前述のキッチンパパは上立売通千本を東に入ったところ。
ちょっと近くをうろうろしてみました。
千本通は京都の南北の道で、西大路通と堀川通の間にありますが、
そもそも平安京の時代では都への入り口、羅城門(羅生門)と
大内裏(だいだいり)の朱雀門を結ぶメイン道路、朱雀大路でした。
都を守る平安京四神(玄武、青龍、朱雀、白虎)として、朱雀大路の
正面には船岡山=北の守護神玄武(亀)があり、南には
巨椋池(おぐらいけ)=朱雀(鳥)をひかえた、まさに中心の通り。
ただ、風水を考えるあまり、無理からな都造営だったので、もともと
水はけが悪く住みにくかった東にあたるこの地域は寂れてゆき、
京の中心は西へと移動していきました。
大火や戦禍に紛れた大内裏も安貞元年(1227年)には、ほとんど焼失。
これ以後再建されることはなく、跡地は「内野」と呼ばれる荒れ地に
なってしまったとか。平安京の西の端であった西京極大路もどこが道で
あったか分からないくらい荒れ果て、本来中心であった朱雀大路が
都の西端になってしまったようです。
都造営当時、華やかであった朱雀大路もやがて船岡山の西麓にあった
蓮台野(れんだいの=墓地・火葬場)へ行く道となり・・・
誰が立てたかはわからないが、いつしか千本もの卒塔婆(そとば)が
立ち並んでいたため「千本通」と呼ばれるようになったとか。
この他にも、真言密教の僧・日蔵上人があの世で醍醐天皇に出会い、
「菅原道真を左遷した事を悔いている。現世に戻って、尊いお経を唱え、
卒塔婆を千本立てて、道真を供養してくれ」と告げられ、生き返った後
蓮台野に千本の卒塔婆を立てて、供養したのが朱雀大路を千本通呼ぶ
謂れとして残っています。
とは言え、その後大正末から昭和にかけての都市計画事業として
拡幅され市電が走る大通りとなり、昭和47年(1972年)まで市電が
走っていました。特に下立売、中立売周辺は河原町と並ぶ繁華街
として栄え、今でも商店街が多く面白いところです。
またまた前置きが長くなった。(^_^ゞ
千本通上立売あたりをちょっとうろうろしてみます。
「鰻のおぜき」、典型的な京町家ですかね。店内で炭火焼されている
鰻を店頭でも販売されていますが、店の奥には坪庭が見える座敷が
用意されていて、それこそ焼きたてのうな丼がいただけます。
奥に行くまでに井戸があり、その井戸でウナギを泳がせているとか。
京町家、まさに「うなぎの寝床」。一度入ってみたいです♪
「京漬もの 近為(きんため)」明治12年創業、137年の老舗です。
ここも奥の座敷で『京のぶぶ漬け』コースがいただけるようです。
店舗は20年ほど前に大改装されたとか、ビルとかにせず町家の風情を
残されたのは正解ですね♪
この辺も西陣と呼ばれる界隈なので、いろいろ古い町家も見られます。
〈ポンジーズテーブル〉町家カフェ、今度はここもイイかな♪
〈珈琲茶館〉知る人ぞ知る珈琲豆専門店。
喫茶業をしたい人、豆販売したい人、焙煎業したい人。
みんなここで修行したがるのだそうです。
オーナー・田中勝氏の珈琲豆へのこだわりは半端じゃないそうですが
気難しく無く気さくな方のようで、師匠と仰ぐ方も数多く・・・。
ところで、日本で最もコーヒーを飲むのは京都市だとか。
県庁所在地別コーヒー消費量ランキングで1位でした。
(総務省統計局・平成23年~25年平均)
個人宅かな、立派な商家の建物のようですが・・・
やはり景観重要建造物・歴史的風致形成建造物・歴史的意匠建造物に
指定されているようです。
北山杉の磨き丸太や銘木を扱っているお店。安政5年(1859年)創業。
〈松文商店〉重厚な感じですね。
〈いほりホール〉バス停の前でちょっと目を引く昭和風?洋館建て。
カフェかなと思ったら、葬儀屋さんでした。(^_^ゞ
〈長谷川杼製作所〉
日曜だったから暖簾も看板も上がっていませんでしたが
杼屋(ひいや)さんです。西陣織には欠かせない「杼(ひ)」を
作られているようです。杼とは織り機の用具のひとつです。
縦糸が開口している間に横糸を通すために使う木製の舟形の道具で
シャトルともいいます。行ったり戻ったりしますからね。
♪縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は・・・♪
昭和5年に建てられたという町屋、二階のガラス窓が何だか懐かしい。
そんなことより、京都でも杼屋はもうここ一軒。職人さんはご高齢の
長谷川淳一さんだけ?文化庁の選定保存技術保持者として認定されて
いるようですが、後継者無し。部材に使う赤樫も枯渇寸前・・・
パーツである真鍮製の「杼金」を製作するところも無くなり「杼」を
作るための特殊工具も新しくは手に入らない、深刻な状態だとか。
他にも伝統産業、伝統工芸を支えるべき道具が消えつつある。
危機的な状況のようですね。
最後に下の写真は、ここもゲストハウス「木音 KIOTO」です。
築85年の町家、北野天満宮や平野神社、国宝 千本釈迦堂(大報恩寺)
などが近くにあり、金閣寺(鹿苑寺)へも自転車で10分程度で行くこと
ができます。何よりも周辺の路地を散策すれば古い軒並みと今でも
機を織る音が聞こえて、西陣織の町ならではの風情が味わえます。
