mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

生きる悦びも「生苦」である。

2014-07-11 13:57:43 | 日記

 

 5月Seminarで「般若心経」話しを聞いたとき、講師のkさんが「人生は苦じゃ」というのに絡んで尋ねた。

 

 「ホントに生きるのは苦じゃ思うん? 人生は愉しいと思うこともあったんじゃない?」

 

 kさんは「愉しい思うこともあるけど、それもそう思うとるだけ。消えてしまうようなことなんよ」と切って捨てた。「色即是空」の部分である。

 

 つまり、生きるということの喜びもつかの間の幻想、というわけだ。そのとき私は、もしそうなら「苦」も幻想と言い切らないのかなとふと思ったが、他のやり取りが耳に入ってきてすぐに忘れてしまっていた。ある本を読んでいて、その、忘れていたことを思い出した。

 

***「悲しみの知」

 

 宗教人類学者の山形孝夫が初めてゴスペルを聞いたときの衝撃を記している(『黒い海の記憶 いま死者の語りを聞くこと』岩波書店、2013年)。1962年のこと、アメリカ中央部にあるセントルイスの教会での話。

 

 《……思いがけず招かれた黒人の教会で、はじめて黒人だけの、黒人による礼拝に出席し、はじめて黒人の歌うゴスペルを聞いた……旋律はジャズかブルース風。会衆は椅子からたちあがり、ピアノに合わせてタップを踏み、手拍子をとり、寄せ合った肩をゆすりながら歌を歌う。……その中の一人の若い女性が、ほとんど泣きながら歌いあげたゴスペルが私には衝撃的でした。》

 

 として、次のような訳をつけている。

 

  ああ、あの列車がやってくる。
 ああ、あの音だ。屋根のない貨物列車だ。ああ、あの列車だ。
 あの列車で母さんは運ばれていった。
 ああ、同じ列車がまたやってくる。今度は妹が運ばれていく。

 

 奴隷制時代の引き裂かれる黒人家族の物語り。この衝撃を山形は、次のように補助線を引いて考えている。

 

 《このゴスペルに流れているのは、どうしようもない深い「悲しみ」です。奴隷には、戦う術がない。家族のきずなが破壊されていくことに対して、抵抗する術がない。ただ嘆き悲しむだけ悲しみを深めていくしかない。》

 

 そして「教会は悲しみの革袋だ」という。「悲しみ」をどこまでも引き受ける。悲しみから逃れることではなく、その悲しみを深める。その深化の過程を「悲しみの知」としてとらえる。そこに宗教が成立している根拠を見て取っている。

 

***「悲しみ」はなぜ人間存在の探求に向かうのか

 

 この「悲しみの知」というのは何であろうか。「悲しみから逃れることではなく、悲しみを深める」とは、何をどうすることなのだろうか。「悲しみから逃れる」というのは、生起した出来事(とそれによって喚起された私の感情)を忘れることか。だとすると、「日にち薬」とよく言われるように、時が経つことによって「悲しみ」の強烈な感情が薄れ、日々の暮らしの慌ただしさにまぎれて、身からはがれるように忘れ去られていく、そういうことか。

 

 では「悲しみを深める」とはどういうことか。その出来事によってわが身に喚起された悲しみの感情を、対象として見つめることではないか。なぜ私は「悲しむ」のか。その出来事はなぜ、いま、ここの、私に起こってきたことか。忘れることではなく、探求することに踏み出すことだ。

 

 それは、慣習とか制度という社会システムの強制力と己の無力とを覚知することに向かうかもしれない。運命の過酷さに思い至るかもしれない。人生の酷薄さに思いを沈めることにつながるかもしれない。存在することのすべてにかかわる探求に向かうであろう。《その深化の過程を「悲しみの知」》と山形孝夫は規定する。

 

 対象としてとらえようとしはじめたときすでに、「痛烈な感情」は昇華されはじめている。まず、対象とする瞬間に他者の目をもって己を見つめている。ゴスペルソングに託すとき、ともに歌う方々とも、それを聞きとる方々とも感情を共有するという地平で慰められていく。悲しみを表現すること自体が、言葉にせよ旋律にせよ歌唱するときにせよ、我が身を突き放して見てとることを必要とする。自己批評性と私は呼ぶが、己に対する他者の視線を取り入れた認知が「知的」であることの出発点となる。

 

***「喜びの知」はあるのか

 

 では、どうして「喜びの知」とか「快楽の知」とかを同時に浮かび上がらせないのであろうか。

 

 「喜び」も「快感」も、その心地よさを感じている限りは、なぜという疑問に突き当たらない。いま、ここで、私がどうして? と考えるのは、他の人々がそうでないのにという、鏡に照らしている場合である。むろん他の人々が不運でいるのに私はラッキーと悦ぶことはあろう。だが自らの幸運を、どうして? と疑問に思うことはしない。「喜び」や「快感」それ自体は、深い探求に向かわないのだ。

 

 とはいえ、「喜び」のときが過ぎ「快感」が霧消していくと、あれは何であったのかと疑念が生まれることもないわけではない。しばらく時をおいて(夢から醒めたようにして)「喜びの知」も生まれ得るであろう。つまり「喜び」や「快感」のあとに襲ってくる現存在の感覚が「虚しさ」「儚さ」として表出してくるとき、そこに「悲しみの知」と似たような探求の深みへの回路が開かれる。

 

 そこまで達したとき、「生苦」が普遍的となる。「生悦」も「生苦」なのである。そのような苦楽の感官をもって生きるほかない存在が「悲しい」のである。「色即是空、空即是色」は、人間存在を対象化してその限界をみつめたとき、「生老病死」という四苦として「知覚」することに至ると、釈迦牟尼仏は見たのであろう。しかもそれを(とどのつまりは)「幻想」として諦念に導き、その諦念からの離脱を探究する方向に向かったのが、仏道修行と言えるのであろう。