カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

ランチでライブ♪

2011-07-30 23:54:53 | ランチ/カフェ
7月もあと1日で終わりですね、
今月はこれといって何処へも出かけなかった。明日は何処かドライブにでも行きたいものですが・・・(^_^ゞ

ところで、ロードスター・オーナーの皆さん、8月7日は『神戸ミーティング』があるんですね。みんカラの常連さん達が集まるのかな、行けたら行ってみようかと思ってます。

前述の通り今月の話題は全く無く。まだ紀三井寺へ行った時の話です。
出かける直前にランチを何処で?と言うことで、ネット検索。
3軒ほど候補の電話番号をメモして出かけました。
紀三井寺周辺でランチメニューのあるところってことで検索したので、最初の候補は海辺のカフェ。ところがナビも知らんって!電話をしてみても通じません。仕方なく、2番目の候補です。ここはちゃんとナビが案内してくれました。でも、表通りから入り組んだ場所で、近くに来ているのに店が見つかりません。
うろうろ迷って、やっと店が見つかったのですが、駐車場は満車っぽい。店の前で停っていると、お店のオーナーらしき方が出て来られ、
「何でしょう?」・・・みたいな。「ランチを食べに来たのですが・・・」と言うと、この日はライブをやっているようで、通常営業じゃないとのこと。
それでも京都から来たって知ると、満席だけれど何とかしましょうと2階席なら用意できるとのことで、駐車スペースも案内してくれました。





『デサフィナード』ってお店です。
食べログでパパッと検索しただけだったので、JAZZの生演奏などがあるって事だけで、イベントのスケジュールまでは分かりませんでした。
とにかく準備してくれるというので、お言葉に甘えて・・・
非常階段から2階に案内してもらい。オーダーを済ませます。






普段なら明るく落ち着いた席なんでしょうが、窓には暗幕が貼られ、暗ッ!
実は2階はこの日、出演のミュージシャンやスタッフの控室として使われるはずだったようです。お客が溢れたため急きょ、半分仕切って客席にしたようで。
仕切られた残りの半分は楽屋、FM放送のブースになっていて、出演前のアーティストさんたちを見かけたり・・・

そんな中、とりあえず食事にはありつけました。



家内はオムライス、私はカレー・・・ま、それなりに美味しかったけれど、ランチメニューとしては想定外。
写真も暗くて撮れなかったのですが、
家内がとうとうフラッシュ、バチコン!(笑)




食事が終わった頃、もうすぐこの日2回目のライブが始まるから見てって下さい。との事でしたから、お言葉に甘えて・・・

お店の前で声を掛けられ、何処から来られたかと聞かれたので「京都から」って答えたのですが、偶然この日のヴォーカルが京都出身とかで。それならぜひっ見ていかれたら・・・てな話になったものですから。
おそらく息子らと同世代、何かかかわりでもあるかなと思ったのですが、ヴォーカルのTOMYさん、伊根町出身。遠すぎます、全くかかわりなさそう。







QU-E(クエ)ってインディーズ音楽ユニット。
ユニット名の「クエ」は、伊根町=漁港=魚のクエ・・・ってことかな?
ヴォーカルのTOMYさんとピアノ演奏・コーラスのSASAGUさんのユニットで、もう一人の女性は助っ人さんでコーラスを担当してました。
TOMYさん、大阪芸大でオペラを学んだりとか実力派?バンド結成は2003年、共に大阪芸大出身のようです。ストリートの経験もあるとか。
『QU-E オフィシャルサイト』
『TOMYさんのブログ』

百年後の歌/QU-E


キャッチーで良い音楽ですね♪ ライブは最後まで楽しませてもらいました。

ランチだけのつもりが、思わぬ偶然、嬉しいサプライズでした。



私もとうとうストロボ、バチバチ。ま、普通ならできないですがライブならね。本当はコンデジで動画も撮ったのですが、権利問題など発生するかも知れないので、アップは控えます。
そうそう、ここのレストラン、こんな問題も抱えているようです。
『デサフィナード事件』
(お店のHP) (和歌山訴訟速報)




さて、この後、西国三十三ヵ所巡りのお寺にもうひとつ行って、
帰路のSAで・・・





はいッ!ダイドーの『仮面サイダー』です。jimmy.さんと被りましたw

坂、さかさま?

2011-07-28 00:42:01 | 西国三十三所巡礼
紀三井寺といえば・・・

楼門から境内まで続く231段の急な石段が有名なんだそうです。
この石段は『厄除け坂』とも言われ、女厄33段、男厄42段、還暦60段と踊り場ごとに区切られていて、石段を登ると厄除けのご利益があると言われています。

前述したように、私らは裏門のスロープから境内に入ったもので・・・
楼門からの石段は最後に降りただけ。(^_^ゞ
ご利益は???









