カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

第十九番札所 霊ゆう山 行願寺(革堂)

2012-07-31 23:50:54 | 西国三十三所巡礼
『霊ゆう山 行願寺(ぎょうがんじ)』、通称「革堂(こうどう)」です。
霊ゆう山の「ゆう」の字は変換できないようです。鹿の下に「匕」が付きます。
かなり特殊な字のようで、この漢字のことを調べようとしても
このお寺のことしか出てきませんでした・・・



京都市中京区寺町通竹屋町上ル、ここも街中にあります。
17番 六波羅蜜寺、18番 頂法寺(六角堂)と同じ日、バイクで移動三連チャン。










このお寺の開基、行円上人は、もともと猟師だった。ある時に山中で雌鹿を
射止めたのですが、お腹には仔鹿がいて、死に際に仔鹿が生まれてくるのを
見た上人は、殺生の罪深さを知って仏門に入ったと伝えられています。
その牝鹿の皮で法衣をつくり、常に身につけていたことから革聖(かわひじり、
革上人と呼ばれ庶民に命の尊さを説いて回られたとか・・・

創建の地は京都御所の西、現在の京都市上京区小川通一条辺り。
その名残か、山門前の石碑には「一条かうだう」と刻まれています。これは
かつて一条にあったことなのか、一条天皇の勅願寺なのでか諸説あります。
逆に創建の地付近には革堂町、革堂仲之町、革堂西町の町名が残っています。








寺は1590年、豊臣秀吉によって寺町通荒神口に移され、さらに1708年の
宝永の大火後、現在地に移り、新たな逸話を生むことになります。

時は江戸後期。寺近くの質屋に、江州からお文という娘が子守の奉公に来ていた。
熱心な法華信者であった質屋の主人は、お文が寺に日参し、自然とお堂から聞こえてくる
御詠歌「花を見て 今は望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」をそらんじ、
子にうたい聞かせるのが気に入らず、せっかんして死なせてしまった。
主人は彼女の両親には男と失踪したと知らぬ顔を決め込んだ。
その話に納得できない両親は、革堂の千手観音像に娘の無事を祈ります。
すると、お文の亡霊が現れ、
「主人に殺され庭に埋められています、鏡を一緒に埋めてください」と告げました。
鏡は奉公に行く際に母親からもらった大切な手鏡のことです。事実を知った両親は
娘を不憫に思い、お文の子守りをしている姿を絵馬に描き、手鏡と一緒に奉納しました。
この手鏡は絵馬の裏側にあり、まるで悲話を語り継いでいるかのようです。

これがこの寺に残されている「幽霊絵馬」の伝説。ちなみに悪行を犯した主人は
処刑されたとのこと。現存する「幽霊絵馬」は縦1m、横30cmの板に手鏡がはまり、
子守をするお文の姿が描かれているそうです。
8月22日~24日の3日間に行われる幽霊絵馬供養の際には絵馬を拝観することができます。



「延命地蔵菩薩堂」と「手水舎」



「本堂」
大きなお堂ではありませんが、なかなか重厚です。


鬼瓦さんも立派。


ここの賓頭盧尊者さん、
前掛け?に隠れてほとんど姿が見えません・・・

ちなみにこのお寺、現在は西国三十三ヶ所の中で唯一の尼寺となっています。


「行円上人真影」石碑
皮聖(かわのひじり)と呼ばれた行円上人の姿が描かれています。
そう言えば六波羅蜜寺の空也上人も鹿の皮ころもを身につけていたと・・・
30年ほどの年代差はあるようですが、この頃の流行ファッション?(^_^ゞ
鹿皮の衣というのは当時かなり奇抜で、世に存在を知らしめることに。
空也上人は好きだった鹿が猟師に殺されたものを。行円上人は猟師であった時、
自分が殺生した鹿の皮を、両者とも生涯身に着けたと言いますから、
似ているようで異なる?でも共通点を感じてしまいます。


「灯籠」

行願寺は西国札所だけではなく、『京都七福神巡り』の一つでもあります。







行願寺には寿老人が祀られています。鹿つながりでしょうか?
※寿老人…人の寿命を支配する星の化身で三千年の長寿を保つ玄鹿を従え、
人々の難を払う団扇を持っていることから、福財・子宝・諸病平癒・長寿の
功徳ありといわれています。


