カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

疫病退散!山鉾巡行観覧録(令和元年版)

2022-07-16 22:38:32 | 京都徘徊記
随分長い間更新せずにいましたw ま、生存確認くらいはせねばと・・・

明日はちょうど3年ぶりになる祇園祭の前祭(さきまつり)山鉾巡行が執り行なわれます。
たまたま令和元年の7月17日、山鉾巡行を観に行った時の写真があったもので久しぶりついでに…コロナ前のお祭り模様です。

当ブログ前回アップした2020年1月はまだ中国 武漢で原因不明の肺炎患者が出たって程度だったのが、あれよあれよという間に世界パンデミック。
ニュースでは欧米の悲惨な状況、中国や各国の主要都市もロックダウン。日本でも4月7日、遂に7都府県に緊急事態宣言が出された。

私はというとその翌日4月8日にK大病院で手術を受けていました。酒も飲まないのに肝臓がんって(T_T) しかも半年前にMRIで検査もしていたのにステージ3。
肝がんは再発率が高いと脅されておりますが、今のところ元気に過ごしております。

ところで1153年間続いている祇園祭、疫病退散の祭礼なんですが今までにもコレラ流行で前倒しや延期された歴史もありますが中止にはなっていません。
中止になったのは応仁の乱や太平洋戦争、直近では地下鉄工事の影響でというのがありますけど。(^_^ゞ

復活する山鉾巡行、昨夜の宵々山はたいそうな人出だったようで、今夜の宵山も明日の巡行も3年前の賑わいに戻るかな。新型コロナの爆発的な感染があっても?

写真の巡行の様子は2019年7月17日、知り合いからチケットを頂き、御旅所前の特設観覧席で最初から最後まで巡行を観ることができたときのものです。



先頭は長刀鉾(なぎなたほこ)。巡行の順番はくじで決められるのですが、毎年「くじ取らず」として必ず先頭を務めます。












稚児さんが乗るのもこの長刀鉾だけです。この稚児さんの注連縄切りで巡行が始まります。






蟷螂山(とうろうやま)からくり仕掛けの「大かまきり」が人気です。



芦刈山(あしかりやま)大和物語の「芦刈」を再現した山。



木賊山(とくさやま)翁が一人木賊を狩る姿を表現。



函谷鉾(かんこほこ)これも「くじ取らず」で、毎年全体では5番目に来ます。









郭巨山(かっきょやま)貧困に苦しんだ郭巨が子を捨てようとしたところ土中から黄金がでてきた、という話に因む。




綾傘鉾(あやかさほこ)本体は大きな傘鉾、棒振り囃子の行列が先導。



何ヵ所かでパフォーマンス。お囃子に合わせて疫病退散の棒振り踊りを披露。



伯牙山(はくがやま)琴の名人であった伯牙が手に斧を持ち、琴を割ろうとしている場面だそうです。



菊水鉾(きくすいほこ)鉾頭には16弁の金色の菊花紋が輝いています。







油天神山(あぶらてんじんやま)社殿の中に天神像(菅原道真)を祀っています。



太子山(たいしやま)聖徳太子が杉の巨木で六角堂を建てたという故事に因み、唯一真松ではなく、真杉を立てている。






保昌山(ほうしょうやま)和泉式部の恋物語を題材とした山で、真松には恋愛成就祈願の絵馬を下げる。縁結びのご利益があり女性やカップルに大人気。



鶏鉾(にわとりほこ・とりほこ)鉾頭は鶏の卵が諌鼓の中にあることを表している。









白楽天山(はくらくてんやま)唐冠を付けた人形が白楽天。



四条傘鉾(しじょうかさほこ)国選択無形民族文化財に指定されている「子供棒振り踊り」のパフォーマンスが観られます。












孟宗山(もうそうやま)「筍山」ともいわれ、病身の母を養う孟宗が雪の中で筍を掘りあてた姿。



月鉾(つきほこ)鉾頭には「三日月」がついています。山鉾の中で最も背が高い。









山伏山(やまぶしやま)ご神体が山伏の姿をしている。



占出山(うらでやま)神功皇后が「鮎を釣って戦勝の吉凶を占った」という故事に由来する。



霰天神山(あられてんじんやま)京都で大火が起きたおり、霰が降りたちまちにして火が消えた。霰と一緒に降ってきた一寸二分の天神像をお祀りしている。


放下鉾(ほうかほこ)鉾頭は日・月・星の三光が下界を照らす形を示し、操りの稚児人形が乗っています。
後掛の緞通のフクロウがかっこいいです。ここから最後尾まで「くじ取らず」が続きます。












岩戸山 (いわとやま)日本神話『天の岩戸』にちなんだ山です。鉾と同じ車輪のついた曳山ですが山である証拠に、鉾頭には松を立てています。



船鉾(ふねほこ)舳先(へさき)には瑞鳥である金色の鷁(げき)、船尾には黒漆塗青貝螺鈿細工の飛龍文様の舵がついています。毎年しんがりを務めます。









2019.7/17、四条寺町御旅所前にて。


映画村で僕らの時代探し。

2019-08-26 21:00:57 | 京都徘徊記
昭和の初期、京都は映画の都といわれ特にこの太秦(うずまさ)には大手映画会社の撮影所が集中したところから“日本のハリウッド”と呼ばれていました。
やがてテレビの普及に伴い映画は衰退、次々と撮影所が閉鎖される中、東映の撮影所の一部を映画文化を残すためにテーマパークとしてオープンさせてから44年。
ミュージアム的な部分もあり、“大人”にとっては、ちょっとタイムカプセルを開いてみる楽しみもあります。



ジャジャ〜ン!時代劇のオープンセットの池に突然、水煙が立ち怪獣が現れる・・・
前回訪れた時は息子も幼く、これがウケて一番印象に残っていました。
今も元気で煙を吐いている姿を見て嬉しくなりましたよ♪

太秦映画村には有料のアトラクションも多々あります。特に怖すぎると
評判の『史上最恐のお化け屋敷』は、東映ならではの時代劇版。
美術スタッフが作り上げた臨場感あふれるセット、本職の俳優が演じる
お化け、幽霊。特撮もお得意な東映だから相当本格的だと・・・
ただ私は怖いのは苦手なんで。(^_^ゞ スルー。
無料で観劇できる「中村座」に入ってみました。



『激突!忍者サスケショー』、一日3回公演される20分ほどのアクション時代劇ショーです。
開演前のお願い口上では、スマホはマナーモードにとか、写真・ビデオ撮影は・・・当然禁止かと思ったのですが、ジャンジャンバチバチご自由に!って。ただしストロボは禁止でしたが。





3Dマッピングを駆使したステージ、アクションも迫力あって思いのほか楽しめました。
劇の最中、客席まで巻き込んでね。(^_^ゞ



外では「ちゃんばら辻指南」、時代劇離れした子供らも楽しそうだった♪



東映特撮ヒーローといえば仮面ライダー、スーパー戦隊?
こういうのって世代差がくっきりと出ますよね、流行歌やアイドルが世代によって異なり、世代を特定することもできる。ヒーローも同じく・・・





仮面ライダーシリーズは1971年から今も続いている、親・子・孫でそれぞれの仮面ライダーが違っているのでしょうが・・・。
1975年、ゴレンジャーで始まる戦隊シリーズもね。
東映じゃないのでここではあまり見られないけれど、ウルトラマンシリーズはもっと長いかも。

