カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

ライカフェでタイムスリップ

2010-04-30 18:44:08 | ランチ/カフェ
近江八幡、かわらミュージアムの近く、八幡堀のほとりに
究極の(?)リノベーション・カフェを見つけました。









こんな浮き橋を渡って、かわらミュージアムの対岸にある
廃屋と化していた築180年の商家を、BIWAKOビエンナーレを行われてきた
NPO法人エナジーフィールドの活動拠点としてリフォームされたそうで、
“天籟宮” ~すべての関係性を和する音~ (芥川賞作家の玄侑宗久氏より)
と命名され、広く一般の方々に主に週末のみギャラリ-カフェとして
開放されているようです。






石の階段を上って行くと奥には庭も・・・






靴を脱いであがります、畳の部屋だから。



んーー、何とも言えない空間。静かで心地よい空間です。









抹茶セットをふたぁつ。でっちようかんとういろうをひとつづつ・・・






窓の外は八幡掘。散り桜を眺めながら まったり時が逆流してるよう
窓ガラスのモダンアートも違和感無く・・・



ちょっと二階へもおじゃましてみます。



そこは 思わず感嘆の声が出てしまう空間でした。



懐かしい・・・



田舎のおばあちゃんの家に来たみたい・・・
ここまで古いまんまの雰囲気をもったカフェも珍しい。
まったり、ほんと まったり・・・
でも営業時間が5時までなんですよね、お店の方が帰り支度を始めたので
営業時間を過ぎてるのに気がつきました・・・




2010.4/11、近江八幡・ライカフェにて。


商人屋敷がずらり。

2010-04-29 23:55:43 | ふぉとスケッチ
遊歩百選に選ばれた近江八幡、洋館もあれば古い町並も残ってます。
近江商人発祥の地と言われている日野、五個荘、近江八幡。これらの町を歩くと
あちらこちらで近江商人たちの息吹を感じることができます。
近江八幡では新町通を中心に商人屋敷が並んでいます。



旧伴家住宅は歴史民俗資料館として近江商人の帳場風景を再現したり
考古資料を展示しているようです。(入場有料)










この新町通りの景観を印象付けているのは、黒塀越しにのぞく「見越しの松」。
これ、子供の頃に聞いた(したがって知ってる方は少ないと思いますが)
春日八郎の「お富みさん」って歌の歌詞、「♪いきなくろべい~ みこしのまあ~つに」ってコレですよね。ま、歌の方はココのことを歌った訳じゃなく、歌舞伎の「源氏店(げんじだな)」が題材なんですが・・・
京都の町家の風情と明らかに違うのは道路に対する間口の広さでしょうか
鰻の寝床と言われる京町家、間口は狭く目一杯に建物を建て、坪庭を配します
が、こちらは大店(おおだな)とは、こうだな!って言いたげに威風堂々な
感じがします。







近江商人とは、大坂商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人と言われ、
時代を越え活躍してきた近江国、滋賀県出身の商人のことで
「売り手良し、買い手良し、世間良し」の三方良しの家訓が知られてます。
松下幸之助もこの経営理念を尊んだとか・・・
現在もその流れを汲む企業は数多く、例えば
高島屋、大丸、西武、伊藤忠に丸紅、日清紡、東洋紡、東レ、日本生命も
ワコール、西川産業、武田薬品などなど・・・
京都においては特に多く目立ちます。


ここの町並、保存状態が良いとはいえ、やはり老朽化が目立つところも



その反面、新たな息吹も・・・






2010.4/11、近江八幡にて。

近江八幡でヴォーリズを探す。

2010-04-28 23:48:35 | ふぉとスケッチ
近江八幡は重要伝統的建造物群保存地区(全国で62地区)に指定されていたり
遊歩百選(近畿では16ヵ所)に選ばれてたり、何かと見どころがあります。

建築・建造物は保存、復元も行き届いており楽しめます。



白雲館。八幡東学校として明治10年に建てられた擬洋風建築。
平成6年に復元され、観光案内所やギャラリーとして使われています。
国の登録有形文化財建造物、中へは自由に入れます。

洋館建て大好きな私としては、この近江八幡は聖地?
日本で多くの西洋建築を手がけたウィリアム・メレル・ヴォーリズの
活動拠点でもありました。
私がヴォーリズに興味を持ったのは最近のことですが、
この建物イイな、こんな洋館好きゃなってのを調べると悉くと言って良いほど
ヴォーリズに突き当たったもので・・・その経歴も相当波瀾万丈?

