mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

リアルとフェイクのハイブリッド

2021-06-29 14:59:43 | 日記

 カート・アンダーセン『ファンタジーランド』の「第6部 「ファンタジーランド」はどこへ向かうのか?(1980年代から現在、そして未来へ)」を取り上げよう。
 アンダーセンが本書を執筆していた(20年も前)ころの「予感」がトランプ大統領の登場によって証明された。そのことを誇っていい章なのだが、ずいぶんと控えめである。それは、「ファンタジーランド」化がすすむことに同意しかねる思いが、逡巡させているようだ。
 その一つに、気になる事実が記されていた。

 《1990年代国連軍がアメリカを乗っ取るのではないかとの不安が高まり広がったため、例えばインディアナ州運輸局は、高速道路標識の使用年数を管理する方法を変えざるを得なくなった。インディアナの住民たちが、標識裏の色付きの点は、迫りくる国連武装外国人を道案内するための暗号だと信じるようになったからだ。》

 なぜ「気にな」ったのか。ちょうど上記の年代に、日本の高名な哲学者が、自衛隊の1/3を「国連軍」に預けて、国際秩序の維持に貢献するという趣旨の提案をしていたからだ。日本の主権と異なる決定をすることが十分多いと考えられる「国連軍」に自衛隊を預けるという能天気な発想は、上記のアメリカの「幻想」を知っての上だったのだろうか。「国連軍」を編成することになっても、決してアメリカ軍の指揮権を移譲することはしないアメリカの姿勢を知っていれば、「主権」というのがどのような性格とどのような限界をもっているかわかりそうなものである。つまり、高名な日本の哲学者でさえ、「国連軍」にたいしてナイーブなセンスしか持っていない。それをインディアナ州の住民が教えていると思った。
                                            *
 1980~1990年代を通じて、マス・メディアやその後に広まることになったインターネットを通じて、ヒステリーや陰謀論、フュージョン・パラノイアと言われる人たちが出現し、それらの情報が世の中の空気を換えていく。UFO論者がメディアに登場することが多くなり、アレックス・ジョーンズと言われるタレントが「幻想」をまき散らして、アメリカの大衆文化と社会的風潮を動かしてきたことが、トランプ現象に結実していると、読み取れるのである。

 《1970年代以降、実際の陰謀が突如として暴かれるようになったことによって、アメリカ人は過剰反応し、悪いことはすべて何らかの陰謀によって意図された結果だと考えるようになった。皮肉なことに、そのせいでごくまれに存在する現実の陰謀を暴いてつぶすことが難しくなった。ニュースやインターネット・メディアはかつてないほどの陰謀論に溢れ、そのために身動きが取れなくなっている。あらゆる空想のノイズが、たまに現れる信号をかき消す。例えば、先の(2016)アメリカ大統領選挙へのロシア政府の介入だ。それが進行しているときには、ほとんど注意が払われていなかった。2016年の半ばには、多くの突拍子もない憶測の一つに過ぎないと思われていたのだ。》

 ファンタジックな物語が蔓延ることによって、もはや何が「事実」であり、なにが「フェイク」かと吟味することすらばかばかしくなって、あらゆるコトが相対化される。とどのつまり、自分の信じたいことを信じる。自分が信じることしか信じなくなる。それが「ふつうになる」。
 それはトランプという右派だけに起こったことではない。上記にあげたアレックス・ジョーンズは左派の論客として登場してきたが、メディアで重用されているうちに右派も左派もなくなり、フュージョン・パラノイアとして面白がられた人物のようだ。不動産業を営み、かつタレントであったトランプもその一人であったと言える。

 《1990年代以降、タガが外れたアメリカの右派は、タガが外れた左派よりもはるかに大きくなり、つよい影響力を持つようになった。それに加えて右派は、かつてない権力を握っている。大人でしらふの左派が、仲間たちとつながりをそれなりに保っているのに対して、地に足の着いた右派は、空想に耽りがちな熱狂的信者をコントロールできなくなった。これはなぜなのか?》

 末尾の自問は、「宗教、共和党を夢想家が乗っ取った」という同義反復的「事実」を提示して終わっている。

 《進化論を信じている共和党員は…2008年に3/4だったのが、2012年には1/3を占めるようになり、「2012年(には)ジェブ・ブッシュ一人だけだった」》
 《「共和党員の2/3がキリスト教を国家宗教にすることを支持する」「アメリカ人の大多数がアメリカはすでにキリスト教国家として成立している」と信じている》

