米的な理知的関係感知法が(ちょうど日本国憲法の人類史的理念のように)純化されて「理性専一的」関係感知法として受け容れられ、どちらかというと身体と現場の担っている沈黙の関係感知伝承法が軽んぜられて、大きな変化をしてきた。その気風と作法の、食い違い、ズレ、齟齬が頻繁に軋轢を醸し、(戦前成人と戦後育ちという)世代的な落差と対立を交えて現在形に推移してきたと言える。戦中生まれ戦後育ちの私たちは、その両者の関係感知文化を(混沌の中に)身に刻んでわが身としてここに至っている。
 大衆化社会という民主的社会のコンセプトが、わかりやすく、モノゴトを単純化して訴える。日本列島住民という「島国根性」とアジア初の「先進国化」という尊大な自己評価が大東亜戦争とWWⅡへの突入という不始末へと至ったことを嫌い反省したものが、一転して、そのまま人類史的普遍へと身を移してしまう、理念的純化を胸中において実行してしまった。それが、ヒトとヒトとの具体的実在と関係とをわが身が感知していることが世界の出立点であることを忘れさせた。あたかも日本人は人類普遍と一体化してしまったかのように、個別性を見失ってしまったと言えようか。
 でもどっこい、身体に刻んできた無意識は伝承してきた振る舞いや作法を忘れてはいない。だから、アタマの理念・理屈とカラダの関係感知は食い違い、ズレ、齟齬し、わが身の裡に混沌を醸すようになった。なにゆえにこの混沌がわが身を苛むのか。そのワケを摑むこともできず、引き籠もり、病を抱え、あるいは自死する、対象構わず外へ向けて乱暴狼藉を働くという社会を生み出してきた。たまたま社会的な情況に適合できた世代の八十爺が、かろうじて今、バブルの遺産を食い潰して平穏無事を言祝いでいるとワタシは思っている。
 鈴木正興は、この木鶏が如き人物を取り上げて、ただ感嘆しているだけなのであろうか。

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