ザクッと足跡を辿ると
1880年.アメリカ合衆国カンザス州に生まれ、自国で建築家を目指すが
その夢を捨て、キリスト教(プロテスタント)布教のため
1905年(明治38年・24歳)滋賀県立商業学校に英語教師として来日、着任し
同時に布教活動もするが、この布教活動に反発する人達との
摩擦を避けるため1907年に職を辞する。
1908年(明治41年・27歳)京都YMCA会館の建築監督に指名され、
京都三条柳馬場に建築設計事務所を開設。本来の夢の実現へと踏み出す。
1910年(明治43年・29歳)海外伝道のため日本を離れ各国を渡り米国へ帰国。
米国で建築活動を行う傍ら伝道援助としてメンソレータムの日本での販売権を得て再び来日、近江八幡に本社を置く建築設計監理会社「ヴォーリズ合名会社」設立。
この頃、米国から建材や雑貨の輸入も行う(後に近江セールズへと発展)
同時期、近江基督教伝道団(近江ミッション)、後の近江兄弟社を結成。
1918年(大正7年・37歳)私設としては日本初の結核療養所「近江療養院(近江サナトリアム)」開設。
翌年、子爵令嬢一柳満喜子と結婚。
1920年(大正9年・39歳)ヴォーリズ合名会社を解散し「W・M・ヴォーリズ建築事務所」および「近江セールズ株式会社」を設立する。
メンソレータムが主力商品となり、利益の大部分を伝道資金とし、近江ミッションの経済基盤となった。1934年には近江ミッションを「近江兄弟社」と改称。
1941年(昭和16年・60歳)日米が対立を深め多の外国人が日本を離れる中、ウィリアム・メレル・ヴォーリズは敢えて留まり日本への帰化を選択。
妻満喜子の姓を名乗り、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名。
米来留は米国より来たりて留まるって洒落らしい。
同年、太平洋戦争始まる。翌年、ヴォーリズ建築事務所も一柳建築事務所と改称。
戦後はマッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力し「天皇を守ったアメリカ人」とも称される。
戦中、解散していた建築事務所は終戦をむかえて各方面に散らばっていた社員が再び集結、近江兄弟社内に建築部門として復活。
1957年(昭和32年・76歳)クモ膜下出血に倒れ、近江八幡の自宅で療養生活に入る。
1961年(昭和36年・80歳)本社を大阪とする一粒社ヴォーリズ建築事務所が設立され、現在に至る。
1964年(昭和39年・83歳)近江八幡の自宅(現ヴォーリズ記念館)2階の自室にて永眠。

明治、大正、昭和と人生の大半を日本で過ごし、遺したものは建築家として全国に数々の「ヴォーリズ建築」のみならず、多くの賛美歌などの作詞、作曲。ハモンドオルガンを伝えたり、家庭薬メンソレータムの普及。YMCA、病院、学校、図書館等をつくり、地域に貢献し社会の必要に応えた。
藍綬褒章、黄綬褒章、正五位勲三等を授けられ、瑞宝章が贈られたり名誉も与えられている。ちなみに近江八幡市名誉市民第1号に選ばれたのも当然でしょう。

2007年(平成19年)には全国にあるヴォーリズ建築の保存のため、滋賀県近江八幡市や兵庫県西宮市のNPO法人など9団体・個人が呼びかけ人となり、北海道から山口県までの約20団体が参加し、「ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク」が設立されている。