さて、私の時代は・・・私が懐かしいと思うのは、年表の始まり部分かな。(^_^ゞ
そりゃ私が生まれた年は、テレビの本放送が始まった年。私の人生とテレビの歴史が重なっています。
テレビが普及し出して、子供番組も作られるようになって登場したのが「謎の正義の味方」♪
月光仮面・遊星王子・少年ジェット・鉄腕アトム(実写版)・まぼろし探偵・七色仮面・豹(ジャガー)の眼・海底人8823(ハヤブサ)・鉄人28号(実写版)・快傑ハリマオ・アラーの使者・ナショナルキッド・忍者部隊月光・・・
こんな名前に懐かしさを覚えられた方は、私と同じ少年時代を過ごされた同世代でしょうね。(^_-)v



ところで、ゴジラって古いですよね。1954年東宝の映画『水爆大怪獣映画・ゴジラ』が最初で、主演が宝田明、料金は大人70円・小人40円だったようです。



今見ると何ともちゃっちい特撮ですが、私らの少年時代はそれでも熱狂できた。やっぱり正義の味方はヒーローでした。



引き出しの隅から出てくる想い出の欠片、映画村にはそんな欠片が見つけられる気がします。


大名行列の顔出しパネル、団体さん用かな。修学旅行生など歓びそう。

孫へのお土産は忍者ソフトヌンチャクヽ(´∀`*)

2018.11/12、東映太秦映画村にて。

久しぶりに映画村

2019-07-12 18:34:10 | 京都徘徊記
去年の秋、久しぶりに『東映太秦映画村』に行きました。30年ぶりくらいかな?
ブログ下書きに写真だけ貼って放置してあったのでアップしときます。(^_^ゞ



エントランスとかはさすがに新しくなってました。何年か前にリニューアルしたみたいです。



何でもアリな感じは昔のまんまな気が・・・






時代もめちゃくちゃです。









撮影もしてましたよ、さすがに写真・ビデオ撮影禁止でした。
やっていたのは時代劇、子役も大勢いて寺子屋が舞台になってたかな。
当然のことのように役者より撮影スタッフの方が数が多く、それぞれの役割、動きを見るのは興味深いです。






時代劇は少なくなり、観ることも無くなりましたが、ここにはまだ時代劇のシーンを彷彿とさせるセットや小道具が・・・
そんなものを見ると何かしらストーリー展開を妄想してしまいます。(^_^ゞ




映画文化館前の広場の噴水には世界の名作映画のレリーフが貼られています。
タイトルを見ると懐かしのワンシーンが甦る。そんな映画ばかりでした。



1階フロアは美空ひばりの展示スペースになっていました。永遠の歌姫、改めてその足跡が感じ取れます。



2階はポスターや映画機材、貴重な映画資料などが展示されている「映画の殿堂」
懐かしいものやそれ以前のもの・・・銀幕の世界に思いを馳せることができる。



京都にはテーマパークらしきものが無い。唯一あるとすればココかな?
アトラクションやショーもあるしね。何よりも映画に特化した個性がある。
ただ、ジモティーのリピートは期待できそうにないけど。(^_^ゞ
それでももっと外国人観光客や修学旅行生の比率が多いのかなと思っていたら、この日は普通にファミリーやカップルの客で賑わっていました。ちょうどいいくらいの賑わいぶり。

お腹が減ったので園内のお店へ。食事処や茶店が10軒ほどあるかな、ラーメン屋さんに入ってみました。






昔ながらの中華そばでこれがなかなか美味しかった。



はし袋も記念に持って帰りましたよ♪



行ってみると結構楽しめて、それほどガッカリなところではなかったかな。
今度は何年後に行くかは分かりませんが・・・

記事はもう1回続けます。続けられたらですが。(^_^ゞ


2018.11/12、東映太秦映画村にて。

花戦さ?池坊いけばな展

2018-12-23 23:24:40 | 京都徘徊記
また1ヶ月以上前のイベントの話なんですが・・・いけばな展に行ってみました。
場所は六角堂・池坊会館、いけばな発祥の地と言われています。
池坊の師範でいけばな教室を開かれている方から招待券をいただいたのですが、以前も映画のチケットをいただき観に行ったことがあります。野村萬斎主演で池坊専好を描いた『花戦さ』って映画でした。
そういえば先日、「ボヘミアン・ラブソディ」を観に行きましたが、ほんと久しぶりだったな、招待券じゃなくお金を払って観た映画は。(^_^ゞ






六角堂(紫雲山 頂法寺)は何度も訪ねています。西国三十三所の十八番札所です。隣りの池坊ビルは“WEST 18”って名前になってます。1階はスタバになっていて六角堂の境内からも入れますよ。そのビルのシースルーエレベーターに乗って、上から六角堂の写真も撮りましたが、六角堂のまだ奥にある池坊会館へ入るのは初めて。



なかなか大したビルですね、建物の中に池はあるは、鯉どころか白鳥まで・・・
ちょっと驚いたのは、白い小鳥が囀りながらいっぱい飛んでいるじゃないですか!
白い文鳥かな何十羽も。もちろんガラスで仕切られたスペースですけど。






このいけばな展、正式には『旧七夕会池坊全国華道展』というものだそうで、江戸時代から続く最大最古のもの。池坊華道家による約1,500点の作品が高島屋と池坊会館の2会場に展示されており、入場料は高校生以下が無料、着物での来場者も無料ってことでした。着物姿はあまり見なかったけれど、インテリっぽい外国人は結構居られたかな。とにかく想像以上に盛況でした。









映画「花戦さ」で、野村萬斎が演じていた主人公・池坊専好は初代の専好。実は池坊専好というのは、池坊の家元およびその継承予定者が名乗る名跡。初代は華道家元三十一世で豊臣秀吉が登場する時代、二代目専好の時にそれまで七夕の日に宮中で催されていた大立花会を、後水尾天皇から池坊で七夕立花会を催す許しをもらって現代まで続いている。何故11月にするようになったかは分からなかったけど。
ちなみに今の池坊専好は四代目で2015年次期家元として襲名された池坊由紀さん。相撲協会評議員会議長としてニュース番組を騒がした池坊保子さんの長女ですね。






結構斬新な立花(りっか)もありました。伝統的な立花正風体に対して、今の家元池坊専永が発表された立花新風体ってやつかな。
プレバトで生け花査定をされている絢爛豪華大好きのアノ華道家の感性とは美意識がちと違うように思えますね。(^_^ゞ

同時開催で「花の甲子園」なるものをやっていました。地区代表校に選ばれたら“いけばな発祥の地”京都・六角堂へ!ってことのようで全国大会らしいです。
コンクール形式なのかな、技術点とか芸術点とかで競うのでしょうかね。







高島屋の会場にまでは行きませんでしたが、池坊会館だけでも5フロアーくらい使っていたかな。こんな大きないけばな展があることさえ知りませんでしたから、結構楽しめました。


2018.11/11、六角堂にて。

今年も初参りは・・・

2018-01-07 23:07:55 | 京都徘徊記
例年のように初参りは地元の山科毘沙門堂に。



3日のそれももう3時頃だったかな、いつもの甘酒のふるまいは
終わったかなと思ったのですが、まだ頂けました。



穏やかなお天気で気持ちよくお参りしていたら・・・
俄に天候がッ!






