mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

人類の才能の延長

2016-11-07 21:04:31 | 日記
 
 神の領域か人間の領域かが、昨日の本欄のテーマでした。人間の領域のことなのに「宇宙論」というのは、神々の領域に手を伸ばしているような心地がします。その究極の境地に入り込んでいるような、話を読みました。ジーナ・コラータ編『ニューヨークタイムズの数学 数と式にまつわる、110の物語』(WAVE出版、2016年)。「ニューヨークタイムズ」に掲載された数学に関わる話を、七つのテーマに分けて一冊にまとめた本。
 
 面白かったのは、「数学者とその世界」という章。10年前の2006年に、数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞することになった一人、ロシア人数学者、グリゴーリー・ベレルマン(当時40歳)。100年来の難問と言われていて「ポアンカレ予想」の核心部分を解いた功績が評価された。ところがベレルマンは受賞を拒否したのです。それまでにも彼は、数学の賞をいくつも辞退し、プリンストンやオックスフォードなど有名大学からのポストのオファーも断り、ポアンカレ予想を解いたものに提供される100万ドルの賞金にもまったく興味がないというのです。面白いではありませんか。すごい変人か。そう思いますよね。ところが、フィールズ賞の関係者であるポール博士がベレルマン博士の住むサンクトペテルブルクへ出向いて説得したときの「証言」が採録されています。ベレルマン博士は「温かく迎えてくれ、忌憚なく、率直な話をしてくれ」たと。ポール博士の解するところでは、ベレルマン博士の辞退のかたくなな「主な理由は、彼の数学界からの孤立感」であり、「ひいては、数学界のお飾りや象徴のようなものにはなりたくない」とインタビューに答えています。
 
 べレルマンがどのような環境を背景にどう暮らしているのか知りませんが、ポール博士がいう「数学界からの孤立感」というのは、そういう社会関係から隔絶したところにいて「数学」の面白さに身を浸して堪能できるに十分な「数学の魅惑」があることを示しています。つまり、世の中の役に立つとか立たないとかとは次元の異なる領域です。というと、気が付きませんか。昨日、神の領域として取り上げた「神話の世界」と同じで、mdさんが指摘した「独善的」雰囲気が漂います。そういえば、ギリシャのピタゴラスはピタゴラス教団という宗教教団を率いて数学を解いていたのではなかったでしょうか。
 
 ただ数学が「神話の世界」と違うのは、ポアンカレ予想の核心部分を解いたということを何らかの経路を通して公表し、ほかの誰かがそれを検証して、まさにベレルマンが解いたと確認することによって、神話から科学の世界に表出したことです。ベレルマンが公表したというのではなく、彼のノートを何かのきっかけでみた人が「これ、ポアンカレ予想の核心部分を解いたのではないか」と気づいたからというのですから、ますますベレルマン自身の「孤立癖」は、深いものがあるように思います。
 
 もうひとつ面白い話がありました。同じ2006年にフィールズ賞を受賞したUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のテレンス・タオ教授、31歳(当時)。香港生まれ、幼いときにオーストラリアに移住した「天才数学者」。「2歳までに読むことを習得。9歳で大学の数学の授業に出席。20歳で博士号を取得」し「いつも世間の関心と好奇心を集めてき」そうです。面白いと思ったのは、タオの父親、小児科医のビリー・タオ博士です。幼くしてわが子に「才能」があると分かったのですが、数学や物理という学科ばかりに力を入れないで、ほかの子どもたちと才能が変わらないほかの科目も、席を並べて学ばせたのです。その理由に、同じように「数学の才能」で飛びぬけていて12歳で数学の学位を得た「神童」ジェイ・ルイが、ボイシ州立大学を卒業した後、「それっきり数学の世界から消えてしまいました」と述べています。つまり、社会生活を送ることができるように、テレンス・タオの将来に配慮したのですね。「私には、知識というのはピラミッドみたいなものという考えがありました。つまりピラミッドは、裾野が広いからこそ高くできるのです」と、この賢い父親は述べています。まさに、「才能」に目を付けたのではなく、我が子の存在をまるごと育てたのですね。テレンス・タオは受賞したときすでに家庭をもち、子どももいて、ベレルマンと違って社会的孤立に我が身を浸しているのではありませんでした。この話を読んで私は、ホッとしています。そうです、そうであってこそ、芸術家としての天才数学者ではなく、人間としての天才数学者に出逢ったような気がしているのです。奇異で面白いのも面白いのですが、親近感を持って、面白い人生を送っている天才もいるんだと思うことができるのは、人類が豊かになっていることを感じさせて、うれしいと思っています。