mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

主婦の髪結い政談(5) 隣国の騒乱は我が国に飛び火する

2014-07-22 09:27:08 | 日記

★ 国家の「嘘」を犯人に償わせる

 

 毒ギョーザ事件に関する中国政府の事後説明がないと中西輝政はいうが、中国河北省石家荘市中級人民法院(地裁に相当)は今年1月に無期懲役の判決を下している。中西は「国内でギョーザに毒が混入された形成はない」と最初に発表したことについて「説明がない」といいたいのであろう。謝罪なり、訂正なりが行われてしかるべきだと個人間のやりとりなら詰め寄ることもできようが、国家と国家の間のことだ。中国からすれば、「事件捜査と裁判」の事実経過をみれば訂正せずともわかるではないかくらいに考えているのであろうか。裁判の始まりを報じる朝日新聞は「政治的配慮か」と、公判の速さを読み解いている。

 

 中国の政治体制がそうであるが、彼らは「国民に責任を負う」かたちをとっていない。中国皇帝が人民に「説明責任」を負っていると考えなかったように、いまの中国の行政も立法も司法も、中国共産党に対して責任を負って行われている。中国共産党が政治を指導すると憲法に規定しているが、その責任は、共産党書記・国家主席に対する責任である。つまり、中国の共産党は「間違わない」ことを前提としている。「うん?」どこかの官僚機構も同じような態度をとっていなかったっけ。

 

 毒ギョーザ事件は、日本の被害者に続いて、中国でも被害者が表面化したから捜査をし、犯人をあげた。国内法に照らして「事件処理」をし裁判所が判決を出した。その無期懲役という判決は、被害の程度に比して重いのではないかと言われているそうだ。ということは、中国政府が(日本政府に対して)謝罪するべきことを犯人の量刑の重さに転嫁したと読むこともできる。それを「外交」と呼ぶのだとしたら、転嫁された犯人が哀れに思えてくる。

 

★ 中国の格差、天命革まるを待つ?

 

 同じ『文藝春秋』8月号では、《富阪聰 連続対談「習近平 見えてきた独裁者の正体」》という特集も組んでいる。4人の経済、軍事などの分野の中国研究専門家との対談。その中には、驚くようなことが書かれている。

 

 たとえば、中央、地方の共産党幹部や役人たちに汚職が常態化していることの背景説明。国有企業社員の平均年収は1200万円であるのに対し、外相クラスの年収は300万円、この差を埋めようとして役人の賄賂が横行していると、給料の低い役人に同情的な指摘。別のところで、中国の国有企業の全製造業に占める(生産額の)割合は3、4割ほど、と。とすると、べらぼうに高い給料ではないか。ほんとかいな、とつい眉に唾をつけてしまった。給与水準は日本のおおよそ1/7~1/10と聞く。外相の300万円というのは、納得できる数字だ。それに比し、1200万円という高給を平均年収として国有企業社員が受け取っているとなると、そもそも経営が成り立つのか? いかに高成長であるとはいえ、寄ってたかってしゃぶりつくしているのではないかと思ってしまう。

 

 しかし、そんなべらぼうな話がありうると思われるのは、2008年のリーマンショックの後にとられた景気刺激策。4兆元(51兆円)規模の投資が行われた。それが主として地方政府の目先の経済成長数値の底上げに使われたのだが、ために、住宅バブルが急激に進行して、地方債務の残高が310兆円に及んでいるという報告がある。おいおい大丈夫かと思う。TVも、そのようにして建築された大規模なニュータウンに居住者がおらず、ゴーストタウン化していると映像付きで報道している。

 

 それにしても、その地方政府の資金(地方債)はどこが投資・融資しているのか。国立銀行などの公の融資以外は、シャドー・バンキングだと専門家は語っている。陰の銀行。つまり、賄賂や裏金が吹きだまって大変な規模になっているという。もしこれがバブルのようにはじけたら、中国経済は混沌の中に投げ出される。

 

 他方で、農村戸籍ゆえに社会保障も受けられず都市の貧困層に甘んじている人たちやおおよそ農業を営むと言えないほど荒廃した農村に取り残された人たちは、どのように生きているのであろうか。

 

 中国の人たちが「幇(ほう)」という共同体を構成してその規範を尊重する。逆に、その「幇」の外に対しては、ほとんど仁義も何もないような対応をすると、社会学者の橋爪大三郎と大澤真幸が話している(『おどろきの中国』講談社現代新書、2013年)。三国志の英雄たちもそうした「幇」を為して、武装集団としての軍閥を構成していた。父系同族を「幇」として、その内外を二重基準で取り仕切り、あるいは仁義によって結ばれた職人集団や同業集団や宗教組織も同じく「幇」をなして、その内外を異なった基準で取り仕切るとする。都市からの仕送りと「幇」の支援。それを踏み台にして、国有企業の平均年収がまかなわれていると知ったら、「天の命革まる」ことを期待する声は、一層高くなるに違いない。

 

★ 政権の正統性と日本

 

 いま、中国嫌いのあなたは、「それは面白い」と思うかもしれない。だが、そうではない。中国の騒乱は、「反日暴動」に転嫁する。これまでも中国政府は、そのように仕向けてきた。

 

 そもそも共産党政府が中国を支配する正統性は、その反日闘争に由来している。一時期は「共産主義イデオロギー」が力をもったこともないわけではなかった。だが「文化大革命」など、いくつもの失敗を経るにつれ、共産主義イデオロギーがほとんど力をもたなくなった。また、「開放政策」を採用して「市場経済」を導入したことにより、「反日運動」を主導したという歴史的正統性だけが唯一残ったのである。だから1979年、小平が「開放政策」を採用し、それが効果を発揮しはじめ、その結果、民主化運動が暴発した1989年6月4日以降、「反日教育」が強化された。

 

 「反日暴動」であるかぎり、当局は取り締まれない。だから、政府への憤懣は「反日暴動」として発生する。尖閣をきっかけにした2012年の反日暴動に、毛沢東の肖像画を掲げたデモが登場した。あれは、いうならば「反政府デモ」である。政府の失政に対する憤懣が、あのようなかたちで暴発した。怒りを和らげるために中国政府は、日本に対して強い態度をとらざるを得ない。それに乗じている軍の幹部に対して、習近平政権の抑制が利かなくなっているのではないかという情報もある。

 

 隣国の騒乱が我が国との関係に噴出するとなると、中国の騒乱も、対岸の火事というわけにはいかない。中国の政治体制を好むと好まざるとにかかわらず、中国の政治・社会体制の変容は、穏やかに、緩やかに進行してくれないと、大変なのである。隣国の騒乱は我が国に飛び火する。