「愛染堂」と「寿老人神堂」


「寿老人神堂」の中を覗くと寿老人が・・・♪



「鐘楼」と「鎮宅霊符神堂」が並んでいます。



こうして見ると、こぢんまりですが凝縮されているような。
ここもまた街中のオアシスのようなお寺でした。

さて、境内のさらに奥には


「宝篋印塔」と「百体地蔵尊」





「加茂大明神五輪塔」
五輪塔の水輪がくり抜かれており、その穴の中に「加茂大明神」が祀られている。




2012.5/27、革堂(行願寺)にて。



○宗派:天台宗 ○開基:行円上人
○御本尊:千手観世音菩薩 ○創建:寛弘元(1004)年

御詠歌「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」

XL125S 1京都リミテッド

2012-07-23 22:52:12 | バイク
1京都さんのレストア最新作、Honda XL125S カラーはエルシノア風?
ダウンフェンダーもスタイリッシュです。




元はコレかな?



僕らがバイクを乗り出した70年代は、ホンダのラインナップも単純でした。
CBがオンロードスポーツ、CLはスクランブラー、SLがオフロード車で、
CDは実用車。って具合で頭の2文字で性格が分りました。

XLがSLに替わってオフロードスポーツとして登場したのが1975年(国内)
私が今乗っているXL125(同時に250も出ています)が元祖。
以後、4スト・トレール車の車名に使われてきました。



その次の世代が「XL○○S」シリーズで、この頃のラインナップが
一番充実していたかも。78年~80年にかけて、
50・80・125・250・500と同じカラーリングで登場してきます。

私もちょうどその頃、ナナハン(CB750K)を降りて、オンロードから
オフロードに移りました。そして買ったのが「XL250S」。
お揃いで家内にも「XL80S」を買ったりして・・・(^_^ゞ



その後、80年代には「XL○○R」となり、125・200・250・400という
ラインナップに。XL600R Pharaoh なんてのも出ましたね。
後は「XLR○○R」や「XLX○○R」とか、DegreeやBAJAも。
90年代からは「XR○○」でしたが、最新のはCRF250L・・・
モトクロッサー、コンペモデルと同じ頭文字になりました。




このヴィンテージさが何ともイイです♪
エンジン、走破性能も今のバイクと比べるとかなり劣りますが、
林道トコトコなら楽しめます。
昔のようにひと汗かきに行きましょうか・・・ヽ(´∀`*)ノ



苦心作だそうです。デジタル表示には何が出るのかな?





話しは変わりますが、
先日、バイク用にナビを買いました。バイクにろくに乗りもせんのに!
・・・案の定、まだ使ってません。(-_-;)



『SONY パーソナルナビゲーションシステム NV-U37 』ってやつです。
何たって2万円台という価格も魅力♪



一応、『ソニーのバイクナビ』ってふれこみです。

使ってないのでインプレもレポもありませんが、買った動機などを・・・
『これ1台でクルマ、自転車、徒歩、アウトドアもすべて』

「カーナビ」としても充分機能しそう、シンプルな分、使い勝手も良さそうだし
乗せ替えも出来るしね。

「自転車ナビ」専用のものと比べるとどうなのだか分らないけれど
サイクルコンピューター機能も付いているし、標高表示もね。

「徒歩ナビ」徒歩用の地図データで詳しいガイドができそう。
歩いた距離や速度、消費カロリーなんかも表示されるのでエクササイズにも・・・

「アウトドアGPS」これは案内はしてくれない。自分の位置が分るだけね。
国土地理院発行2万5千分の1地形図が表示できるってことです。

さて、「バイクナビ」マウントは社外品として専用のものがあるようです。
ルート案内は自動車用と同じ、有料道路の料金は軽自動車として計算。

このナビの利点、買いどころは防滴設計、画面を表示したまま9時間もつバッテリー、
屋外でも見やすい半透過型液晶ってところでしょうか。
ルートインポート・エクスポート機能もあり、事前に作成したルート情報を
書き込んだり、走行軌跡をパソコンに取り出せるのだそうな。
でか~い文字表示ができることも老眼の私には嬉しいかな。(^_^ゞ
ま、バイクに取り付けて走ることは今のところ考えてなくて、
ポケットに入れて持ち運び、必要な時だけルートを確認しようかなって思ってます。
携帯、スマフォでも良いようなものですが、受信エリア外に行きそうだしね。
それにあれって有料?私はパケホーダイにも入ってないけど・・・

