カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

もういっちょう!珍スポ。

2018-08-21 17:23:56 | 旅アルバム
和歌山の珍スポット、変なところ、へんとこ巡りもこれで最後。
帰り道に寄ってみた『風吹山弁財天院(かぜふきやまべんざいてんいん)』。和歌山市の東、紀ノ川市に挟まれた岩出市にあります。根来の里あたりですね。



へんとこ巡り、最後にもっと盛り上がりたかったのですが、数年前の珍スポ情報とは随分変わっていました。異様なものの幾つかは撤去され、汚れていたものはすっかり洗われていたような・・・
とはいえ、異世界ぶりは充分に味わうことができます。
まずはこの橋「あんらくばし」を渡ると



鳥居がある。神社なのか寺院なのか・・・それらしい建物も無く無人のようです。



異界への入口に相応しい?赤い目をした黒い狛犬さんが睨んでいました。



対で作られたようには思えない白と黒の狛犬さん、珍しいです。



宗教施設というより彫刻の野外展示場?
以前はもっといろんなオブジェがあったようです。人間や動物の彫刻がいっぱい貼り付いた百度石とか、巨大な恵比寿像、生首だけのダルマさんとかね。
いずれも摩訶不思議な何コレものだったようです。





何の仏像かよく分からないのですが、彩色でお化粧され謎の微笑み。でも・・・



これは大きな地蔵菩薩像。HPでは「とても珍しい勝地蔵尊で必勝の地蔵尊です」とありますが、意味不明。



なかなかの造形?よく出来ているというか、リアルなだけにちと気色悪い。
造形物はほとんどがコンクリート製、作者は角田蘇風という彫刻家らしい。
氏の作品には和歌山城の伏虎像や高野山にある六地蔵尊灯籠塔などがある。



ここ、境内というか、幹線道路脇に取り残された小さな茂みって感じ。後に見えている建物は某大手企業の事業所。周辺は砂の採掘場なのか大型ダンプが砂塵を捲き上げ走り回っている。




道路からは窪んだ場所にあるため、それに大きな伽藍があるわけでもなく、見つけるのが容易ではなかった。道路から見えるのは小さな鳥居と、小さな祠。



建物といっても小屋程度?取り壊し中なのか鉄骨だけになっているものも。
密法護摩修法処・・・なんかそれらしい文字が並んでいるが、意味不明。




これまた巨大なコンクリ像「風吹弁財天」台座込みで7メートル程もあるかな、おそらく弁財天としては最大級?道路からも見えていたかもね。



楽しみにしていた生首ダルマとかが見られなかったのは残念、何故に撤去されたのかは知る由もありませんが、解体されたのでは無いことを願うばかりです。


2018.4/23、風吹山弁財天院にて。

和歌山にあったジュラシックパーク

2018-08-14 10:08:40 | 旅アルバム

和歌山県加太では、何コレ珍スポット巡りになってしまった。
人形いっぱいの神社、砲台跡につづいて第3弾。加太は珍スポの宝庫?(^_^ゞ
厳密に言うと加太ではなく、クルマで10分ほど離れた山の中にある
『人と自然のふれあい公園 森林公園』そこには・・・



どこからが公園なのかよく分からないけど、とりあえず建物(無人?)があったので、そこにクルマを停めて河原の遊歩道に降りてみると、早速・・・
カバにカッパ?



ワニとカバが何頭か、いかにもってロケーションの中にいる。
結構リアル、何のために?
いきなりの珍光景出現でしたが、目的地はまだ先のようなのでクルマで移動。途中車窓からはコアラやエリマキトカゲがこっちを見てましたけど・・・

駐車スペースを探して再び川沿いの遊歩道へ。するとそこには・・・
森林公園なんだから当然?密林の王者がコチラを睨んでいます。



ちょっと迫力に欠けるかな、張り子の虎みたいだね。



和歌山だもんね、アドベンチャーワールドから逃げ出した?それにしてもあまり可愛くないパンダ。鼻は黒いでしょうに、目のまわりももっとたれ目に!

しかしここもサファリパークみたいですね。



ライオンの奥に見える小屋は公衆トイレ、面白い建物だった。この時は知らなかったので写真など撮りませんでしたが、後で知ったところによると、このトイレで首つり自殺があったとかwww
ここ、有名な心霊スポットなんだそうで・・・夜中に肝試しに来た若者たちが不可解な現象に遭遇し、時には事故に遭うこともあった・・・なんて。



動物たちはほぼ実物大、でもゾウさんだけは、ちと小さ過ぎる。

ライオン vs シマウマ・・・緊張感が漂ってます?









出来てから30年以上経つ公園のようだが、日晒し雨晒しのわりには動物たちは綺麗なほうかな。しっかりしているので、大人でも乗って遊べるよ♪



何コレ・サファリパークはこのくらいにして・・・

階段登って、時間も遡って、加太の異界・恐竜広場に行ってみましょう。



なんだか楽しいね、映画ジュラシックパークみたい・・・おっと、この公園、映画化されるずっと前にできてたんだ!






恐竜は4体、原寸大かと思うような大きさで迫力満点。


〈トリケラトプス〉


写真左から〈ステゴサウルス〉〈ケラトサウルス〉〈ディプロドクス〉



どうして有名なティラノサウルスじゃなくケラトサウルスなのかは謎だけど、これも人気の肉食恐竜だからかな。ゴジラっぽいし。

どういう訳かジュラ紀後期のケラトサウルスと白亜紀後期のトリケラトプスが睨み合っている。
ありゃもうぶつかり合ったのかな、怪我をしたようだね。






そんな闘いを尻目に平然と木葉を食んでいるのはディプロドクス、リアルかも。



この公園、特にこの恐竜広場はどういう目的でつくられたものか、よく分からない。幼児用にしては遊具も全くないし、学習用にしては正確さに欠けている。
今は珍スポットとして知られているくらいかな。それにしても見物に来ている人もほとんどいなかったけど・・・(^_^ゞ


2018.4/23、『人と自然のふれあい公園 森林公園』にて。

まだ長男が小さい頃、こんな映画を観に連れて行ったのを思い出しました。

リトルフット[AmazonDVDコレクション]
クリエーター情報なし
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これってスピルバーグとジョージ・ルーカスが製作総指揮したものだったのですね。


由良要塞・加太砲台跡

2018-07-21 23:37:29 | 旅アルバム
加太に来たのは、以前より友ヶ島に渡ってみたかったからですが、他にも訪ねてみたい所があったので、今回は断念。
友ヶ島ほど有名ではないけれど、この加太にも砲台跡があるので、探索してみました。



戦争遺跡である由良要塞は、明治期に瀬戸内海、大阪湾の防衛ラインとして紀伊半島と淡路島の間の紀淡海峡周辺に作られたものです。
淡路島の由良、友ヶ島(沖ノ島・虎島)、紀伊半島の加太(かだ)・深山(みやま)の3地区。後に鳴門要塞も加えて由良要塞とされています。
日露戦争の前ですから、バルチック艦隊対策?結局、太平洋戦争でも全く使われることなく、終戦と同時に米軍により撤去されました。



入口付近の無料駐車場は道沿いで数台停められるだけなので、ちょっと離れますが休暇村の駐車場に停めました。監視カメラがありますが、後で利用させてもらうってことでイイでしょう。(^_^ゞ
砲台跡の入り口が少し分かり難くかったのですが、結構整備された遊歩道が続いていて煉瓦敷きになっていたりして、ここで間違いないだろうと・・・



無事、砲台跡に辿り着いたようです。ここが深山第一砲台跡です。
もちろん砲は無く、回転台の跡らしいものから2門の砲台が防護壁に囲まれて置かれていたのかな。これが3セット、合計6門備えられていたようです。



2門づつ3ヵ所の砲台の間を隧道が繋いでいます。隧道の中には地下に降りて行くような階段も見えます。かなり良好な保存状態、煉瓦は全て英国積みで丁寧な仕事ぶりがうかがえます。これも実戦には使われなかったおかげかな、本土決戦なんて無くて良かった・・・



ここに備えられていた砲台は「28cmの榴弾砲。曲斜弾道で、艦船の甲板を射撃する大砲。着弾すると榴弾がはじけて飛び、広い範囲にダメージを与える。砲弾の落下速度の増加も考慮し、高い山頂や丘陵に設営された。」そうで、「平斜砲と違い、放物線を描いて砲弾が飛んでいくため、前面には胸しょうと呼ばれる低い防護壁がある。」ということです。



煉瓦積みの胸しょうを見ると、上の方に何だか謎の穴がある。1門につき1箇所、大きさ的には砲弾でも出てきそうなんだけど、地下の弾薬庫から運ばれここに出てくる・・・そんなことは無いかな?(^_^ゞ




胸しょうを登ると紀淡海峡が一望できる展望広場になっています。
加太と地の島の間が加太瀬戸、地の島と中ノ島の間を中ノ瀬戸、中ノ島と淡路島の間は由良瀬戸と呼ばれているとのこと。

「瀬戸」という言葉は、狭い門という意味の「狭門(せと)」の変化したものともいわれています。陸地と陸地の間に海が挟まれた海峡という意味です。と、解説されていました。




さて、弾薬庫を見てみましょう。



棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)って難しい言葉で呼ばれるものですが、ここも保存状態はイイですね。



