mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

昭和16年の敗戦、令和3年の敗戦

2021-06-14 05:13:05 | 日記
 
大胆に試みる内発性

 昨日のニュースで驚かされたのは、アメリカワシントン州シアトルの「自治区」の誕生。デモ隊が警察署などを占拠、「警察なしでもやっていける」と一帯を「自治区」と宣言したという。シアトル......
 

変わらないなあと、思う。一年前に「自治意識の内発性」と書いた。そのとき、コロナによる外圧に拠らなければ「自治意識」は生まれないのかと記したが、それどころか、コロナによる外圧があってもなお、IOCという外圧にというか、一度引き受けたことは成り行きに流されるように、「しかるべく」運ぶしかないという姿勢は、猪瀬直樹の「昭和16年の敗戦」を思い出させる。太平洋戦争に突入する前の昭和16年の夏、実は日本政府は、軍部も含めて、「もしアメリカと戦かわば、どうなる」というシミュレーションを行っていたという。閣僚も含め、各部署の(若手をふくめて)主だった者たちが立ち会ったその結果、「敗戦」が必至となった。そのとき東条英機が「極秘」としたうえで、4カ月足らずのうちに戦争に突入していったというのである。

今の日本政府の振る舞いは、まさにその通りである。いや、「極秘」とする手立てもなく、文字通り醜態をさらして、「しかるべく」成り行き任せにして突入していく姿を、日々みせている。参ったねえ。「令和3年の敗戦」というのを、猪瀬さんはまた、書いてくれるのかねえ。そう言えば、猪瀬さんが都知事の時じゃなかったのかな。五輪が東京に決まったのは。

アメリカとの、この違い。トランプ政権へと一旦とことんぶれながら、ふたたび再生していくバイデンのアメリカってところが、やはり「自治意識の内発性」においては、数段の蓄積を感じさせる。