mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

仙丈岳――四周の眺望は絶品だった

2018-07-28 12:46:50 | 日記
 
 甲斐駒ヶ岳の登りでkwmさんの不調が高山病のせいではないかと考えた私は、仙丈岳の登山ルートを、当初計画から逆のコースに変更したほうが良いかもしれないと思っていた。それに一日目の下山でkwrさんもすっかりくたびれていた。仙丈小屋へ回り込むルートの方が(早く)山頂を眺めることができる。そこから引き返しても仙丈岳を観たことには違いないと。ところが第二回の夕食のときに仙丈小屋の支配人が「おすすめ」として、当初のkwmさんが策定したルートを紹介しているのを耳にした。第一回目の夕食のときは、酔っ払いの話し声が絶えず、支配人も説明を省略してしまったのだろう。寝床で聞きながら隣のkwrさんに「おすすめ」にしたがおうかと声をかける。そうそう、もう一つあった。支配人が「甲斐駒ヶ岳へ行く方はコースタイムより2時間くらい余計に、10時間ほどかかるとみておいた方がいい」とコメントしていた。これはkwrさんに効いた。甲斐駒ケ岳の全行程を今日は8時間10分で歩いていたから、なんだそれなら(俺たちのペースは)結構いけるではないか。7時間10分かかる仙丈岳のコースタイムを歩けるだろうかと心配していたのがウソのように思えたにちがいない。
 
 第三日目早朝、食事は3時半から。3時過ぎると早い人たちがごそごそと動き、目も覚める。kwmさんも昨夜は導入剤を服んで酔っ払いたちのはしゃぐのも知らずに寝入ったらしい。睡眠は十分。kwrさんも筋肉痛などと言っていない。ヘッドランプが要らない時間になったら歩きはじめようと4時半に出発する。樹林の中の道は、しかし、よく踏まれていて安定している。甲斐駒ケ岳の道と比べると、体のバランスがとりやすく、はるかに楽に歩ける。背中の方がだんだん明るくなる。「仙水峠の方だね」と、昨朝の日の出を思い出して話す。昇る朝陽と反対側の西の空が、樹林越しに赤っぽい。霧が出ているのか薄雲が張っているのか。一合目、二合目、三合目とおおよそ標高百メートルごとに標識がある。四合目のところで中学生だろうか、十数人の集団が休んでいる。朝3時ころにキャンプ場を出発したという。ちょっと時間がかかりすぎている。きゃあきゃあとはしゃぐ子たちもいる。みると、ジャンパーを羽織って座り込んでいるのもいる。「寒いのかい?」と声をかける。傍らの子がうんうんとうなずく。高度は2400メートルほどだから高山病が出てきてもおかしくない。頭が痛いとか寒いというのは高度障害の初期症状だ。そう声をかけていると指導者らしい大人が何人かいるのが分かった。目で挨拶をして上へ向かう。中学生というのは、キャンプなどで眠らないではしゃぐ。これが登山には最大の障害になる。たいへんだな指導者は、と思う。
 
 マルバダケブキが群落をつくっている。オトギリソウやソバナが花をつけている。1時間半で五合目に着いた。kwrさんはもう30分かかるとみていたのか「なんだか儲かったような気がする」と顔を崩す。ここから直登して、小仙丈岳を目指す。後ろを振り返ると、樹林の間から甲薬師岳の斐駒ヶ岳が黒々と見える。その向こうに八ヶ岳の鋭鋒が雲の上に浮かんでいる。東へ目をやると、地蔵岳のオベリスクが際立ち、観音岳や薬師岳の鳳凰三山がスカイラインをつくる。針葉樹の木立と枝葉が視界を区切って絵のように思える。そしてすぐ近くに、北岳がまるで少し平たい槍ヶ岳のように尖って背を伸ばしている。「いや、いいねえ」と嘆声をあげながら、急斜面を軽快に登る。西が見えるところにくると、槍ヶ岳から大キレット、穂高岳の峰々が雪をつけて雲の向こうに浮かぶ。
 
 ハイマツ帯に来ると一挙に視界が開ける。あっ富士山と誰かが声を上げる。北岳の北側に連なる小太郎尾根から乗り出すように富士山が雲を下の方にまとって紫に霞んで姿を見せている。北岳と間の岳も一緒に視界に収まり、「1,2,3の峰が並んだね」とシャッターを押す。ウサギギク、ハクサンフウロ、ミヤマキンポウゲだろうかシナノキンバイだろうか。アキノキリンソウらしき黄花、ミソガワソウだろうか、青紫の花も道辺に顔を出す。すっかり稜線部に出る。風が気持ちいい。小仙丈岳が丸く大きい山頂部を正面に据える。振り返ると八ヶ岳が、赤岳から蓼科山まで雲から突き出て一望できる。西をみると、木曾駒ケ岳を真ん中に南へ空木岳までが並ぶ。木曽駒の向こうには御嶽山が噴煙を吐いた部分を白っぽく光らせて平らで大きな山頂部の単独峰を誇示している。さらにその右、北の方には乗鞍岳が横たわり、先ほども見た穂高や槍の稜線へと雲上のパノラマをみせる。「あれ、白馬じゃない?」とkwrさん。そうだ、南峰と北峰の特徴ある鹿島槍ヶ岳、その向こうに五竜、唐松と白馬への稜線が連なる。そこへ行く手前の遠方に雪をかぶって鋭鋒をみせるのは剣岳ではないか。何とも贅沢な、中央アルプス、北アルプスの展望台であることよ。
 