100年越えの煉瓦建造物は、やはりそれなりに迫力がありますね。それも廃墟となれば自然の浸食とのせめぎ合いが迫力に拍車をかけているように思える。
地下に掘られた通路に煉瓦アーチの壁、異空間の佇まい。何か怪しげなものが棲んでいて、今にも現れそうな・・・
そんな光景の写真を撮る私が一番怪しげだったりして。(^_^ゞ



砲台を繋ぐ隧道内の横にも地下に降りる通路があり、弾薬庫らしき部屋がある。



部屋の中はかなり暗いのでストロボ無しでは撮れないかな。真ん中の入り口の6ヵ所に蝶番でもついていたような跡も見られる。



中の煉瓦壁はアーチ状の天井までしっくいが塗られていたのかな、さすがに剥げ落ちていたけれど構造自体はしっかりしていた。
それにしても文明開化、富国強兵の時代とはいえ、ほんの少し前まで城が戦場、要塞だったはず。ものすごいスピードで西欧列強の軍事技術を吸収、追いついたものです。明治期のパワーに改めて感心。何せロシア・バルチック艦隊を打ち破るほどの連合艦隊を持つまでになっていたのだもんね。




さて、遊歩道を戻り、『休暇村 紀州加太』に行ってみます。



広々した立派な施設です。じつは元々ここには深山第二砲台があったわけで。



一部、弾薬庫跡などが残されています。当時の規模は第一砲台とほぼ同じだったはずですが、残っているのはちょっとだけね。



弾薬庫も狭い気がするな、私なら天井に手が届いたかも。(^_^ゞ




ここからは加太湾、田倉崎も望めますね。ちょっとロビーラウンジで休憩♪
・・・駐車場も利用させてもらいましたからね。



んッ!砲弾炸裂ソフト?ここでゆっくりくつろぎましたが・・・あとで深山第三砲台跡ってのがあるのを知りました。
男良谷(おらだに)砲台と呼ばれ、かなり廃墟感のあるマニアックな場所だったようです。それだけに観光案内されてなかったのかな。
第一砲台跡から海辺に向かう方向で、海岸近くにあるのだとか、海岸には由良水雷隊遺跡も残っているそうで・・・残念、今度行くことがあれば真っ先に訪ねてみることにします。



2018.4/23、加太砲台跡・休暇村紀州加太にて。

淡嶋、半端ないって!?

2018-07-13 15:34:37 | 旅アルバム
ホテルの隣りには有名珍スポット?『加太淡嶋神社』があります。
TVやネットでもパワースポットだとかホラーなB級スポットなどと話題の神社。



鳥居に本殿、それほど不思議じゃない。淡嶋、変哲ないって?



鳥居をくぐって境内参道にあるお店、ここも話題になっているお店ですね。
『満幸商店』、行かれた方も多いです。食べログの口コミも多い。
山盛りのしらす丼、わさびスープにうにトーストも好評。地元の海鮮食材を使ったボリュームたっぷりの漁師飯がいただけます。



本殿まで来ると、ここが普通じゃないことがわかる。不思議な光景が・・・
そう、人形だらけなんですね、この神社。2万体とも・・・



ご祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)・大己貴命(おほなむじのみこと)=大国主命・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后。
創祀年代などは明らかではないが、社伝資料によると3〜4世紀頃まで遡る。
神功皇后が三韓出兵から凱旋のおり、嵐に遭い、お告げに従うと友が島(四島の内のひとつ、神島)に辿り着くことができました。その島には少彦名命と大己貴命が祀られていたとのこと。
後に仁徳天皇がお社を島から加太に移され社殿を建てられたということです。






主祭神の少彦名命は医薬の神様で、特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれています。
神功皇后(息長足姫命)は、自身が帯下(こしけ/おりもの)に悩まされた際に雛形を奉納し、平癒したという伝承からお雛様の神とされた。
また、淡島神は天照大神の6番目の娘、住吉大神の妻だった婆利塞女ともいわれ、婦人病にかかったため棄てられ、淡島(友が島の神島)に流されて祀られたという伝説も残っている。






淡嶋系の神社(淡島・粟島・淡路)は、全国で1000社余あり。その総本山がここ加太淡嶋神社なんですね。
江戸時代には淡島願人と呼ばれる人々が、淡島明神の人形を祀った厨子を背負い、神徳を説いて回ったことで淡島信仰が全国に広がったといわれています。



人形供養だけじゃなく、婦人病を始めとして安産・子授けなど女性に関するあらゆることを祈願する神社なんですね。祭神少彦名命は、裁縫の道を初めて伝えた神様なので、針供養の神社としても有名です。



[針塚]と[紀文の帆柱]この神社の近くで生まれた紀伊国屋文左衛門のみかん舟の帆柱で、願い事を唱えながら柱の穴をくぐり抜けると願いが叶うとか・・・

本殿だけではなく境内の彼方此方にびっしりと人形や置物が奉納されています。









カエルさんが多いのは少彦命名の神使が蛙だからのようです。









ちょっと懐かしい木彫りのクマにゾウ、タヌキにキツネ、シーサーは獅子?
まるで動物園・・・(^_^ゞ












人口密度も高いです。ぞろぞろひしめくラッシュ状態。神さんもいっぱい♪






干支の置物も半端なく・・・断捨離されたのかなぁ?









雨ざらしにしておくには、ちょっともったいないような可愛い置物たちも♪
ちなみに、「持って帰らないように」との貼り紙がありました。



西洋人形、国籍不明の仮面などなどなど・・・も!


ちょっと、いや!思いっきり?変な奉納品(?)もあります。





ご祭神と八百万の神を祀る末社は、安産・子請授・婦人病等、女性の願いが叶うとされています。かつては祈願のため男根形や髪の毛を奉納したようですが、いつしか現在では自身が身につけていた下着を奉納するようになったとか。
中を覗いてみると確かに・・・。ちょっと以前は絵馬と共に格子にぶら下げてあったようで、注意書きがありますね。ほとんどはちゃんと袋に入れて用意してきたもののようですが、中には脱ぎたてのホヤホヤみたいなのも・・・おそらくそんな方のためでしょうか、社務所には新品の下着が売られてました。




本殿には立派な雛人形が並べられています。紀州徳川家で姫君誕生のおり、初節句に必ず雛人形が奉納されたのだとか。

三月三日には『雛流しの神事』が行なわれますが、「男びな女びなの始まりは、淡島神社のご祭神である少彦名命と神功皇后の男女一対のご神像であるとされています。また、雛祭りが三月三日になったのは、友ヶ島から対岸の加太へのご遷宮が、仁徳天皇五年三月三日であったことから。雛祭りの語源も、スクナヒコナ祭が後に簡略化されて、ヒナまつりと言われるようになったとされています。」と、HPで解説されています。



ところで神社のHPのQ&Aで「髪の毛が伸びる人形があるとテレビ等で見ましたが、本当にあるのですか?」との質問に、きっぱり「本当にあります」と答えられてます。(^_^ゞ


2018.4/23、和歌山県加太 淡嶋神社にて。

加太の落陽

2018-06-25 22:16:59 | 旅アルバム
ちょっと前の旅行記になりますが、4/22「ぽか〜んの集い」奈良で集まった後、その足で和歌山の加太(かだ)に向かいました。2時間以上かかったかな。
宿に着いたらもう日没前、ちょうど海に沈む落陽が見られそうです。

愛車も今日一日ご苦労さま。夕陽って感謝を思い出させてくれる色かも・・・



ホテルの近くにある役行者堂から観る夕日が綺麗と言うことでしたが、歩いて行っているうちに沈んでしまいそうなので、干潮の海岸へ降りてみました。



この島影は砲台跡があることで有名な友が島(沖ノ島)かな。ラピュタを彷彿させる光景が観られるようです。そのうしろは淡路島でしょうね。



ホテルは海岸線に建っているので、まさにシーサイドビューが楽しめます。



陽が沈むまで海岸でゆっくり眺められて満足できました♪

ホテルは『和歌山加太温泉 シーサイドホテル加太海月』
海月(くらげ)ってどうよ。って思ってたら、Kaigetsuって読むようです。






夕陽のほとぼりを残しつつ、広がる夜の空に航跡が1本、2本・・・
四国方面からやって来るけれど関空の往来かな?ひっきりなしに飛んで来る。
まるで地上から天空に向けて昇る流れ星の如く・・・


夕食は鯛づくしプランだったと思う。
季節の先付・お造り三種盛・鯛の荒炊き・鯛のしゃぶしゃぶ・季節の天麩羅
蛸のカルパッチョ・鯛釜めし・吸い物・香の物・デザート











アサーッ! 朝の海、潮風はまた何とも言えず心地よし。



友が島って通称だそうで、地図には友が島とは表記されていません。4つの島の総称として友が島と呼ぶようです。写真では、左に見えるのが沖ノ島、真ん中に虎島、ちょっと離れて右に地島。神島は沖ノ島のうしろに隠れてしまっています。




朝ごはんは、ビュッフェスタイルじゃなく、旅館風。これもまたいい♪






さあ、今日は一日、この辺りをうろうろ、おもしろスポット巡りをしてみます。
まずはこのホテルのお隣りのちょっと不気味な神社へ行ってみます。


2018.4/23、シーサイドホテル加太海月にて。

地蔵さん、羅漢さん、そして・・・

2018-03-12 23:03:50 | 旅アルバム
大聖院のつづきなんですが・・・細かい解説はなし、つーか解説しようがない。
トリッキーでスピリチュアル、ご利益満載のパワースポット・・・アミューズメントパークみたいなお寺?空海さんもびっくりの密教寺院です。


見んぞう、言わんぞう、聞かんぞうの三地蔵?