突然の雪、それも吹雪いてるやん!
FRで夏タイヤのロードスターで坂道を上がって来たのに
おちおちしてられません。積もったりしたら大変・・・
毎年行っている山科聖天さんは今年は中止、そそくさと帰りました。

これって縁起が悪い?
でもね、帰ってから宝くじを見てみたら・・・当たってたんです♪
ジャンボミニをバラで10枚(小市民な買い方!笑)買ってたら
誰でも当たる6等と、珍しく5等も!賞金は3,000円ですけどね。(^_^ゞ
元がとれたのは久しぶり♪


元日の庭を見渡したけれど、正月らしい花は無し。何とかこれだけ・・・





もう咲き始めた蝋梅(ろうばい)の花、南天の実。
正月の縁起木?千両の実、それと金柑の実。


2日は珍しく賑やかでした。息子たちが訪ねてきてカッパ家一同
ひとつ屋根の下に集うことができました。
総勢といっても8.8人と2匹。
去年結婚した長男の嫁のお腹の中に0.8、8ヶ月のベィビー♪
それと次男チの2匹のニャンコね。


タンゴ、タンゴ♪ 丹後王国。

2017-12-02 18:58:15 | 京都徘徊記
久しぶりの海ってことで、朝食前に海を感じに海岸まで出てみました。



京都市に住んでいると海とは縁遠いですから、年に一度や二度は海原を観て潮騒や潮の香りを体感したくなります。
子供が幼い頃は海水浴と言えば日本海、天橋立や由良、浜詰、丹後半島なら琴引浜、間人(たいざ)なんかに・・・その頃から同じところへリピートしないって拘りがあったようでいろんな海水浴場へ行きました。(^_^ゞ
昔は、夏休みで私が休める日など海への道は大渋滞でかなり時間がかかりました。宿は海辺の民宿、昭和の懐かしい想い出です。



海辺育ちだともっと潮水が懐かしいのでしょうね、我慢できずに・・・


ホテルの朝食は天橋立の見える窓辺でバイキング。












ビュッフェ方式はどうしても食べ過ぎる、もうランチは要りませぬ・・・


重いお腹を押さえてやって来たのが『食のみやこ 丹後王国』。(^_^ゞ



ここって以前は「丹後あじわいの郷」って府立の農業公園だったのですが、いつの間にか道の駅になってました。(2年前?)



平日の朝一だったから人出は・・・心配になるほどガラガラ。
以前は入園料が要ったのですが、道の駅になったおかげで園内散策は無料♪



白熱バトル カメレースって幟があったので観てみたいなと思っていたら
「小さな動物園」というのを見っけ、覗いてみることに。



ほんと、小さな動物園・・・入園料は無料なのでいいものの。(^_^ゞ



係の方から餌を手渡されて、あげてくださいって。餌やり体験をさせてもらった♪
餌は有料だったはずだけど、本日最初の入園者ってことでサービスかな?



道の駅といっても甲子園球場8個分という広さ!ホテルもあって西日本最大級の滞在型道の駅になっています。
小さなお子様が喜びそうなアトラクションやイベントもいろいろあるようで、今なら北近畿最大規模のイルミネーションが行なわれていたりするようです。









「食のみやこ」だけあってレストランも数々ありました。






スズメさんのお食事にも出くわしましたよ、暴れる蝉を見事に狩って食べてました。



花壇や果樹園も楽しめますが、
やはりこういうのもちょっと。真夏でしたから。





帰りはササーッと京都縦貫自動車道で、1時間ちょい!



まだ新しい道なんでPAも最新。京丹波PAなんですが道の駅も兼ねているようです。「道の駅 京丹波味夢の里」






2017.7/19、天橋立にて。

次はちょっと大人の旅もしてみたいですね。(^_^ゞ


天橋立だって。

2017-11-22 16:55:29 | 京都徘徊記
相変わらず更新が侭なりません。訪問、コメントも滞り申し訳ないですが、
元気にはしております。(^_^ゞ
備忘録として残しておきたいこともあるので、随分遅れていますが・・・
時期外れはご容赦、気にしないでください。(/・。\)



近くまで来て、折角なので日本三景の天橋立を観に行くことに。
最近は世界遺産だ何だと観光地が林立しているように思えうのですが、日本三景ってのは歴史が古く、江戸時代初期の文献にすでに日本三景として出ているとか。
特に松島と天橋立は平安時代から貴族に名勝の地として愛されていたようですね。

何度か天橋立を展望しているが、いつもココからになってしまう。
ここ、成相山(なりあいさん)の展望台ならクルマで登ってしまえるからね♪
日本一の展望とうたっているけれど、天橋立の主なビューポイント「天橋立四大観」には入ってません。
四大観とは、北から南を見る「股のぞき観(斜め一字観)」、南から北を見る「飛龍観」天橋立ビューランド、東から西を見る「雪舟観」雪舟の絵に描かれてます。西から東を見る「一字観」の4ヵ所が四大観と呼ばれ有名ポイントなんですが、
成相寺からは北から南を見る斜め一字観に近いかな。日本一かどうかは・・・?



『成相山 成相寺(なりあいさん なりあいじ)』は、西国三十三所観音霊場巡りでも第28番の札所ということで訪ねた。
その時はもう一つのビューポイント「弁天山展望台」にも行ったのだが、徒歩で山道・・・今回はスルーでした。(^_^ゞ

        本堂〔1774年・京都府文化財〕

鉄湯船〔重文〕

花が出てくると季節感が・・・


一願一言地蔵と桔梗の花
600年以上前から人々の願いを叶えてきた?お地蔵さん。



7月半ば過ぎ、梅雨明け間近な頃でしたから桔梗の花ももう終わりかけ。


撞かずの鐘(慶長13・1608年)
悲しい言い伝えがあり、撞かれなくなったとか。
お寺は去年、旧境内が国の史跡に指定されたようです。




宿は『宮津ロイヤルホテル』、部屋は狭かったけれど橋立ビュー♪
窓から天橋立が観られました。



ディナーバイキングプランだったので、好きなものだけたっぷりと食べられた。















ステーキはしょぼかったけれど、デザートまでもう食べられへんってとこまでね。(^_^ゞ



ちょうど天橋立がライトアップされるってことで、夕食後行ってみたのだが・・・


智恩寺山門
辺りをうろうろしてみたけれど、夜だと観光にはならないね。門前のお店ももう閉まっていたし。


2017.7/18、成相寺展望台にて。

鬼さん、コチラ。

2017-10-12 16:54:10 | 京都徘徊記
またまた遅更新ですが・・・7月の18-19日に天橋立の方に行きました。
最近は高速道路が整備され我が家から2時間もかからなくなりましたから
日帰りでも充分行けるのですが、ゆっくりとね。高速を使わず下道で♪

・・・で、寄り道です。
百人一首に詠まれている「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立」
天橋立へ行くのならまずここを越えなければ、何て思ったりして。(^_^ゞ



大江山といえば『鬼伝説』で有名。それに因んで『日本の鬼の交流博物館』
なるものが建っています。日本最大の鬼瓦のモニュメントもデデ〜んとね。



ただ、火曜日なのに休館!月曜が祝日だったのを忘れていました。(^_^ゞ



めっちゃオーバーデコレーションな屋根瓦、青海波唐破風。豊後地方(大分県)で
存在が確認されたものを「日本鬼師の会」がここに再現したのだとか。



休館日で入れなかったけれど、中には日本はもちろん世界中の鬼?の資料が
展示されているようです。建物の周りも鬼瓦がいっぱい♪



一帯は鬼だらけ、鬼の巣窟みたいです。なにせ酒呑童子の郷ですから!