 小仙丈岳の山頂は、まさに360度の眺望台。だが、富士山が雲に隠れ始めている。宿の支配人が「おすすめ」といった理由が分かる。いま7時過ぎ。山の朝は早い。みるみる雲が山に掛かり、眺望は悪くなる。上りをおすすめしたのはこれだったと得心する。小仙丈岳には後から登ってきた人たちも一息入れ、眺望を楽しみ、賑わっている。あとから登ってきた一団、「中学生?」と声をかけると「高校生も一人いるよ」と応える。中高一貫校の中学生中心の登山部らしい。四合目で出逢った中学生と違い、4時ころ出発してここに到着している。コースタイムで頑張っているんだ。顧問らしい女性を交えた大人がついている。「君たちの6倍くらい生きてるからね」というと、72歳だとすぐに計算する。「いいねえ若いってのは。若返りたいんじゃない、あなたも」と(やはり中高一貫校で中学生登山部であったことのある)kwrさんに声をかけると、「いやもういいよ、おれは。人生は一回でたくさん」と笑う。
 
 ここからの稜線歩きは、仙丈岳の大きな山稜と東側カールを目に収めながら、200メートルほどの標高差を上り詰める。眺望は言うまでもない。穂になったチングルマの群落もある。岩場を降りも仙丈岳全体の視界の中に、清々しい。イワギキョウだろうか、岩を割るように、その合間から顔を出し、咲き連なっている。仙丈岳の稜線部に来て西側に回り込むと、西側のカールと仙丈岳の山頂部が見事に見える。たくさんの人が集まっている。ハイマツに覆われた山稜部と山体は大きくまあるく美しい。なるほど南アルプスの女王と呼ばれるだけのことはある。今回参加を予定していながら、mrさんとmsさんが、体調損傷で断念せざるを得なかった。彼女たちは「南アルプスの女王だから(上りたい)」と言っていた。東側に屹立する白根三山(北岳、間の岳、農鳥岳)を雄とすれば、対するにこちらは女王であると誇っているようだ。それくらい仙丈岳はド~ンと構えて独立峰のように壮大である。西側カールの仙丈小屋も馬の背ヒュッテも一望のもと。足元にはウスユキソウ(エーデルワイス)、ミヤマダンコンソウ、ミヤマツメクサ、富士山で見かけたオンタデも赤っぽい花をつけている。イブキジャコウソウの群落が彩を添える。この稜線歩きは、それだけで気分が良くなるほど、見事なルートだ。
 
 8時40分、まさにコースタイムで仙丈岳の山頂にやってきた。風が強い。汗ばむ身体が心地よく冷える。電話が通じるのかケイタイで「いま、山頂。すっごくいい。おまえも登れるよ」と奥さんと話している人の声が弾んでいる。雲が出てきて、遠方の眺望はあまりよくなくなってきた。私たちが歩いて来た稜線を下山している一団が、スカイラインを画してとても清々しい。こちらのルートで良かった。途中私たちを追い越していった70歳の夫婦が小屋の方から上がってきた。彼らはまた小屋へ戻り馬の背ヒュッテ経由にするという。結局彼らは、稜線上の醍醐味を味合わないままになると思った。仙丈小屋へは標高差250メートルほどをカールの縁に沿うように降る。けっこうな急斜面だが、kwrさんの歩きは軽い。
 
 仙丈小屋の前にはテーブル付きのベンチがある。ここでお昼。9時10分。お弁当を開く。卵焼きや鮭に鳥そぼろをご飯にまぶしている。リュックの中で傾いていたから、弁当パックの中身が偏って崩れている。「量がちょうどいいよ」とkwrさんはうれしそうだ。kwmさんも全部食べた。昨日のような症状はまったく出ていない。そこへ、昨日甲斐駒ヶ岳でであった福岡から来たという単独行の年配者に出逢った。彼は昨夜大平山荘に泊まり、そちらから登ってきて、今日ここへ泊るという。たぶん私たちと同じ年齢だろうが、元気そのものだ。私たちが出ようとしたところへ、小仙丈岳で追いついてきた中学生の一団がやってきた。「72歳?」と計算した中学生と目が合い、手を振って別れを告げる。
 