そんなヴォーリズの自宅が「一柳記念館」として残されている。



お休みだったようで残念ながら中へは入れなかった。予約制だが
聞くところによると相当、詰まっているようだ。



池田町にはヴォーリズ建築群として洋風住宅街が現状保存されている。













この住宅街は今も住まわれているようです。したがって中は非公開です。



アンドリュース記念館。旧YMCA会館 1935(昭和19)年


近くにはこんな小学校も・・・









この小学校はヴォーリズの作品では無いようです。設計者は田中松三郎。
しかし彼は滋賀で洋風建築を本格的に学んだとされ、何らかの関わりが
あったのかな。改築を一粒社ヴォーリズ建築事務所が行ったとも。(未確認)


ヴォーリズの作品は1500とも1600とも・・・多種、多様式に亙ってます。
代表作を挙げればキリがないのですが
明治学院大学礼拝堂、関西学院大学西宮上ヶ原キャンパス、神戸女学院大学、
六甲山荘、山の上ホテル、大丸心斎橋店、もちろん多くの教会も。
京都にも数多くの建物が残されている。同志社大学啓明館、京都大学YMCA会館、大丸京都店、大丸ヴィラ、東華菜館、哲学の道にある喫茶「GOSPEL」も。


ヴォーリズの西洋館―日本近代住宅の先駆
山形 政昭
淡交社

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ヴォーリズ評伝―日本で隣人愛を実践したアメリカ人
奥村 直彦
港の人

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詳しいサイトもあります。「ヴォーリズを訪ねて」

いざ!八幡山へ。

2010-04-26 23:09:51 | ふぉとスケッチ
近江八幡の市街を見ると、ほぼ碁盤の目状態、明らかに造られた町。
それもそのはず、1585年、羽柴秀次が築城した八幡山城の城下町。

今は城跡として残ってるだけの八幡山城跡ですが、
ロープウェーまであるとなれば行かずにおれない・・・









このロープウェー、往復800円、片道460円だったかな、わずか4分。
ミジカッ! 標高約272mの八幡山山上へと運んでくれます。




着いたら城跡をぐるりと巡る周遊歩道をえっちらおっちら昇り降り。

まずは「村雲 お願い地蔵尊」へと







自由に入れますが、夥しい地蔵像とお子ちゃまの玩具や食べ物、
帽子なども置かれていて ちと・・・

山道を進んでいくと



西の丸跡や



北の丸跡は展望場になってました。


正面の低い小山には安土城跡が・・・

さて、少し歴史を追ってみましょう。
安土城はご存知、織田信長の城。その信長が討たれた後、天下人を目指した
羽柴(豊臣)秀吉、その甥である秀次は戦功報酬として43万石を与えられ
この地に城を築き城下町を造ります。秀次は当時18歳!
築城の際は安土城の部材も使われ、そのため安土城は廃城。
秀吉の嫡男、鶴松が死去すると、秀吉の後継者として養子に迎えられ
関白職を継ぐことになる。しかし、秀吉に、側室茶々(淀殿)との間に
秀頼が生まれると、秀次は謀反の疑いをかけられ高野山に追放され、
切腹を命じられる(享年28歳)。その際、家族(遺児4男1女含む)や
側室、侍女らに至る39名が京都三条河原で処刑され、切腹にもかかわらず
秀次の首は晒されることとなる。この秀次事件を語ると長くなるので・・・
ちなみに非運の人生のようですが、風説によると
相当破廉恥なヤツだったようで>秀次。

そんな訳で主を無くした八幡山城は廃城となったと、カンタンに説明される。
が、細かく言うと事件の5年前に秀次は尾張清洲城に移り、その後
京極高次が城主となり、秀次切腹の年に大津城に移ったため八幡山城は廃城。

それより、この城下町、近江商人発祥の地とされているのだが、これも
城下町造成の際、安土の城下を引っ越し移設されたものと云われ、
信長の楽市楽座の影響も軽んじられないと思うのですが・・・

なんて、うだうだ思いを馳せながら



登り着いた先には



瑞龍寺門跡 村雲御所がある。



ここからは下り、ロープウェー駅近くの「二の丸跡 展望館」へと。






展望館の2階は資料室にもなっています。









さ、また町へもどろ~!