はっきり言って、降りるのは楽ちん。
登って行く人を見上げながら写真を撮ってるだけ。
とは言え、裏門からでも行き着くところは同じ標高なので、緩やかな部分があるけれど2回登った運動不足の私にとっては、息切れものでした。
ちなみに裏門からはバリアフリーも考えてか境内まで車で登れる車道になってます。ただそれだと時間がかかるので、バイパスの階段もあって徒歩の場合そちらを使いますから、何段あったかは知らないけれど同じことだと・・・但し、やっぱりずっと楽だそうですが。


楼門からの石段の途中には、いくつかの塔頭(たっちゅう)が建っています。





お土産物を売ってたりとかで、塔頭と呼べるのかどうか・・・








坂様、道順さかさまなので、楼門に降りて来ました。








この坂、「結縁坂(けちえんざか)」とも呼ばれています。
江戸時代の豪商・紀ノ国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけになったと言う謂れがあります。



ちなみに、楼門は国指定重要文化財。室町時代(1509)建立。
三間一戸・入母屋造・本瓦葺き
建立以来たびたびの修理を受け、桃山時代の様式を残す。(高欄付きの縁をめぐらせた通路や和様三手先腰組)欄間には、牡丹と菊の彫刻があざやか。金剛力士像を安置。






まったりと、門前のお店を見て回るのも楽しいです。
子供の頃ならねだってただろうなってものも・・・(^_^ゞ



そうそう、紀三井寺といえば・・・

その名の由来は、紀州の三つの井がある寺。三ヵ所の湧水があります。
総称で「三井水」と呼ばれ、北より吉祥水・清浄水・楊柳水。
名水百選に選ばれてます。


一番目立つところにあるのが、「清浄水」。石段の途中にあります。







ここから石段の参道を少し外れたところに「楊柳水」がありました。






訪れる人も少ないようで、寂れた感じ。湧水もほんのちょっぴり・・・


もうひとつの「吉祥水」が、何処なのやら見当たりません。
パンフレットを見ると、どうやら境内には無く、離れたところのようです。方向は裏門の方なので、ちょうど駐車場の方。
そこで駐車場のおばちゃんに訊ねればと思ってたら、顔を見るなり
「吉祥水探されてる?この道を・・・」またしても見透かされた。





ここもまた長い階段、住宅地を抜けて登って行くと・・・





水は、とっても冷たくて気持ち良かった。
「飲料にする場合、煮沸」は、どこの名水でもお決まりですね。

それにしてもここも訪れる人は少ないのかな?
分かる気もするけど↓




余談ですが、滋賀県に「三井寺」ってお寺があります。
正式には「長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)」ですが
紀三井寺の本家みたいな名前ですが、宗派も違うし関係なさそう。
じゃぁ三井寺も三つの湧水が・・・と思ったら、こちらは一つだけ。
天智・天武・持統の三帝が産湯に用いたという霊泉があり、そのことから三井寺と呼ぶようになったようです。
気になっていた謎が解決・・・♪




2011.6/26、紀三井寺にて。

第二番札所 紀三井寺

2011-07-24 17:04:44 | 西国三十三所巡礼
西国三十三ヵ所巡礼、二番目の札所へ参りましょ。と言っても
ひと月ほど前の話になりますが・・・(^_^ゞ

さて、和歌山まで行くにあたって、新しいルートで行ってみました。
まだナビもGoogleMapでもフォローしていない、開通したての「阪神高速8号京都線」。その起点(終点?)が、近くにあるもので。
その入口を入れば、紀三井寺最寄りの和歌山ICまで、一度も降りずに高速道路で行ってしまえるようになりました♪


「山科入口」です。ピィさんの最近の記事と被ります(笑)


入口を入れば直ぐにトンネル、トンネルを抜けると「鴨川東」です。
ここまでは以前から出来ていたのですが「鴨川東」から「上鳥羽」間が、なかなか開通せず、やっと今年の春に開通したってことで・・・できることなら高速1000円の時に走りたかったな。実は割引終了した翌週なんです。


ほどなく京セラビルを横に見て、阪神高速8号京都線は巨椋池料金所で終わり、「第二京阪」と名称が変わります。


「久御山JCT」京滋バイパス、第二京阪に分かれます。
「門真JCT」までが第二京阪になります。


「門真JCT」から近畿自動車道に入り、「松原JCT」からは阪和自動車道に・・・岸和田、貝塚を抜けて「和歌山IC」で降ります。
高速道全行程115kmくらいかな?料金2400円だったと思います。


車椅子マークが付いているけど・・・?