2016.1/24、千本上立売界隈にて。
ちょっと近くをうろうろしてみました。
千本通は京都の南北の道で、西大路通と堀川通の間にありますが、
そもそも平安京の時代では都への入り口、羅城門(羅生門)と
大内裏(だいだいり)の朱雀門を結ぶメイン道路、朱雀大路でした。
都を守る平安京四神(玄武、青龍、朱雀、白虎)として、朱雀大路の
正面には船岡山=北の守護神玄武(亀)があり、南には
巨椋池(おぐらいけ)=朱雀(鳥)をひかえた、まさに中心の通り。
ただ、風水を考えるあまり、無理からな都造営だったので、もともと
水はけが悪く住みにくかった東にあたるこの地域は寂れてゆき、
京の中心は西へと移動していきました。
大火や戦禍に紛れた大内裏も安貞元年(1227年)には、ほとんど焼失。
これ以後再建されることはなく、跡地は「内野」と呼ばれる荒れ地に
なってしまったとか。平安京の西の端であった西京極大路もどこが道で
あったか分からないくらい荒れ果て、本来中心であった朱雀大路が
都の西端になってしまったようです。
都造営当時、華やかであった朱雀大路もやがて船岡山の西麓にあった
蓮台野(れんだいの=墓地・火葬場)へ行く道となり・・・
誰が立てたかはわからないが、いつしか千本もの卒塔婆(そとば)が
立ち並んでいたため「千本通」と呼ばれるようになったとか。
この他にも、真言密教の僧・日蔵上人があの世で醍醐天皇に出会い、
「菅原道真を左遷した事を悔いている。現世に戻って、尊いお経を唱え、
卒塔婆を千本立てて、道真を供養してくれ」と告げられ、生き返った後
蓮台野に千本の卒塔婆を立てて、供養したのが朱雀大路を千本通呼ぶ
謂れとして残っています。
とは言え、その後大正末から昭和にかけての都市計画事業として
拡幅され市電が走る大通りとなり、昭和47年(1972年)まで市電が
走っていました。特に下立売、中立売周辺は河原町と並ぶ繁華街
として栄え、今でも商店街が多く面白いところです。
またまた前置きが長くなった。(^_^ゞ
千本通上立売あたりをちょっとうろうろしてみます。
「鰻のおぜき」、典型的な京町家ですかね。店内で炭火焼されている
鰻を店頭でも販売されていますが、店の奥には坪庭が見える座敷が
用意されていて、それこそ焼きたてのうな丼がいただけます。
奥に行くまでに井戸があり、その井戸でウナギを泳がせているとか。
京町家、まさに「うなぎの寝床」。一度入ってみたいです♪
「京漬もの 近為(きんため)」明治12年創業、137年の老舗です。
ここも奥の座敷で『京のぶぶ漬け』コースがいただけるようです。
店舗は20年ほど前に大改装されたとか、ビルとかにせず町家の風情を
残されたのは正解ですね♪
この辺も西陣と呼ばれる界隈なので、いろいろ古い町家も見られます。
〈ポンジーズテーブル〉町家カフェ、今度はここもイイかな♪
〈珈琲茶館〉知る人ぞ知る珈琲豆専門店。
喫茶業をしたい人、豆販売したい人、焙煎業したい人。
みんなここで修行したがるのだそうです。
オーナー・田中勝氏の珈琲豆へのこだわりは半端じゃないそうですが
気難しく無く気さくな方のようで、師匠と仰ぐ方も数多く・・・。
ところで、日本で最もコーヒーを飲むのは京都市だとか。
県庁所在地別コーヒー消費量ランキングで1位でした。
(総務省統計局・平成23年~25年平均)
個人宅かな、立派な商家の建物のようですが・・・
やはり景観重要建造物・歴史的風致形成建造物・歴史的意匠建造物に
指定されているようです。
北山杉の磨き丸太や銘木を扱っているお店。安政5年(1859年)創業。
〈松文商店〉重厚な感じですね。
〈いほりホール〉バス停の前でちょっと目を引く昭和風?洋館建て。
カフェかなと思ったら、葬儀屋さんでした。(^_^ゞ
〈長谷川杼製作所〉
日曜だったから暖簾も看板も上がっていませんでしたが
杼屋(ひいや)さんです。西陣織には欠かせない「杼(ひ)」を
作られているようです。杼とは織り機の用具のひとつです。
縦糸が開口している間に横糸を通すために使う木製の舟形の道具で
シャトルともいいます。行ったり戻ったりしますからね。
♪縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は・・・♪
昭和5年に建てられたという町屋、二階のガラス窓が何だか懐かしい。
そんなことより、京都でも杼屋はもうここ一軒。職人さんはご高齢の
長谷川淳一さんだけ?文化庁の選定保存技術保持者として認定されて
いるようですが、後継者無し。部材に使う赤樫も枯渇寸前・・・
パーツである真鍮製の「杼金」を製作するところも無くなり「杼」を
作るための特殊工具も新しくは手に入らない、深刻な状態だとか。
他にも伝統産業、伝統工芸を支えるべき道具が消えつつある。
危機的な状況のようですね。
最後に下の写真は、ここもゲストハウス「木音 KIOTO」です。
築85年の町家、北野天満宮や平野神社、国宝 千本釈迦堂(大報恩寺)
などが近くにあり、金閣寺(鹿苑寺)へも自転車で10分程度で行くこと
ができます。何よりも周辺の路地を散策すれば古い軒並みと今でも
機を織る音が聞こえて、西陣織の町ならではの風情が味わえます。
2016.1/24、千本上立売界隈にて。