さて、どれほど使えるものやら、どれだけ使うものやら・・・(^_^ゞ





もう少し淡いブルーの服にしてくれないかな、
首には鈴、前には大きな白いポケットを付けて・・・



2012.7/17、ガレージにて。

朽木のそば。

2012-07-19 19:29:28 | ランチ/カフェ
16日のことです。京都は祇園祭宵山、コンチキチン・・・もちろん行く気なし。
「海の日」ってことだから、山へ行こう!(どこまで天邪鬼?私)

前日深夜の断続的な豪雨も嘘のように、夏空ギラギラ。35度を超えそうな勢い。
3連休、やっと休めたこの日、出掛けるなら少しでも涼しいところへ・・・
そこで思いついたのが7駆さんの先週の記事
朽木で蕎麦でも食べに行こう・・・ってことで出発。

朽木村(今は滋賀県高島市朽木)は京都と福井県若狭小浜を結ぶ
鯖街道(R367)が通り、夏場は安曇川(あどがわ)で水遊び、BBQが楽しめる
夏のツーリングコース。下界より5度は涼しいはず、なのにこの日は
道路温度計も31度を表示。直射日光も厳しく幌は閉めたままエアコンON・・・



1時間程かけて辿り着いたのが、7駆さんが行かれた店ではなく(やっぱ天邪鬼)
ここ。jimmy.さんが行かれたとこね。
河童の看板が・・・無いッ! それもお目当てのひとつやったのに。(^_^ゞ

しかも・・・



なんだぁあ?! 「出た! ... 閉店ガラガラ」・・・(無言)



店の前まで確かめに行きましたが、ネットまで張られている。
『和美庵(わびあん)』
ここの細~い蕎麦が食べたかったのに。鯖寿司も・・・



日曜営業、火曜定休って書いてあったのに・・・意気消沈
この時点でお腹は「そば喰いてぃ」がピークに!
こうなれば7駆さんが行かれたお店に・・・アッ、憶えてへん。(^_^ゞ
携帯で7駆さんのブログを見て(パケホーダイの契約してないから速やかに)
何とか店の名前だけは分かったので、再出発。



しばらく走ると、ありました『永昌庵』。でも人溢れてますやん!





こんなところで行列が出来る店?
「帰ろ、帰ろ!」ってのを家内に引き止められて・・・



満席やん! これ見たら、フツー帰るわな。



まぁ、店の中をきょろきょろ、気を紛らわしながら



誰かにお願いされているような気配も感じたし・・・



待っている間にオーダー通して、
店に着いてから蕎麦が出てくるまで、30分。限界ギリギリやね。



「おろし」



「ざる」

ボリュームもまずまず。野趣あふれる手打ち感?
汁も濃いめで、蕎麦をガッツリ喰らうって感じかな・・・ワイルドだろ~って。



人気があるのも分る気がするけれど・・・
このガサガサした麺の感じが私の口には合わなかった。(お腹まで天邪鬼?)
ここはもうイイから、今度は和美庵の細麺を食べに行ってみたいな。



メニューで気になった「そばもちあげ」「とちあげ」。
これはアタリ!美味しい。これだけなら食べに寄りたい♪






さてさて、帰りは予定通り(行き道で営業中なのを確認しておいた)



久しぶりに『カフェ&ギャラリー Kaze』へ。



やっぱりここは落ち着くなぁ。
2年ぶり?そんな気がしない、マスターも奥さんも優しく迎えてくれるし・・・
相変わらずじっとしていない客やのに。(^_^ゞ



カッパちゃんと、ポロくんのお墓参り。新築の薪小屋、立派なのができましたね。
お庭には花が絶えることなく・・・
その蔭にはマスターのkazenotomoさんの鹿との闘いがあるんだけど。




そうこうしていると、裏の川向こうから何やら奇声が



比叡山の修行僧? そう言えばお昼頃、街道でこの行列を追い抜いてきた。
床では笑い転げている猫が・・・こちらまでつられて笑ってしまいます。



o[◎]_- )パチリされているマスターを o[◎]_- )パチリ。


お約束の・・・(^_^ゞ






2012.7/16、カフェKAZEにて。


笑い転げていたのは、これかな?

六角のは~と(??)