境内参道にごろごろお地蔵さんが。それぞれ意味がありそうで、意味不明。



拝めば願いが叶う?何か“教え”がありそうなんですが・・・



四国八十八ケ所霊場のお砂踏みができる遍照窟の前には六地蔵。



アリガトウ地蔵にニッコリ地蔵、ハイ地蔵とかキビキビ地蔵・・・







こちらには干支地蔵ね。



なかなかよく出来ているとは思うけど・・・やっぱりお参りするのかな?




こわッ!素直にお参りせぇへんかったら叱られそう。

かまへんよ、かまへん・・・って優しげなお地蔵さまも。

突然、現れたのは・・・!



河童地蔵?何のご利益があるのか不明。(^_^ゞ
目立ってはいるが、孤立無援?なんだか寂しそう・・・

子地蔵さん?こちらは干支の動物と仲良く

七福神とも仲良しのようだし・・・

とにかく、一体として同じ姿のお地蔵さんはなく、見て回るのは楽しいかも。


で、もっと壮観なのは五百羅漢さん。みんなお揃いの毛糸の帽子を被って



羅漢(阿羅漢)とは、仏教、禅宗で供養と尊敬を受けるに値する人の意。
仏弟子の到達しうる最高の位をさし、「無学」といわれる。
・・・「無学なもんで」なんて、謙遜する時に使うのだが、仏教用語的には究極の悟りを得て、もうこれ以上学修すべきものがないことを指すんですね。



中でも十六羅漢は、大羅漢で仏勅を受けて永くこの世に住し衆生を済度する役割をもった16人の阿羅漢。多くの阿羅漢を従えるチームリーダー的存在?
宇治萬福寺には、慶友・賓頭廬の2人を追加した十八羅漢が安置されていました。


ボスキャラ?・・・達磨大師のようですね。

ここにずらりと並んでおられる五百羅漢さんというのは、仏陀に常に付き添った500人の弟子、または釈迦入滅後の第1回の経典結集(けつじゅう)、および第4回結集のときに集まった500人の弟子のことだそうです。



とにかく延々とって感じ・・・



顔立ちやポーズ、表情もいろいろあって。よく言われるのが親に似た顔が必ずあるとか、誰かに似た羅漢さんを探すのもよいかも。(^_^ゞ



境内にはお地蔵さまや羅漢さんだけではなく、変わり地蔵のつもりなのかアンパンマンやウルトラマン、バルタン星人とかピグモンとかの石像も隠れています。お参りも飽きることはないですね♪

結局、多くの伽藍や堂宇も見ないまま、ここを去ることに。見所が多過ぎます。


さて、長い石段を下って仁王門のすぐ横にある茶店で休むことにします。



氷やスイーツも魅力的でしたが、小腹が空いていたので名物うどんってやつを。



お寺の一部のような『六角茶房』、流行りのお寺カフェですね。
ちょっと休憩するには素敵な空間で、ほっこりできます・・・年寄り的?
女子的にはオシャレなカフェタイムを。ってことになるかな。(^_^ゞ



土産もん、いや、和風テイストな小物や工芸品も置かれていて、外国観光客の方にも喜ばれるかも。



メニューはお茶を使ったスイーツなどがメインのようですが、名物・六角うどんとおいなりさんのセットなどもあります。いなりは有機煎茶茶葉入り。何かとこだわりのあるメニューでした。





帰る頃には日も暮れて、大鳥居もすっかり干潮で真下まで人の姿が・・・



絶好のシャッターチャンスでしたが、近くまで走って行く体力が残ってなく
遠景だけで・・・(^_^ゞ



まだまだ見逃したところも多く、名残惜しい宮島を後に、フェリーで戻り、駐車場に着いたらもうほとんど他の車はなく・・・京都までの帰路をひとっ走りすべく愛車に乗り込みました。


2017.10/9、宮島にて。

キャッとトリッキーな古刹

2018-03-09 11:32:36 | 旅アルバム
〈大聖院・釈迦涅槃堂〉

弥山登頂、厳島神社のお詣りは済みましたが、もうひとつ宮島でどうしても訪ねたいお寺があるので、そちらへ向います。
まずは厳島神社廻廊西出口を出て直ぐにあるのが『大願寺』。


〈山門・仁王門〉
正式には「亀居山方光院大願寺」、この寺の秘仏厳島弁財天は弘法大師空海の作と伝えられ、日本三弁財天の一つ。(あと二つは江ノ島と竹生島)


〈本堂〉
奥の書院は、第二次長州戦争の際、勝海舟と長州藩を代表する藩士らが講和会議をした場所として知られます。

〈護摩堂〉後で見たら画面に映っているのはみんな外国人。(^_^ゞ

〈龍神の社〉
護摩堂は明治初期の神仏分離における廃仏毀釈で焼失、2006(平成18)年に再建。
中には厳島大仏・総白檀の不動明王としては日本最大の仏像が安置されています。高札には「総身一丈六尺(5m32㎝)重量7t」と書かれていました。
この仏像制作の様子はNHK特集「仏心大器 平成の仏師・大仏に挑む」って番組で密着取材されてました。先日再放送がありましたね。


〈門前の猿回し〉
外国人観光客に大人気のようでした。でもイルカショーとか海外の反応は、日本人は動物虐待する不道徳な国民との声も・・・(>_<)

〈九本松〉伊藤博文公お手植えだと伝えられている。

人力車・・・日本観光の名物風情?
私の目にはこれぞ人間虐待、奴隷の様でちょっと恥ずかしく思えるのだが。


さっさと最後の目的地、本命?の大聖院へと向かうことにします。
いいかげん疲れていたのですが、また弥山の麓まで戻って・・・



真言宗御室派の大本山で正式名は『多喜山 水精寺大聖院』。創建は806年で弘法大師空海が開いたと寺伝にある。真言宗御室派の総本山は京都の「仁和寺」(創建888年)で深い結びつきがあるようです。ちなみに京都にも同じ宗派の寺院で「紫雲山 大聖院」があります。
総本山仁和寺より古く、なかなかの古刹の佇まいが・・・


〈山門・仁王門〉
もともとの大聖院の建物は1887(明治20)年の大火で焼失し、現在の建物のほとんどは昭和期に再建されています。この仁王門も1939(昭和14)年の再建です。



山門の先は長い石段、ふーっ!中央の手摺についているのは、大般若経筒。回しながら参ると無量の福が得られるとか。チベット仏教の摩尼車(側面にマントラが刻まれ内部には経文が収められている。時計回りに回転させると経を唱えるのと同じ功徳があるとされる)ですね。


手摺の端には釈迦に関するいろいろな絵がレリーフになっています。

宮島では最も古い寺院なんですが摩尼車といい、何やら演出の濃ぉい〜お寺を感じさせてくれますね、期待がふくらみます。(^_^ゞ



石段の途中には鐘楼があり、登りきったところに御成門(四脚門の向唐門)が建っています。振り返ると宮島と対岸の眺望が楽しめます♪


さっそく現れたのは狸や蛙さん。タヌキの腹は「物事に対して、寛大太腹」金袋は「金運を呼ぶ」笠は「災難から身を守る」という意味があり、カエルには金運招福として「宝かえる」、交通安全として「旅かえる」、健康長寿として「若がえる」の3つの功徳があるとか・・・


水晶玉は何の意味があるのかな?(^_^ゞ



〈勅願堂・本堂〉
豊臣秀吉が朝鮮出兵の時に、必勝・海上安全を祈願した本尊波切不動明王が安置されています。



階段の傍らには、大般若経に係わりの深い十六善神(四天王と十二神将と合わせた十六名の般若経を守る夜叉神とされる護法善神のこと)などが安置されています。


〈三面大黒天〉
何だろなと思いつつ、このお寺のスピリチュアルな空間へ引き込まれていく・・・


〈施無畏堂〉
聖観音菩薩が祀られており安産、子授けの御利益があるといわれる。
百八観音霊場 第十八番札所 極楽観音。


〈愚痴聞き地蔵〉
そういえば、愚痴ってもともと仏教用語でしたよね、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩「貪・瞋・痴」の三毒。その内の「痴:愚痴」真理に暗く無知なことです。
ちなみにあとの二つは「貪:貪欲」むさぼり。「瞋:瞋恚(しんに)」怒り。




ここを訪ねた最大の目的?が・・・コレ。(^_^ゞ



ネコの変わりみくじが色々あると、TVか何かで紹介してたんですよ。宮島に行ったら是非寄ってみようと憶えていたんです。
無人の小屋に変わりみくじが多種多様、並べてありました。まるでキャラクターショップ、駄菓子屋さんのような楽しさ♪いろいろ選んで買った分、自分でお金入れにお金を入れるシステム。外人さんは分かるのかな?