途中、紀の川SAに。





11時、この分じゃお昼ご飯は遅くなりそうなので、ちょっとムシ抑え。




子ツバメちゃん達はお腹が減ってないのか落ち着いてる。
それにしてもエライ顔やな(笑)


和歌山ICを出た後は、県道を走って紀三井寺に到着。
ナビ通り走っていたら紀三井寺駐車場へ案内してくれたので、そこへ停めるが、何か変。狭いし整備されてない感じ。どうやら裏門やったらしい。





ここで駐車料金と入山料(セットで350円だったかな?)を払って
急な坂道を登っていく。息切れw。それでもまだこちらからの方がマシだそうです。もっと体力の無い方用にか、もう少し上にも10台ほどの駐車場が設けられてます。但し、料金は増額・・・

境内に辿り着いたら、おお、海が見えるやん♪






和歌の浦の絶景

京都のお寺も美しい景色を借景にしているところがよくあるが、
海、水平線が借景のところは無い・・・あたり前だが。(^_^ゞ

ここで、ふと気がついた。スタンプ帳 納経帖をトランクに入れたまま・・・再び急な坂を降りて、駐車場のおばちゃんに「ちょっと忘れ物を取りに」って断ったら「ひょっとして納経帖?そりゃ大変や」って、見透かされたw
また登って・・・すでにヘタリかけ。

境内の木漏れ日で頭がくらくら(笑)



紀三井寺は今から約1240年前の西暦770年(宝亀元年)唐から渡って来られた僧、為光(いこう)上人によって開基された霊刹です。
上人は行脚の途中、たまたまこの地に泊まり、夜半に名草山山頂付近から発する霊光を観じられ、翌日登山、そこで金色に輝く千手観音像を感得されたという。為光上人は「この地こそは観音慈悲の霊場である」とし、自ら十一面観世音菩薩を一刀三礼で刻み、これを祀る堂宇を建立したという。これが紀三井寺の創始と伝えられている。



ご神木、樹齢約400年の樟。幹周6m 高さ21m。(市指定天然記念物)


茶店、いいところにあるんですよね。でも今回はスルー。





プールみたいな四角い池に「ごくらく橋」。何だかなぁ・・・



本堂(県指定重要文化財)江戸時代・宝歴9年(1759)建立
入母屋造・正面唐破風と千鳥破風・本瓦葺き・九間四面・総欅造り


西田敏行さん?



第弐番 紀三井寺、ご詠歌が書いてある。


これを忘れないようにね。


猫も杓子も・・・
「だれもかれも、なんでもかんでも」って意味で使いますが
『一休咄』に出てくるフレーズなんです。釈迦も達磨も猫も杓子も・・・ってね。この場合の猫は禰子(ねこ)=神主の意味で、杓子は釈子・釈氏(しゃくし)=僧侶を意味していたようです。もちろん多説ありますが、ここの祈願杓子とは関係ないですね。(^_^ゞ

それより、仏像ばかり目につく中、マネキンはビックリするやろ!

もちろん私らはこんな格好で巡礼してるわけではありません。
この姿でオープンカー乗ってたら、やっぱりビックリやろねぃ(笑)

本堂の端っこにはこんなものも・・・





観光地の定番?昔は人気があって、並んで順番待ちなんてこともありました。





ここの賓頭盧さんは、えらいコワイお顔で・・・
「お身代わりなで仏」として多くの寺に置かれてますが、表情はいろいろですね。


こちらは、通称、役行者(えんのぎょうじゃ)。役小角(えんのおづの)さんですね。修験道の開祖といわれています。一本歯の高下駄を履いたお姿が特徴。

このお寺、紀三井寺と言うのは通称で『紀三井山 護国院 金剛宝寺』が正式名だそうです。本堂以外の建物などを紹介すると・・・


新仏殿、鉄筋コンクリート造3階建。2002年に竣工され、内部には木造で日本最大、高さ12m総漆金箔の大千手十一面観世音菩薩像が安置されています。
興味が湧かないので観に入ってません。しかも入館料が別途必要だし。


六角堂、江戸時代(1750頃)建立


鐘楼(国指定重要文化財)、安土桃山時代(1588)建立。
入母屋造・本瓦葺き・袴腰。(腰板張りの下層)
全体に軽快な感じで、鐘楼建造物中の白眉とされている
・・・ただ、塗り直されたのかな?やたらと綺麗すぎて、重文に見えない。


大師堂?、ここにも弘法大師の足跡があり、像やお堂が建てられてます。
弘法大師が剃髪したゆかりの寺としても知られているようです。







お寺には大概こういうお決まりのものがありますね・・・


開山堂、本堂右手(東側)の石段を上るとちょっとした広場があり、いくつか建物が建ってます。これは一番北側にあります。


多宝塔(国指定重要文化財)、室町時代(1449)建立。
本瓦葺三間多宝塔。下層は四本柱の方形、上層は十二本の柱を立て高欄をめぐらせた円形。
ここもまた塗り直されたようで、ちとケバイ。