2012-07-17 23:32:27 | 京都徘徊記
子供の頃、お寺と言えば西本願寺によく行っていた記憶があります。
あそこは鳩だらけ、だからお寺に鳩はつきものだと思っていましたが、
最近、お寺巡りをしてもそれほど鳩の姿を見なくなっていました。
一時の鳩公害問題でかなり駆除されたのかな・・・

そんなことを考えてしまったのは、ここ京都・六角堂はハト天国だったから♪


ぼくたち、お寺に似合うと思うんやけど・・・



伝書バトの御用は・・・無いわな。(・_・、)
スマホで済まそってか!



冥想ちう? 悟りを開いてやる・・・



ぼくらは水浴びちゅん♪



わぉ!ヒッチコックかいッ!



並んでますなぁ
人気の鳩のおみくじです。六角堂でしか買えないとか・・・




ふんッ、鳩じゃないわよ!
私は優雅な白鳥・・・ほら、足だってこんなに上るし。


・・・優雅かな?噛みつくそうやのに。



六角堂へ行かれたら、ぜひ探し出していただきたい鳥が・・・



山門を入ってすぐ左の大きな樹を見上げてみると・・・居りますよ。ふくろうが!
1羽じゃないです。何羽留まっているかは、探して数えてみて下さい。



ここ、境内のあちこちにふくろうの姿が見られるようです。


納経所の前にも・・・

情報では奥の神社の祠の破風の彫刻、池の中にはブロンズ像が・・・
探せば他にもいるかも知れません。ただ、何故、ふくろうなのかは謎。(^_^ゞ


そう言えば、鳩と梟のイメージを悪くした首相が何処かの国に居ましたね・・・




2012.5/27、六角堂にて。

第十八番札所 紫雲山 頂法寺(六角堂)

2012-07-15 23:58:18 | 西国三十三所巡礼
『六角堂』西国三十三所観音霊場の中でも最も市街地にあるんじゃないかな。
「紫雲山 頂法寺(しうんざん ちょうほうじ)」って、正式な寺号があるのですが、
京都の人間でもピンとこない、それほど「六角堂」が通称になっています。
愛称で呼ばれるお寺の集まった「通称寺の会」に六角堂も属しているそうな。










烏丸通りから六角通りを東へ曲がってすぐのところに、立派な山門があり、
ここが六角堂への入り口です。正面に六角堂がどんと腰を据えています。
周りはビジネス街、ビルに囲まれた小さなお寺ですが、山門をくぐると
別世界な落ち着いた空間があるのが京都らしいかも。

本堂(六角堂)へ向う右側に大きな柳の木があります。六角柳と呼ばれている
この木は、植物辞典にも学名「ロッカクドウ」という名で記されているとか。
平安時代初め、婚活中の嵯峨天皇の夢枕に「六角堂の柳の下を見よ」との
お告げがあり、行ってみるとそこには絶世の美女が。その後、この柳は
「縁結びの柳」として良縁を求める人たちのおみくじで鈴なりです。













587年、聖徳太子を開基として創建されたと伝えられています。
本尊は太子の護持仏といわれる御丈1寸8分(約5.5cm)の如意輪観世音菩薩で、
秘仏とされているので見ることはできませんが・・・
ここも創建以来、数度の火災にあい、現在の建物は明治10年(1877)のものです。

柱を背にしている金ぴかの釈迦像は「ふれあい仏」と呼ばれ、
金箔札を、願いを念じながら貼るようです。



「お地藏さん」
境内の西側には、たくさんのお地蔵さんが安置されています。
北にあるのは「北向地蔵」。京都御所を守るため、北を向いているのだそうです。
その横には「わらべ地蔵」や、寝た姿、立っていたり座ったりといろいろな
ポーズをされていますが、それぞれに行を修しておられる姿なのだとか。


不動明王舎の脇には
和製モアイくん? 正体不明でした・・・(^_^ゞ





「へそ石」
もとは門前の六角通りにあったものを、明治初期にこの場所に移したのですが、
かつて、ここが京都の中心地だったので「へそ石」と呼ばれています。



「十六羅漢と邪鬼」
『羅漢』とは仏の教えを護り伝えることの出来る優れたお坊様に与えられた名前です。
『十六』は方位の四方八方を倍にした十六を表し、あらゆる場所に羅漢様が
おられることを意味しています。この羅漢様は、「和顔(わげん)愛語(あいご)」
を実践し、いつも「にこにこ」されています。「和顔愛語」の教えとは、
いつも優しい顔つきで、穏やかに話をするように心がけてさえいれば、
必ず良い報いがあると説かれたものです。
皆さんも、この羅漢様のように一日にこにこを心がけましょう。

