mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

遠出の準備

2018-07-01 20:03:58 | 日記
 
 明日から5日間、北海道へ行ってくる。私の主宰する山の会の月例登山で「利尻岳と礼文島」を企画した。羽田から飛んで利尻岳に登り礼文島に渡って花の礼文岳を訪れる。航空券や宿の手配はもう何カ月も前にしているから、そちらの方は時刻通りに空港に行くことからはじまる。だが、じつは、利尻岳のどこからどう登るかは、一般の百名山の案内書の通りだと考えていた。
 
 それによると、利尻島の北側、鴛泊から歩き始め、北麓野営場を経て登山道に入るコース。つまり、標高1700メートルを上り下るという往復のルート。この山のむつかしさに頭を抱えていたわけだ。じっさいの山行記録を読むと、夜中の一時半ころ出発して12時間の掛けて登って来たというご夫婦の話が載っている。それで、山の会の何人かはビビった。では、山中で一泊するか。そうなると寝袋や湯沸かしの用具が必要になる。ある登山専門店でその話をすると、若いときに登った店員が「あそこの避難小屋は汚い。頑張って日帰りにしたほうが良い」とアドバイスしてくれた。
 
 ところが国土地理院の地図を見てどう登るか算段していたら、沓形からの林道を詰めれば標高400mの五合目からスタートできるではないか。しかも、あるガイドブックをみると、全行程が6時間40分ほど。どういうことだ、これは。しかも登りの標高差が1300メートルほど。何だこれなら、富士山より楽じゃないか。そう思って、利尻へ向かいながら、皆さんと相談することにした。
 
 1週間前の利尻の天気予報は「曇り」であった。降水量は0mm、降水確率は20%。ところがだんだん悪くなる。降水確率は40%になった。そこへ昨日、関東地方の梅雨明け宣言があった。太平洋高気圧が関東を覆い、梅雨前線が北へ押し上げられた。そうしてなんと、梅雨のない北海道がすっかり梅雨のように変わった。加えて台風が発生し、かなり速い速度で日本海を通り抜け、北海道へ向かっているという。利尻岳は何とか登れそうだが、4日に礼文島へ渡れるかどうかわからなくなった。
 
 そんなわけで、明日から北海道へ向かう。今日、団地の7月定例理事会が行われ、万端必要なことは決定した。あとはすっかり副理事長に任せ、皆さんよろしくと挨拶をしてきた。私が山に行くことは理事長就任のときに話し、すっかり承知してもらっているから、なんの遠慮もない。
 
 このブログも、一週間お休みする。皆さん、ごきげんよう。

「繁栄」が一致しない

2018-07-01 07:01:39 | 日記
 
 昨日(6/30)の朝日新聞の投書に「子を産んで国栄える 正論では」というのが載っていた。自民党の二階幹事長が「子どもを産まないほうが幸せじゃないかと勝手なことを考えている人がいる」という発言をめぐって非難が起こる中、「政治家が指針とすべき正論であり」憲法の理念にも沿うものだと述べている。投書者は65歳。そうか、「正論」というのがまだまかり通っているのだ。
 
 「産めよ増やせよ」というと、第二次大戦中を想い起して為政者に言われることじゃないよと臍を曲げるのは、戦前生まれ戦後育ちの常。そこですでに、国家と社会の分裂は起こっていた。投書者は「国」と「国家」を一緒くたにしているが、私たちの世代は「くに」は生まれ育った社会のこと、「国家」は権力をもって私たちを統治する「支配システム」と区別している。「支配システム」のいうことを聞いていたら「くに」を滅ぼしかねないことがあると、身体に刻んで生きてきたのだ。じっさい、うちのカミサンは父親が戦死している。その場所もニューギニア東部ということくらいしかわからない。むろん骨もかえっては来ない。それでも「子を産んで国は栄える」は「正論」と親世代は思っていた(かもしれない)。国家と社会はきっちりと結びついていて、選択の余地はなかった。
 
 投書者にとって「くに」と「国家」は分裂していないのであろう。それが幸せどうかは別として、だから「正論」という言葉が自然に出てきて、二階幹事長を批判する野党の党首に「では間違いでない家族観、価値観を示してほしい」とつづけている。先日この欄で取り上げた映画『万引き家族』をみて、この映画が示している「家族観」のどこに「正論」という言葉が挟めるか考えて、「正論」を述べてほしいね。社会にさえ見捨てられた人々が身を寄せ合って「疑似家族」を構成しているのを、「システム」と「優しい社会の保護者」たちが、冷徹に切り離し「正論」に押し込めようとしている姿が、しっかりと描き出されている。
 
 「正論」が大手を振るような社会は、庶民にとっては抑圧が強まっている、いやな時代だ。「システム」で抑圧管理しているのなら、そこまでにしてくれ。さらに家庭に踏み込んで、「子どもを産まないのは」などと、余計なお説教をしないでもらいたい。私たちが戦後手に入れた自由というのは、生き方を(社会システムの枠組みの中でしかないが)選択できることであった。その選択さえ「正論」という観念で縛り上げて平然としているのは、「戦争とその余波の時代」を知らないぼんくらかよほど腹に企みをもつ輩に違いない。
 
 いやな時代になった。