三社権現、祠が三つ並んでました。多宝塔の隣りですがここは寂れた感じ。



レポ、一気に済ませたくて長々となってしまった。写真も50点以上?
ここらで止めときます。でも続きが・・・(^_^ゞ



2011.6/26、紀三井寺 多宝塔。

第二番札所『紀三井山 金剛宝寺』(2011.6/26)

○宗派:救世観音宗(総本山) ○開基:為光上人
○御本尊:十一面観世音菩薩  ○創建;宝亀元(770)年

御詠歌「ふるさとを はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くなるらん」

フラッシュバック、二輪車歴。

2011-07-21 01:14:07 | フラッシュバック
新カテゴリー「フラッシュバック」の第二弾です。
たまたま残された古いカタログや雑誌広告のスクラップ、撮り散らかして放置されていた写真を年季もののスキャナーで取り込んでみました。

私の二輪遍歴は1970年、17歳の時から始まります。
バイトをして初めて買ったのが、ホンダベンリィSS50。新車、それも出たばっかりの新型車でした。

当時の雑誌広告(おそらく平凡パンチ)

クリックで原寸大。

SS50としては、これは二代目だと思います。スタイルを一新、一文字ハンドルにロングタンク、シートエンドにストッパーが付いて、前時代のレーサーレプリカ風?最高速95kmは当時の50ccでも最速。
後に同じようなデザインで出てきたYAMAHA FS50には勝てませんでしたが・・・
ある意味、一番思い出深いバイクです。何せペーパーテストだけで得た原付免許。納車された時、バイク屋さんでクラッチのつなぎ方なんかを教えてもらったって始末。(^_^ゞ
案の定、初走行で50mほど走った四つ角でクルマと接触しそうになり、転倒。納車、その日の内に修理・・・でした。その後もバイク屋からは「毎度!今度はどんなコケ方したんや!修理代、またもうかるわ」なんて言われてましたw
初違反もほどなく・・・アルバイトの帰り、同僚を後ろに乗せて(違反1:当然ノーヘル、でもそれは違反ではありませんでした。違反は原付二人乗り)、一方通行を逆走(知らんかった:違反2)、60km/hオーバー(違反3:ほんまに90km/h出るんや、しかも二人乗りで緩やかな登り坂で)。天晴れ、3ついっぺんに!ポリさんもあきれてた・・・で、パトカーに乗せられ署まで連行。(・_・、)
高校にも乗って行ってたな(もちろん校則違反)。校門からは見えない路肩に停めておいてたのに、ある日、生活指導の先生が待ち受けてた。「今度、見つけたら親呼ぶで!」・・・って、見つからへんかったらええんや。次の日はもう少し遠くに停めた。ヽ(´∀`*)ノ
言っておきますが、私、不良ではありませんでした。いたって大人しくて真面目。品行方正な生徒でしたから!
この頃から人格が変わるって言われ続けているような気はしますが・・・



クリックで原寸大。



クリックで原寸大。

ベンリィのスポーツ車シリーズですね。
私が乗っていたわけではありません。小型免許取ってからは、Honda CL125(中古)。Suzuki RV125(バンバン)と乗り継ぎました。



クリックで原寸大。

上の雑誌広告の「CB500FOUR」は、1971年のものですね。






私はと言うと、限定解除。大型免許取得後は、Honda Dream CB500Tを買いました。1974年のことです。
量産車初のツインカム、名車CB450(1965)の流れをくむ(デチューン版)バーチカルツイン。
ツーリングモデルにされてしまったとは言え、当時他に無かったツインカムでっせ!・・・これでもよう事故ったw

この後、CB550FOUR-II(1975年)に乗り換えます。このバイクはツマランかった、4in1の集合管マフラー、中途半端な排気量。静かでマイルド・・・一度も違反も事故も起こさなかった退屈なバイクでした。
で、やっぱナナハン!4本マフラーの迫力あるヤツが欲しいって考えてたら、出ましたよ。CB750K(1978年)ってバイクです。



1968年に発表されナナハン時代を築くきっかけとなったCB750K0。その再来です!・・・って人気は全く無く、翌年発売された集合マフラーのCB750Fが大人気。もう4本マフラーの時代は終わってたのね。(^_^ゞ
でもまぁ私的には気に入ってて、当時流行ってた(?)カウリング(風防?)なんか着けて・・・今見たらブサイク~!