2010.4/11、八幡山城跡にて。


瓦亭ランチ

2010-04-25 23:54:12 | ランチ/カフェ
近江八幡へ行ってまず探したのは昼飯食べるところ・・・
かわらミュージアムの駐車場に停め、一番近くにあったのが
『瓦亭』、いわゆる喫茶・軽食ってお店で
ご飯ものはカレー、ハヤシ程度、おうどんもあったので即、入ってみる。



相方は肉うどん550円、僕は食べてないので味は解らず。美味しそうだった。



僕は近江牛カレーライス790円、結構好きなタイプ、美味しかった。



びっくりしたのはコレ。福神漬けかと思いきや「赤こんにゃく」。
滋賀県の特産ですね、特に湖東かな。






観光の人出は多かったけど、さすがに2時。並ぶようなこともなく・・・



窓外は八幡堀。八幡堀めぐりの屋形船の船着き場になっていた。





本当は日牟禮(ひむれ)八幡宮の参道にある『クラブ ハリエ』
カフェメニューをと考えていたのだが、こちらは混んでそうで・・・



ここは滋賀県を本拠に大規模(?)な店舗展開をしている「たねや」の洋菓子店。
特にバームクーヘンが有名かな。



売り場は通路まで順番待ちのお客で埋ってる・・・

奥にあるカフェもかなり列ができてます。







カフェの前にはガーデンが広がり
ヴォーリズ建築、旧忠田邸の特別室を利用することもできるようだ。
(特別室は有料で完全予約制)





参道を挟んで向い側には『日牟禮ヴィレッジ たねや』があり、
こちらは和菓子。和風のお膳もいただけるようです。






2010.4/11、近江八幡にて。

近江八幡うろうろ

2010-04-24 23:59:00 | ふぉとスケッチ
今月11日の日曜は、ぶらりと琵琶湖の東側、近江八幡に行ってみました。
何が目的ということも無かったのですが、意外と見どころが多くて・・・
それと桜も見納めかという時期でしたから、臨時駐車場も満車。
駐車場を探してウロウロ、かわらミュージアムの駐車場にやっと辿り着いた。



ここを起点にいろいろ見て回り、最後にミュージアムに入ろう
と思ってたのですが、戻った時にはもう閉館されてました。(^_^ゞ

まずは『かわらミュージアム』周辺を・・・












近江八幡が瓦の産地というのは知らなかった。
江戸中期から続いてるのだそうで、↓これは再現された「だるま窯」







この建物を巻くように流れているのは『八幡掘』と言われる運河。
1585年、豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町した際、
城の防御と商業発展のために造られたものですが、近年荒廃が進んでいた堀を
1970年から市民運動で復旧されたのだとか。
今では時代劇の格好のロケ地になってるようです。
















この日は『日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)』の例祭「八幡まつり」の
準備「松明結い(たいまつゆい)」が行われてました。





4月14日、宵宮祭(松明まつり)に、どうやらこの大松明に
火がつけられるようだ。15日本祭、16日と3日間続く祭りのようです。













どこかで聞いたタイトルですが「さくら回顧」

2010.4/11、近江八幡にて。

まったり春KAZE

2010-04-23 22:02:55 | ランチ/カフェ
4/4日は、クラシックカーフェスティバルをやっていた丹波から
日吉をかすめて持越峠を越え、酷道477号を周山街道(R162)まで
走って、美味しいビーフを味わった後、もっとクリンクリンを走りたい。
そんな欲望に駆られてR477を鯖街道(R367)に出ることに。
途中、花背峠、百井峠を越えるクリンクリンの宝庫?
R367に出れば、北上。花折峠(花折トンネル)を越えて、
さらに牛の鼻トンネル→行者山トンネル→阪下トンネル。その1km先に
馴染の『カフェ&ギャラリー kaze』があります。











この日も まったり 美味しい珈琲と自家製プディングで。



もうお役御免になった薪ストーブ、でもまだ外は肌寒いかな。



珈琲タイムの後は、マスターに「もう少し遊んで行きますね」って
庭に出ます。ここの様子はマスターのブログでよく分かっているので・・・
今どんな花が咲いてるとか、勝手知ったる庭でもあります。(^_^ゞ

この日はちょうどカブのお仲間達がミーティングをされてたようで









以前来た時もちょうど出会ったんですよね、このグループ。
偶然とはいえ、縁がある?






