カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

我庭花録〈霜月〉

2013-11-26 17:20:36 | in My お庭
11月、霜が降りるから「霜月」なんでしょうが、「食物月(おしものづき」の
略だという説もあるみたいで・・・我が家の庭も花より果物?(^_^ゞ



にゃんこさんはそっぽを向いてますが・・・

柿の実をやっと収穫しました、熟れた順に3度位に分けて。
今年は例年に無く豊作だったので、ご近所さんにも配ってまわれました。
カタチも味も売っているものほど良くないので、喜んでもらえたかどうか?

柑橘類も豊作のようです。異常気象がかえって良かったのかな・・・



八朔(はっさく)もたわわに実ってます。食べられるようになるのは、まだ先かな。
たくさんなったので小粒ですが、充分生食に堪えられます。



レモンは今年も4個だけ…れもん、レモン、檸檬、Lemon。って、名前が付けられます。
店で買うものはまだ青い時に採って、人工的に黄色くするようですが
ウチのは完熟レモン?採り時がよく解ってませんが・・・(^_^ゞ
檸檬が木になっている姿が、何か好きなんですよね♪何故なんだろ。
それに柑橘類には珍しく?落葉します。その前に黄葉も・・・







金柑(きんかん)も沢山なってます。庭に出てちょいと摘んで食べられます。
中身はほとんど種ばっかりだけど・・・





↓柚子(ゆず)も去年あたりから実るようになりました。まだ2、3個ですが・・・
桃栗3年柿8年、梅はすいすい13年、柚子は大馬鹿18年、林檎ニコニコ25年
・・なんて言うようです。(色んなパターンがあるようですが)
とにかく、ウチの柚子は若いのかな?まだまだこれからのようです。



↑↓こちらは、鬼柚子(獅子柚子とも)。やたらでっかくなる実で、不味いです。
茶花など観賞用のようで、皮ばかり分厚い。食べるにはこの皮をピールにするか
マーマレードにするかですが、それなら何とか美味しく食べられます。




柑橘類の他にはと・・・石榴(ざくろ)、今年は超不作。刈り込み過ぎたようです。



悩みのタネはこの無花果(いちじく)。実はいっぱいつけるのですが、これ以上
大きくなりません。直径2センチくらい、熟すことなくポロポロ落ちます。
う~ん、何が悪いのやら・・・楽しみにしていたのに。



木瓜(ぼけ)の実です。花梨(かりん)と似ているかな、食べ方も同じようかも。
薬効があるとかでボケ酒にするのが一般的?ハチミツ漬けやピール、ジャムにも。


花も咲いていないわけではありません。小さい菊とか・・・



山茶花(さざんか)かな?



黄色い腹巻きのハチさんも冬支度?蜜を集めに来ています。




ユリオプスデージー、夏前からずっと咲き続けていましたが、いよいよお終いかな。



石蕗(つわぶき)も息が長い花ですが、さすがにもう・・・



サラくんは、柿がお気に召さないようで。ま、柿食う猫なんて見たこと無いけど。



2013.11/9~24の庭の様子でした。
年末、冬は憂鬱。今度はいつUPできることやら・・・(-。-;)

立誠小学校にみる京都。

2013-11-11 23:50:08 | 京都徘徊記
立誠小学校は土佐藩邸跡に建てられたもので、学区内には池田屋跡、海援隊屯所跡、
阪本竜馬が暗殺された近江屋跡など数多くの史跡があり、幕末維新の舞台でした。





ここの校舎が出来たのは昭和初期、当時の京都市 営繕課では興味深い学舎建築を
多数手掛けています。それも画一的なものでは無く、それぞれ個性あふれる当時流行の
洋風デザインを取り入れたものが多く、今となってはレトロ感を味わえるものです。

これには京都の特異性が関係してます。京都では明治維新直後、政府の学制に先駆けて
学区制度を実施。それまであった町組は「上京(下京)第○○番組」という通し番号の
ついた地域的なまとまりを持つ組織に再編され「番組」と呼ばれるようになりました。
64あった番組のひとつひとつに小学校を設置、府からの援助金の他に、町衆が寄付をして
競い合って立派な学舎を建てたようです。