やっと、写真が出てきたね。この頃はキャノンの一眼(もちろん銀塩フィルムのですが)持ってましたから・・・今でも持ってるけど「キャノンA-1」まだ、マニュアルフォーカスでした。



ちらっと映ってるTL50、このバイクが僕をオフロードに目覚めさせてくれました。すぐにナナハンを降りて、フロントタイヤ23インチのXL250Sに乗り換えることになります・・・

時が経ち1982年、Honda VT250F が発売されるや、欲しくなり・・・フルオプションで買ってしまいます。










当時のカタログです。(画像クリックで原寸大)














スーパーキャット搭載

2011-07-17 21:06:35 | ネッショ
レーダー探知器を買い替えました。ちょうど1ヵ月前くらいかな。
那智に行ったのがファーストランでした。
以前のがもう6年近く経つので、そろそろと考えていたところ
周りがバタバタと買い替え、特にM氏は熱心に機種選びをされ、結果4台を同一機種に一斉買い替え。A氏もノッタってことで2台。
両氏に比べ私はサンデードライバーなんで、あまり必要性を感じてなかったのですが・・・それまでに付いている探知器もデータは毎月更新できるタイプだったもので。でもまぁ、今のは良くなってるようで。古い機種へのデータ更新はどうなることかも不安。
って訳で・・・買ったのは。(結局3人で7台同じもの)
『YUPITERU Super Cat GWR51sd』GPS内蔵 2.8インチ液晶



以前のはセパレートタイプ
でダッシュボードには小さな受信機が付くだけ、いたってクールだったので気に入ってたのですが、今度のは液晶画面が・・・と言っても、かなりコンパクト。マップ表示をするタイプとしては一番小さい方です。

新機能は・・・ま、言うまでも無く6年前の機種と比べるとダンチ!
とは言え、目的は一緒なんで、それほど多機能は必要じゃないです。(上位機種はもっとナビ機能が充実してるのかな)

それより新機能で面白いのは別売オプションで『OBDII』接続ができることかな。業界初だそうな。
Gセンサーの車速検知と比べ、より正確な速度と移動距離が検知でき、トンネル内のGPS非測位置でも精度の高い警報とエンジン負荷状態や燃費の状態まで把握出来てしまうというスグレ物です。
※OBDIIとは、オンボードダイアグノーシスと呼ばれる自己診断機能で、点検コネクターや通信プロトコル、故障診断コード等を標準化した規格で、欧州では2001年からOBD2コネクターを装備することが義務つけられ、日本でも準拠しつつあるのですが、対応車種は限られているようです。



嬉しいことに対応表を見ると。NCは、H8.04~H20.12製造の機種は対応とのこと。オプションの接続アダプター「OBD12-RD」も購入。
NCの場合、運転席側ダッシュボードの裏側にコネクターがあるので、それに接続。電源もここから供給されます♪
作業はいたって簡単!僕は助手席で見てるだけ・・・(^_^ゞ
M氏が汗をかきながら潜り込んで、配線もクールに整えて・・・ご苦労さまでした♪







待ち受け画面にもなります。(もっと画面の種類はありますが)

機能はいっぱいあって、説明しきれません。興味がある方は、取説がダウンロードできるので(PDF)それでも読んでください。

ちなみにデモモードを撮影したので・・・
ユピテル SuperCat GWR51sd デモモード


これは走行中撮影、京都市内なのでさほど色々言ってくれません。
ユピテル SuperCat GW51sd 京都市内走行



1ヶ月前、私がAmazonで購入した時は、レーダー探知器本体が¥17,272。
OBD2接続アダプターは¥5,655でした。
今はJoshin webでもこの価格。(Amazonも同価格でした)



那智のお瀧は神様?仏様?

2011-07-12 23:55:33 | 洛外うろうろ
「暑っいなぁ~」が挨拶代わりの今日この頃。
とは言え、まだまだこれからピークに向かうところ、
残暑まで2ヵ月はたっぷり・・・うぅ、滝にでも打たれたい、なんて。

やっとこさ、那智巡りも最後のスポット「那智の大瀧」です。



言わずと知れた日本一の滝(直瀑で133m)
滝の右手には南方熊楠(みなかた くまぐす)が粘菌の採取を行った那智山原始林(国天然記念物)が広がり、いくつかの渓流と60余におよぶ滝が存在するそうです。中でも瀧篭修行の行場として扱われた那智四十八滝は、この大瀧(一の滝)を始め、二の滝や三の滝・文覚(もんがく)の滝や陰陽の滝などが知られています。



華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。
「日本の滝100選」のひとつ。「日本の音風景100選」、「日本名水100選」にも選定されているし、国指定名勝でもあり、なによりユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部。
観光客も多いはずやな・・・(^_^ゞ



滝の落口の岩盤に切れ目があり三筋に分かれて流れ落ちるため
三筋の滝とも呼ばれています。



太古の昔から熊野の民たちが神としてまつっていたと考えられる大瀧。
今は熊野那智大社別宮 飛瀧神社(ひろうじんじゃ)となってます。
ご案内によると「その昔、神倭磐余彦尊(神武天皇)が、この大瀧を神として祀られ大穴牟遅神のご神体と仰がれました。後に飛瀧権現と称し、今日では飛瀧神社となり、崇めて「お瀧」と申します。」とのこと。いずれにしろこの飛瀧神社には本殿も拝殿もありません。お瀧自体がご神体ということでしょう。

