公明党は、政権政党へとすりよるだろう、舵を切るだろうとは言われていた。それがいい場合と悪い場合がある。
民主の方向は、基本的には、これしかないという現状にある。日本の今までの、マヤカシを明らかにする意味でも、政権交代の意味があったと思うし、これを継続させるためと、ムチャクチャな自民党の動きを止めるために、公明党の「すりより」傾向は、いいことだと思う。
ただし、公明党には、警戒が必要である。彼らは、常に主流派にいようとする。池田創立者を守ろうとしているのかもしれない。竹入、矢野氏らの処遇をみても、いかに恐ろしい集団であるかを知っておかなければならない。
官僚主導を、政治主導に変えるためには、官僚機構に匹敵する「機構」がなければならない。たとえば、共産党が、政権をとる為には、具体的にどうやっていくかの、計画がなければならないし、現状把握ができていなければならない。官僚組織と同様のシンクタンクなり、力量が必要である。
過去からの経緯、今後の展望、国際的な摩擦に対する方策、現実的な力量が、国民の生活の中で生きていなければならない。単純に、選挙で多数を獲得したというだけでは、すぐに潰されてしまう。国民の間に実際の力量が、蓄えられていなければならない。
強固な土台がなければ、あわてて政権をとっても、混乱を招くだけである。現状派悪、問題点の解決策、実際の力量なくしては、政権をとるべきではないのである。
民主は、今、そのプロセスにある。官僚組織に対抗できるシステムがないところから、スタートしたために、揺さぶりを陰に陽にかけられ続けている。
頭のいい、菅内閣なればこそ、イジワル、目茶苦茶質問にも耐えているが、これは、拷問に等しい。政治家になって欲しくないと思われる資質を、フンダンにもっている自民党議員の体質を明かにし、また、日本のキッタナイ支配構造を、オモテもウラも、明かにして、如何に国民の目に、ふれさせるかである。
対象は、自民党だけではない。マスコミテレビに登場するコメンテーター、新聞、タレント、みんな対象である。その醜い姿を、今こそ、暴く機会である。どこまで、徹底的にやるか、それができなければ、日本の未来はまことに危うい。
その中で、その過程で「良心部分」を明かにしていくのである。
民主の方向は、基本的には、これしかないという現状にある。日本の今までの、マヤカシを明らかにする意味でも、政権交代の意味があったと思うし、これを継続させるためと、ムチャクチャな自民党の動きを止めるために、公明党の「すりより」傾向は、いいことだと思う。
ただし、公明党には、警戒が必要である。彼らは、常に主流派にいようとする。池田創立者を守ろうとしているのかもしれない。竹入、矢野氏らの処遇をみても、いかに恐ろしい集団であるかを知っておかなければならない。
官僚主導を、政治主導に変えるためには、官僚機構に匹敵する「機構」がなければならない。たとえば、共産党が、政権をとる為には、具体的にどうやっていくかの、計画がなければならないし、現状把握ができていなければならない。官僚組織と同様のシンクタンクなり、力量が必要である。
過去からの経緯、今後の展望、国際的な摩擦に対する方策、現実的な力量が、国民の生活の中で生きていなければならない。単純に、選挙で多数を獲得したというだけでは、すぐに潰されてしまう。国民の間に実際の力量が、蓄えられていなければならない。
強固な土台がなければ、あわてて政権をとっても、混乱を招くだけである。現状派悪、問題点の解決策、実際の力量なくしては、政権をとるべきではないのである。
民主は、今、そのプロセスにある。官僚組織に対抗できるシステムがないところから、スタートしたために、揺さぶりを陰に陽にかけられ続けている。
頭のいい、菅内閣なればこそ、イジワル、目茶苦茶質問にも耐えているが、これは、拷問に等しい。政治家になって欲しくないと思われる資質を、フンダンにもっている自民党議員の体質を明かにし、また、日本のキッタナイ支配構造を、オモテもウラも、明かにして、如何に国民の目に、ふれさせるかである。
対象は、自民党だけではない。マスコミテレビに登場するコメンテーター、新聞、タレント、みんな対象である。その醜い姿を、今こそ、暴く機会である。どこまで、徹底的にやるか、それができなければ、日本の未来はまことに危うい。
その中で、その過程で「良心部分」を明かにしていくのである。
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