人生が思い通りに行けばこんな楽しいことはない。
だが、ほとんどの人はなかなか思い通りにいかない事の方が多いのではないだろうか。
ボク自身、思い通りに入っていない。
だから、時に落ち込む。
だが、立ち直りは早い。
それは、一旦落ち込んだ後、考え方を切り替えるからだ。
何故思い通りにならないのか。
それは、思い通りにいかない方が、その人(自分)の人生にとってよりいいからなのだ。
思い通りに行けばより良い人生が送れると思うのは、エゴであり錯覚にすぎない。
思い通りに言っていないと思っても、今起きている状態が最適なのだ。
それがたとえどんなに悲惨な状態であっても、なのだ。
だからといって、甘んじてはいけない。
最適ではあっても、最高ではないのだ。
だからさらに思い通りになるよう努力すべきなのだ。
最適から最高に近づけるべく日夜精進すべきなのだ。
人生が思い通りに進んでいる(と思う)ときは、どうしても傲慢に成り甘さが露呈する。
そこに隙ができ思わぬ落とし穴が待っている。
それが失敗への方程式なのだ。
思うとおりにいかず、いらいらすることはよくあることだ。
このイライラの気持ちの持っていきどころで人生は決まる、と言えるだろう。
自暴自棄になるのは最悪だ。
諦めてしまうのは最低だ。
まず、イライラの気持ちをまず落ち着かせること。
冷静になることだ。
何故思うとおりにならいのか、うまくいかないのかを反省とともに深く考えなければならない。
もう一つ大事なことは、
ああしたい、こうなりたいと思うことが本当に自分にとって最高なことなのかを再考する必要がある。
幸せになりたいと思って、なかなか幸せにになれないのは、
思う形の幸せにはならない方が良いからかもしれない。
宝くじに当たりたいと思っても、なかなか高額賞金にあり付けないのは、
当たらない方が良いからなのだ。
下手に高額を手にして、かえって不幸になる人は多いという。
結婚したい、結ばれたいと思う人とそうできないのは、
理想の人(理想だと勘違いしていいる人)と結婚してもかえって不幸になる場合だってよくあるからだ。
そう言いながらも、
ボクは思うとおりの人生を歩んできた。
そして、これからもそうするであろう。
いや、思うとおりの人生を歩む。
だから、自分の最高と思う姿を描き、
それに向かって邁進(まいしん)している。
日夜もがき苦しみながらも、現状を最適な状態として楽しみながら。
ボクが自分の最高と思う姿、とは。
それは
それは、
愛する人のために、喜んでもらえることをすることだ。
その愛とは、「人類愛(love for humanity [mankind])」であり、「博愛(philanthropy)」である。
身近な人をすべからく愛し、
その人の夢を叶えるお手伝いをする。
それは何も自己犠牲を意味しない。
ただ、大いなる誤解は生む。
例えば、ボクをエロオヤジ呼ばわりする輩。
全否定はしないが、それは人類愛の賜物(a gift to love for humanity)である。
I don’t fear others judge and reputation,
because they come almost from misunderstandings.
(人の評価や噂を恐れない。
なぜならそれはほとんど誤解からきているからだ)
可愛らしいエンジェルたちもパーティに参加
昨夜もパーティで、一人残って片づけをした。
ある人が労(ねぎら)いの言葉をかけてくださった。
「大変ですね」 って。
有難いお言葉です。
でも、はたと思った。
ぜんぜん大変なんて感じてないのだ。
むしろ、嬉しくてうれしくてたまらなかった。
みんなが楽しんで、食べて、飲んで、笑って、踊って、ハグして・・・。
大変だなんて微塵(みじん)も感じない。
かけがえのない幸せ感に包まれている自分を感じた。
―――――――――――――――――――――――――――――
思い通りにできないことを数えれば、きりがない。
そして、その一つ一つにため息が出る。
だが、こうして出来たことを思えば自然に笑みがこぼれてくる。
自分ができることなんて、些細なことだ。
ただひたすらに、愚直に小さなことを一生懸命やることで
目に見えなくても、結果が出なくても、
一つでも誰かの望みを叶えることに繋がれば、それだけでよかったのでは。
昨夜も深夜の2時半を回って、ベッドに横になった。
いつもベッドに横たわっていう言葉がある。
「ありがとうございました。
幸せです、本当にありがとうございます」
そして心穏やかにして腹式呼吸を数回するうちに、
