や、思い出した。まさに、これこれ。
「すべて政治に属する」か 池澤夏樹が今年のノーベル文学賞の受賞者ペーター・ハントケのことを書いている(朝日新聞11/6、「終わりと始まり」)。いくつもの刺激的な......
2年経って読み返した。改めて、今自分が立っている所を振り返る。コロナウィルスの感染がなぜ減少しているのか、専門家もわからない、という。誰かが訳知り顔に「決定的なこと」をいってくれれば、その情報を確かめようのない私たちは、(そうであってほしい)という思いを込めて、さっさと信じてしまいそうになる。「コロナウィルスも草臥れたんだ。これで山を越えた」とでも。
だが、先の衆議院選もそうだ。短期決戦であったという。直前に総裁選を行って顔をすげ替えた与党が、安定多数を確保した。「意外にも」選挙戦前の予想で「相対多数を獲得するだろう」といわれていた立憲民主党が大敗した。だが、短期決戦の間に、広告業者が与党と手を組み、ネットを駆使して情報を操作していたのではないかと、選挙期間中に取り沙汰された。それだけではない。週刊誌で、野党が大勝、与党は版数確保が難しいと予想記事がバンバン打たれた。
そうしたことが、広告業者の手による情報操作でないということは、たぶん検証できない。まして私たち庶民が、その真偽を確かめることなどとうていできない。ということは、基本的に流通している情報を信じるなということ。信じないで、自分の「確信の根拠」をきっちりと吟味して、それに自信を持つこと。それ以外に、世の中をしっかりつかむ方法はない。と同時に、しっかりつかむと同時に、それをもまた、疑い、吟味し、修正を施し、あらたな「確信」へと為してゆく。
もしできるなら、他の人たちの言説や振る舞いと照らし合わせて、自分の「確信」の吟味を続けていく。それができれば、まずまずなんじゃないかと、自己流の「情報・認識・確信」の作法を考えている。こうした記事を読み返して、1年に一回の反省の機会をもつことも、いいことかもしれない。