酒呑童子(しゅてんどうじ)って名前だけ聞くと、ちょっと可愛い?
上の石像のようなイメージ。でも、昔の絵図などに描かれた姿は・・・
えげつなく怖い。酒が入るまでは穏やかなデカい子供って感じですが
怒らすと恐ろしいことに?『大江山酒天童子絵巻物』



『大江山鬼退治』
、これですね。多くの鬼を従え夜な夜な都に現れ、狼藉の限りを
尽くす酒呑童子を討伐するため、源頼光一行が帝の命により大江山へ遣わされます。
山伏に化け、毒酒を携えた一行は鬼の巣窟へ。まんまと毒酒を飲ませ一網打尽に
鬼たちを退治。ただNo2の子分、茨木童子だけは取り逃がしてしまいます。
この茨木童子が生まれたのが、今の大阪府茨木市といわれ、茨木市の
ゆるキャラは『いばらき童子』だったりする。名神高速で茨木市に入ると
看板に鬼の絵が描いてあるのが何のこっちゃって思ってました。(^_^ゞ


2017.7/18、大江山にて。

そう言えば、ここ「丹後天橋立大江山国定公園」になってましたね。
2007年、10年前からだそうで。それまで天橋立は「若狭湾国定公園」に
含まれていたのですが、京都府だけでまとまったようです。
京都府だけの国定公園ってこれが初めてだとか、去年は北山・芦生原生林・
八丁平・美山かやぶきの里などの「京都丹波高原国定公園」が指定を
受けています。2000年以降、3ヵ所の国定公園ができてますが、
その内2ヵ所は京都府なんですね。
意外と今まで無かったってことでしょうが・・・(^_^ゞ


そうそう、今回1泊するにあたって、にゃんこのご飯をどうしようかと・・・
こんなのを買ってみました。タイマー式の自動えさあげ器。
ちゃんと機能したようです。壊されもしなかったし♪




もみじは清水でナイト【季節外れ】

2017-01-27 12:13:01 | 京都徘徊記
季節外れの記事ですが、去年12月3日。清水寺「夜の特別拝観」に行きました。

最終日前日、土曜日ってこともあり、予想通りの人出でした。
クルマでの駐車は無理かと、スクーター2台で・・・駐車料金ちょい割高。



清水寺のライトアップ期間は、かなり遠くからでも見られる夜空のビーム。
観音慈悲光と呼ぶそうですが、私にはどうも誘虫ランプに見える・・・
観光客は飛んで火に入る秋の虫?(^_^ゞ



世界遺産、国宝の寺でも人寄せのためには何でもありですな。



戦争体験者だとサーチライト、空襲警報を思い起こす?



京都に住んでいると、このビームは見慣れた夜空の光景。
「清水さんでライトアップしてるんやな」と・・・
私はこの夜間拝観、初めての体験でしたが。

何はともあれ市内の夜景も望めて、ついでにお月さんも♪
少しはうっとりできますよ。周りは外国語が飛び交ってますが・・・



京都タワーは基本的に白いんですが、
2008年にピンクリボン運動(乳ガン啓発)でピンクにライトアップ
されて以来、主に各種啓発運動に賛同してそれぞれのちなんだ色に
特別色のライトアップがされるようになりました。
以前は「年に何度か」程度でしたが、一昨年LED化されて以来、
頻繁に行なわれるようになっています。



この日は赤く光ってました。何の意味かと思えば
「紅葉シーズンに合わせて」って事のようです。

私に一番関係があるのは「世界糖尿病デー」のブルーライトアップ、
11月14日は日本全国各地のみならず世界中の観光施設や建造物が
青い光にライトアップされます。
もちろん京都タワーも、東寺の五重塔や二条城もね。

ちなみに消灯するのも意思表示?毎月16日は「環境に良い事をする日」
として2時間ほどライトダウンされます。

現在、希望する好きな「自分色」でライトアップできるように
なっています。(要事前申込・有料30分3万円~)


それでは季節外れですが、清水寺紅葉ライトアップの光景を・・・














2016.12/3、音羽山 清水寺にて。


帰りにちょっと清水坂を散策。
お菓子屋さんでは「ご当地もの」のオンパレード?(^_^ゞ



伊藤久右衛門 宇治抹茶カプチーノ 泡立つ 粉末 スティック 12g×20本 お徳用 抹茶ラテ 抹茶オレ
クリエーター情報なし
㈱伊藤久右衛門

いつものスタート

2017-01-06 23:32:27 | 京都徘徊記
1月2日、いつもの山科毘沙門天に初参りに行きました。
今年は穏やかなというか、暖かくて快適なお正月でしたね。




あまり大勢の人出を好まないので、2日も午後からの
お参りにしました。
それでも少しは並ばないと・・・ま、年の初めですから。





もう50回近く?ほぼ毎年ここへ来てるかな。いつもの光景、
焚き火に、ふるまいの甘酒が楽しみ。





去年の秋頃から苔に興味が出てきて、この日も
苔の写真ばかり撮ってました。
新しいカテゴリーにできるかな「こけモスた」とか何とか。(^_^ゞ





心臓破りの石段、秋には紅葉の絨毯で被われます。








上の2枚は山科聖天さん。毘沙門天の塔頭寺院です。


毘沙門さん、いつもの「夢」と書かれた屏風。
夢を持ちなさいってことかな?
今年も宝くじのドリームは破れましたが・・・


2017.1/2、毘沙門天にて。

祇園さん、スルーっとある記

2016-04-29 22:40:25 | 京都徘徊記
円山公園の地下駐車場にクルマを停めて、八坂神社(祇園さん)が
目的地じゃ無かったので、通り抜けただけですが・・・



京都ではやはりメジャーな観光スポット、観光コースから外せないかもね。
八坂神社は、全国にある八坂神社や素戔嗚尊(スサノオノミコト)を
祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社で、7月の祇園祭(祇園会)で
知られる京都を代表する神社のひとつ。
元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていたものが、
明治になり「八坂神社」と改められた。
それで今でも「祇園さん」が通り名になっています。


〈西楼門〉

京都に生まれ育ち、住み続けること60余年。恥ずかしながら私はまともに
参拝したことが無い・・・改めて写真を撮るのも初めてかも。(^_^ゞ
昔は修学旅行生、今はそれに加えて近隣外国人の和装姿が多く見られて、
京都観光には欠かせない観光地なんでしょうが、
私のようにここの氏子でもなく、祇園祭の鉾町に住まない人間には
これほど有名であっても、意外と関心がない。
想い出を辿れば、子供の頃、姉が白朮(おけら)参りに行ってたことかな。
実は私は祇園祭すら山鉾巡行などほとんど見たことが無い・・・
ま、個人的に祭りや人混みが嫌いってこともあるのですが。

四条通の東の突き当たりにある「西楼門」、八坂神社の顔ですが
正式には本殿が正面にある「南楼門」(只今工事中)が正門です。
この西楼門には20段ほどの石段があり、その先に建っています。
だから東大路四条の交差点を「祇園石段下」と呼んでいる。
京都で「石段下(いしだんした)」と言えばこの界隈のことを指します。