さて、その社殿も無い飛瀧神社、滝壷すぐそばの御瀧拝所にまで行くには料金:大人300円を払うことになります。
おっと、御瀧拝所手前の龍の口から「延命長寿の水」が出てるじゃないですか。この聖水は、神盃(100円)で受けて飲むことができ、その神盃は持ち帰ることができます。












と言うことで、神盃を買って(1つだけ)二人で飲み、
ペットボトルにも・・・(^_^ゞ









水しぶきやら雨やら・・・涼しいと言うか、冷たかった。



この日は家内が観光写真屋さんに・・・

そうそう、そう言えば家内が撮った写真の中に



飛瀧権現(ひろうごんげん)さまか?まさか・・・
運が良ければ現れ、拝むことができるそうです。二人の僧侶が見えることもあるとか。

権現とは仏が仮に神の姿で現われたということ。那智の滝を飛瀧権現と呼ぶのは、那智の滝が神であり仏であるということです。
神仏習合的な信仰の表われですね。
神仏習合(神仏混淆):日本で神祇信仰と仏教との間に起こった現象を指す。広義においては、世界各地に仏教が広まった際、土着の信仰との間に起こった現象。
要するに日本では仏教伝来とともに多くの技術や文化を学んだ。しかし古来から伝わる神話、神道も根強く。結果それらがごちゃ混ぜになったってことかな。神社の傍らに寺が建てられ神宮寺となり、神前で読経がなされるようになったり・・・八百万の神々も佛教に帰依した?佛教も神道もお互いの利を考え、バランス良く(?)混ぜ合わせていったってとこは日本人らしいところかな。
そこで頭角を現すのが修験道、この熊野や高野山を中心に古神道の一つである神奈備(かむなび)や磐座(いわくら)という山岳信仰と仏教が習合し、さらには道教、陰陽道などの要素も加味されて確立した日本独特の宗教である。役小角(えんのおづの)=役行者(えんのぎょうじゃ)を開祖としている。
そして平安時代初期に伝来した密教と関係を深め、真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派を形成する。江戸時代になると幕府が修験道法度を定め、人民全てこのどちらかに属すようにした。これが明治維新になると一転、神仏分離令・修験道廃止令が出されることになる。もちろん現在の日本国憲法では信教の自由が謳われているので、これらの制度は無効になった。
でもどうしても、この神仏習合は矛盾がアリアリですね。寺なのか神社なのか解らんとこ多過ぎやし・・・(^_^ゞ





ここは拝所になってるのかな。







2011.6/19、那智滝 飛瀧神社にて。

天空の紫陽花園

2011-07-09 23:47:09 | 花だより
梅雨が明けた途端、真夏日、いや猛暑日が続きそうですね。
※夏日=最高気温が25℃以上の日。真夏日=30℃以上、猛暑日=35℃以上。

京都の夏の暑さは、これまた格別なようで。
エアコンの普及率全国1位は、京都なんだそうです。納得。(^_^ゞ
特に市内は盆地なんで、蒸し風呂状態。我が町は京都盆地から外れているとは言え、山科盆地。繋がってると言うか、盆地の中の盆地と言うか・・・ちなみに我が家のエアコン台数は7台。節電しないとね、家計の問題で。

当ブログはと言えば、遅れに遅れてまだ梅雨景色。
今やどこも取り上げてないあじさい園です。



熊野那智大社を去ろうとした時、こんなところを見つけました。
一の鳥居の側に、小規模ながら真っ盛りって感じで・・・
「ご自由に入園下さい」・・・大好きな「無料」です♪











風情もあります。雨降りだから余計に?

何と言ってもこのロケーションは、素晴らしかった。
霞む山々を背景に・・・息を呑む美しさでした。ヽ(´∀`*)ノ傘さしてたけど。




















少しは涼が味わえるかな・・・









今シーズン最後にして、良いものが見れたなって感じ。



















さて、また参道を今度は下っていきます。途中の景色は・・・









実は、ロドは参道口の近くの売店の駐車場に停めてありました。
有料駐車場も何ヵ所かあり、前回はそこに停めたのですが(500円)
売店の昔おねいちゃんの「おいで、おいで」呼び込み戦略もあちこちで見られて。条件を聞いてみると、駐車場は「無料」だとか♪
ただし、何か飲むか食べるか、お土産を一つでも買うか・・・が条件。
ま、どうせ何処かで飲むだろうし、お土産も買うつもりだったし
停めやすそうなお店だったので・・・まんまと。(^_^ゞ