招きねこみくじの他、神鹿おみくじ、万福みくじ、幸福みくじ、だるまみくじ、恋鯉みくじ・・・などなど。見ているだけで楽しい。(^_^ゞ



連れて帰ったのは、神鹿と招き猫・・・



そして、変な招き猫。これは6種類あって、大人買いしようかと思ったのですが、おみくじを大人買いってのも大人げないかなと・・・(^_^ゞ




石段の前で大きな烏天狗さんが石になっている?
この石段を登ると「摩尼殿」、弥山の守護神 三鬼大権現の本坊御祈祷所なんです。天狗は三鬼大権現の従者だから道案内を。
三鬼大権現は、真言宗系の天狗信仰や山岳仏教の信仰対象となる鬼神で、厳島三鬼坊とも呼ばれていて弥山の三鬼堂とこの摩尼殿に祀られている。



摩尼殿に向かう石段にも摩尼車が備えてあります。
時間的に(体力的にも?)余裕が無かったので、スルーしましたが、お寺の説明では「摩尼は福寿とも訳し、幸せな日ぐらしと、健康で長生きができることなどを願って、参拝者が絶えません」とか。一般的に摩尼とは、玉、宝球と訳され、神秘的な力をもつ玉。摩尼宝珠(チンターマニ)のことです。「ニ」を忘れないでね。(^_^ゞ


〈百観音お砂踏み〉
西国三十三観音、板東三十三観音、秩父三十三観音のお砂が納めてあります。
全部足しても99なんやけどな・・・この十一面観音も加えるってことかな?

こちらは、四国八十八ケ所霊場の本尊が安置され、本尊前に各霊場のお砂が埋めてあり、四国を遍路したのと同じ功徳があるといわれるお砂踏み場。〈遍照窟〉


なんともいえない空間に目を奪われ、八十八所のお砂踏みをするのをすっかり忘れてしまいました。(^_^ゞ


〈遍照窟〉
遍照窟とは世の中を平和にするため、幸せの火をあまねく(遍)てらす(照)道場(窟)の意味だそうです。

〈八角万福堂〉七福神が祀られていて宮島七福神として名高い。

〈折り鶴の碑〉
彫刻家で広島の被爆2世、ゼロ・ヒガシダさんが平和への願いを込めて制作したオブジェ。

長ったらしい大聖院の記事でしたが、実はまだ終わってません・・・つづく。


2017.10/9、宮島・大聖院にて。〈摩尼殿〉

厳島神社、行き着く。

2018-03-01 15:00:38 | 旅アルバム
弥山登頂でちょっとヘバっているけれど、ここへは詣らないとね。何のための宮島観光かわからなくなる・・・

厳島神社(古くは伊都岐島神社とも記された)の創建は593(推古元年)と伝わる。
飛鳥時代、聖徳太子が居られた時代ね。厳島自体は旧石器時代、縄文、弥生時代の遺物が出てくるそうだから驚きです。
創建当時は簡素な神社だったようですが、現在の大規模な社殿は1168年頃、平清盛が造営したのが始まりです。(火災により焼失、現在の社殿は1241年に造営)

主祭神は天照大神の子である宗像(むなかた)三女神。長女・田心姫命(たごりひめのみこと)、次女・湍津姫命(たきつひめのみこと)、三女・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の三柱です。



建造物は国宝だらけ、海に浮かぶその姿は・・・あれっ、干上がってしまってる。しまった!海面に映り込む朱色の美しい社殿を撮りたかったのに。さっさと弥山に行かず、午前中も写真を撮りにくればよかった。




しかし干潮のおかげで見られたのは・・・ふむふむ、これが鏡の池ってやつか。



潮が引いたときに見える池、手鏡のようだから「鏡の池」と呼ばれています。
海水が溜まったものじゃなく、清水が涌いているのだとか。3ヵ所あります。




厳島神社が規格外の神社だというのは一目瞭然ですが、もう少し詳しく調べてもその特異さが解ります。そもそも鳥居をはじめ木造の大建造物群を海に浸るように造るなんて、思いついたとしても敷地が海という難工事を実現してしまう、それも850年も前にね。もちろんそれを現在まで維持していることも凄いのですが。

そのスケールも規格外で、大鳥居は奈良の大仏とほぼ同じ高さの16m、主柱は樹齢500〜600年のクスノキが使われており、もちろん木造鳥居では日本一。
本殿の大きさも桁違いで、伊勢神宮や出雲大社を凌いで日本最大といわれている。

東廻廊入口を入って客神社(まろうどじんじゃ)、朝座屋(あさざや)、本社本殿・拝殿・祓殿、大国神社・天神社、能舞台・能楽屋などを廻り西廻廊出口まで108本の柱、108間の廻廊で結ばれています。
ちなみに本社拝殿から大鳥居まで108間、参道の石灯籠も108個といわれており、仏教思想に影響されている?
本殿の建物自体、神社建築様式から外れている。寝殿造りの様式で、屋根は桧皮葺きだがその棟には瓦が積まれお寺の様で、神社の定番でもある千木(ちぎ:屋根の両端で交差している木材)や鰹木(かつおぎ:棟に直角に数本並べられている木)が無い・・・何故かはわからないが、ちょっと気づくと面白いです。



〈卒塔婆石(そとばいし)〉
本殿の東側、揚水橋の下に卒塔婆石と呼ばれる石があります。
鬼界ヶ島に流された平康頼が、母を偲んで2首の歌を千本の卒塔婆に書き流したところ、その内の1本がこの石の所へ流れ着いたというものです。
後に赦免された康頼はこの石の近くに灯籠を寄進、現在宮島内で最も古い灯籠として残っています。




平舞台と右楽房・左楽房(うがくぼう・さがくぼう)、
右門客神社・左門客神社(みぎかどまろうどじんじゃ・ひだりかどまろうどじんじゃ)・・・全て国宝です。






高舞台と本社祓殿。



高舞台では4月の「桃花祭」、10月「菊花祭」など年間9回、能楽が舞われます。
そういえば2011年、奥田民生がこの高舞台でコンサートをしましたね♪




祓殿、客神社越しに豊国神社、五重塔が見えています。



〈天神社(てんじんじゃ)〉と〈反橋(そりばし)〉
天神社のご祭神は菅原道真公、毛利隆元の建立寄進によるもの。
かつては重要な祭事の際、勅使がこの橋を渡って本社内に入ったことから勅使橋(ちょくしばし)とも呼ばれました。現在の橋は、毛利元就・隆元父子によって再建されたもの。


反橋は、本当に歩けるのかって角度でしたが・・・(^_^ゞ


西廻廊、この先に毛利元就が造営寄進した能舞台・能楽屋があり、
西出口となります。


廻廊にしても社殿も、その高さは満潮時には海面すれすれになります。このギリギリの美学ってイイですね。ミニスカートの丈もギリギリだと目が釘付けになってしまうもんね。ナニユーテルネン!(^_^ゞ
台風など高潮の際は当然、浸かってしまうこともあるのですが、床板の板と板の間にわざと隙間が設けられていて、下から押しあがってくる海水の圧力を弱める工夫がされています。よく考えてあるな、拍手ものですね♪




大鳥居も海水に浸かっているため、定期的に柱の交換が必要。このため、海底に埋め込むことはせず置いてあるだけなんですね。約60tの自重で動かないように。
重量を増やすため島木、笠木の部分は箱状構造で中に石が詰めてあるそうです。
鳥居は両部鳥居・四脚鳥居と呼ばれる形式です。ちなみに日本三鳥居〔奈良吉野・銅の鳥居(かねのとりい)、大阪四天王寺・石の鳥居、安芸の宮島・朱丹の大鳥居〕。また日本三大鳥居〔厳島神社、伊勢神宮(氣比神宮の場合もある)、春日大社〕のひとつでもあります。
なお、現在の大鳥居は1875(明治8)年に建てられた8代目にあたります。



潮が引いてきて海側から厳島神社を見られるようになってきました。全容を1枚に収めるのは難しいですね、パノラマ撮影でもしない限り・・・



大鳥居にも随分近づけるように♪
鳥居の笠木には金色の太陽と月がはめ込まれています。東側は太陽で、西側が月になっています。扁額は有栖川熾仁(たるひと)親王の染筆で、海側に「嚴嶋神社」、社殿側が「伊都岐島神社」と書かれています。


靴が壊れて急遽サンダルのような履物にしたからバシャバシャと・・・


鹿とすれ違う河童?


2017.10/9、厳島神社にて。

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弥山(みせん)に、魅せられて

2018-02-20 23:33:11 | 旅アルバム
宮島観光、私的にはメインの目的が弥山登頂でした。人と神々が共に生きる島〜その頂点には数々のパワースポットが待っているはず。
「日本三景の一の真価は弥山頂上からの眺望にあり」と、この地を愛した伊藤博文の言葉をきっかけに、明治時代に一般登山路が整備されたそうです。

登山コースとして『紅葉谷コース』『大聖院コース』『大元コース』があります。
それともうひとつ、ロープウェーって方法が・・・乗り物好きな私としては迷うこと無くコレで♪



まずは紅葉谷駅から出発です。途中の榧谷(かやたに)駅まで8人乗りのゴンドラ。
循環式で1分間隔で乗れます。途中駅までは約10分。






榧谷駅で30人乗りの交走式に乗り換え、獅子岩駅を目指します。
5〜15分間隔で、乗車時間は約4分です。



ここまでくればもう瀬戸内海の素晴らしい眺望が・・・♪






14分間ほどの空中散歩を楽しんで、獅子岩駅に到着。ここは海抜430m、弥山山頂へはまだ徒歩で40分ほどありますが、まずはここの展望台へ♪



山のあちこちに花崗岩がゴロゴロ露出してます。山頂までの登山路には、富士岩だとか風吹き岩、幕岩、舟岩、鯨岩などなど名前がついていたりします。
これらの奇岩怪石は、岩石中の空洞に石英などの結晶が密集しているのが見られる晶洞群なんだそうです。



