世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ハノイの店初検証

2013年05月23日 | 仕事
なかなかいい店だ。

立地もいい。




   イベントもやっている。




だが、問題は山積する。


要はやり方すべてに課題がある。



蛍光看板を書くスタッフたち。


     出来上がり




客引きをするスタッフ


それをビールを飲みながら見守る。




さて、今日から本格始動となる。

休む暇もない。


スーツケース一個

2013年05月22日 | ライフスタイル
スーツケース一個の人生を送りたい。

旅に出るたびに、そう想う。





物を持つということは、それだけ神経を使うことになる。


車、家、数々の欲望を満たす物、物、物。

税金はかかるし、メンテも必要だし、管理も大変だ。


人は生きていくために、そんなに物を必要としない。

雨露が凌げ、お飯(まんま)にあり付けばいいだけのことだ。


車がなくたって、移動手段は数多とある。

服だって、清潔にしておけば最小限で済む。




旅をするときは、何時だってスーツケース一個で事足りる。


一年以上世界一周をしているときだって、バックパッカーで過ごしてきた。



一所に落ち着くと、知らず知らずのうちにあまりの多くのものを抱え過ぎてしまう。

人とのしがらみだって増えて、まるで見えない鎖に繋がれているようだ。



男は女を(自分の)モノにしようとして張り切る。

そして見事手に入れて、目出度くゴールイン。


ところが蓋を開けてみると、

手に入れたと思っているものから、束縛されていることに気付く。


「うちの女房がうるさくて」、って何度聞かされたことか。


何かを手に入れた瞬間から、別の何かを捨て去らなければならない。

これは宿命と言って良い。



こうして人は柵(しがらみ)の中で生きていくようになる。


ボクは、ぬくぬくと家で飼われている室内犬より

明日をも知れぬ野良犬の人生(犬生)を選ぶ。



欲しいものは何もない。

財産も、地位も、名誉も名声も。


みんな人にくれてやろう。


敢えて言うなら自由だろう。


それさえもある程度手に入れてしまった。

もっと自由を、なんて言ったら怒られそうだ。



一度自由の喜びを知ったものは、麻薬のようにその中毒から逃れることは出来ないものだ。


「フリーダム・シンドローム(自由症候群)」に罹(かか)っている。


旅中毒(travelic poisoning) かもしれない。



ある人がボクに聞いた。

「ずっと旅してて疲れないんですか? 平気なんですか?」


ボクは、Yes と答える。


むしろ一所に留まっていることこそ苦痛なのだ。

旅から旅の流れ者、が性分に合っている。


まるで度さ廻りの三流役者みたいに。




今日もスーツケースひとつで、生きていく。




身軽(relieved)で、気軽(light‐heartedly)で、尻軽(loose)な男。


哀れと思うことなかれ。

むしろ喜びであり、幸せの極致なのだから。

グチポスト

2013年05月21日 | 人生
NPO法人IPAのプレ活動の一環として、このたび


『グチポスト』を開設しました。


lend sympathetic ears to troubled strangers

(関西には「グチバンク」がありますが)


30分500円(コーヒー付)であなたの言いたいことを聞くというシステムです。


NPO法人IPAのメンバーにカウンセラー資格保持者がいることから実現しました。




悩みでも人に言えないことでもなんでも聞きます。

夢を語っていただいても結構です。

そして、その夢がなかなか実現しない。

「なんでだろう、こんなに頑張ってるのに、コノヤロー!」 なんてのもOKです。



基本的に聞くだけですが、ご希望があればカウンセリングも致します。

胸に詰まった、あるいは押し殺していた想いを一気に吐き出してください。


もちろん、守秘義務は貫きます。



具体的にイベントとして近日中に立ち上げます。

また追ってfacebookからお知らせいたします。


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実は、フリートークには以前からなぜか心を病んだお客様が大変多くお見えになります。

ですから、ずいぶん前から同じような活動をしております。


ただ、正式なカウンセラーやまして精神科医でもありませんので

表立って明記していませんでした。


今回、NPOを立ち上げるに際し、

身障者団体様のご協力も得ることが出来るようになりました。


そこで活動内容に、身障者支援事業も織り込むことにしました。

もちろん、日本人のみならず、外国人の方も対象です。


英語を始め、外国語でも愚痴をお聞きします。


そのためにもボクも、マルチリンガルの道を目指して頑張ります。

とりあえず、ベトナム語の習得かな?