ちょっとお話もさせてもらいました。ケロ・フェチが居るとか・・・(笑)



ロドスタも10台くらいまでなら集まれそうかな・・・








お庭の花をちょっと撮影させてもらったり



ポロちゃんのお墓参りをしたり・・・
もうすぐポロちゃんの2周忌。このポロちゃんとマスターのひと月の物語が
出版されるようで、僕が偶然撮ったポロちゃんの最後の姿の写真を
使わせて欲しいと依頼、もちろん快諾。本になるのが楽しみです。




2010.4/4、カフェ&ギャラリー KAZEにて。

昭和の風たちが集合~

2010-04-20 23:59:21 | クルマねた
2010年 丹波ワインクラシックカーフェスティバル、
もう24回目だそうです。すっかり4月始めの恒例行事になったようです。
主催は地元のClassic Car Garage YAMAMOTO チームヤマモト
4/4日、私も3度目になりますが、楽しんできました。(レポ遅過ぎ)

野外展示会場いっぱいに旧車たちが集まって、テンション上ります。
とりあえず、会場のスナップを貼り散らかしますね。



























いずれ劣らずチャーミングなクルマたち。



旧車にオープンスポーツが多いのも嬉しいですね。









なんともアナログ感覚。当時は最先端だったのかな・・・

こんなのも会場を和ませてくれてます。












嬉し懐かし昭和の面影も・・・






一般駐車場はさらにバラエティに富んでます。


















こんな日本車もやっぱ懐かしい。






最後に、お友達?












2010.4/4、丹波ワインにて。『24th ClassicCarFestival in Tamba』

ときわ肉なり?

2010-04-19 23:46:39 | ランチ/カフェ
行きましたよ~!
評判のお店、ピィさんも紹介されていたお肉屋さんがやられているお店。
京北町のR477と周山街道R162交差点近くにある『登喜和』です。

丹波ワインでクラシックカーフェスティバル見学をお昼に切り上げ
ナビの距離優先案内で最短距離を目指します・・・



案内してくれたのはこんな路・・・ううっ!
R9、道の駅丹波マーケスのところから府道へ引き込まれ、日吉を抜けて
持越峠越え、宇津峡からR477へ。昼なお暗い杉林道・・・
ボクスターのあの人を誘えば良かった



このお店、同じ建物の中でふつーにお肉屋さんも営業、
当然レストラン(?)の方はお肉料理主体。すき焼き、ステーキ・・・
国産黒毛和牛、A5ランクのお肉を使用とかで評判しきり。



しかもお安いメニューも!ただし、数量限定。
1時には着いたのですが、はたしてあるかどうか・・・






無事、ゲットできました♪ ハンバーグ定食とビフカツ定食。
お味は評判通りというか、美味しかったです。
ただビフカツは薄くて、ちと・・・w。ま、この値段ですから贅沢言えません。
それでもお肉は流石、とろりととろけるように柔らかくてベリグー!





ま、よく有りがちな色紙ですが・・・w



2010.4/4、京北町「登喜和」にて。

今日はこんなところへ

2010-04-18 23:56:07 | ふぉとスケッチ
朝からまたしても姫路に行きました。



お城です・・・ドイツじゃないです。



こんなのも・・・中国じゃないです。

何ともはや 説明のしようがない所でした。
近々レポートを(何時になることやら・・・ですが)



今日はこれだけ・・・

姫路へは休憩しても2時間足らずで着くのですが、
帰りの中国自動車道宝塚周辺の渋滞がひどくて、先日の姫路城からの
帰路は5時間もかかってしまいました。
今日も吉川JCTからすでに20km渋滞の表示・・・
迷わず舞鶴若狭道に入り南丹篠山ICから下道R372で亀岡を目指し
京都縦貫道に千代川ICから入る大回りコースを選択。
R1で京都市街地を抜ける渋滞さえなければ行きと変わらないかも。
とりあえず宝塚をパス、大回りコース。大正解でした。