 20分ほどの昼食タイムののち、出発。すぐにお花畑に出逢う。ヨツバシオガマの花が艶やかだ。バイケイソウが緑の花をつけマルハナバチが飛び交っている。カラマツソウが楚々として綺麗だ。ハイマツの稜線上は、しかし風も通らず、お花畑が広がる。遠景はすっかり雲に隠れはじめた。槍ヶ岳が少し見える。振り返ると、仙丈小屋が仙丈岳を背にしてカールの中央に居座っているように見える。だんだんハイマツの背が高くなる。目の高さにハイマツの実が青くなっている。その実がいくつも、落ちて齧られている。と、ぎゃあ、ぎゃあとしわがれた声がする。ホシガラスだ。kwmさんは目がいい。すぐに見つけて「ほらっ、そこよ」とstさんに教えている。「えっ、えっ、わからない」と首を振る。ついに見つける。「うわあ、うれしい、みたみた」と声が上がる。ハイマツの実はホシガラスが齧ったものだ。何羽もいるようで、あちらこちらで響きのよくない声がする。
 
 登山道に沿うように「植生保護柵」が設けられている。シカに食われてこんなになったと、「1995年の馬の背の状況」を写した写真をつけている。国立公園だから環境省の事業だろうか。保護育成に努めている。こちらのルートを選んでよかったとお花畑をみて思ったが、かつてを知る人からすると、こんなものではなかったんだよと言いたいようだ。沢を三つも四つも横切って、五合目への道をたどる。面白い変化に富んだルートだ。ひとつの沢の上部には、まだ溶けやらぬ雪渓が残っていた。今年は水が不足するほど妥当が、雪は少なかったのだろうか。向こうからやってくる人も多くなった。この人たちは馬背のヒュッテに泊まるか仙丈小屋まで上るかするのだろう。
 
 トリカブトが青紫の花をつけている。クロクモソウが星形の赤い花をたくさんつけて勢いがいい。五合目で上りの道と合流した。仙丈岳の山頂付近ですれ違った若い女性二人がお弁当を食べている。彼女たちは馬背のヒュッテに止まって、私たちと逆回りにここにきている。言葉を交わす。11時前だ。時計を見たkwrさんは、なんだそうすると、1時半のバスに間に合うではないかという。当初の計画では16時のバスに間に合うように下山となっていた。だからここまでの途中でも、急ぐことはないよ、ゆっくり行きましょうと行っていたのだ。いつもなら6時間を過ぎたあたりから歩行速度が落ちるkwrさんが今日は快調だ。彼は目標ができるとそれに合わせてついつい頑張ってしまう「癖」がある。いやそれが彼の人生をつくってきたのだと、経歴を知る私にはわかる。
 
 五合目を過ぎてからkwrさんの歩きがコースタイムより早くなった。すぐ後ろから中高年女性を率いるグループがの声が聞こえる。kwrさんは(この人たちに追い越されるわけにはいかない)と思ったようだ。やがて彼女たちの声は聞こえなくなり、前を歩く一団の姿が見えるようになる。四合目の標識は、今朝気分の悪くなった中学生がしゃがんでいたところだ。あの子たちはどうしたろうか。三合目はすっかり樹林の中。上るときは意識しなかったが、けっこう起伏の大きい踏路だった。二合目でキャンプ場へ行く道と分かれそうだ。る。stさんが「人は右へ行こうとするクセがある」といっていたら、kwrさんも右への道へ踏み込もうとする。違うよ左側から来たんだよと声をかけるが、朝の上りのときと印象が全く違うという。一合目を過ぎてルートが広くなる。一人座り込んで何かを操作している。「鳥の声を録音しているみたい」と誰かが言い、声を潜めて通り過ぎる。ちょうど登山口近くに来たとき、その人が追いついてきた。「鳥の声を禄んしてたんですか」ときくと、「いやそうじゃない。上ってくる人の目線を録っていた」という。山梨のTV局のスタッフらしい。いつも山歩きの絵は尻を録ることになってしまうのを違った視線で見直しているそうだ。着いたぞ! とkwrさんの声が上がる。12時15分。出発してから7時間45分の行動時間。後ろから来た山梨TVが「申し訳ないが、これから登る格好をとらせてもらえないか」と聞く。やろやろと応えて、kwmさんを先頭に登り口へ少し入る。山梨だけで放送されるそうだ。
 
 バスが出るまでに時間がある。こもれび山荘の生ビールで乾杯し、吾一ワインを付け加えて気分よく広河原行のバスに乗る。仙丈岳で一緒になった人たちも乗っている。黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳に登ってテントに泊まり、栗沢山を経て北沢峠へ下ってきた30歳代の女性単独行者もいた。こんな強い人がいるんだ。広河原で乗り換えて甲府へ向かう。3時ころ甲府に着く。kwrさんが「こんなにあったかい」とぼやいていると傍らを歩いていた母子が笑う。「山の帰りですか」と聞く。「ハイ、甲斐駒と仙丈岳に登ってきました」と応じる声に張りがある。駅前のほうとう屋で食事をして、またビールで下山祝い。特急あずさの座席に座り込むとすぐに寝入ってしまった。立川の近かったこと。こうして無事に帰宅。すぐそこに台風が来ているという。なんとも幸運に恵まれた山であった。