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熊本も、ベトナム人が増えています。

彼らとの付き合いも徐々に増してきました。


彼らは英語があまり堪能ではありません。




明日から、2週間ほどベトナムに行きます。

今回は、ハノイの店のベトナム人スタッフとの会話を余儀なくされます。


今まで以上に多くのベトナム人と知り合うことになるでしょう。


良いも悪いも含めて、新たな展開が待っています。

またまた未知の世界へと漕ぎ出すのです。


ワクワクします。


夢や希望は限りなく広がっていきます。


早くNPOを立ち上げなくては。



賛同者、協力者を引き続き募っています。

興味のある方はご一報ください。


もちろん、愚痴もお聞きしますよ。

子供のように Like a Child

2013年05月20日 | 人生
「まるで子供ね」

とよく言われる。


そう言われることを結構気に入っている。


「いい歳こいて」とバカにされても、

褒められていると受け取る体質が自分の中で出来上がっている。


何といっても、打たれ強いもんで。



誰が言ったかは知らないけれど、

「男は大人の顔をした子供

女は子供の顔をした大人」
 とは至言だと思う。



ご存じ、『ピーターパンシンドローム』というものがある。

これは精神障害である。


ピーターパン症候群(Peter Pan syndrome)は、


現実の自分の能力や状況、環境を受け容れられずに

どこかにもっと素晴らしい理想的な場所・幸福があるはずだと思い込み、

いつまでも自己アイデンティティを確立できない

『青い鳥症候群』と似た部分がある「不適応状態」(Stress-related disease)なのである。



『ピーターパン症候群』の最大の特徴は、


苦労・努力・責任を伴う現実社会や職業活動(経済活動)などに興味・意欲が持てなくなり、

大人として見られる年代になっても精神状態が退行して、

自分のやりたいことや楽しいこと、責任を伴わないことにしか取り組むことができないという事にある。



永遠に子どものままで『好きなこと・楽しいこと・優しく守ってくれる人』に包まれていたいという『ピーターパン症候群』では、

精神発達の停滞や現実への不適応観、責任を果たせない自己不全感などの症状が出てきやすく、

『大人としての責任・自立のための経済活動』に直面すると強いストレスを感じて

パニック発作・抑うつ感などの心身症状が出やすくなる。



『大人になりたくない・職業活動をしたくない・社会的責任を取りたくない』という『ピーターパン症候群』は、


現実社会の価値観・構造の変化が急速になっていて適応が難しくなっていること、

楽しいことばかりの娯楽的な消費社会において生産活動(仕事)のストレスだけが突出して強まっていること、

モラトリアム(進路選択に迷う猶予期間)を容認する親・社会風潮があることなどが影響していると考えられる。



楽しいことだけをしてやりたくないことはやらないままで済ませたいという

幼児性や甘え、依存心が『ピーターパン症候群』の根底にあるが、


自分がやるべき本業(仕事)への関心・意欲だけが阻害されるという意味では、

ニートの心理・自己評価とも関係する『アパシー(apathy)シンドローム(退却神経症)』の要素も持っている。




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残念ながら(?)ボクノ場合はそうではない。


どちらかといえば、

『コナンシンドローム』かもしれない。


「見た目は子供、頭脳は大人」なんてね。



あるいは、『ディズニーランド・シンドローム』かも。


つまり、ディズニーランドの世界のように、

冒険や感動、華やかさ、面白さに溢れた世界で

何の不安や悩み、ストレスもなく生きていきたいという理想が内面にある。



だが、現実社会では

そういった幻想や依存性を抱えたままでは生きていくことが難しいという現実原則もある。


それにもかかわらず、敢えてその理想を追求していく生き方をする。


だから、行くとこ行くとこでトラブルを引き起こすのかもしれない。


子供は誰しもトラブルメーカーなのだ。




精神分析のリビドー発達過程において、『快感原則』から『現実原則』への転換が起こるように、


“幼児的な全能感・魔術的な思考(他人を操作して何でもして貰えるという幼児的な願望)”が去勢されることによって、

人は自分の人生を自分で切り開いていくという「自立心・責任感」が芽生える。(wikipediaより)