ここええねん、好古園。

2010-04-17 23:12:59 | しゃじ
先月、桜が咲き出そうかという頃に行った姫路城。今ごろ・・・ですが(^_^ゞ
姫路城は大層な人出で入らなかったのですが、その変わりに
西隣りにある『好古園』に入ってみました。



姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」は、世界文化遺産国宝姫路城を借景に、
姫路市制百周年を記念して造営され、平成4年に開園した
池泉回遊式の日本庭園です。
昭和60年以来の発掘調査で確認された西御屋敷跡・武家屋敷跡等の
地割をいかした9つの趣の異なった庭園群で構成され、
その面積は約1万坪(3.5ヘクタール)あります。



御屋敷の庭、茶の庭、流れの平庭、竹の庭、築山池泉の庭、
花の庭、松の庭、夏木の庭などがあり
新しく造園されたところですが日本庭園好きには、面白いところです。






手入れも良く、それなりに趣もあり、植物好きには楽しめます。
春は特に花が沢山見られるようです。(3/28日時点)


枝垂れ桜



四手辛夷(シデコブシ)



三椏(ミツマタ)



木瓜(ボケ)



馬酔木(アセビ)



石楠花(シャクナゲ)、彼岸桜(ヒガンザクラ)



日向水木(ヒュウガミズキ)



???、  久垣?(ヒサカキ)



三葉躑躅(ミツバツツジ)



馬酔木(アセビ)、木瓜(ボケ)



花韮(ハナニラ)




あはっ、植物図鑑みたいなってきた・・・



庭を廻ってると小雨が降ってきました。
初めて ロープロ カメラバック スリングショット100AW
オールウェザー機能が役立ちました。


椿(ツバキ)



侘助(ワビスケ)、雪起し(ユキオコシ)=クリスマスローズ。



辛夷(コブシ)



2010.3/28、姫路「好古園」にて。

なごりのさくら

2010-04-12 23:58:12 | 花だより
昨日(4/11sun)は、花曇り。時おり晴れたり、雨降ったり・・・
お蔭で、信号待ちで幌を閉めること2度、3度。(^_^ゞ

午前中、こちらでは府知事選挙があったため、投票場である小学校へ








いきものがかり の小屋には、人懐っこいカモちゃんが


百葉箱も懐かしいね・・・




もう次の花が出番待ち♪


昼からは琵琶湖の東岸、近江八幡へとドライブ。


花吹雪舞う、八幡掘。



近江八幡は水郷の里。今回はそれが目的では無かったのですが
つーか、目的無しでふらりと行った感じ・・・



花見が目的でもありませんでしたが、思わぬ散り桜の光景を
楽しむことができました。







大量の写真整理が残ってるのに、時間が足りない・・・
どんどん季節外れになってしまう。春は忙しいな。


2010.4/11、近江八幡、八幡堀にて。

Small レッドクリフ

2010-04-10 23:50:15 | ドライブ
先日、姫路城へ行った時にもう1ヵ所どうしても行ってみたかった場所。
姫路市的形木場にある『小赤壁』 MAP
加古川河口の西にあり、瀬戸内海に面した岸壁なんだそうで。
名前の通り、中国湖北省西南の長江南岸にある「赤壁」に似てるという景勝地。
赤壁といえば映画『レッドクリフ』で描かれた三国志・赤壁の戦いの舞台。



この岸壁がある木庭山には、こんな公園があるのですが
案内板も無く(見逃したのかな)ちょっと道に迷いながら辿り着きました。
公園といっても街の児童公園ほどの広さです。その端には






木庭山神社があり、先には木庭山古墳なんてのもあったようです。

良い具合に陽も傾いてきました(狙い通り)






