mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

遊びの達人(2) 庶民が遊び生きる「手作りの思想」

2016-11-21 10:23:17 | 日記
 
 さて、msokさんの言葉に対する鋭敏さは、彼自身が(いつ知らず)身につけてきたものを自分のことばとして吟味して再獲得すること、と私は受け取った。彼はそれを「自分流の辞典をつくること」と呼んだ。しかし彼の表現活動が、いいだももや谷川俊太郎のように大手出版社から刊行されたわけではない。彼自身の手書きによるガリ版刷り、手刷りの謄写印刷で、あるいは職場の新聞に、あるいは製本して同人雑誌風にプリントして配っていただけ。私はそれを目にして、吃驚していたのである。因みに、彼のガリ版の文字もまた、なかなか味わいがあった。一文字ずつはコキコキと角張っているが、紙面全体としてみると、バランスが取れて手慣れたデザイナーの手にかかったような出来具合の職人仕事。ガリを切り、手刷りの謄写印刷をして、帳合いし、折りたたんで、ホチキスで止めたり、背に糊付けをして製本する。しかもそれで、何百頁ものガリ刷り冊子をつくる。それ自体が彼にとっては遊びであり、彼を取り巻く人たちとの(そういうことをしているという)「かんけい」を言祝ぐ行為に思える。彼にとって時間と空間は、今そこにある現在こそがリアリティをもち、そのリアリティに露出する過去の堆積と(今ここで)それを吟味する彼自身の現在こそが「生きている証」そのものというわけである。「遊びをせむとや生まれけむ」というのは、「遊び暮らす」ことを意味するのではなく、過去の堆積をふくめて今ここの現在に集積されていることを我が一挙手一投足に感じながら、それ自体を堪能する生き方を指している。
 
 やはり医学書院『看護学雑誌』の「本」欄に掲載された彼の手になる「書評/本の紹介」の一文を再掲しよう。
 
*****
◆2 ミニコミ論断章  かぶらはん  (看護学雑誌 1972年3月号)
 
 昨年、ある週刊誌が全国のミニコミの概況とその一覧を掲載したことがあった。私がそれを見て、まず喫驚したのは、そのミニコミと称されるものの量の豊かさ、内容の多彩さ、それをつくる人間のエネルギーの執拗さにであった。そこには、マスコミの圧倒的な情報集中管理体制の隙間に、それこそ無数と思える人間のダイレクトな声のあれやこれやが、決してスマートでも行儀よくでもなく、ごったがえしているのである。
 今私の手元にあるものだけでもかなりの量にのぼる。たとえば「砦」「雑想」「はだかの王様」「週刊月光仮面」「お茶の会」「市民戦線」「文集」……内容も想定も千差万別である。けだし、これらはけっして世の表舞台に登場することもないだろうし、おそらくその必要も自ら感じていないだろうところの、これら有象無象の百花斉放は、それ自体としてはまったくささやかなものではあるが、風俗に収斂されることもなく、マスコミ文化に対するアンチテーゼのあれやこれやとして、果敢に現在的文化状況の一角を食い破らんとしていることは確かなことである。
 たとえば、今ここに『かぶらはん』(鏑畔之会・群馬県甘楽町秋畑991 松井保 気付)という月刊ミニコミ文芸誌がある。私がたまたま手にした号は、第228号という。これはまたミニコミ紙としては途方もなく息の長いもので、創刊からもう20年ほど経っているらしい。
 私としては、この雑誌の内容や作り方に面白くないところもあるし、批判したい箇所もある。けれどもそういった負の側面は、この30ページほどのタイプ刷りのそこここに散在する、この北関東の一農村に生き生活する人々の皺の深くに刻まれた顔や、農作業に節くれだった手を感得することによって消える。
 全体として、なにも大それたところ、威厳ぶったところはない。空っ風の中でしぶとく生き抜いてきたのであろう農民たちの声の断片が、まったく淡々として各頁の字句に表現されている。またそのことは、短歌・俳句や小説、『山村暮鳥論』などとともに『百倉の百姓大一揆始末記』や『コンニャク生産農民に訴える!』などが平然と同居することを派生させる。
 この奇妙なバランス、それはこの雑誌の228号という年輪が獲得せしめたものであろう。実にそこには、文化的に、”すすんだ都市、遅れた農村”などというインチキな規制の構図とは縁もゆかりもない、北関東農民の磊落な軒昂さとしぶとさがあるのではないか。
 『かぶらはん』は、その規約第一条にあるように「規制文化に迎合しない新鮮でたくましい文化の創造」の結晶であり、一地方の民衆による文化遺産である。否、というより”文明”とか”近代”とかに、とにもかくにものみ込まれない生活言語を、己れの日々に定着せしめたその一断面にほかならないと思う。
 私は今ここで、その内容が既成文化に癒着するのしないのを問題にして言っているばかりでなく、むしろ、そういう雑誌をこの長い間つくってきているという行為自体をこそ、ことに評価したいのである。
 20年間も『かぶらはん』という一つの場に集まっている人たち一人ひとりの生活が、それを可能ならしめていることなのだ。何から何まで自分たちの手で作り上げる、要するに手作りの思想、このことこそがマスコミ的近代信仰に対する最大の異端なのである。
 ところで、この『かぶらはん』は伝統もあり、したがって比較的まとまっている方なのだが、他のおおむねのミニコミ紙はもっとバラバラで、ザックバランで、場当たり的で、それでいて逆に生き生きとした色調をもつものが多い。マスコミ言葉のように観念や情感の状況をくっきりと表現する術に欠けるが、それがなぜ悪いと言えようか。ミニコミ言葉は切れ切れで、俗っぽくなく、愚劣で猥雑で、偏屈で意地っ張りであって一向構わないのだ。むしろそれが許され、勝手に大胆に放歌高吟できるところに、人間の生身の肌触りが感ぜられるというものだ。
 そしてまた私たちは、その雑誌が出されるまでの手づくりの過程を、その人の生活過程として己の生活過程と関連づけることによって、いくばくかではあるが精神的交流を獲得し得るのである。そういう意味で、手垢の付着していないミニコミにはあまり興味がない。
 が、だからといって、ミニコミはじっくり読むものではなく、どんどん読みちらしていいものだ。それこそ有象無象の百花繚乱を自由勝手に読みちらしていくことだ。ミニコミとはそういうふうにできている。そして、できることなら自分も自分のミニコミをつくること、それが肝要だ。
 私は十冊の世界文学全集を読むことよりも、一冊のペラペラなミニコミを手刷りで作ることの方が、よほど偉いことだと確信している。与えられた既成文化からはみ出ようという、なんとも言えぬ冒険の快感がどこに待っているであろう。(す)(付:全国のミニコミの閲覧・資料情報等は日本ミニコミセンター=東京都港区新橋5-17-2日金ビル=が便利)
 
