mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

武士道って何だ?

2016-11-15 10:49:58 | 日記
 
 清水多吉『武士道の誤解 捏造と歪曲の歴史を斬る』(日本経済新聞出版社、2016年)を読む。この書名を観たとき、そういえば、たいして中身を吟味しないままに使っている言葉って結構あるなと思ったものだ。そして自分の胸に手を当てて考えてみる。私は「武士道」ってどういうふうにつかっていたろう、と。
 
 そうすると私は、「節度をもった誇らしい生き方」という意味で使ってきたと、(出自が武士でもないのに)我が来し方を振り返る。自分が常にどうであったかと、わが(社会)規範と重ね合わせて「武士道」という言葉をつかってきている。つまり、父・商家と母・百姓の出身であった私にとって「模範」とするべき生き方をしてきたのが「武士(道)」だと、子どものころからの読み物や映画、演劇の「さむらい」の姿から受け継いでいると思う。社会階層的に上位であるかどうかよりも、身の修め方、整え方、処し方において範となるべき在り様であった。要は、子どものころから親より受け継いできた規範の総体をイメージしていると思う。
 
 簡略に言葉にすると、清貧質朴、質実剛健、清廉潔白、誠実無比、勤勉実直であるという商人道徳のようなものであった。いまならきっと、「えっ、それが商人道徳なの?」と驚くであろう。商業というのは、「儲けてなんぼ」という自己利益優先ではないか、と考えられているからだ。だが、商人道徳というのは、商取引における「基本姿勢」、つまり土台を意味する。江戸期もそうだが、商人たちの儲け仕事は社会関係の上澄みを泳いでいて生まれてくる話であった。その土台に当たる社会秩序や気風がなくては、安心して先を考え、安定して商いを営むことはできない。町衆のちからは、社会的共同性において発揮された。人々が安心して暮らすことができる社会関係があったからだ。その外側の枠組みを構成していたのが、武士たちがつくっていた公権力的な強制力であった。
 
 そういった考え方もあって、武家の統治能力と統治者である武士のありようが「範となる」と(子ども心に)思ったのであろう。だから、何をもって「節度ある」としてきたか、何を「誇らしい」としてきたかとなると、ずいぶん曖昧なまま。しかし、親世代から受け継ぐ「規範」として身に着けてきた。これをのちに「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」になぞらえて、日本の近代化の土台と考えてきたのであった。
                      
 清水太吉は、武士の誕生から戦中、戦後にかけてまでの「武士道」を、いかにも歴史学者らしく、そしていかにも思想史研究者らしく、文献にあたり、日本に独特の「封建制度」の概念を抑え、さらに江戸期の武家と町民の「武士道」に対する亀裂に目を向け、明治期の「忠節」の移り変わりと教育勅語における井上哲次郎の(先学への)浅薄な理解を指摘し、新渡戸稲造の『武士道』の子細を吟味して、そのずさんさと見事さを切り分け、『葉隠』が出現した時代的経緯をたどった後で、立ち位置による読み取り方の違いをくみ取って、それに対する橋川文三と三島由紀夫の読み取り方を遡上に挙げる。先に私が受け止めた「武士は町民の模範」というとらえ方は、山鹿素行の「サラリーマン士道」に現れ、忠臣蔵を読み取って称揚する町民たちの練り上げた「武士道」によって嘲笑されたと指摘している。面白い。
 
 ひとつ印象的だったこと。会津生まれの清水は子どものころから「武士道」に培われて育ったらしく、彼の体感からすると「武士道」というのは「理不尽に対しては、相手が上級生であろうと、ガキ大将であろうと、また多人数であろうとも戦え!」というものであったとしていることである。私は、そのような精神を、敗戦後の父親の生き方から教わったように思う。これまた、なにを「理不尽」というかがあいまいなままであったり、移り変わったりするのであるが、今振り返ると、その独立不羈の反骨精神こそが、父親の「先の戦争に従軍したことの反省的総括」であった、と思われる。
 
 先に述べた「商人道徳」のようなことに、その独立不羈を加えると、私の「武士道」が出来上がる。とするとこれは、「武士道」というよりも「誇りを持った(庶民の)生き方」の根底をなす規範ではないか。明治生まれの父母が、世の転変を生き抜いて子どもを育て、人生を通して築いてきた「誇りをもった生き方」である。今は時代が変わってしまって、豊かになり、便利になり、手間暇かけずに快適な暮らしが成り立つようになってしまっているから、私たちが子や孫に受け継いでいる「誇りを持った生き方」はずいぶんと変わり果ててしまっている。だが、根底的なそれは、じつはあまり変わらないのではないか。それが、父母から私の受け継いできた「誇りを持った生き方」だと思うのだが、違うだろうか。