獅子岩がどれなのか・・・ちょっと分かりませんでしたが。



瀬戸内海に浮かぶ大黒神島、大奈佐美島、能美島、江田島など、8つの島々や四国、対岸の広島市の眺望が楽しめます。展望台には望遠鏡や島の説明板のところには名前と、何処のことか分かるよう専用ののぞき穴が設置されていました。



さて、いよいよここからは徒歩で山頂を目指します。山頂の標高は535m、ここからだと100mちょいの差なんですが・・・ちょっとした罠?何故か下り坂なんです。一度下ってから登るので実質は140mくらい登ることに?(^_^ゞ

山頂から下りて来る人を見たら、一様にキツそうに・・・10月半ばとは言え晴天。タンクトップに半パン姿のおばさん、赤い顔して汗だく。ちょっとヤバイかなと思いつつ出発。



ここが下りきった辺り、「天然記念物 弥山原始林」の石碑があります。



弥山原始林は、古くから神域として保護され、一万年以上前から手つかずのままの自然が残されており天然記念物、特別保護区、世界遺産に指定されています。その植生は独特で、寒い地域に棲息する種と暖かい地域のものが共存、固有種や希少種もあるようです。

ところで、ここで予期せぬアクシデント。家内の靴にトラブル、口を開けてます・・・靴底が剥がれてあんぐりと!これでは歩けそうにない。と言うことで、家内は獅子岩駅まで戻ることに。私一人、山頂を目指すこととなりました。(-。-;)

長袖のシャツの袖をまくり上げ汗をかきかき、休み休みしばし登って行くとちょっとした広場、境内に到着します。


〈弥山本堂(みせんほんどう)〉
806年、唐から帰国した弘法大師・空海が霊地を探し求めて宮島に立ち寄った際、山の姿が須弥山(しゅみせん:古代インドの世界観の中で中心にそびえる聖なる山)に似ているところから弥山(みせん)と名づけ、御堂を建て100日間の求聞持の修法を行ったのが、この「弥山本堂」だと伝えられています。



ご本尊は虚空蔵菩薩。脇に不動明王と毘沙門天を祀っています。
本堂横には「弥山七不思議 錫杖(しゃくじょう)の梅」があります。八重の紅梅で、弘法大師が立てかけた錫杖が根をはり、ついには梅の木になったという・・・
〈弥山本堂〉

〈霊火堂(大聖院)〉空海が護摩火を焚いて修行したとされる場所。
奥に見えるのは〈三鬼堂〉日本で唯一鬼を神として祀っている。
ちなみに本堂と三鬼堂の扁額は伊藤博文公が揮毫されたものです。



弘法大師・空海が去った後も弟子たちに護られた火は、約1200年経った今でも「消えずの火」として燃え続けています。
広島平和記念公園の「平和の灯火」の火はここから採火されたものだそうです。


〈霊火堂(大聖院)〉
恋人の聖地なんだそうです。燃え続ける愛の炎・・・ってことかな。
大きな釜で霊水が沸かされており、自由に飲んでもよかったみたいです。
飲めば万病に効くとか幸せになるとか・・・飲み損ねましたが。(^_^ゞ


「家内安全」の蝋燭を1本供えて来ました。永久に燃え続けることは無いでしょうが、宮島を出る頃までは消えないでしょう。
そうそう、家内は傷んだ靴で駅まで無事に戻れたかな・・・

黒く煤けて古い堂宇に見えますが、実は2005年に焼失、翌年に再建されたものです。火を消さないのはよいですが燃やし放しってのは危ないですね。ま、山への延焼や怪我人も出なかったのは、やはり空海のご加護のおかげかな?(^_^ゞ


〈文殊堂〉
本堂と霊火堂のある境内でしばし、いや結構休憩していたかな。飲料水の自動販売機はここより上には無いので、水分補給。もちろん獅子岩駅で買ったペットボトルは持っていましたが、もう半分以上飲んでしまっている。
頂上まではもうひと息・・・でもなさそう。すでに体力は消耗しているが、頑張ってみよう!てっぺん目指して♪

平安時代、空海によって開山された真言密教の修行の地(阿波の大龍嶽・土佐の室戸岬とともに、真言密教の日本三大道場となっています。)を過ぎると、いよいよ巨岩がつくる類い稀な光景の中を進むことに。

〈不動岩〉石洞の中には不動明王像が安置されています。

       〈くぐり岩〉
巨大な岩が折り重なってできたトンネルで「くぐり岩」と呼ばれている。
ここまで来れば、山頂はもう間近。途中、くじけそうにもなったが、下山の人達と声を掛け合いながら・・・何が何でも。写真では伝わらないだろうダイナミックなこの自然の造形にも励まされながね。




ついに、遂に!山頂です。ふぅ〜ッ! この記事も長いなぁ、ふぅ〜ッ!



山頂といっても尖ってない、広場みたいになってます。「弥山山頂展望台」が天辺のよう。



世界各国から観光客の方が訪れていました。ミシュランガイド三ツ星の絶景を堪能しに?ここも世界遺産の範囲内ですからね、見える景色は瀬戸内海国立公園だし♪
360度遮るものがない大パノラマ、頂上にたどり着いた者だけが目にすることができるご褒美の絶景♪



展望台は3層構造、3階屋上で大パノラマを堪能し、2階ではしばしお休み。休憩所のようになっています。ここでも素晴らしい景色が見られ、日陰で風も通るので、お弁当を広げたり昼寝したり・・・
2014年にリニューアルされたとかで、設備はバッチリ。1階にはトイレが完備、ただし自動販売機やカフェなどはありません。(^_^ゞ



山頂広場?一番大きい岩は神が鎮座するといわれている「盤座石」。
初代内閣総理大臣・伊藤博文も登頂されたようですが、当時は登山路も整備されていなかったろうし、展望台もなかったでしょうがこの眺めこそ真骨頂だと感激されたのでしょうね。
・・・現在は、こんなんで見れるんですが→『Googleストリートビュー』



ロープウェー獅子岩駅を確認することができます。あそこから歩いて来たのかと思うと、改めて達成感がふつふつと・・・
それはそうと、家内は大丈夫だったかな。駅まで下りて無事に合流することができました。駅で親切な人に靴を応急処置してもらったとか。麻縄でグルグル縛っただけですが。(^_^ゞ
結局、ロープウェーを降りて、できるだけ歩かずにすむようシャトルバスに乗り、商店街で簡単な履物を買ってその場で履き替えて、底の抜けた靴は破棄してもらいました。まだまだこの後、厳島神社や、もう一つ訪ねたいお寺もありますから歩き回らないと・・・



2017.10/9、宮島・弥山にて。

安芸の宮島、いつくしむ。

2018-02-12 11:31:55 | 旅アルバム
よく絵や写真で目にしてきた海の上の大鳥居、私にとっては初めての宮島。
松島・天橋立とならび日本三景のひとつにして、世界文化遺産『厳島神社』がある・・・人と神々が共に生きる島。



ところでこの島、「厳島」それとも「宮島」なのか・・・どうでもいいことを考えてしまう。厳島神社の祭神である、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の名に由来し、「神に斎く(いつく=仕える)島」の意もある。
国土地理院では「厳島」と示されるので、正式な名称は厳島。
ただ、江戸中期より「お宮(厳島神社)のある島」という意で宮島の呼称が定着、明治には「厳島町」だったのが戦後「宮島町」と改訂されるなど併用されている。
使い分けについても明確な決まりはなく、二つの呼び名が混在してしまっている。






海に浮かぶように建つ社殿群、この風景は他では見られないかも。
国宝・重要文化財の建造物は17棟3基・美術工芸55点など約260点。東廻廊45間、西廻廊62間。スケールも凄いですね。



観光客をまず迎えてくれるのは、宮島の鹿ちゃん。さすが広島の鹿?餌もお好み焼き。ちょっと待てよ、ここの鹿は奈良公園の鹿と違って餌をやってはいけないはず・・・お好み焼きの屋台のおっちゃんがやってましたw
何故、宮島に鹿が?奈良の鹿は春日大社の神の使いとして大切にされていますが、厳島神社のご祭神と鹿は全く無関係のはず。
どうやらもともといた鹿が島で大繁殖したよう。戦後、GHQが娯楽でハンティングしたため数千頭いたのが500頭くらいに減ったなんて話しもあるが、その後また増えたようで植物被害や人とのトラブルが目立ち始め10年ほど前からシカせんべいの販売禁止、餌やり禁止を呼びかけることで食べ物をもらえないとわかった鹿は山に戻り、市街地での数は相当減ったようです。
今は健全に共生しているって感じ。奈良公園の鹿のように執拗につきまとわない。



厳島神社に行く前にちょっと寄り道、豊国神社『千畳閣』。
豊臣秀吉が戦歿将兵の慰霊のために建立した大経堂、畳857枚分の広さから「千畳閣」と呼ばれるようになった。ちょっと足りないけどね。(^_^ゞ






豊国神社(とよくにじんじゃ・ほうこくじんじゃ)って、全国にも10ヵ所以上秀吉ゆかりの地にあったりします。ここの場合、もとは寺院だったものを神仏分離令により、厳島神社の末社として豊臣秀吉公と加藤清正公を祭神とする神社になった。
本来は経堂として建てられた伽藍、それにしては天井板も無いし、板壁も無い。
秀吉が建てたものならもっと豪華でもおかしくない・・・と思ったら、建築半ばで秀吉が没してしまい中断、その後も進められることなく未完成の状態のまま今に至っている。



何せ未完成ですから、伽藍とも社殿とも・・・江戸時代には既に交流の場、納涼の場として親しまれていたとか。天井はまるで絵馬堂のように奉納品が飾られていますね。



千畳閣と同じく重要文化財に指定されている五重塔が隣りに建っています。
景色もなかなかグーかな、厳島神社が見渡せます。



とりあえず広いし、風通しもいい♪ 訪ねたのは10月9日でしたけど残暑がぶり返した暑い日でしたが、ここは涼しくて良かったですよ。
船のような模型が展示され、天井には船が突き刺さっている?(^_^ゞ
例年8月には「管絃祭(かんげんさい)」と言われるお祭り(日本三大船神事のひとつ)が行なわれるようだが、その時に使われていた船かな?それとも戦用の船?