ここからの瀬戸内海の眺めも絶景。



あとは、何とか夕陽に染まる文字通り赤壁を見たかったのですが・・・
下まで降りてる時間が無さそうなので






上からになってしまいました。少しだけレッドクリフ・・・

この岸壁、ロッククライミングを楽しまれる方も多いようで
「落ちかけ岩」とか「ケッテ岩」なんてビューポイントもあるのだとか。

回りは遊歩道(?)もあり「竹林の道(整備中)」の看板がある道は



陽が落ちてからは、堪忍して欲しいような道です。
奥まで行ってみましたが両側からガサガサ何やら動物の気配が・・・

ちょっとアドベンチャー気分が楽しめるところでしたよ。








2010.3/28、小赤壁にて。

椿ラストはオチで。

2010-04-08 23:48:46 | 京都徘徊記
今年の春は、椿にスポットをあてて名所を訪ねてみました。
休日の2日を利用しただけなので6ヵ所しか回ることができませんでしたが・・・
1日目は3月14日に伏見の椿で、御香宮、明治天皇陵、乃木神社を巡り、
2回目は3月22日、北野にある椿寺/昆陽山地蔵院、上賀茂柊野の奥村邸。
この日、最後は大原へと向かいました。

事前に調べたサイトによると「ここを取り上げてる人はまずいないだろう」
「ヤブツバキの見事さはここが最高のようです」・・・とのこと。
こんなまにあな所を見逃す手は無い!
・・・しかし、後で調べたら結構、紹介されてましたw
でもまぁ、知る人ぞ知るって程度で、やはり穴場には違いありませんが。



場所は大原三千院や寂光院へ向かうR367を北上、三千院の手前(南)に
土井志ば漬本舗があるのですが、そこの直ぐ北に川を隔てて隣接してます。



こんもりした森の前に道路に面してピンクの鳥居が建ってます。
横に数台停められる駐車スペースがあり。



猿田彦命(さるたひこのみこと)を祀るという祠がポツンとあるだけの
『花尻の森』わずかな斜面に薮椿の巨木が10本ほどあるだけの境内(?)
観光客はもとより訪れる人も無いのではと思わせるような所です。

そう、ここの見どころは、落ち椿。ラストに回ったところで 
オチがつきます。(^_^ゞ これでオチツクでしょ♪チャンチャン

そして、ここにはこんな民話が・・・

この地は、この哀れな村娘が化身した大蛇を退治したと云われる
松田源太夫の屋敷址といい伝えられているとのこと。

昼なお暗い落ち椿の森・・・風でざわざわ枝が揺れ、ぽとんぽとんと椿の花が。
雰囲気満点です。






誰が並べたか、落ち椿・・・









苔むした地面、一面を落ち椿が真っ赤に染める・・・



ちょうどカメラを持って来られてた親父さんに
云われてるほどは落ちてませんねと訊いたところ、
「掃除しに来る人が居るんです、ちょうどしたとこかな」って・・・チャンチャン




2010.3/22、大原 花尻の森にて。

内緒の名椿

2010-04-07 22:25:43 | 花だより
さてこの春、5ヵ所目の椿観賞です。
ここは、観光スポットでもなく、社寺でもありません。
あくまで個人宅。



しかしながら この椿、京都市指定天然記念物。



推定樹齢450年、樹高9m、枝が100㎡にも及ぶという巨樹。
これだけの巨木は全国でも稀で、一見の価値ありというものです。







椿の種類としては 五色八重の散り椿です。






その見事さゆえ 見物の方も絶えないのですが
開放されてるとはいえ、個人宅ですから お庭に入る時は
ひと声かけて、許可をもらって入るようにしましょう。















なかなか見応えあり、写真を撮るのもたっぷり楽しめます。



さて、内緒にしておきたいところなんですが・・・
何処なのかというと、
上賀茂神社の前の通りを、北西に進むと「柊野(ひらぎの)別れ」って
交差点があり、そこをさらに北西に、次の信号を左に賀茂川方向に折れると
この椿のある旧家「奥村邸」。椿の木が目につくのですぐに分かります。
ほんとに内緒ですが↓
      《ここです》
くれぐれも家人の方に迷惑がかからないようにしてくださいね。




2010.3/22、柊野の散り椿。