親の暮らしによりそい、最後までつきあった息子として、家内とともに、やるべきことをしてきた自負がある。だが、弟妹には、その思い、事実は、まったく伝わってはいない。彼らは、そのことを何ら評価しない。こちらが勝手にしたことだ、と思っている。
その後の、経過がその事実を示す。利害関係について、自分たちの利益について、まことに敏感であり、過去の経緯は、まったく考慮の埒外であることを思い知らされる。
こちらが、善意に解釈していたり、見ないようにしていたことは、ことごとく単なる誤解であって、彼らには、こちらのことは利用すべき存在であり、その必要がなくなれば、なんの存在価値もない。かれらの視野には存在しない、存在であったことだ。
そんな事実を、知りながら、いまなお、彼らに、奉仕をしなければならない立場にある。そうこちらが思っていても、それは、もはや、そのこと自体も、彼らにとっては、なんの意味もない。
そもそも、当方は、彼らに頼る気持ちは、さらさらなく、心持ちはできているのだが、やるべきことと、こちらが考えてしまうことが弱点といえば言える。
しかし、当方は死ぬまで、自分がやるべきだと思うことをやる他ない。彼らになんの関係もないことである。