そして、いよいよ彼処へ向かいます。



2011.6/19、熊野那智大社 あじさい園にて。

遥か昔のそのまた昔

2011-07-08 22:43:17 | 洛外うろうろ
熊野、那智の歴史をひも解くと、とてつもなく昔まで遡ってしまいます。
この熊野那智大社の始まりも高千穂国から、東征のため上陸した神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)が、大瀧を発見。神として祀ったと言うもの。
この神日本磐余彦尊って、初代天皇、神武天皇のことだから・・・
もちろんまだ仏教も伝来していない時代のことです。



社殿は意外と新しいんですけどね。


青岸渡寺から入ると、まず目につくのが大楠。
樹齢八百年を超えるこのクスノキは、平重盛が参詣の際、手植したものと伝えられてます。








面白そうなので入ってみました。無病息災を祈願して・・・



出る時はまさに産まれ出るって感じ?(^_^ゞ





そうそう、ここの由緒で忘れてならないのは「八咫烏(やたがらす)」ちゃんの存在。
神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる三本足の烏ちゃんである。
日本サッカー協会のシンボルマークにも用いられているので有名ではあるが、これは日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助に敬意を表し、出身地である那智勝浦町にある熊野那智大社の八咫烏をデザインしたものだとか。
ちなみに何故か、陸上自衛隊中央情報隊シンボルマークも八咫烏である。



いつもなら、おみくじなんて買った憶えが無いのですが、
八咫烏がおみくじを掴んでる意匠が面白かったので買ってみました。
・・・結果は「末吉」。
待ち人、来たりがたし。失せ物、出がたし、出るとも遅し・・・
旅行、行きても差支なけれど、止む方よろし。

結構厳しいことが書いてあるのね。
旅行は?確かに雨続きやけどね。(^_^ゞ 実は今日、梅雨明けしたそうな。







まぁ、よう降られますな。お蔭で写真は何か雰囲気出てるけど・・・



















2011.6/19、熊野那智大社にて。

第一番札所 なち山

2011-07-05 23:54:43 | 西国三十三所巡礼
さてさて、いよいよ西国三十三所観音霊場巡りの旅。
第一番札所から順番にお詣りに行きたいと思います。
結願できるのはいつになるやらですが・・・ま、のんびりと。

まずは第一番札所『那智山 青岸渡寺(せいがんとじ)』


和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地

最初っからいきなり雨天のスタートです。
バス通りから参道入口の看板を見つけ入っていくと・・・



長~い石段が続く参道が・・・でもまぁ、土産物屋を見ながらだと歩も進みます。




何処でもよく見る信楽焼の河童、ん、生首も?


トイレには女神さんもおるんよ。


しっかり心得も読んどきましょ・・・

しばらく登っていくと、右が青岸渡寺。


左は、熊野那智大社。


とりあえず札所である青岸渡寺に向かいます・・・まだあるか、石段。


山門(仁王門)です。
以前は熊野那智大社の「大門」だったものを移設したものだとか。


金剛力士像は湛慶(運慶の長男)の作とされているようだが
どうも疑わしいな、奈良仏師の臭いはするけど・・・



石段の坂を登りつめると、いよいよ本堂。世界遺産だそうな。









如意輪観世音を祀る本堂は、4世紀ごろインドの僧、裸形(らぎょう)上人が開山し、後に推古天皇の時代(7世紀)に生仏(しょうぶつ)上人が来山して玉椿の大木で現在の御本尊(御丈約4m)を彫り、裸形上人が感得した黄金の観音菩薩を胎内仏として納め正式に本堂が建立されたのです。そして推古天皇の勅願寺となり、那智霊場の信仰の中心として熊野信仰を育んできました。
花山法皇(かざんほうおう)が10世紀の末に一千日の瀧籠り修行をされ、西国三十三所観音巡礼の第一番札所として定めたとされます。
現存の本堂は、織田信長によって焼き討ちされた後、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が再建したもので、国の重要文化財に指定されています。


日本一の鰐口。再建の際、豊臣秀吉が寄進したもの。
※鰐口とは布で編んだ綱を振り動かして打ち鳴らす仏具です。
 お寺が鰐口で仏様に、神社は鈴で神様にお願いをします。



賓頭盧(びんずる)さんと、役小角(えんのおづの)さん。
あちこちでお目にかかります。






雨も本降りになってきたw






結局、那智滝の撮影スポット、三重塔の方へは行かず
熊野那智大社へ向かいます。って、すぐお隣りなんですがね。

熊野那智大社は、全国に約4000社あるといわれている熊野神社の本社であり、熊野本宮大社、熊野速玉大社と共に熊野三山と呼ばれ、かつては「蟻の熊野詣」として全国から多くの参拝者がこの地を訪れたそうです。今でもそうやけど・・・





2011.6/19、青岸渡寺にて。




第一番札所『那智山 青岸渡寺』(2011.6/19)