〈随身像〉
お寺の仁王門なら仁王像(金剛力士像)が立っているところですが、
こちらは左右に随身(ずいじん)が控えています。雛飾りのようにね。
随身とは、近衛の舎人で貴族の外出時に警護のために随従する役目の人、
要はガードマン、SPですね。
雛飾りの場合、右大臣、左大臣なんて言いますが、間違いかもね。
位の高い左側(向かって右側)は、ベテランの随身さん、
右には(向かって左)若くて派手な衣装の随身です。これが、右大臣・
左大臣と誤解する原因かも知れません。



お籠のように見えるから、古くは籠門(かごもん)と呼ばれていた
そうです。・・・籠に見えるかなぁ?(^_^ゞ

西楼門の門前には重厚な青銅製の狛犬が置かれていますが、
内側にも立派な石造りの狛犬が見られます。



現在、門前にある青銅製の狛犬は八坂神社の社宝である鎌倉時代の
ものをモデルにして造られ、大正15年に設置されましたが、それまで
門前にあったのがコチラの石の狛犬。明治15年に造られたものです。
2体の台座には玄武・青龍・朱雀・白虎の四神の浮彫りがあり、コチラも
素晴らしいものですね。




境内にはいつも露店が出てますね、たい焼きやフランクフルトって
京都の名物でもなんでもない。匂いも漂ってるし、石灯籠も見えへん!
ここは疫神社や太田社など摂社・末社があるのに・・・
この日はまだ少ない方でしたが、景観も台無しのような気がします。
ま、寺院と違い神社の在り方としてはアリなんでしょうが・・・

〈本殿・側面〉

      〈舞殿〉修復工事中なのは南楼門。


〈本殿・正面〉



摂社・末社もいろいろ取り揃えてございます。(^_^ゞ
大国主社は、縁結び。刃物神社は縁切りのご利益がある…とかね♪

有名な摂社は、ご祭神が蘇民将来の「疫神社」、素戔嗚尊の荒魂を
祭神とする「悪王子社」など。末社では「美御前社」が一番人気かな。
美しくなれるという神水「美容水」というのが涌き出しています。

「祇園のえべっさん」も商売繁盛で親しまれている末社です。


〈北向蛭子神社〉


      〈絵馬堂〉
北門の鳥居をくぐって直ぐにある絵馬堂。
石鳥居は南楼門の前にもあります。



八坂神社は、東西南北に入り口があり(東は2ヵ所)、24時間、年中
開放されている観光スポットです。いつでもおこしやす♪

同じように円山公園も四六時中、開放されている公園です。
西は八坂神社と、北は知恩院と隣接した京都最古の公園で、
国の名勝にも指定されています。有名な枝垂れ桜もあり、
京都のお花見宴会のメッカだったりします。祇園円山の夜桜、若い頃
一度だけ行きましたが、酔っぱらいを見るの好きじゃないので・・・
それ以来、行ってません。



園内に料亭や茶店が多数点在しているのも特徴でしょうか。



訪ねたこの時は3月初め、桜どころか梅もこんな具合・・・
屋根の三毛猫がラブリィな風景でしょ♪



公園にゃんこもゴロゴロと・・・



薄目開けて、倒れてネコんでるわけではニャイ。ちょっとお昼寝子ね。

公園の地下(一部)が駐車場になっています。出入り口はこんな感じ。



何だか防空壕跡みたいな・・・。



他にもあちこちに石積みがあるのですが、煙突が付いていたりするので
地下駐車場の空気抜き?それにしては、大袈裟なような・・・
これが何なのか、どうしてこんなカタチなのか謎。
正体不明の石積み、気になるな。誰かご存じないかな?


さて、石段下のあのお店に入るとするか・・・
西楼門の青銅製狛犬越しの祇園石段下交差点、テッパンのアングル?


2016.3/6、八坂神社にて。

わいわいかいわい、六角あたり。

2016-04-26 17:07:51 | 京都徘徊記
京都文化博物館(三条通)へ「実相院門跡展」を観に行ったのですが、
三条通の北、姉小路通は以前レポしたので。今回は三条通より一筋南の
東西の通り・六角通を少しだけ歩いてみました。
雨が降っていたので、まともなレポは出来ませんでしたが・・・



三条界隈は明治の遺構が多く観られる「界わい景観整備地区」、
文化博物館別館の旧日本銀行京都支店(重文)もそのひとつです。
日本銀行本店や東京駅、大阪市中央公会堂などを設計した辰野金吾と
その弟子・長野宇平治の作品です。



観るたびに色々と発見できて奥が深い建築、一度徹底的に写真を
撮ってみたいです。できれば館内も・・・。以前は撮れたはずなのに
この日は駄目って言われた。イベントをやっていたからかな?



〈錦市場〉
昨年、開業400年という古くから京都の台所を担って来た商店街。
相変わらず賑わっていますが、今は観光スポットとしてね・・・


〈ホブソンズカフェ 京都四条富小路店〉アイスクリーム屋さん?
店内で京町家の風情を味わいながらいただけるようです。



〈まるさんかくしかく〉
どうやら閉店したようだ。もとは木綿問屋、築100年は超える商家を使い
雑貨、カフェ、レストラン、ギャラリー、美容室が入る複合店舗に
なっていたはず。若い女性の観光客で賑わっていたのですが・・・



〈富小路通蛸薬師下ル〉
ビルとビルの間にあるお宅。大塀造(だいべいづくり)の住居?
二階の外壁が渋い色のタイル張りで印象的です。



〈富小路蛸薬師角〉
ここも個人邸かな?二階の設えが気になりました。



大塀造ですね、電柱が邪魔ですが右側で一段高くなっているのが
玄関かな、その右側は塀では無いですが庇が付いていて、塀のように
見せてバランスを取っている。庇の下は吊り出格子になっていますね。
ぐるっと駒寄せ(柵)が廻らされて、相当裕福そうな町家です。




一変、こちらは洋館建て。しかも、もじゃハウス。(^_^ゞ


〈革島医院・麩屋町通蛸薬師上ル〉
麩屋町通(ふやちょうどおり)を歩いているとハーフティンバーの
外観や円筒形の塔屋などが通りに面していて、蔦のからまった建物は
否応なしに目に入ります。



この建物は1936(昭和11)年に建てられた個人医院。今は右に新しい
建物があって、ここは住居として使われているのかな?
建築趣味の初代院長が留学先のドイツの城郭をモデルに、近代建築を
数多く手がけた「京都あめりか屋」に発注したものだとか。



〈宮脇賣扇庵・六角通富小路東入ル〉

創業1823(文政6)年、京扇子の老舗です。
虫籠窓に紅殻格子、表に張り出した床几など、古き良き京の面影を
とどめる近世の町家そのままの店構えで、観光ルートとしても
知られているのだとか。


      〈万足屋きむら・蛸薬師通麸屋町東入ル〉
1920(大正9)年創業以来、京友禅を中心にお着物の別染め・お手入れ・
お直し等をはじめ暖簾・風呂敷の染めや和雑貨の販売をされてます。



〈金翠堂・六角通富小路角〉
いつも気になるんですよね、このお店。画材店だからかなぁ・・・



入ったことは無いのですが、おそらく大正期の建物。
今でこそレトロですが、当時はモダンなセンスを感じられたのでは。
特に窓の設えが凝っていますね。



和洋折衷、新旧混合・・・なんとも摩訶不思議な魅力を感じます。
できれば長く維持保存してもらいたいものです。


〈丸平大木人形店・六角通柳馬場東入ル〉ここは看板だけね。(^_^ゞ
江戸明和年間に創業の有職御雛京人形司、現在7代目。皇室、旧家を
はじめ、良家のお嬢様が揃えた雛人形。見るだけでも価値がありますよ。