その辺はしっかり押さえておきたいものである。




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マドンナの歌に♪Like a virgin♪があるが、


♪Like a virgin(まるでヴァージンのようね)

Touched for the very first time(初めて触られた時みたい)♪


のように、Like a child

have [be trying] experience for the first time


はじめて経験するように、

何事にも好奇心(curiosity)にあふれているのだ。


何でもやってみたくなる。

まるで子供のように。



そう「まるで子供ね」 といわれるとボクはすぐにとろけてしまうのだ。






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以下、wikipediaから抜粋しておく。

関心と時間なる人は読んでね。



「ピーターパン」は人間的に未熟でナルシズムに走る傾向を持っており、

『自己中心的』・『無責任』・『反抗的』・『依存的』・『怒り易い』・『ずる賢い』というまさに子供同等の水準に意識が停滞してしまう大人を指す。

ゆえにその人物の価値観は「大人」の見識が支配する世間一般の常識や法律を蔑ろにしてしまうこともあり、

社会生活への適応は困難になり易く必然的に孤立してしまうことが多い。


また「ピーターパン」は年齢的には大人の男性である「少年」で、

母親に甘えている時や甘えたいと欲している時に、母性の必要を演じる傾向も持ち合わせている。

(所謂幼児回帰の要素も含んでいる)



