先週中頃からの、動きを記しておく。
11/17(水)、昨年までなら山へ行く日だったが、まだムリ。図書館へ期限の来た本を返却しに行く。「返却された本」の棚に、蓮実重彦『伯爵夫人』を見つけ手に取る。何年か前、芥川賞をもらって、蓮見がそれを鼻にもかけなかったという新聞記事を見たことがある。美学専門家の蓮見にとっては、芥川賞というのをただの投げ銭のようにみていたのか。ベンチに座って読む。
なんだろう、これは。高齢者のエロスの残像を裡側から描き出そうとしたのだろうか。何とも醜悪というか、滑稽な場面が、男の視線で描き出されてくる。そればかりが延々と続く。1時間ほど読んでやめた。美学的なナニカがひょっとすると出てくるのかと思っていたが、そこまで我慢して読むほど、蓮見の美学に思い込みはない。蓮見が芥川賞を鼻にもかけなかったというのは、選好者の(元東大学長という)権威主義を笑ったのだろうか。
新規の図書を何冊か借りて図書館を出た。足を伸ばしてco-opへ買い物に行く。お昼の食材を買い求め、ぶらぶらと帰途につく。これで1万歩ほど歩くことになったか。それだけ歩くと、なんとなく一日のお勤めを果たしたような気になる。午後をボーッとして過ごす。
11/18(木)、8時に家を出て鍼灸に向かう。10時前にクリニックを出て北浦和駅へ出て、京浜東北線で新橋に向かう。新橋の旧友が先月入院手術を受け、退院したけれども声が出せない。電話をしても奥様を介して、通訳をするように会話をしていた。でも店番には出ていると、別の友人から聞いたので、訪ねたわけだ。まだ来ていなかった。奥様と姪御さんが店番をしていて、様子を話してくれる。月末の27日のseminarには顔を出すというから、そこそこ元気だとみてとる。
新橋から有楽町まで歩いて、やはり旧知の友人Tの個展を観に行く。退職して油絵を学び、ここ15年ほど個展を開いている。毎月1点描いて、12点飾るのが通例であったが、去年はコロナ禍もあって中止、今年を最後にするという。もう描かないのかと聞くと、そうではない。描くのはそれほどでもないが、個展を開くというのは、体力がいるというのだ。そんなものか。80歳を汐に、絵を通した世間との付き合いを切り上げるってワケだ。絵は、色の使い方が俄然明るくなった。彼の描く風景に、だんだん距離を置いた気持ちがこもるようになってきた。遠景にそっと思いを寄せる描き手の心持ちが浮かび上がって伝わってくるように感じる。それが明るくなったということは、ある種の「達観の境地」に到達したということか。結構なことだ。
この日も1万5千歩を超えた。
11/19(金)、カミサンをトラスト地に運び、車をおいて見沼自然公園へ散歩に出る。シロハラが飛ぶ。メジロやシジュウカラが木の実をついばんでいる。コゲラが虫を探しているのであろうか、木の幹をコツコツコツと叩いている。オオハクチョウが5羽、自然公園の池に浮かんでいる。2羽が大人、3羽がグレーがかった幼鳥。ご一家さまであろう。今秋の初見。1時間ほど歩いて車に戻り帰宅する。
明日、前橋まで行く準備をいくつかする。ほぼ1万歩歩く。
11/20(土)、早朝、前橋へ向かう。高速に乗ってから、今日が土曜日であることに気づいた。外環道もそうだが、関越道が渋滞している。ふだん土日には外出しない。若い人たちに道を譲るとカッコつけて話すが、渋滞で苛々するのがいやなのだ。ところが半年以上山へ行かなくなり、車にも遠距離乗らなくなっていたから、土日の混雑を忘れていた。考えていたより40分ほど遅れて合流地点に着いた。
関西から来た知人に逢って、午後までの空いた時間に富岡製糸場にでも行こうかということになった。家のカミサンも同道しているから、私はもっぱら運転手に専念できる。
富岡製糸場は、私も初めての訪問。世界遺産になったとかで、ずいぶんと力を入れて整備が進んでいる。日本初の近代工場とあって、開設に力を貸したフランス人の「功績」が浮かび上がる。工女の労働時間、休日や健康、寄宿に気遣う施設設備などが、建設当初の姿を(年々移り変わる者も含めて)残しておこうと、手入れをしている。フランス人が去ってからの労働時間の加重さなどは、「野麦峠」を思い起こさせた。絹の生産が1970年ころまで主力の一端であったというのは、日本の高度経済成長が軽工業から重工業へと移り変わっていく最後の花火のように思えた。また、富岡製糸場の最後の資本の担い手が片倉工業と知って、さいまた市大宮区の片倉跡地の再開発を思い起こして感慨深かった。
知人の付き添ってきた息子の「面接」が終わるまで2時間以上もあるとわかって、お昼を食べることにした。富岡製糸場の近くにある「こんにゃくパーク」へ行くことにした。そういう「名所」を調べるのは、若い人はスマホでさかさかとやる。もちろん私もカミサンも初めてのこと。
入口で長い列に並ぶ。代表者が人数登録をして、チケットをもらう。こんにゃくバイキングの無料券。列の先には、種々のこんにゃく料理が並び、それをトレイに載せてテーブルに座って、頂戴する。もちろん、バイキングだからお腹いっぱい頂いてもかまわない。それが無料なのだ。それがまた、おいしい。デザートも「こんにゃくゼリー」が用意され、それも何種もあって、飽きさせない。お昼がこれでじゃあ悪い。
「無料でいいのかしら」とカミサンは驚いている。むろん、テーブルから出口へ向かう場所には、こんにゃくを使った品々がこれでもかとばかり積み上げられ、目を誘う。安いことはいうまでもない。土産にと知人もカミサンも買い込み、もらった手提げ袋が破れそうになるほどになっていた。「パーク」と名付けるだけあって、子ども連れも若い人たちも、わんさと押し寄せていた。
時間を見計らい、移動中に息子が口にする食べ物も少し手に入れて、待ち合わせ場所へ行く。「面接」が終わった息子は「いや、面接官が優しかったよ」と肩の力が抜けたように母親と話す。ああ、こういう話しを私は息子や娘としなかったなあと振り返る。高崎駅まで送りがてら、車の中での会話を耳にする。ここが受かったら、共通一次試験も受けて、一般受験者がどれほどの実力で合格してくるのか測ってみたいなどと軽口を叩くのも、いい兆候なのだろうか。
その途次に、滑り止めの「合格」が知らされた。良かったねえ(浪人しなくて)と言祝ぐ。母子の安堵が言葉の端々に広がる。持ち本命(のこちら)がダメなら、自宅から通えるところになる。第二本命の受験が明日に控えているから、急ぎ帰るのだが、そこへも弾みがついた。
高崎駅で降ろし、関越に乗って帰ってきた。久しぶりの夜の運転。行楽帰りの車の渋滞は、終わりかけのよう。車はいっぱい走っているが、時速60~100kmで止まることなく進む。家には7時半前に着いた。
山を除けば、ふだんの日々が戻ってきたようであった。