この羅漢様の周りには邪鬼がいます。仏教をなかなか理解せず、ひねくれて
仏教信者とならない。そんな衆生を邪鬼といいます。
中には改心した邪鬼もいます。境内にもところどころに・・・(HPより)






「合掌地蔵」
このお地蔵さまは、お参りに来られた方の願いが叶えられるようにと、
一緒にお祈りしてくださっているのだとか・・・



「一言願い地蔵」
欲張らずに一つだけ願い事をすると、それが叶えられるといわれています。
首を傾けているのは、願いを叶えてあげようか、どうしようかと
考えておられるだとか・・・それって意地悪?
ちゃいますよ、信仰心を見極められているのです。



「親鸞堂」と「太子堂」どちらもやっぱり六角。


「親鸞上人像」
親鸞上人は29歳の時、毎夜比叡山を下り、この六角堂に百日参籠したそうです。
そして「法然の許へ行け」とのお告げを受け、法然上人から浄土宗を学びます。
引き続きまた百日参籠して六角堂から法然の許へと通っていると、
再び六角堂の本尊は親鸞にお告げを与え、日本に新しい救いの教え・浄土真宗を
生み出したと云うことです。



「聖徳太子沐浴の池跡」と「池坊会館」
この六角堂は「いけばな発祥の地」としても有名。
今はプールのようになっていますが、太子が沐浴されたと伝えられる池跡があります。
この池のほとりに小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」と
呼ばれるようになりました。池坊の祖先は、朝夕宝前に花を供えてきましたが、
ついには代々いけばなの名手として知られるようになり、いけばながひろがった
というもので、現在は、華道家元池坊総務所があります。


さて、下で見ていると六角堂の特徴がはっきりとは分らないので・・・



隣りのビルのエレベーターのひとつがガラス張りで、展望することができます。






この六角にも教えがあります。
「六の角」とは六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲のことを
言います。人間の欲望、つまり煩悩を脱して角を無くし、円満になること。
つまり「六根清浄を願う」という祈りが込められているとのことです。



このビルの1階にあるスタバ(烏丸通からも入れます)は、まさに六角堂の
展望室?境内を眺めながらコーヒーブレイクが愉しめます。


この邪気くんは、改心しようかどうかまだ考えちうなのかな・・・(^_^ゞ


2012.5/27、六角堂にて。



○宗派:天台系単立 ○開基:聖徳太子
○御本尊:如意輪観世音菩薩 ○創建:用明天皇2(587)年

御詠歌「わが思う 心のうちは 六の角 ただ円かれと 祈るなりけり」

通称、光秀寺。

2012-07-11 23:53:25 | 洛外うろうろ
ご存知のように明智光秀は戦国武将、織田信長の家臣として活躍しましたが
日本戦国史、最大の謎?「本能寺の変」で主君信長を討ち(自刃)、俗に言う
三日天下の語源になった人物です。
その明智光秀の首がここに埋葬されている・・・ってことになりますが、






光秀の首は・・・?
本能寺の変があったのは1582(天正10)年6月2日。まんまとクーデターを
成功させるも、羽柴秀吉の「中国(備中)大返し」により、
13日には山崎(天王山)の戦いで破れ、近臣とともに長岡京市の勝竜寺城を
脱けだし、坂本城に向かう途中、山科の小栗栖で落ち武者狩りの土民に竹槍で
突かれ深手を負った光秀は、家臣・溝尾茂朝に介錯を命じ自刃(じじん)した。
茂朝はその首を近くの薮の溝のなかに隠した後、坂本へと落ちのびていった。
翌朝、付近の農民が3体の遺体を発見。内2体は顔の皮が剥がされ正体不明。
光秀と共に殉死した家臣のものです。首の無い遺体は鎧からして光秀であろうと
辺りを探索したところ、布に包まれた首が見つかり秀吉の元へ届けられた。
秀吉自ら首実検をし、光秀と断定。本能寺に晒され、さらに胴と繋がれ
粟田口に晒された。