五重塔は1407(応永14)年に建立されたものと伝わっています。

[三翁神社(さんのうじんじゃ)]厳島神社の摂社、祭神はなんと全11柱!
願い事、何でも来いって感じなのかな・・・
平安時代、平清盛が日枝神社から勧進したのが始まりで明治維新後、厳島にあった末社を合祀していった結果、11もの神が集まることに。


さて、厳島神社を目前にしながら私らは紅葉谷の方へと向かいました。
その先にあるのは弥山(みせん)、厳島神社には失礼なんですが、私的にはこちらが優先。ぜひとも山頂まで登ってみたかったのです。

もみじ谷へ行く途中にとても素敵な旅館がありました。



『岩惣』。和レトロな歴史を感じさせるお宿、江戸末期の創業で皇族をはじめ、夏目漱石、森鴎外、ヘレン・ケラーなど著名人も多く宿泊した160余年の歴史を持つ老舗旅館。今も名だたる文豪から世界のセレブリティにも愛されている宿だとか。



お宿の回りは自然豊かな紅葉谷、最高のロケーションですな♪ミシュランガイド広島で1ツ星を獲得したようで、お食事処ではランチもいただけるとか。



弥山山頂までの道程は2つのロープウェイを乗り継いで、そこからまだ徒歩40分。

宮島の公衆トイレには鹿除けの「鹿戸」がついてます。トイレットペーパーを求めて荒らすのかな?(^_^ゞ



ロープウェイの駅までは無料のシャトルバスもありますが、やはり紅葉谷を歩いて行く方がいい。ちょうど喉が渇く頃に茶屋があります♪
迷わずラムネを1本。有名な後藤鉱泉所のものじゃ無いけれど、これも瓶詰めで明治30年創業と書いてある。齋藤飲料工業のものかな?

この日は10月とは言え快晴、気温も真夏日に近かった。この後、汗だくの弥山登山が待っています・・・



2017.10/9、広島・宮島にて。

歴史が見える丘、入舟山公園へ。

2018-01-30 23:08:02 | 旅アルバム
今回の広島行きは家内の用事でまずは呉に行きました。家内が用事を済ましている間、私は一人で呉を散策することにしました。
まずは「てつのくじら館」を見学した後、日本遺産がある入舟山公園に向かいます。この公園は入舟山記念館、呉市美術館、市民広場、運動グランドなど多目的な市民公園になっています。




『入舟山記念館』の門には「旧呉鎮守府司令長官官舎」とあります。
平成28年、この呉市を含む旧軍港4市(横須賀市・佐世保市・舞鶴市)が、「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」として日本遺産に認定されました。

門の前には・・・


[塔時計]旧呉海軍工廠(こうしょう)造機部屋上に設置されていたもので、国産の電動親子式衝動時計として最も古い部類のもので1921(大正10)年製で、1981(昭和56)年に復元し今でも動いています。

[番兵塔]昼夜を問わず立哨が行なわれていたため、足元の部分が擦り減って跡が残っています。


[券売所]ボランティアガイド詰所にもなっていました。
この建物のレンガは、初代の呉鎮守府庁舎に使われていたものだそうです。

門を入ると・・・
[1号館・旧火薬庫]切石造りのこの建物は、広島湾要塞の一つである高烏山砲台の火薬庫を移設したもの。

[郷土館]2階は展示室で入舟山記念館の歴史を展示している。


[砲身]12センチ高角砲砲身、昭和18年に製造されたもので昭和56年に旧海軍工廠砲火工場跡の地中から発見されたもの。
もう一つ、パロット砲砲身と考えられているものも展示されていた。
[この世界の片隅に]一昨年公開されたアニメ映画、数々の賞を受賞して今もロングラン上映している話題のアニメ。その主人公「すず」を声優として演じた女優「のん」さんのサイン入りポスターが郷土館にありました。ここもロケ地・聖地巡礼ってやつの1つなのかな?(^_^ゞ




昨年になりますが10月7日、8日は入船山記念館50周年イベント「呉の歴史の森フェスタ」が開催されており、地元の高校生(呉高等専門学校)が出している屋台が並んで賑やかでした。
このイベントを狙った訳じゃなく偶然遭遇したのですが、お蔭で観覧料は無料だし、高校生たちのおもてなしコーヒーも飲み放題♪いろいろな企画も楽しみました。クイズラリーなんてのもあって、全問正解ならプレゼントがもらえる。私は1問だけ間違えていたのですが、採点係の高校生に答えを教えてもらって、すぐさま書き直し「これで全問正解ね」って、景品の絵はがきをちゃっかりもらいましたよ。(^_^ゞ

昭和43年に廃止された呉市電の舗道を移設した石畳の路の先に見えてきたのが「旧呉鎮守府司令長官官舎」(重文)です。


[洋館部分]英国風半木骨造(ハーフティンバー様式)で、屋根は天然粘板岩(スレート)の魚鱗葺。

この官舎は1905(明治38)年に建築され、第7代〜32代までの約40年間、呉鎮守府司令長官の公邸として使用されました。設計は英国で建築を学んだ櫻井小太郎。
戦後1956(昭和31)年までイギリス連邦占領軍(BCOF)の司令官官舎として利用された際、壁紙の上からペンキを塗って白壁にするなど改装されていましたが、1991(平成3)年から4年かけて大規模補修し、建築当初の姿に戻したものです。



玄関ドアの上側と左右には英国製のステンドグラスがはめ込まれ、ドアのガラスには桜と錨の図柄がエッチングされているのが印象的です。(トップ画は内側から撮ったもの)



この洋館部分は執務室や応接間として迎賓館的な役割も果たしていたようで、テーブルには当時の食事も再現されていました。



壁や天井には全国でも珍しい金唐紙(きんからかみ)が貼られています。
この金唐紙、国内では数例しか確認されてなく、BCOF接収時代に上からペンキを塗られていたのを修復工事の過程で発見され、復元のため新たに製作されたものです。



家具や調度品も英国でしつらえたものが多く残っているようです。

建物は洋館部分と和館部分が接合された造りになっていて、洋館の裏側に司令長官の家族を含めた日常生活の場としての和館があり、洋館と行き来ができるよう繋がっています。



和館部分の方は質素ながら部屋数も多く、畳敷きで落ち着いた造りでした。

記念館の奥には歴史民俗資料館があり、訪ねてみましたが写真は撮っていません。
公園内には入舟山記念館に隣接して呉市立美術館があり、前の道は日本の道100選に選ばれている「美術館通り」と呼ばれています。

車道は一方通行、歩道は赤レンガ風のタイル敷。けやきと松の並木が続く。
200mほどだろうか、彫刻が点在していて飽きずにゆるりと散歩ができそうです♪


[トリオソナタ・ハーブ 工藤健作]3部作でバイオリン、フルートがある。

[美術館玄関]

[愛に生きる 上田直次作]


[走る童子 薮内佐斗司作]      [しゃがむ女 柳原義達作]

[切り株に座って 黒川晃彦作]

[うでをくむ男 関孝行作]
野外彫刻は両側に全部で16、7点あるようです。



歩道のベンチには、呉の民話「乙女椿」をモチーフにしたと思われるレリーフが。
マンホール蓋も呉らしく戦艦大和がモチーフに。この大和のマンホール蓋、呉市各所で色んなデザインが見られるようです。



さて、呉駅前で家内と合流して、原爆ドームにほど近い広島の宿に向かいます。
オープンエアのドライブ途中、陽が落ちそうになったので夕陽を見に海岸へ寄り道。ちょっと間に合わなかった。(^_^ゞ


2017.10/8、広島にて。

てつのくじらの腹の中は?

2018-01-23 23:51:01 | 旅アルバム
去年の秋ですが、またまた広島の呉に行きました。
大和ミュージアムには以前行ったのですが、その向かいにある
海上自衛隊呉資料館『てつのくじら館』にはまだ行けてなかったので
今回は真っ先に訪ねました。
なにせ本物の潜水艦がどかんと置いてあるから気になってね。(^_^ゞ






入館料は無料♪ 気になる潜水艦の中も見学できます。
ボランティアガイドさんに質問などもでき、館内はバリアフリー。
でも潜水艦の中はベビーカー、車椅子は入れません。撮影も禁止でした。
ブログなどで潜水艦の中も写真で紹介されている方も多々おられるのですが、
何か方法があったのかな?



潜水艦「あきしお」2,250トン・ゆうしお型潜水艦の7番艦。
ディーゼル2基、モーター1基。速力20ノット(水中)
長さ76.2m・幅9.9m・深さ10.2m、乗員75名。
1985年進水、2004年除籍。2006年にここの屋外展示物として搬入。
実物の潜水艦の展示・見学ができるのは日本ではここだけだそうで、
リアリティあります。想像通り狭い。でも映画などで見るUボートや
伊号なんかよりは快適そうでした。(^_^ゞ


館内は3階までいろんな展示物や映像、写真パネルが見られます。





[フロート]
一瞬魚雷かと思いましたが、掃海時音響掃海具を吊るすためのウキです。
あくまで平和利用のアピール?