ピーターパン症候群患者の心理学的なアプローチとしては、言動が「子供っぽい」という代表的な特徴をはじめ、

精神的・社会的・性的な部分にリンクして問題を引き起こし易いという事が挙げられている。


過去に解析されてきた事象のほとんどでその症状に陥ったと思われる人物が「男性」であるという点も

この症候群が男性にのみ訪れるという特色を示している。

思い通りの人生

2013年05月19日 | 人生
人生が思い通りに行けばこんな楽しいことはない。

だが、ほとんどの人はなかなか思い通りにいかない事の方が多いのではないだろうか。

ボク自身、思い通りに入っていない。

だから、時に落ち込む。


だが、立ち直りは早い。

それは、一旦落ち込んだ後、考え方を切り替えるからだ。



何故思い通りにならないのか。


それは、思い通りにいかない方が、その人(自分)の人生にとってよりいいからなのだ。


思い通りに行けばより良い人生が送れると思うのは、エゴであり錯覚にすぎない。



思い通りに言っていないと思っても、今起きている状態が最適なのだ。

それがたとえどんなに悲惨な状態であっても、なのだ。


だからといって、甘んじてはいけない。

最適ではあっても、最高ではないのだ。


だからさらに思い通りになるよう努力すべきなのだ。

最適から最高に近づけるべく日夜精進すべきなのだ。



人生が思い通りに進んでいる(と思う)ときは、どうしても傲慢に成り甘さが露呈する。

そこに隙ができ思わぬ落とし穴が待っている。

それが失敗への方程式なのだ。




思うとおりにいかず、いらいらすることはよくあることだ。


このイライラの気持ちの持っていきどころで人生は決まる、と言えるだろう。

自暴自棄になるのは最悪だ。

諦めてしまうのは最低だ。



まず、イライラの気持ちをまず落ち着かせること。

冷静になることだ。


何故思うとおりにならいのか、うまくいかないのかを反省とともに深く考えなければならない。



もう一つ大事なことは、

ああしたい、こうなりたいと思うことが本当に自分にとって最高なことなのかを再考する必要がある。


幸せになりたいと思って、なかなか幸せにになれないのは、

思う形の幸せにはならない方が良いからかもしれない。


宝くじに当たりたいと思っても、なかなか高額賞金にあり付けないのは、

当たらない方が良いからなのだ。


下手に高額を手にして、かえって不幸になる人は多いという。


結婚したい、結ばれたいと思う人とそうできないのは、

理想の人(理想だと勘違いしていいる人)と結婚してもかえって不幸になる場合だってよくあるからだ。




そう言いながらも、

ボクは思うとおりの人生を歩んできた。


そして、これからもそうするであろう。

いや、思うとおりの人生を歩む。


だから、自分の最高と思う姿を描き、

それに向かって邁進(まいしん)している。


日夜もがき苦しみながらも、現状を最適な状態として楽しみながら。




ボクが自分の最高と思う姿、とは。


それは

それは、






愛する人のために、喜んでもらえることをすることだ。


その愛とは、「人類愛(love for humanity [mankind])」であり、「博愛(philanthropy)」である。


身近な人をすべからく愛し、

その人の夢を叶えるお手伝いをする。


それは何も自己犠牲を意味しない。

ただ、大いなる誤解は生む。


例えば、ボクをエロオヤジ呼ばわりする輩。

全否定はしないが、それは人類愛の賜物(a gift to love for humanity)である。



I don’t fear others judge and reputation,

because they come almost from misunderstandings.


(人の評価や噂を恐れない。

なぜならそれはほとんど誤解からきているからだ)



     可愛らしいエンジェルたちもパーティに参加




昨夜もパーティで、一人残って片づけをした。






ある人が労(ねぎら)いの言葉をかけてくださった。


「大変ですね」 って。

有難いお言葉です。



でも、はたと思った。


ぜんぜん大変なんて感じてないのだ。

むしろ、嬉しくてうれしくてたまらなかった。


みんなが楽しんで、食べて、飲んで、笑って、踊って、ハグして・・・。


大変だなんて微塵(みじん)も感じない。

かけがえのない幸せ感に包まれている自分を感じた。



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思い通りにできないことを数えれば、きりがない。

そして、その一つ一つにため息が出る。


だが、こうして出来たことを思えば自然に笑みがこぼれてくる。


自分ができることなんて、些細なことだ。


ただひたすらに、愚直に小さなことを一生懸命やることで

目に見えなくても、結果が出なくても、

一つでも誰かの望みを叶えることに繋がれば、それだけでよかったのでは。



昨夜も深夜の2時半を回って、ベッドに横になった。

いつもベッドに横たわっていう言葉がある。


「ありがとうございました。

幸せです、本当にありがとうございます」



そして心穏やかにして腹式呼吸を数回するうちに、

深い眠りに落ちていく。

ブルーな日に想う

2013年05月18日 | 苦境
基本的にこのブログは前向きに書こうと心がけている。


人生そのものも、前向きであるよう努めている。


だが、時にどうしてもそう気にならないときもある。

いわゆる心がブルーになる。

I feel like that now.


そんな時は思いっ切るブルーに浸ることにしている。

I will totaly immerse into the blue.