※これに関しても数々の異説がある。介錯をした茂朝が京へ運び隠したとか
坂本まで持って行ったとか・・・

光秀の首は粟田口に晒された後、黒谷に他の数千の首と一緒に埋められたとも。
それがどうして谷性寺に運ばれたのか?
坂本城に運ばれたとも言われているし、宮津の細川ガラシャ(光秀の娘)の元に
届けられたとも・・・明智光秀は幾つ首があったんだろう?(^_^ゞ
そして、京都・粟田口白川筋に首塚が今も存在する。


白川筋三条を下がった所にある『餅寅』という饅頭屋さんが管理されている。
Googleのストリートビューが店の中まで入れるようになっていました。
銘菓「光秀頭」あ、いや、「饅頭」ってのがあるらしい・・・(^_^ゞ


亀岡・谷性寺にもどりますが・・・




これが光秀公首塚。 そして、明智山門。




「本堂」?




墓地の一角に古い石塔群があるが、これは室町時代に造られたものだという。

谷性寺は、桔梗寺という別名でも呼ばれているとのことですが、境内には
それほど桔梗は咲いていませんでした。

戦国ミステリー、謎多き武将・明智光秀のことを調べるととても面白いです。
ただしあまりにも多数の推論があるので、まとまりがつきません。
謀反人、反逆者、裏切り者、闇討ち・・・などあまり良いイメージは与えて
もらえないのですが、一方で光秀の心情を斟酌する人間も少なく無く、
特に地元、丹波の方では今も親しみを感じている人が多いようです。

下克上の時代、今とは倫理観も違ったのでしょうが兎に角、歴史の流れにあって
とてつもないことをしでかしたことには間違いないですね。

しかし本能寺の変、光秀謀反の理由は今なお『謎』のままであり日本の歴史上
解明されていない問題の1つです。野望説・怨恨説・前途不安説・朝廷誘導説・
足利義昭黒幕説・諸将黒幕説などの諸説まだまだありますが、いずれも定説と
なりうる決め手に欠けているのか、資料も「軍記」などによるものなので
信憑性に問題があるのかも・・・そんな中、ひとつ面白い見解があるので
書き留めておきます。
それは「源平交代政権思想」で平氏将軍阻止が理由では無かったのかと言うものです。

もともと日本の氏姓は「源平藤橘」のルーツを持ち集約されると言われています。
源氏、平氏、藤原氏、橘氏です。平安末期に武家が政治の実権を握るように
なってからの流れは、平清盛(平氏)→源頼朝(源氏)〔鎌倉幕府〕→
北条氏(平氏)→足利氏(源氏)〔室町幕府〕→織田信長(平氏)→
明智光秀(源氏)→豊臣秀吉(農民:平氏:藤原氏)→徳川氏(源氏)〔江戸幕府〕
こうして並べると上手く平氏、源氏が交互に並びます。
注目すべきは朝廷より将軍(征夷大将軍)を任じられ幕府を開いたのは源氏の
系統ですね。明智のルーツは土岐氏とされていますから源氏の流れです。

本能寺の変の動機に戻りますが、朝廷は室町幕府を倒した信長の勢いを恐れ
征夷大将軍の位を授けようとします。信長は平氏と称しているので、源氏の
プライドをかけて平氏から将軍を出したくない。とにもかくにも阻止すべし!
その大きな役割とチャンスを得たのが明智光秀だったのかもしれません。
ちなみに、本能寺の変の直前に信長は安土城に家康を招き、その接待役を
光秀としました。接待役と言うか信長より家康を毒殺するよう命じられたとか。
それを拒み(源氏同士だからでしょうか?)暗殺を不成功にした。
それに怒った信長はすぐさま光秀の接待役を解任、途中交替させた・・・

接待役を途中解任された光秀は、毛利攻めの秀吉援護の出陣を命ぜられ、
丹波亀山城から備中へ出陣するはずが、逆方向の信長のいる京へと向います。
総勢1万3千の兵を率い「敵は本能寺にあり!いざ!」「オーッ!」
・・・となったのかと言うと、さにあらず。
兵の中には信長軍から預かった兵も多々。その兵にしてみれば主君は信長なわけで。
だから、京に向った理由は「信長の閲兵を受けるのだ」としたようです。
桂川まで来て1万の兵を残し、3千ほどが洛中に向かい本能寺での戦を知らされますが
その時ですらターゲットは信長だと言うことを知っていたのは、わずかで。
ほとんどが信長の命で家康を討ち取るものだと思っていたとか?
こんなことが事実なら、天下取りが目的だったとは思えません。ただ信長を
亡き者にするためだけの行動のように思える。
平氏を名乗る人間を将軍には絶対させないぞってね・・・