潜水艦での生活は決して楽そうでは無いですねぃ。
戦後、海自潜水艦の原点は戦中には敵船として存在していた米潜水艦「ミンゴ」。
1955年に海自にやって来て「くろしお」と名前を変え、現在の日本の潜水艦のルーツとなる。すでに艦齢12年を過ぎていたが、海自に来てから15年間潜水艦隊の発展に寄与した。






海上自衛隊の資料館だから当然、その自衛隊の活躍ぶりの展示が所狭しと・・・
特に機雷除去の掃海に関するものが多いかな、国際貢献とかなんとか。




潜望鏡はやはり人気の的。ちゃんと外の海が見えるように固定されている。
映画などの影響からか、潜望鏡を覗くのってワクワクする。本物だから特にね♪



13m潜望鏡1型改2、何に装備されていたものかな。ちなみにレンズはNikon製。



こちらには2台の双眼鏡が展示されており、覗くことができる。
どちらも先の大戦で潜水艦に搭載されていたもの。左は米潜水艦「ミンゴ」(=くろしお)のもので、アメリカ製。倍率8倍。
右は日本海軍 伊400型潜水艦用のもので、倍率22倍のNikon製。
覗き比べると明らかに日本製の優秀さを誇示した展示のようかな?(^_^ゞ
戦時中は「海のニッコー、陸のトーコー」と言われていたそうです。
海軍は三菱の資本により創設された日本光学(ニッコー=現ニコン)を使い、
陸軍向けは東京光学(トーコー=現トプコン)に決めていたようです。

ご存じだろうか、海上自衛隊の潜水艦、もともと16隻と定められていましたが、2010年にこれを22隻に増強することが政府によって決定されました。
潜水艦を建造しているのは三菱重工と川崎重工の2社のみ。いずれの造船所も神戸にあり、1年に1隻のペースで交互に随意契約されています。
定数を守るため今まで艦齢16年で退役するようになっていたのですが、これって世界でも異例なほど短命で、まだまだ現役で使える状態だそうです。今後は定数を22年にすることで、艦齢22年に延ばすことになるとか。
・・・それって、毎年造らなきゃ済むことじゃないの?って思ってしまうけど。
だいたい潜水艦ってそんなに要るのかなとも・・・


いずれにしろ、艦の見つめる先は平和で安全な海であって欲しいと願います。

2017.10/8、海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」にて。

帰り道、戻り道。

2015-11-29 23:54:16 | 旅アルバム
四国旅行レポ、やっとこさ最後の帰り道・・・(^_^ゞ

最終目的地であった「龍河洞」を後にします。




そうそう洞内には天然記念物のコウモリの群集が・・・



ただし真っ暗だったので姿は見られませんでした。
羽音と鳴き声のような音は聞こえましたが、もちろん保護のため
フラッシュによる撮影は禁止。当然ストロボ撮影でなければ
写らないだろうし、余程の光量のストロボでないと届かないでしょう
天井が高いので。ま、低い天井にこれ程の群がいたらコワいけど。(^_^ゞ




下り坂、階段を降りるのですが、これが数百メートル?
登り以上にキツかったかも・・・
特に直前の交通事故で膝を痛めていた家内にとってはね。




帰路は比較的余裕をもって、高知自動車道では「馬立PA」、
徳島自動車道では「吉野川ハイウェイオアシス」で休憩。



吉野川を眺望できる露天風呂なんかもありましたが・・・




遅いお昼ご飯をココでとることに、「徳島ラーメン」の看板が
目に入ったので、やはりご当地ラーメンを賞味してみようかと。



発祥の地でもないので本格的なものじゃないでしょうが、肉卵入りを。
徳島ラーメンの定義が何なのかよく知りませんが、一般的に豚骨スープに
濃口醤油やたまり醤油で味付けし中細麺で、トッピングは豚のバラ肉・
ネギ・もやしなど。生卵を乗せるのが特徴とされているようです。
スープの味は濃いめで甘め。ご飯のおかずになりそう。



ソフトは馬立PAで食べたものでした・・・(^_^ゞ

腹ごなしに、ちょっと展望デッキに出て・・・



屋形船の遊覧船はここから出ているようです。



遊覧船の案内に「四季折々の美しい自然と神秘的な奇岩、怪岩がお出迎え。
吉野川中流域唯一の景勝遊楽の地として、昔から詩歌に詠まれ、絵筆に
親しまれてきた徳島県の名勝・天然記念物に指定の「美濃田の渕」。
藍碧透明の水面には「獅子岩」「鯉釣岩」「作造岩」などと名付けられた
奇岩、怪岩がぽっかりと浮かび、神秘的な趣をたたえています。」
とありました。



だいぶ陽も傾き、暗くなってきそうなので遊覧船も温泉も諦め
帰路にもどります。



淡路ハイウェイオアシスを横目に、明石海峡大橋を渡って本州に上陸。
SWの渋滞が予測される高速道路を避けて、神戸辺りから下道で
結構スイスイ帰って来られました♪


2015.9/23、明石海峡大橋にて。

結婚40周年を記念しての四国小旅行でしたが、私らが結婚した1975年って
こんな年だったんです。
『まんが日本昔ばなし』放送開始
ザ・ピーナッツが引退
マイクロソフト社設立。
クイズ番組『パネルクイズ アタック25』(ABC・NET系)放送開始。
・・・長く続いてますね、今でも毎週録画して見てますよ。
ソニーがベータマックスの家庭用ビデオテープレコーダ1号機発売。
・・・電化製品の寿命は短い?ベータは何年間くらい作ったのだろ?
沖縄国際海洋博覧会開幕。
・・・沖縄返還の3年後の大イベント。新婚旅行は沖縄でしたが
10月だったのでもう閉幕していました。
そうそう、今も記念に保管しているHonda XL125が発売されたのがこの年です。

龍がどうしたって?

2015-11-26 17:09:23 | 旅アルバム
四国旅行最後の目的地は「龍河洞」、思っていた以上に規模が大きく
楽しめました♪
龍河洞は秋芳洞、龍泉洞と並んで日本三大鍾乳洞に数えられています。
国の天然記念物および国の史跡。日本の地質百選に選定されている・・・
日本の鍾乳洞の中でも古くから知られた鍾乳洞観光地、折角だから
一度は見て置かないとね。



龍河洞のキャラクター、リューくん。これもやなせたかし作でした。



チャリでのお遍路さん、多く見られました。



この建物は、公衆トイレ。(^_^ゞ




駐車場から龍河洞へ行く路には、お土産屋さんが軒を連ねていました。
まるで門前通り、温泉街のような・・・古い観光地の味わい?







入り口まで行くには急な長い石段を・・・おっ!エスカレーター♪



貧脚な私らは迷わずエスカレーターへ!
ここで体力を温存したのが後々、ヨカッタと思えました。(^_^ゞ




洞入口もワイルド、冒険気分をそそります・・・

こちらは竜王神社、承久の乱により土佐に流された土御門上皇が入洞
された折り、錦の小蛇が現れ案内したとか。その蛇を祀っているとか。
上皇の龍駕(お乗物)が転じて、“龍河”の名称の起源とも言われています。



総延長は約4kmあるそうですが、一般観光コースは1km、
観光コースの長さは秋芳洞並みです。
他に冒険コース(要予約・要装備)なんてのもあるようです。


〈石花殿〉



序盤3分の1くらいは小川沿いの通路で、あまり鍾乳石や石筍が
見られませんが、洞窟探検気分にはなれます。


〈千仭(せんじん)の間〉
洞内で一番天井が高い場所、30mほどあるそうです。写真はその天井。



天井も高かったり頭上注意の場所もあったり、路幅も思いっきり
狭いところもあったりと、なかなか面白い。





〈雲の掛橋〉
鍾乳洞にはいろんな名前が付けられているのも楽しみのひとつ?(^_^ゞ

〈飛竜の滝〉

        〈記念の滝〉

垂直に落下する飛竜の滝、雨があまり降っていなかったので水量は
それほど多くなかったです。
記念の滝は、11mで洞内最大。昭和6年にこの滝を発見した研究者
山内氏が、その思い出を残すために「記念の滝」と名付けられたとか。





〈前の千本〉
エイリアンの卵でもありそうですねぃ・・・


〈天降石〉
洞内最大の巨大な鍾乳石「天降石」。記念の滝のすぐ先にあって
広場のようになっています。記念碑もあり、ガイドさんが説明をされていました。

〈奥の千本〉

        〈中間点〉くらげ石?
前の千本があれば、奥の千本もね。中間点まではスイスイ来れました。


〈裏見の滝〉
恨み・・・じゃなくてヨカッタ。鍾乳洞らしい光景ですね。

        〈龍口〉

〈流礫棚〉


〈玉簾の滝〉高さ6m、幅4m。


        〈双葉山のへそすり石〉
元横綱双葉山が昭和14年入洞の際、狭くておへそを擦りむいたそうで。
スリムな(?)私でも窮屈なところがありましたもん、小錦は絶対ムリ!