その内、幾つかは今でも覧られます。京都のレトロな小学校巡りはいかがでしょう。
旧開智小学校 正門=1901(明治34)年 現[京都市学校歴史博物館]
旧立誠小学校 1928(昭和3)年 [元・立誠小学校HP]
旧龍池小学校 1929(昭和4)年 現[京都国際マンガミュージアム]
旧明倫小学校 1931(昭和6)年 現[京都芸術センター]
これらはカタチを変えて保存運営されているので、気軽に入れます。(一部有料)
その他にも現役の学舎では、京都市立淳風小学校 1931(昭和6)年、京都市立銅駝美術
工芸高校 旧・銅駝小学校 1938(昭和13)年など探せばまだありそうですが・・・
※年号は現存する建物の年代です。開校はいずれも1869(明治2)年。
京都市立清水小学校 1933(昭和8)年 は、2年前に閉校、来年春までは現状保存が
決まっているようですが、その後はどうなるのかな・・・



幕末の動乱(禁門の変、鳥羽伏見の戦いなど)により、京の街は灰燼に帰し、挙げ句
明治政府は天皇を東京行幸と称し、京都から連れ出し拉致監禁?東京を首都と決めます。
これに関して一部の京都人は未だに「天皇さんは東京に長期滞在されておいやすだけ、
遷都の詔(みことのり)も出されておへんので、平安京はまだ続いておすのどす」って!
事実、京都御所ではいつお帰りになってもよいように準備が整えられているようですし
明治元年に『江戸ヲ称シテ東京(とうけい)ト爲(な)スノ詔書』が発布され、江戸改め
東京が京都(平安京)と相並ぶ帝都に昇格はしたものの、『東京遷都の詔』は未だに
発布されてはいません。・・・話しが外れました。(^_^ゞ
閑話休題
維新後の京都市民、町衆はこの頃、失望のどん底状態。そこで考えたのが、近代化に
よって日本の都たる地位を守ろうと。だからこの頃、日本初という事業がやたら多い。
教育関係だけでも、日本初の近代小学校は1869年開学の上京第二十七番組小学校
(現・京都市立柳池中学校)および下京第十四番組小学校(後の修徳小学校)。
近代中学校・高等学校も、京都府中学校(現・洛北高校)。日本初の私立大学は、
新島襄による「同志社大学」。大河ドラマ「八重の桜」をご覧の方は詳しくご存知でしょう。
ちなみに、日本で初めて制服としてセーラー服を採用したのも京都の
平安高等女学校(現・平安女学院)なんですね♪





話しを立誠小学校に戻します。この校名は当時の京都府知事槇村正直氏によって、
論語の「立誠而居敬」から命名されたようです。
槇村正直と言えば元長州藩、府会議長を努める山本覚馬(元会津藩)と対立する場面が
「八重の桜」でも描かれていましたが、どちらの人物も京都の近代化には欠かせなかった
リーダーだったと思います。特に山本覚馬は、槇村の下で、小中学校・女学校・病院・
医学校などの設立に力を尽くすなど教育にも熱心で、同志社大学の創立者新島襄の
協力者としても有名(新島襄の妻は覚馬の妹、八重)。
日本で最初の博覧会、「内国勧業博覧会」を京都で開催。その際、英文観光案内書を
刊行。それは外国人向けの英文で綴られた京都の観光ガイドブックだったわけで、
国際観光都市京都の礎を築いたともされます。
視力を無くし、脊椎損傷のため身体の自由までも失いながらの業績。京都の近代化に
大いに貢献した山本覚馬。この人物の力なくして今の京都は無かったかも。



またまた話しが脱線しました。立誠小学校の前を流れる川は高瀬川、春には桜並木が
美しく、恒例の「高瀬川桜まつり」も行われます。今年はウチの次男坊のバンドが
ここでライブをしたそうです。
この高瀬川は江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と
伏見を結ぶために物流用に開削された運河で、300年間にわたり水運に使われました。
その後は森鴎外、吉川英治をはじめ、小説の題材にもしばしば登場する名所として
観光客や市民を癒しています。



ただ、この周辺は京都の歓楽街でもあり、かなり風紀が悪い時期もありました。僕らの若い時も夜には近寄り難いエリアでしたが、今は随分改善されているようです。
元立誠小学校も祇園木屋町特別警察隊の拠点として活用されています。