 と、キリスト教国家・アメリカの誕生をみている。
 もちろん、いかなる宗教にも加担してはいけないと記された連邦憲法を掲げておいて、ファンタジックに進行する現実を(あきれ顔ではないかとおもえるように)書き留めている。イスラム原理主義と対比して言えば、(世俗イスラム主義に傾く)エルドアンの統治する「トルコに近いか」と、宗教と国家の関係を位置づけている。
 それと同時に、「無神論」者としての自分自身を俎上に上げ、国民の2割程度を占めると書き留めているが、それに関して、私が抱いた疑問を一つ上げておく。
 というのは、アンダーセンは、無神論を不可知論と同列において、神の存在を認めるかどうかがモンダイとしながら、自然に対する敬意とか畏怖の念とかを別物として扱っている。えっ、と思った。私も、無神論者だと言われても、だからどうってことを感じないものではあるが、自然に対する敬意とか畏怖という心情が、実は「(八百万の神に対する)信仰心」なのではないかと考えてきたからだ。アンダーセンは(たぶん)それは宗教ではない(アニミズムだ)というのかもしれないが、いくら原始的とはいえ、神道や仏教の信じる「神々」というのは、自然信仰そのものである。日本人は無宗教と言われては(無神論者の)私も、ちょっと違うんじゃないのと、彼の宗教観の狭さに戸惑いを覚える。自然観ではアンダーセンに共感するが、それって、「信仰心=宗教心のベース」と認めないと、次のドーキンスのような発言になってしまうと思うのだ。
 もう一つ、リチャード・ドーキンスとJ・トールキンの「幻想」をめぐる所感の違いがとりあげられていることに触れよう。
 ドーキンスは、「子どもにおとぎ話を読んで聞かせるのは、自然を越えたものがあるという世界観を植えつける」と批判する。対してトールキンは、《「幻想は」人間の自然な活動です。理性を破壊することはなく、侮辱するものでもない。……理性が鋭く明確であればあるほど、良質な幻想が生まれる》と力説する。
 ドーキンスの主張は、物理的外部自然が屹立し、「幻想世界」という人の思念・妄想の世界は、それを超越する存在とみなしているようだ。果たしてそうか。思念・想念・妄念もヒトのクセとみてとれば、自然存在の在り様にほかならない。むしろ、それを超越的とみなす前提には唯一神的創世論が置かれていて、人間の優越主義的な自然観にとらわれている。トールキンの「良質な幻想が生まれる」という言いぶりには、また、贔屓の引き倒しのような偏りを感じるが、まだトールキンの「幻想」に流れる自然観のほうが、わが身に近しいと感じる。

 ともあれアメリカは、ファンタジーな物語りに取り囲まれて、社会全体が変わってしまっているようだ。ゲームやドラマ、映画などはファンタジーばかりだ。そこへバーチャル・リアリティがインターネットと共にやってきた。コロナ禍では、リモート会議、テレ・ワークも広がり、現実の仕事なのかバーチャルなのか、仕事の中身によっては、わからなくなる。
 それとともに私が心配するのは、こうしたものが満ち溢れた社会に育つ子どもたちは、どこからどこまでが現実で、どこからがヒトの幻想の世界かを見極められなくなるんじゃないかということ。孫が「サバイバルゲーム」に夢中になっていたころ、ばあちゃんは、銃を扱い人を殺すことに熱中する孫の振る舞い(の暴力性)を心配していた。それはひょっとすると、アンダーセンが描く、アメリカの「ミルシム・イベント」に延長上に起きた事件を想定していたろうか。
 アメリカでは、塗料付き弾丸を込めたエアソフトガンで撃ち合うゲームにはじまり、「ミルシム・イベント」へと発展してきたという。「ミリタリー・シミュレーション・イベント」のことだ。
 ある若い青年、エリック・フレインはペンシルベニア東部の田舎で、ユーゴ内戦の模倣ゲームに興じていたが、その延長上で、本物のAKー47(自動小銃)をもってスナイパーとなり、州の本物の警察官二人を待ち伏せして攻撃、殺害、以後逮捕されるまで、7週間も生き延びたという。「マジすげえ」ゲームだった、と本人が述懐していたそうだが、こうなると、模倣ゲームはもはや現実の関係を飛び越して、現実を幻想世界に引きずり込む事態になっていると思われる。
 その若者の(模倣における)、内心の跳躍が危なっかしい。
 現実はすでに、ものがたりと混在しはじめ、どちらが先か、もはやわからなくなりはじめた。ディズニー化するアメリカと前回指摘した。ディズニーは、フロリダにディズニー・セレブレーション地区を設けて、不動産開発もしている。そこはディズニーランドと現実のハイブリッドであり、ディズニーセレブレーションに住むことを念願として親子で移住してくる人たちが絶えない。設えられた物語世界を現実のものとして人生を築く人たちは、それを見に来る人たちとの相乗作用もあって、夢から覚めることはない。すっかりファンタジーランドの住人と化している。私たちの孫の世代が、現実を取り違えて、そのような世界に生きることを望むようになるんじゃないかと、私は心配する。
 あるTV番組の中、小さな(幼稚園年中組の?)子どもが「将来何になりたい?」とインタビュアーに聞かれたとき、「***」と応えて、何を言ったのだかわからなかったことがあった。ハリーポッターに登場するキャラクターの一人だと解説があり、知らない世界が広がっていることを実感した。子どものことと言えばそれで済む話ではあるが、大きくなり、ディズニーランドが現実社会になっていたとき、大人が口を挟む余地はあるのだろうか。
 トランプの嘘について、次のようなコメントがついていた。
 事実検証組織・ポリティファクトがトランプの400の発言を検証したところ、50%が完全な間違い、20%がほぼ誤りだった。一日平均4つの「誤解を招く主張」を発信していた。そして「公然とした嘘でも、聞くものからすると、あらゆることを疑うという価値相対主義を身につける。」
 それは、ファンタージランドを一層強固にさせ、目覚める端緒がみつからなくなると、アンダーセンは結論的に言及する。リアルとフェイクのハイブリッドが世に満ち満ちる。情報化社会の故なのだろうか。