無理に前向きになろうとすると、文字通り自分の中に無理が生じる。


自分に正直でありたい。

誰だって落ち込むときはある。



問題は、落ち込んだ時の対処の仕方だ。

落ちこんだ状態が長く続くとうつ病と診断される。


そこから抜け出そうとしても、あがけばあがくほど底なし沼のように沈んでいく。




ボクはどちらかといえば、躁鬱症(病)だろう。


病の範疇に入るかどうかは別として、

誰しも、躁の時と鬱の時の双方を持ち合わせている。


機嫌がいい時と悪い時と違って、

気分がいい時と悪いときがある。



気分なのだから、

気を紛らわして、なるべく元気になろうとするのが一般的かもしれない。


そうできればそれもいいだろう。


だが、例えば音楽を聴くとかして気を紛らわしているうちはいいが、

止めた途端またブルーが襲い掛かる。

それもさらに増殖している。


抵抗すれば、対象物はさらに反発を強めるものだ。

チカラづくでは、根絶は出来ない。


かわせるものならかわすのがいいが、

どうしても避けて通れないことなら、あっさり受け入れてしまえばイイのではないか。



病気ならその病気を、

嫌なことならその嫌なことを、

金欠なら金欠状態をあっさり認めて受け入れる。


だからどうするとか、どうなるものでもないだろう。

むしろどうこうしようと思わない。

無抵抗になっちゃう。


状況はさらに悪化するかも知れない。

ならばならで、流れに任せてしまう。

行きつく所まで行き着こうと。


行きつけば、一息つく(行きつく)ことが出来るかもしれない。


これ以上落ちるところはないというところまで落ちてみる。

開き直ってみるのは、結構いい手かも。


悩みなんて、どうでもいいことが多いものだ。




ということで、

今日はブルーの日とさせていただきます。


今夜のパーティーは、ノリノリでいきますが。

穴場ガイド

2013年05月17日 | 
穴場(a little‐known place)を案内する( guide)ビジネスを立ち上げようと思う。

Meetripに習ったものだ。


初めて訪れた旅先では、常に不安が付きまとうことはよくあることだ。

とはいえ、旅行案内書(インフォメーション)で渡されるパンフレットに載っているところでは

余りに面白味がない。


地元の人がよくいく店に行ってみたい。

旨くて、安い店。

安くて楽しく遊べる店。


だけど下手に入るとぼったくられそうで、怖い。

客引きで寄ってくる如何わしいオジサンや女性はもっと怖い。


そんな時、安心して頼める穴場ガイドがいればなんと心強いことだろう。



日本人のみならず、外国人も対象にする。

むしろ、外国人からのニーズの方が期待できるだろう。



このアイデアはまだ思いつきの段階である。


ガイドの選定はどうするか。

集客はどうするか。

そもそもビジネスとして成り立つのか。


つまり、価格設定としシステム作りをしなければならない。


一般的に起業する人は、ここでつまずく人が多い。


ピンと閃くことは誰しもある。

それを具体的に進める段階で、無理だと思ってしまう。


やりもしないのに。

やってもいないのに、あーだこ-だと問題点だけにフォーカスして

勝手に無理だなーと決めつけてしまう。




アイデアが浮かんだら、大まかなプランを立ててとりあえずやってみることだ。

やってみれば、より具体的な問題点が見えてくる。


その時に的確に処理していって質を高めていく。


こうしたサービスは、初期投資は極力少なくすべきだ。

インターネットを駆使した方法はいくらでもある。

限りなく投資をゼロに抑えることもできる。



それからもう一つ。

何でもかんでも自分一人でやろうとしないことだ。


一人でやろうとすると、

自分にはそんな能力はないということに気付いてしまって、

アー、やっぱりできないと諦めてしまう。


自分に備わっていない能力は、人に頼めばいい。

まず知り合いに相談してみることだ。


そのためには、日ごろからいろんな人と接触することが必要となる。

つまり、出会いを大切にする心構えをもあなければならない。


出会った人は必ず意味を持つ、ということを肝に銘じるべきだろう。


自分に都合のいい人という意味ではなく、。

相手にとって自分が都合のいい人になるよう心掛けるべきだ。



つまり、

この人と出会ったのは、自分がその人のためにできる何かがあるからなのだと解釈する。


出会った瞬間から、

自分はこの人のために何ができるのだろうと考えることだ。



フリートークに来る人は、ほとんどの方が英会話の向上を目指している。

だが、道で出会う人、何かのパーティで出会う人は分からない。


お互いをもっと知る必要がある。


人は誰でも多かれ少なかれ悩みを抱えている。

問題を持っている。


心を許さない限り、他人にそれを話そうとはしないだろう。

相手が占い師でない限り。


だから、相手に安心感を与え、心を許す存在に自分が成ることが先決である。

そのためには、自分から進んで心を開くことだ。


相手が自分のことをポツリポツリと話しだしたら、心を開き始めた証拠だろう。


そのためにも、基本は出会いを大切にすることだ。






昨日行われたPrsnT Kumamoto の一こま。

ここでも大きな出会いと気づきがあった。


フリートークは毎日がイベント&パーティの連続だ。



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現時点で考えられること。


穴場ガイドは登録制にする。

英語のできる方。

善良な方。

熊本の良さを知ってもらおうと思っている方。

時間に融通がある方。


そのために、公認のLKPGを育てる。