〈大極殿本舗 栖園・六角通高倉東入ル〉
1885(明治18)年創業の京菓子店。京都で「春庭良Castella」と言えば
ここ。大丸百貨店横の本店とこの六角店でしか売っていません。
有名百貨店のバイヤーさんから出店要請があっても、お店のポリシーで、
お断りしているそうです。
六角店は、店主宅の築140年の町屋を改装して開いたお店だそうです。



2016.2/20、六角通界隈にて。


ちょっと面白い本があるので、ご紹介。



あこがれを集める歴史の都・京都! そんな古都を「きらい」と明言する
のは、京都生まれ京都育ちの著者。右京区花園に生まれ嵯峨で育った著者、
京都人(洛中人)から「洛外人」とさげすまれてきたという。
そんなディープな千年積もった洛中人の毒や、中華思想、姫と坊主、
東京“外資系”、寺と花柳界、古都税、怨霊鎮め、町屋の闇…など、
「こんなん書いてええのんか?」という衝撃のブラックな京都論。

洛中人、洛外人?他所の方にはちょっと理解できないかと思いますが、
生粋の京都人(=洛中人)とは、洛中にある家に4代以上前から住み
続けている人のことだとか。4代以上というのは、生粋の江戸っ子が
3代だというので、そやったら京都人は4代以上やないとな。って
ことかな?(^_^ゞ
洛中という定義は、これは曖昧ですが・・・鉾町で毎年祇園祭に参加して
いる地域?住所に上ル下ルが付く碁盤の目状が残っている地域。
もう少し拡げると、東西南北で言えば東大路・西大路・九条通・北大路
ってことかな?
本の中で嵯峨育ちの著者は西陣の某氏から嵯峨者のくせに京都弁を
あやつるのは身分不相応・・・みたいなことを言われたとか。
国立民族博物館の初代館長であった西陣の某氏、全国の方言が聞ける
機械に自ら京都弁を吹き込んだ。それを聞いた中京の某氏は「京都を
西陣のやつが代表しとるんか。西陣ふぜいのくせに、えらい生意気
なんやな」、西陣あたりが京都人をふるまうのは片腹痛いと・・・
何ともディープな洛中人の生態。

いずれにしろ嵯峨や花園は洛外、何せ京都市に編入されたのは昭和に
なってからだし。かくいう私も京都に生まれ育った人間ですが
生まれたのは太秦、育ったのは山科で・・・著者よりもまだ洛外。
山科に関しては本にも、洛中で婚期を逃したオールドミスが、お相手の
ハードルを下げるうちに「とうとう山科の男から話しがあったんや。
もう、かんにんしてほしいわ」と言ったとか・・・
山科に嫁いだ京女さん、毎日泣いて過ごした「京都に帰りたい」と。
確かにね、昔ならありそうな話し。京都市内でありながら山科や伏見の
人間は洛中市街に行く時「京都に行く」って言いますもん。(^_^ゞ
私は6歳で山科に越してきたが、まだ住所は京都市東山区山科だった。
東山が西にあるのにね。山科区になったのは23歳の時でした。

千年の古都のいやらしさ、ぜんぶ書く・・・この本、洛中洛外問わず
京都を知っている人、京都に少しでも興味がある人にはとても面白い。
去年の秋、発売約1か月で6刷の増刷を重ね(今年3月で第11刷発行)、
関西圏を中心に異例の売れ行きを見せているのだそうです。


京都ぎらい (朝日新書)
井上章一著
朝日新聞出版

一本なのに千本通。

2016-03-14 19:00:13 | 京都徘徊記
前述のキッチンパパは上立売通千本を東に入ったところ。
ちょっと近くをうろうろしてみました。



千本通は京都の南北の道で、西大路通と堀川通の間にありますが、
そもそも平安京の時代では都への入り口、羅城門(羅生門)と
大内裏(だいだいり)の朱雀門を結ぶメイン道路、朱雀大路でした。

都を守る平安京四神(玄武、青龍、朱雀、白虎)として、朱雀大路の
正面には船岡山=北の守護神玄武(亀)があり、南には
巨椋池(おぐらいけ)=朱雀(鳥)をひかえた、まさに中心の通り。
ただ、風水を考えるあまり、無理からな都造営だったので、もともと
水はけが悪く住みにくかった東にあたるこの地域は寂れてゆき、
京の中心は西へと移動していきました。
大火や戦禍に紛れた大内裏も安貞元年(1227年)には、ほとんど焼失。
これ以後再建されることはなく、跡地は「内野」と呼ばれる荒れ地に
なってしまったとか。平安京の西の端であった西京極大路もどこが道で
あったか分からないくらい荒れ果て、本来中心であった朱雀大路が
都の西端になってしまったようです。

都造営当時、華やかであった朱雀大路もやがて船岡山の西麓にあった
蓮台野(れんだいの=墓地・火葬場)へ行く道となり・・・
誰が立てたかはわからないが、いつしか千本もの卒塔婆(そとば)が
立ち並んでいたため「千本通」と呼ばれるようになったとか。
この他にも、真言密教の僧・日蔵上人があの世で醍醐天皇に出会い、
「菅原道真を左遷した事を悔いている。現世に戻って、尊いお経を唱え、
卒塔婆を千本立てて、道真を供養してくれ」と告げられ、生き返った後
蓮台野に千本の卒塔婆を立てて、供養したのが朱雀大路を千本通呼ぶ
謂れとして残っています。

とは言え、その後大正末から昭和にかけての都市計画事業として
拡幅され市電が走る大通りとなり、昭和47年(1972年)まで市電が
走っていました。特に下立売、中立売周辺は河原町と並ぶ繁華街
として栄え、今でも商店街が多く面白いところです。


またまた前置きが長くなった。(^_^ゞ
千本通上立売あたりをちょっとうろうろしてみます。



「鰻のおぜき」、典型的な京町家ですかね。店内で炭火焼されている
鰻を店頭でも販売されていますが、店の奥には坪庭が見える座敷が
用意されていて、それこそ焼きたてのうな丼がいただけます。
奥に行くまでに井戸があり、その井戸でウナギを泳がせているとか。
京町家、まさに「うなぎの寝床」。一度入ってみたいです♪



「京漬もの 近為(きんため)」明治12年創業、137年の老舗です。



ここも奥の座敷で『京のぶぶ漬け』コースがいただけるようです。






店舗は20年ほど前に大改装されたとか、ビルとかにせず町家の風情を
残されたのは正解ですね♪



この辺も西陣と呼ばれる界隈なので、いろいろ古い町家も見られます。

〈ポンジーズテーブル〉町家カフェ、今度はここもイイかな♪

〈珈琲茶館〉知る人ぞ知る珈琲豆専門店。
喫茶業をしたい人、豆販売したい人、焙煎業したい人。
みんなここで修行したがるのだそうです。
オーナー・田中勝氏の珈琲豆へのこだわりは半端じゃないそうですが
気難しく無く気さくな方のようで、師匠と仰ぐ方も数多く・・・。
ところで、日本で最もコーヒーを飲むのは京都市だとか。
県庁所在地別コーヒー消費量ランキングで1位でした。
(総務省統計局・平成23年~25年平均)