この説、かなり無理な部分があります。尾張織田家は藤原氏の流れだったはず、
系図上の平重盛の子資盛の遺児、親真を祖とするというのは付け加えたものの
ようで、桓武平氏と言うのは自称のようです。同じく徳川家も源氏の流れは
汲んでおらず自称、もっと言えば朝廷より征夷大将軍の位を得るために
手っ取り早く、家系図を捏造したものと・・・。
秀吉に至っては言うまでも無く、財力によって買い取った家柄のようなもので、
平氏を名乗ったのは信長を真似ただけ。関白に就任するために、前関白
近衛前久の猶子となって(無理やり?)藤原氏に改めたもの。
ここまで言うと「源平交代政権思想」は、ちゃんちゃら可笑しいのですが・・・
氏姓のもつ意味が、現代の感覚と違い重く大きかったのでしょうね。

ところで、江戸幕府(源氏)が倒れて現代へと繋がっているから、今は平氏の世?

ま、色んな妄想、憶測ができるのも歴史の面白さです。特に光秀に関してはね。
生存説(南光坊天海説)まであるもんね。キリが無いので止めますが・・・





谷性寺の隣りに神社がありましたので寄ってみました。「篠葉神社」





ちょうど夏越の祓、「茅の輪くぐり」をしてきましたよ。




この後、「ききょうの里」駐車場に戻ったのがもう4時になっていました。
お昼ご飯、食べてません・・・(^_^ゞ 
駐車場で案内をされていた親爺さんに聞いて、紹介してもらったのがココ。


まいうーのタレントさんも来たようですね。


面白いメニューは無いかと・・・ネタ探し?

「おばば弁当(上)」と「卜伝セット」にしました。
名前の由来は聞きませんでしたが・・・(^_^ゞ


「卜伝(ぼくでん)セット」


「上おばば弁当」


おばば弁当「上」は、デザート・フルーツ付みたい♪





2012.7/1、京都亀岡、ききょうの里にて。

びっキュウリ!(◎_◎)

2012-07-07 16:42:43 | カッパ
最近野菜作りに情熱を燃やされているM氏より
先日、家庭菜園で採れた胡瓜をいただきました。



胡瓜といえば、河童の好物。まぁ、私はトマトのほうが好きなんですが・・・(^_^ゞ



いただいた採れたてのキュウリ♪ スーパーで売っているものより少し小ぶり。
このくらいで収穫するほうが美味しいのだそうです。
家庭菜園ならではの贅沢な食べ方かも知れませんね。
おっしゃる通り、とても美味しいキュウリでした。シャキシャキした歯触り
丸噛りがgood♪ ご馳走さまでした。



これは一緒にいただいたズッキーニ。こちらもまだ小ぶりでの収穫です。
キュウリに似ていますが、同じウリ科でもカボチャの仲間。
炒め物で食べると美味しいと聞きました。
トマト、チーズなどと一緒に炒めるとイイかもね。まだ食べてませんが・・・

ウチでは私の母親が庭の片隅で野菜作りをしているのですが、放ったらかしの
自然農法? マメに収穫もしないものだから・・・

こんな成長過多に。(^_^ゞ



M氏からいただいたものと比べると、まるで別モノです。
もちろんスーパーでも見ないサイズ・・・
収穫を怠っていると、こんなお化けキュウリになってしまいます。

今回その極め付け、私もここまでデカくなったキュウリを見るのは初めて。(^_^ゞ





何と!34センチ!! 食べられるのか・・・?




しっかり、食卓に出てまいりました。それなりに食べられたのは驚き?

ききょう園

2012-07-02 18:11:05 | 花だより
昨日は朝から雨どしゃ降り、梅雨空の今年後半スタートになりました。
計画していた巡礼21番札所「穴太寺(あのうじ・あなおじ)」とその近くにある
明智光秀ゆかりのお寺「谷性寺(こくしょうじ)」行きが危うい・・・

明智といえば桔梗の紋。それにちなんで門前に「ききょう園」がオープン。
その初日が昨日だったわけで・・・この時季の花は雨模様の方が綺麗に見える。
多少の雨なら行くつもりだったのですが、ちょっと降り過ぎ。(^_^ゞ