○宗派:天台宗 ○開基:裸形上人
○御本尊:如意輪観世音菩薩 ○創建:仁徳天皇御代(313~399)

ご詠歌「補陀洛(ふだらく)や岸打つ波は三熊野(みくまの)の那智のお山にひびく滝つ瀬」

※ご詠歌(ごえいか)とは、仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、旋律に乗せて唱えるもの。一般には花山法皇の西国巡礼時に始まったとされる。

那智詣、行き帰り。

2011-07-03 20:00:15 | 西国三十三所巡礼
始めちゃいました・・・西国三十三所巡礼
7駆さんに刺激され、遅れることちょうど4ヵ月。同じように1番札所から順番に後を追いかけます。と言っても、スタンプラリーのように期限があるわけでもなく。のんびりマイペースで・・・まぁ、還暦までに結願できるかどうか。(^_^ゞ



実はこの日、6月19日でして。高速1000円最終日。別に何処へ行く充ても無かったのですが、直前に7駆さんの記事を読んで、一番札所が那智・・・ちょうどイイ距離かも。てな動機で・・・

珍しく早起き、7時半に自宅を出発。ナビの到着予定は13:50。
京都東ICから名神高速→新名神→亀山JCTからちょっとだけ東名阪を経由して→伊勢自動車道→紀勢自動車道(この2本は無料化社会実験区間、これも最終日でしたが)約160kmちょっとかな、それからまだ100kmほどは熊野街道(R42)を走ることになります。

高速道は1000円最終日とあって、渋滞を覚悟してたのですが、豈図らんや行きも帰りもスイスイ、渋滞知らずで快走できました。

往路の高速で、停ったのはここだけ

「あじさいやき」って何やろ・・・探してみたけど不明。

紀勢自動車道を降りたのは9:17。紀伊長島へ行くまでのR42熊野街道は、くねくねワインディングの山道。一度海沿いに出て、尾鷲市あたりからまた山道です。

三重ナンバーだったかな、しばらくご一緒に♪

海岸線に出て、道の駅 パーク七里御浜に寄ってみます。ここで白いのんとはお別れ、クラクションでご挨拶してくれました。(^_^v


懐かしいな道の駅スタンプラリー。




和歌山かと思ったら、ここは三重県。近畿エリアじゃ無いのね、どうりで初めて。


ウミガメ公園、気になりつつスルー。


熊野川に架かる橋を渡れば和歌山県。すぐに熊野速玉大社(熊野三山のひとつ)があるのですが、今回は熊野詣が目的じゃないのでスルー。勿体ない。

まだお昼前だが、ここらで食べるところを探そうかと・・・
新宮市内をとろとろ看板見ながら走るも、何処にでもあるチェーン店ばかりが目に付く。ファミレスにファストフード、牛丼屋に回る寿司・・・ま、馴染みがある方が安心かも、などと迷いながら走っていたら、あっと言う間に市街地を通り抜けてしまい、このまま山に入ってしまったらどうにもならんかもと思い、引っ返す。
結局、「くじら」って書いてあった看板のお店を探ってみることに。



店頭の品書きを見たらランチメニューがあるとな!
とりあえず、入ってみることに。
生けすにカウンター、座敷。立派な割烹寿司屋やん。間違ったかな・・・
とりあえず、座敷の個室に入って。



注文したのは「寿司弁当 熊野」と、週替わりランチ+コーヒー・デザート。








これが、 大当たり! 
寿司はウマウマ、天ぷらプリプリ。ランチもボリュームあって、コーヒー・デザートは100円追加で付いてきます♪
ただし、くじら料理は、一品で冷凍の刺し身のみ。結構高額だったので諦めました。


またお昼に新宮市を通ったら、迷わずココに入ってもイイな♪

ま、そんなこんなで、西国三十三カ所詣り一番札所「那智山青岸渡寺」で巡礼のスタートを切り、「熊野那智大社」も詣り、那智の大滝を見て・・・

帰りは以前にも寄った「ねぼけ堂」の元祖黒飴ソフトを・・・♪






隣りの「くじら亭」は、ちょうど閉まったところ。残念。
ここでは各種鯨肉の生肉も買えますよ。太地に常駐してると言うシー○ェパードの団体さんも知ってるだろな。


ここへも寄りましたよ。マンボウの串焼きはもう売ってなかったけれど。
マンボウも可愛いのに、何でクジラだけ?クジラは知的生物だからって言うみたいだけど、牛や羊くらいアホやったら食ってもええんかいッ!

帰りの高速SAで、夕飯を。




全行程532km、燃費は13km/Lを軽く超えてたと思う。


道の駅「紀伊長島」で見かけたツバメの子、C国人だったら喰っちゃうかもね・・・


2011.6/19、熊野路にて。