個人宅かな、立派な商家の建物のようですが・・・
やはり景観重要建造物・歴史的風致形成建造物・歴史的意匠建造物に
指定されているようです。


北山杉の磨き丸太や銘木を扱っているお店。安政5年(1859年)創業。
〈松文商店〉重厚な感じですね。

〈いほりホール〉バス停の前でちょっと目を引く昭和風?洋館建て。
カフェかなと思ったら、葬儀屋さんでした。(^_^ゞ



〈長谷川杼製作所〉
日曜だったから暖簾も看板も上がっていませんでしたが
杼屋(ひいや)さんです。西陣織には欠かせない「杼(ひ)」を
作られているようです。杼とは織り機の用具のひとつです。
縦糸が開口している間に横糸を通すために使う木製の舟形の道具で
シャトルともいいます。行ったり戻ったりしますからね。

♪縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は・・・♪

昭和5年に建てられたという町屋、二階のガラス窓が何だか懐かしい。
そんなことより、京都でも杼屋はもうここ一軒。職人さんはご高齢の
長谷川淳一さんだけ?文化庁の選定保存技術保持者として認定されて
いるようですが、後継者無し。部材に使う赤樫も枯渇寸前・・・
パーツである真鍮製の「杼金」を製作するところも無くなり「杼」を
作るための特殊工具も新しくは手に入らない、深刻な状態だとか。

他にも伝統産業、伝統工芸を支えるべき道具が消えつつある。
危機的な状況のようですね。


最後に下の写真は、ここもゲストハウス「木音 KIOTO」です。
築85年の町家、北野天満宮や平野神社、国宝 千本釈迦堂(大報恩寺)
などが近くにあり、金閣寺(鹿苑寺)へも自転車で10分程度で行くこと
ができます。何よりも周辺の路地を散策すれば古い軒並みと今でも
機を織る音が聞こえて、西陣織の町ならではの風情が味わえます。


2016.1/24、千本上立売界隈にて。

行者橋、渡れば首塚…

2016-03-10 23:59:02 | 京都徘徊記
三条通から知恩院古門のある華頂道(古門前通)までの白川沿い
白川筋は柳並木の風情が素敵なおすすめの散歩道。

京都に来られたら耳にすることもある「白川(しらかわ)」って地名、
ちょっと複雑なので、京都の地理を整理しておきましょう。

まずは白川、比叡山と如意ヶ嶽の間を源に左京・東山区を流れる
一級河川で、京都市動物園付近で琵琶湖疏水に入ったのち、
京都国立近代美術館の南、慶流橋から疏水と分れ、四条大橋の北で
鴨川に注ぐ川&運河です。

この白川とは別に「白川疎水」がありますが、これがややこしい。
現地検証していないのですが、白川疎水道を辿ると、北大路通の少し
南の鴨川から始まっているようです。鴨川を隔てて対岸は紫明通。
ちょうど京都府立植物園の南ですね、そこから北大路の北をぐるっと
回って高野川とクロス。高野川とは合流すること無く川底の下を
くぐっているようです。その後、南下しますが銀閣寺に至る今出川通
より南、永観堂の北・若王子までの間を「哲学の道」と呼んでいます。

東大路より東にあり南北の主要道路である「白川通」は、北は宝ヶ池通
から南は仁王門通(南禅寺前)まで、白川に沿うように通っています。
白川通の周辺で今出川通より北、一乗寺までの地域に北白川と呼ばれる
エリアがあり、東は滋賀県境まで広がっています。
白川の上流に沿って白川通から志賀越道、山中越という街道があり
大津市近江神社の北に出ます。
流域の川砂は白さの際だつ白川砂として京都の特産品となっており、
各地の神社仏閣、京都御所、天皇陵などに古くから利用されています。
最近では川砂は採れなくなり、山を切り崩して採取していますが・・・

白川上流域は平安時代から花に恵まれた土地だったようで、
白川女(しらかわめ)と呼ばれる花売りの行商をする女性達が活躍
していました。京都では他に、大原女(おはらめ)が薪の行商を。
桂女(かつらめ)による魚の行商も知られています。

さて本題は、京都市動物園のところで琵琶湖疎水に合流してしまった
白川、神宮道の西からまた白川として復活するのですが、散歩道は
仁王門通から西岸なら三条通の一本北の筋まで川沿いを歩けます。
三条通からは両岸を華頂道まで、その後、花見小路通までは桜並木の
川沿いを歩けますが、祇園の密集地の間は通れなくなり、祇園巽橋の
少し上流から白川南通と名前がついて風情あふれるお花見小径に
なっています。そして最後は大和大路、川端通の下を流れて鴨川に
注ぎ込み、白川はそこで終わります。


前置きがやたら長くなりましたが、今回目的地は古川町商店街だった
ので、白川沿いを歩いたのは三条通と華頂道のわずかな間だけ。(^_^ゞ


〈通称:一本橋〉
この橋は、比叡山の阿闍梨(あじゃり)修行で千日回峰行を終えた
行者が粟田口の尊勝院の元三大師(がんざんたいし)堂で
元三大師に報告するため、入洛する時に最初に渡る橋で行者橋とも
阿闍梨橋ともいわれています。

縦2列に並べられた切石を石柱橋脚で支えているだけ、見ての通り
欄干も無く橋幅は60cmほどしかない。実にシンプルで質素な造り。
ある意味、命がけの荒行で煩悩を超越したであろう阿闍梨には
この簡素の極みのような一本橋こそ相応しいのかも・・・




この辺りの白川では昔、友禅流しが行なわれていた。友禅染の反物を
川の水で糊を落とすのに川の流れを利用したものです。
そのため川に降りる石段が両岸のあちらこちらで見られます。
昔と言っても私の子供の頃はまだやっていました。鴨川でもね。
特にここには行きつけの歯科があって、順番を待っている間、
気を紛らわすため二階の窓からよく眺めていたものです。(^_^ゞ




少し三条寄りの東岸に「餅寅」というおまんやさんがあります。



「光秀饅頭」がウリのようで、何やら明智光秀ゆかりとか。



お店の角には「東梅宮 明智光秀墳」と刻まれた弘化2年(1845)の
銘が入った石碑が建っています。



横の路地を入って行くと、すぐ左側に小さな祠があります。



光秀公、有能な人物であったようだが、天下を取るため主君信長を討ち
謀反を謀った裏切り者として扱われているから、首塚もこんなもの
なのかな・・・。
本能寺の変に関しては様々な説があるように、光秀の死もいろいろな
話が伝えられている。まさに戦国最大のミステリー?

そう言えば、以前訪ねた亀岡・谷性寺にも光秀の首塚がありました。
首は坂本城に運ばれたとも言われているし、
宮津の細川ガラシャ(光秀の娘)の元に届けられたとも・・・
明智光秀は幾つ首があったんだろう?

ここの謂れは、栗田口黒谷に、他の三千余りの首と一緒に埋められた
光秀の首を、明和8年(1771年)に光秀の子孫と名のる明田利右衛門が、
もらい受けて、石塔を自宅(現在地の東)へ移して菩提を弔った。
明治維新後、現在地に移されたというもの。
もらい受けたのが死後約190年後というのも・・・?