昼まで待ったものの止む気配無し、ま、小降りにでもなれば何とかなるさと
出発するもワイパー、最速!
・・・しかし、天は我に味方し、目的地では傘が要らない程度の空になりました。








桔梗(ききょう)〔キキョウ科〕英名:Balloon flower

万葉集に「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花」として
「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花」
と詠まれている「朝貌(あさがお)」は桔梗のことだという説に基づき
秋の七草のひとつとして数えられています。











英名の Balloon flower / Chinese bellfloweは、ツボミの形状から
きたものでしょうね。
日本在来種ではありますが、中国・韓国などにもあります。
「桔梗」の名は、乾燥した根が堅いところからつけられた漢名のようです。
その根は漢方で薬用されています。




美濃の山県氏、土岐氏一族は桔梗紋を紋所にしていた事で知られています。
「敵は本能寺にあり」「三日天下」、織田信長を討った明智光秀も
土岐氏一族であり、桔梗紋を用いていました。

この花が武家に好まれたのは、五指を広げたような形で勢力を広げる。
それでいて桜や梅とは違い根元がひとつなので、散り散りになることなく
家系安泰を示している・・・何てことじゃないかなと私なりに解釈。(^_^ゞ

面白いのが、陰陽師、安倍晴明が五行の象徴として用いた五芒星(☆型ね)
あれは「晴明桔梗(せいめいききょう)」とも言われています。
桔梗の花を図案化したものなんですね、それで吉凶を占うとか・・・?


先日、充分見た紫陽花の花、ここでもたっぷり・・・












もうええんやけど・・・アジサイ。(^_^ゞ

ここでは他にも色々な花を見られましたが、いずれも花園といっても畑って感じ。
風情はありません。
やはり花は庭園で管理されたものか、野に咲くものの方が素敵ですね。



「風蝶草(ふうちょうそう)」クレオーメ。
♡見っけ♪


左「夏椿」(通称:沙羅双樹の花=本来間違い)
右「トルコ桔梗」(キキョウ科ではなくリンドウ科)


「ルドベキア」別名:松笠菊 〔キク科〕


「半夏生(はんげしょう)」〔ドクダミ科〕/「百合(ゆり)」


「アガパンサス」(紫君子蘭)〔ユリ科〕




フォトアルバム(スライドショー/フルスクリーン)で見られます。





2012.7/1、亀岡・谷性寺 ききょうの里にて。

ブーランジュリーでランチ

2012-07-01 00:11:24 | ランチ/カフェ
市街地のお寺巡りってことで、クルマを諦めバイクとスクーターで出掛けたのに
意外と置き場所に困るんですよね。
クルマだとコインパーキングがいっぱいあるのに・・・
最初に行った六波羅蜜寺は小さいけれど(3、4台分)駐車場があったので
軽四スペースに二輪を2台停めて、お参りしました。
が、六角通東洞院(市街ど真ん中)にある六角堂は、駐輪も禁止。
少し離れたところに有料駐輪場もありますが、満車。それならと大丸さんの
駐輪場に停めることに。ここなら商品券もOKなので無料みたいなもの♪
監視員さんも居られるので安心。少し歩かんならんけど・・・

もうお昼はとっくに過ぎて、2時前。六角堂へ向う途中でどこかランチのお店を
探していたら、ちょうどお手軽そうな・・・
『進々堂 東洞院店』を発見、入ってみることに。


BOULANGERIE(ブーランジュリー)とは
フランス語でパン屋さんのこと。


店内でも焼き立てのパンが買えます。
工場(寺町)から運んできたものですが。


進々堂は京都ではお馴染のパン屋さん。志津屋もありますが
老舗という点では格違いかな。〔京都パン史〕

創業者、続木斉(つづきひとし)は日本人最初のパン留学生として訪欧。
2年余パリでパンの理論・実技を学び、帰国後の1924年(大正13年)
日本初の本場パリ仕込みのフランスパンを製造・販売した。ということです。
1930年には京都大学北門前に京都で初めての本格的フランス風喫茶店
「カフェ進々堂」を建築。
今は別法人になっていますが、京都で最古のカフェです。


前置きはこのくらいにして、ランチメニューから
 








「パストラミビーフのサラダ」5種のブレッド付


「トマトとモッツァレラのカプレーゼ風タルティーヌ」


どちらにもドリンクが付きます。


モーニングセットも充実しているので機会があればまた行ってみよ。







2012.5/27、進々堂 東洞院店。