*****
 
 長々とお読みくださって感謝する。ほぼここに、彼自身の文章を書き、それをどこかの誰かに伝えんがために、ガリを切り、印刷をし、冊子にして渡していくという「手作りの思想」が、滔々と流れている。そう感じたときに、胸中に浮かぶ一つの想念が私をとらえて離さない。それはそこに、まさに彼自身の人生が立ち現れているのであって、誰にでも通有することとして一般化もできなければ、普遍化もできない。にもかかわらず、その彼の行為は、人類が誕生して以来累々延々と積み重ねてきた「生活行為」(獲物を得、解体して調理し摂取し、後にその滓を排泄し、群れをつくり、まぐわって子孫を残し、その死を踏み越えて営々と命をつなぐ営みを続けてきた)そのものを、文字という文化の領域にもってきて、言葉にし手作り冊子の作業として語りだしたもの、という普遍性を組み込んでいることに気付く。つまり言葉を換えて言えば、言葉とか言語、表現とかインテリジェンス(情報)とか知性とか感性を知識人や芸術家の占有物から解放し、普通の庶民の暮らしの中の「今ここにある文化」として表現し評価していこうというメッセージ、と読み取ることができる。
 
 思えば、彼がこれを書いた数年前が1968年であった。全共闘の学生たちが声をあげ、すでに勤めをもっていた彼や私も、学生らの掲げる「自己否定」や「アカデミズム批判」に気持ちを震わせたことを思い出す。「アカデミズム批判」は、己れの知性や感性が何に「権威」を認めているかへの「批判」であり、じつは自分自身が培ってきた「知性」や「感性」が何者であるかを吟味せよという「自己批判」でもあった。自分がもっている知性や感性の不確かさを目に留めたとき、その(知性や感性が価値あるものとして組み立てられる、己れの持っている文法・文脈構造への)自己批判は「自己否定」にもつながった。簡略に言えば、自分が何に権威を認め、何を「自然なことと」していつ知らず心裡に組み込んで気付かないまま周囲にまき散らしているか。それをひとつひとつ吟味していくには、自らの暮らしそのものを手際よくスムーズに運ぶ心地よさを求めるのというのではできない。手作りを介在させることによって、人との共同作業のぎくしゃくに躓き、己ればかりか周囲の効率の拙さ、要領の悪さにイライラし、言葉の理解や周知が行き届かないことに腹を立てる。そうしたことそのものが、じつは、(人それぞれに)堆積してきた庶民の文化の衝突であることに気づく。そこにおける自らの苛立ちや腹立ちが、じつは、自分の裡面に(無意識のうちに)蓄積してきた「権威」や「価値」(の由来)を吟味する契機である。
 
 こうして「手作りの思想」を持ち込むことによって、心と体に分裂していたもの(知性や感性)が「身ひとつ」に統合されていくことにもつながった。それを彼は、「異議あり!」のグルーピングにおいて見事に仕切っていったのだが、それはまた、次の機会にお話しする。(つづく)