ちなみに光秀の胴体は山科・勧修寺の近く小栗栖の明智藪に埋められて
いるということで現在は石碑が立っている。
これもまた、首の無い胴は秀吉方に渡り、首と縫い合わされた後、
六条河原で磔にされ晒されたとか・・・どうも謀反、裏切りを
起こさせないため、えげつない話になっているように思われる。


この明智光秀の塚は、餅寅さんによって管理されているのだが、
その餅寅さんの近くに一日一客貸切の宿『白川庵』がある。



5年ほど前から開業されており、以前から気になっていたのですが。
ここの宿主も餅寅さんです。



白川筋に面しており、前には白川が流れ、行者橋より少し幅のある
一本橋が架かっています。
建物は大正時代の町家で風情のある佇まいですね♪

この後、古川町商店街に戻り「万両」さんで食事をするはずが
貸切のため食べられず、仕方ないのでぶらぶらと四条大橋まで
歩いて「レストラン 菊水」に入ってみました。



大正5年(1916年)創業、今年で百周年を迎える老舗洋食レストラン。
南座の向かいにあり、国登録文化財に指定された建物は竣工当時の
レトロな雰囲気を保っています。夜なので建物は撮れませんでしたが。

南座は江戸時代から続く日本最古の劇場、建物は昭和4年に建替え
られたものです。鴨川を渡ると北側には鰻料理の「先斗町 いづもや」。
大正5年に新京極で創業し昭和21年に現在の場所に移転した老舗。
四条大橋西詰南側は中華料理「東華菜館」、ここも大正15年(1925年)
に建てられた登録有形文化財、ヴォーリズ建築。
四条大橋の四隅はレトロですね♪



メニューはイマイチだったかな・・・(^_^ゞ
コスパが良いとは言えなかった。ま、2階の本格的なディナーは
違うのかも知れませんが。






2016.1/16、白川(白川庵周辺)にて。

ちょいと知恩院。

2016-03-08 17:01:45 | 京都徘徊記
古川町商店街を抜けた後、時間つぶしに知恩院辺りを散策してみました。



この辺りの白川沿いは交通量も少なく(一応クルマも通れます。
一台分の幅しかないので西岸と東岸で逆の一方通行ですが)、
柳並木が芽吹くと風情のある散歩路になると思います♪



白川に架かる通称「一本橋」の先に見えるのが「古門前橋」
そのたもと、川面の近くにベンチが置かれています。
この親水テラスや一本橋はよくTVドラマに出てきますね。
koh925さんからコメントいただいたように、古川町商店街も
「京都地検の女」で名取裕子が演じる鶴丸あやが主婦として
買い物をしている商店街のようです。

ドラマのロケ地として使われるのはいいのですが、例えばここの
ベンチで容疑者を発見、門をくぐって尾行するのは産寧坂の石塀小径、
角を曲がって犯人を確保するのは南禅寺の水路閣なんて・・・
京都らしさを描くあまり、地理的には支離滅裂ってことが多かったり
しますね。(^_^ゞ


上の写真で左端にちらっと見えているのが「知恩院古門」です。





ここの東西の通り名、東大路通より西は古門前通、東は華頂通と
名前が変わります。

この通りには知恩院の塔頭がずらりと建ち並んでいます。





華頂中学・高校・短大・大学の女子校の校舎も並んでいます。
またまた正体不明の建物、中からぞろぞろ尼さんが・・・?



どうもここの煉瓦の壁が気になって・・・何かの遺構のような。

華頂通、古門から東へ歩いて行くと神宮道とのT字路の真ん中に!


〈瓜生石(うりゅうせき)〉
クルマで走って来たら突き当たりそうになる場所にあります。
これ「知恩院の七不思議」のひとつ。

黒門への登り口の路上にある大きな石は、知恩院が建立される前から
あるといわれ、周囲に石柵をめぐらしてあります。
この石には、誰も植えたおぼえがないのに瓜のつるが伸び、花が
咲いて瓜があおあおと実ったという説と、八坂神社の牛頭天王が
瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し一夜のうちに瓜が生え実った
という説が伝えられています。また石を掘ると、二条城までつづく
抜け道がある、隕石が落ちた場所である等、さまざまな話が言い伝え
られている不思議な石です。(知恩院HPより引用)

牛頭天王(ごずてんのう)と言えば、八坂神社の元々のご祭神。
祇園精舎の守護神とされています。八坂神社も元は祇園社と呼ばれて
いたので、今でも京都では「祇園さん」と呼びますね。
祇園祭の期間、7月は胡瓜を食べない風習が京都にありますが、
それは八坂神社の御神紋が胡瓜の断面に似ているからという理由で。
「五瓜に唐花(ごかにからはな)」別名「木瓜(もっこう)」って
紋ですが、実はキュウリではなく瓜。マクワウリなんですけどね。
牛頭天王の神紋ですが、何故か織田信長も家紋として使っています。

知恩院のすぐ北にある粟田神社の大祭で行なわれる夜渡り神事の際、
この瓜生石の周りを三度巡拝する「れいけん」という神事があるの
ですが、その時に知恩院の僧侶も祈祷されるという神仏合同の珍しい
祭事が見られます。

話がこんがらがりましたが、(^_^ゞ
華頂道の突き当たりは知恩院の黒門になっています。


〈知恩院 黒門・黒門坂〉
拝観時間(午後4時締切)を過ぎていたので、門は閉じられていますが
この門を通って黒門坂を登ると知恩院北門があり、そこから境内中心に
入れます。有名な三門が表玄関だとしたら、ここは裏口かな。
秋は紅葉が綺麗で、おすすめのルートです。

ちなみにこの前の通りは神宮道。南北の通りで、北は平安神宮、南は
円山公園までの道です。
知恩院の北隣りは青蓮院門跡、南は円山公園で神宮道を挟んで西に
八坂神社があります。


黒門から神宮道を南に下がると三門までに知恩院の塔頭
元大谷 崇泰院(そうたいいん)があります。
親鸞聖人の墳墓や蓮如上人産湯之井戸などがあるのですが



一般公開をするようになったと聞いたのですが、どうも・・・
1ヶ月前までにホームページから予約する必要があるみたいですね、
しかも団体のみです。「宗派にとらわれず、歴史上色々な出来事が
起こりました地として、知的好奇心を持って、 多くの方が参拝される
ことを心よりお待ちしております」と書いてあるのですが。ザンネン



書院が見えるので、覗いてみました。明治31年(1898年)に建てられた
もののようです。本堂も明治34年(1901年)に再建されています。



知恩院には広い大型バスの駐車場、ターミナルがあるのですが満車。
溢れた大型観光バスが華頂道や神宮道にズラッと並びます。
観光客はほとんどがC国人?
ここらでは標準語が日本語ではない気が・・・




浄土宗総本山 知恩院。詳名は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん
ちおんきょういん おおたにでら)、京都では「ちおいんさん」と
呼んでいますが、「ちおんいん」でないと漢字変換できませんねw



国宝・三門はいつ見ても壮観。東大寺南大門よりも大きく、現存する
我が国の木造三門、山門では最大とされてきましたが、最近の調査で
東本願寺の御影堂門の方がわずかに大きいと言われています。

日本三大門:法隆寺南大門・東福寺三門・知恩院三門
京都三大門:東福寺三門・知恩院三門・東本願寺御影堂門

※一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、知恩院の門は、
「三門」と書きます。これは、「空門(くうもん)」「無相門(むそう
もん)」「無願門(むがんもん)」という、悟りに通ずる三つの解脱の
境地を表わす門(三解脱門:さんげだつもん)を意味しています。
(HPより引用)

三門を通って真っすぐは急勾配の石段で、男坂。三門の右側、
南阪道からだと少し緩やかな女坂へと繋がっています。



こちらは知恩院南門。円山公園との境です。「いもぼう」や
「長楽館」が見えますね。




2016.1/16、知恩院にて。