深い眠りに落ちていく。
だが、ほとんどの人はなかなか思い通りにいかない事の方が多いのではないだろうか。
ボク自身、思い通りに入っていない。
だから、時に落ち込む。
だが、立ち直りは早い。
それは、一旦落ち込んだ後、考え方を切り替えるからだ。
何故思い通りにならないのか。
それは、思い通りにいかない方が、その人(自分)の人生にとってよりいいからなのだ。
思い通りに行けばより良い人生が送れると思うのは、エゴであり錯覚にすぎない。
思い通りに言っていないと思っても、今起きている状態が最適なのだ。
それがたとえどんなに悲惨な状態であっても、なのだ。
だからといって、甘んじてはいけない。
最適ではあっても、最高ではないのだ。
だからさらに思い通りになるよう努力すべきなのだ。
最適から最高に近づけるべく日夜精進すべきなのだ。
人生が思い通りに進んでいる(と思う)ときは、どうしても傲慢に成り甘さが露呈する。
そこに隙ができ思わぬ落とし穴が待っている。
それが失敗への方程式なのだ。
思うとおりにいかず、いらいらすることはよくあることだ。
このイライラの気持ちの持っていきどころで人生は決まる、と言えるだろう。
自暴自棄になるのは最悪だ。
諦めてしまうのは最低だ。
まず、イライラの気持ちをまず落ち着かせること。
冷静になることだ。
何故思うとおりにならいのか、うまくいかないのかを反省とともに深く考えなければならない。
もう一つ大事なことは、
ああしたい、こうなりたいと思うことが本当に自分にとって最高なことなのかを再考する必要がある。
幸せになりたいと思って、なかなか幸せにになれないのは、
思う形の幸せにはならない方が良いからかもしれない。
宝くじに当たりたいと思っても、なかなか高額賞金にあり付けないのは、
当たらない方が良いからなのだ。
下手に高額を手にして、かえって不幸になる人は多いという。
結婚したい、結ばれたいと思う人とそうできないのは、
理想の人(理想だと勘違いしていいる人)と結婚してもかえって不幸になる場合だってよくあるからだ。
そう言いながらも、
ボクは思うとおりの人生を歩んできた。
そして、これからもそうするであろう。
いや、思うとおりの人生を歩む。
だから、自分の最高と思う姿を描き、
それに向かって邁進(まいしん)している。
日夜もがき苦しみながらも、現状を最適な状態として楽しみながら。
ボクが自分の最高と思う姿、とは。
それは
それは、
愛する人のために、喜んでもらえることをすることだ。
その愛とは、「人類愛(love for humanity [mankind])」であり、「博愛(philanthropy)」である。
身近な人をすべからく愛し、
その人の夢を叶えるお手伝いをする。
それは何も自己犠牲を意味しない。
ただ、大いなる誤解は生む。
例えば、ボクをエロオヤジ呼ばわりする輩。
全否定はしないが、それは人類愛の賜物(a gift to love for humanity)である。
I don’t fear others judge and reputation,
because they come almost from misunderstandings.
(人の評価や噂を恐れない。
なぜならそれはほとんど誤解からきているからだ)
可愛らしいエンジェルたちもパーティに参加
昨夜もパーティで、一人残って片づけをした。
ある人が労(ねぎら)いの言葉をかけてくださった。
「大変ですね」 って。
有難いお言葉です。
でも、はたと思った。
ぜんぜん大変なんて感じてないのだ。
むしろ、嬉しくてうれしくてたまらなかった。
みんなが楽しんで、食べて、飲んで、笑って、踊って、ハグして・・・。
大変だなんて微塵(みじん)も感じない。
かけがえのない幸せ感に包まれている自分を感じた。
―――――――――――――――――――――――――――――
思い通りにできないことを数えれば、きりがない。
そして、その一つ一つにため息が出る。
だが、こうして出来たことを思えば自然に笑みがこぼれてくる。
自分ができることなんて、些細なことだ。
ただひたすらに、愚直に小さなことを一生懸命やることで
目に見えなくても、結果が出なくても、
一つでも誰かの望みを叶えることに繋がれば、それだけでよかったのでは。
昨夜も深夜の2時半を回って、ベッドに横になった。
いつもベッドに横たわっていう言葉がある。
「ありがとうございました。
幸せです、本当にありがとうございます」
そして心穏やかにして腹式呼吸を数回するうちに、
深い眠りに落ちていく。