様々な鍾乳石、石筍(せきじゅん)、石柱やつらら状、幕状など
一堂に見られる場所もありました。
鍾乳洞はだいたい暗いですけれど、肉眼ではそれなりに見えるのに
写真に撮るのは結構難儀、ストロボを使うと手前の光が当たるところだけ
写って、影の部分は全く潰れてしまう。三脚立ててじっくり撮っていたら
半日洞窟から出て来れないかも。(^_^ゞ
手持ちで露光量を稼ごうと思えばシャッタースピードが遅くなって
ブレブレに。今回もほとんどストロボを使わず手持ちで撮りましたが、
そのままだと真っ暗けの画像なので後処理で増感しましたが、
難しいですね。

        〈シャンデリア〉ん~、そうかなぁ?

〈鮭の石〉これは納得、そう見える見える。



〈七福神の館〉

〈七福神〉何となくそれっぽいけど、ムリがある?

        〈万象殿〉
異様に創造された無数の石筍の集合が森羅万象の如くってことらしい。
僧正を囲んで、数人の僧侶が居並び読経をしているとも・・・?苦しい~




マリアさまにお釈迦さま・・・どこを見ればそう見えるのか??



終盤に差し掛かるところ、文字通り「しんどい」階段が延々と続きます。



途中、休憩できる場所もありますが・・・



洞窟内で峠!そう言えばエスカレーターに「出口はビル20階くらい上」
って書いてあった。あそこで石段を避けたのは正解だったかも。(^_^ゞ




さて、終盤に龍河洞のウリでもある先人の住居跡が・・・



約2000年前、弥生時代といえばもう平野に竪穴式住居、農耕が始まって
いたのに、こんな洞窟生活をしていた一族も居たんですね。
狩猟生活をしていたようで、獣骨なども発見されています。





部屋もいくつかありますが、きっと掘ったりせず適当に住みやすい場所を
探して住み着いたのかな。
明かりと暖をとり、調理もしたのでしょう炉跡もあります。山の中なのに
貝殻なども沢山あったとか、結構グルメな生活をしていたのかな。

水も豊富だし、その水汲み場と思われるところに土器の壷が2000年の間に
その約1/3が石灰華におおわれて残っています。

〈神の壷〉あちゃー、ボケボケ!

        仕方がないので、パンフレットの写真を拝借↑

神の壷2世の実験も・・・



洞窟の発見が昭和6年、実験を始めたのが昭和12年。
当時の龍河洞保存会が、2000年前の『神の壺』と比べてみようと
壺を置きました。ちなみにこちらの壺は弥生時代のものではなくて、
昭和12年当時の物だそうです。
よく見ると100年も経たないのに、それなりに鍾乳石化してきてます。
「神の壷」と呼べるようになるには、まだまだ十数世代の人間が
神や仏にならないとね・・・。

神代の昔からなんて言うけれど、この洞窟が形造られたのは人類が
出現するずっとずっと前のこと・・・何て考えながら
「天の岩戸」って書かれた出口から現世に戻ります。(^_^ゞ

高低差60m、行程1km、普通なら30分ほどの一般コース。洞窟に入って
最初の1枚目を撮ったのが11:42、出口を撮ったのは12:39でした。


2015.9/23、龍河洞にて。

名車がずらり??

2015-11-16 23:26:46 | 旅アルバム
『四国自動車博物館』、名前は重厚だが果たして・・・
クルマ好きなら一度は行っとかなあかんやろって名前なんで、
以前から気になっていました。機会があれば行ってみようって!



えっ?こんなんかって一瞬思いましたが、ミュージアムはこの隣り。
この建物は非展示車の倉庫か何か・・・?



これなら、まぁ何とか・・・ショーウインドウに見えているのは
FERRARI 246GTかな。展示車は入替えがあるようなので、運任せ?


エントランス、資料室兼グッズ販売?には、フェラーリF1マシンがッ!



でもちょっと変!何時の年式?こんなカタチあったっけ、F1っぽくない。
ゼッケン27はフェラーリF1の代表イメージなナンバーだけど・・・
これ、実はローラF3000マシンにまんまフェラーリF1のカラーリングを
施したまがいもの。何の説明も無かったので、本物を観た気になった
人も居るかもね、ちょっと悪趣味というか博物館って言うからには
問題ありかな・・・


馬鹿にしないでよ Play Back、Play Back!
・・・真っ赤なポルシェが歌ってるような。(^_^ゞ


〈Porsche 934〉

〈Abarth Record Monza LM〉

〈Fiat Abarth 2000 SPORT SPIDER Ser.II〉





〈Fiat Abarth 1000SP〉

〈Alfa Romeo Giulia TZ2〉

お分かりのように、展示車列の後ろの壁は鏡張り。
リアビューもよく見えるようになっています♪



鏡壁効果でとても広くて、沢山展示されているように錯覚します。



〈Alfa Romeo Giulia TZ2〉



〈SHELBY-AC COBRA 427〉

好きなクルマの1台です。世界でもっとも獰猛なクルマ、
スネークダッシュの”走る爆弾”。


〈ALFA ROMEO GTA1300 Junior Gr.5 MONZEGLIO〉

〈ALFA ROMEO Giulietta Spider VELOCE〉





〈ALFA ROMEO 155 V6 Ti〉

〈McLaren M6GT〉



〈Lamborghini Countach LP400〉

〈LOTUS EUROPA SPECIAL (TYPE74)〉

〈LOTUS SUPER7〉





〈FORD RS200〉

〈FIAT ABARTH 131 RALLY〉



〈LANCIA STRATO'S〉

これも好きなクルマです。
パワーユニットはフェラーリ・ディノエンジン(V6/2418cc)でした。
ラリー車ながらル・マン24時間耐久クラス優勝などしました。


〈LANCIA DELTA S4〉


手前〈LANCIA RALLY 037 WORKS〉 奥が〈LANCIA DELTA S4〉


実はココで一番観たかったものは『PORSCHE 906 CARRERA6』
これまで日本には3台上陸。この3台はいずれも第4回日本グランプリに
出場、生沢徹選手のカレラ6が見事優勝を果たしたレーシングカーです。
現在、日本では2台が保存されており、その内の1台がここで観られる
はずだったのに・・・(涙)。今回展示は無かった!
カレラ6は、タミヤ模型でプラモデルやスロットカーを
何台作ったことか・・・私。(^_^ゞ 本物を観たかったなぁ。ムネンッ!


そうそう、もう1台のカレラ6は7年前に観ました、
ポルシェ962と同時にね。『コレ』
その前年にはプリンスR380、ニッサンプリンスR380IIも。『コレ』
いずれも『BP大阪ノスタルジックカーショー』でした♪


変わりにかな?こんなもんが置いてあった・・・
ま、これでもイイけれど、できればトヨタ7とか無いのかな。


〈TOYOTA DENSO 88C〉
展示車は1989年ル・マン24時間耐久レースを戦ったトヨタ88Cそのもの。
ドライバーは星野薫、鈴木恵一、Didier Artzet。

こちらは全日本F3000選手権90年・91年に片山右京がハンドルを握った
マシン。〈F3000 CABIN RACING TEAM with HEROS〉

中学生の頃はこんな本をよく読んでたな。(^_^ゞ


日本の自動車史に欠かせないクルマたちも、ほんの少しだけですが
展示がありました。


〈スバル 360〉

〈トヨタ カローラ〉

〈トヨタ パブリカ〉

日本に於ける大衆乗用車時代幕開けを感じさせるクルマたちですね。
パブリカのネーミングはもろパブリックカー、公募で決まったものです。
発売後、何度か値下げされ35.9万円の価格になり1,000ドルカーと
言われました。(当時1ドルが360円の固定相場)
この頃よりローン販売も整備されてきて、
「月給取りが月賦でマイカーが買える」時代に・・・



エアコンの無い時代、いろいろと工夫が見られますね。




戦後初の純国産乗用車ということになるのかな、トヨペットクラウン。
まだまだ高値の花、憧れのクルマだったでしょうね。
最初期型は福山自動車時計博物館で見られます。ここの展示車は
トヨペットクラウンの最終モデル。走行距離が4,000キロちょいだそう。

〈トヨペットクラウン 1900 デラックスRS31型〉

〈TOYOTA SPORTS 800〉

2シーターライトウェイトスポーツカーですね。
ホンダの「エスハチ」に対して「ヨタハチ」と呼ばれていました。
ベースはパブリカでエンジンも空冷2気筒、でもスタイルはイイですね♪








〈TOYOTA 2000GT (前期モデル)〉

これも日本の自動車史において輝く1台。プラモやミニカーも多いです。
ロングノーズ/ショートデッキの流麗なスタイリングに、当時最新の
技術を注ぎ込み、内装も贅を尽くしている。
ヤマハ発動機との共同開発?技術供与を受けたとなっているが、
開発拠点も製造もヤマハの工場で行なわれていた。
インパネやステアリングホイールも木製で、ヤマハのピアノ製造の技術?
まるで工芸品レベルのようです。
当時(1967年)の価格は238万円、今なら1500万円から2000万円程度。
今、同じものを新車で作るとなると1億円はかかると聞いたことがある。

ここの日本車の展示、どうもトヨタ寄り過ぎないかなと思ったら・・・
「四国自動車博物館」と名前は公共的ですが、運営しているのは
ネッツトヨタ南国。展示されているのも社長のコレクションが
主体のようで、それはそれでスゴイんですがね。
観る方は少し物足りないような・・・
大人800円(ネッツトヨタ南国発行のTS3カード会員本人は無料)



2015.9/23、四国自動車博物館にて。