立誠小学校敷地は土佐藩邸跡ということもあって、路地を隔てて北には
今でもこんな神社が残されています。



「岬神社」海の無い京都には似つかわしくない名前なので不思議だったのですが
坂本龍馬の銅像や写真が置かれている小さなお宮ですが、龍馬の誕生日で命日でもある
11月15日には、多くの龍馬ファンがお参りに来られるようです。
 ちなみに龍馬の生没月日、正確には天保6年11月15日(1836年1月3日)生まれ、
慶応3年11月15日(1867年12月10日)没なんですよね、ややこしい。







2013.10/27、立誠小学校北側にて。

85年前のまなびや。

2013-11-09 23:20:45 | 京都徘徊記
昭和初期(S3:1928年)に小学校校舎として建てられ、今は閉校(H4:1993年)
になった校舎を自治会行事やイベントの拠点として活用されている元・立誠小学校
河原町の東、鴨川の西、木屋町通りの四条を少し上ったところ、花街として
名高い先斗町(ぽんとちょう)もあり、繁華街の中心と言えるところに
存在しています。

この日(10/27)通りがかると、何やらイベントが・・・





トラベルフェスタ『旅days』と言うものらしいが、屋台も出ていたり
若者で賑わっていました。
民族楽器の音楽ライブもあって、踊りまくっている方も・・・(^_^ゞ

ちょっくら中に入ってみます。




中まで入るのは初めてだったのですが、そこには取り残されたような
懐かしさを感じるところでした。










よく使う表現ですが、タイムカプセルのような空間。



時が止まったような佇まいは、幼い頃へタイムスリップしたような・・・











懐かしい焼却炉、掃除道具は今も使われているのかな。




ここは「日本映画原点の地」といわれています。
その理由は、1895年にフランスのリュミエール兄弟により発明された映画の元祖
シネマトグラフが、発明された2年後の1897年にパリから日本へ輸入されます。
この最初の映画であるとされるシネマトグラフが日本で初めて投影されたのが、
ここ元・立誠小学校。当時の京都には京都電燈(現・関西電力)があり、
この場所で日本初の「映画」の試写実験が成功したことから、
日本映画原点の地とされています。

その後も京都・太秦(うずまさ)には、大映、東映、松竹など多くの撮影所が
できて、日本の映画文化を発展させていき、今日に至っています。
京都・太秦は日本のハリウッドとも言われますね。
ちなみに太秦で生まれた私は、ハリウッド生まれってことに?(^_^ゞ

今年になり『立誠・シネマ・プロジェクト』が立ち上がり、校舎3階に
特設スクリーンを設け、シアターをオープン。
イベント性の強い映画や弁士を迎えた無声映画なども上映されているようです。




そう言えば、階段の踊り場って生徒たちの社交の場だったような・・・









まだそんな温もりが残っているような、元・立誠小学校でした。





2013.10/27、元・立誠小学校にて。

ひとつ空の下に集う。

2013-11-06 01:29:16 | ぽか~んの集い
曇り時々小雨のち雨の空模様の下に集いしは・・・
ロードスターだけにあらず、オープンカーだけにもあらず
何だかごった煮。さすがに今回は二輪車の参加は無かったですが。(^_^ゞ



今回注目の的は、NCからの乗換え組。しかもこぞって独車!でした。



カッツンさん(ブリスターさん)の「PoのBo」車♪ 
やっぱりイイな、スペシャル感溢れてます。




コチラは、真~っ白なZ4。サプライズのためオーナーはひた隠しのようでしたが
私は全部お見通しだぁ~!でした。悪事はバレます、いくら色を変えても・・・
黒NC強面から乗換えのjimmy.さん、マカオで儲けたの?






整備性はと・・・ん?エンジンあらへん。(^_^ゞ




setokaさんの空へのこだわり?しっかりサンルーフ付きでした♪
BMW 1シリーズ ハッチバック。仮眠できます(笑)
NCもストブルで青車好き?兄弟車のようだったブリスター号と同時に
見られなくなって、ストーミーブルーもクリスタルブルーNBも・・・
次回は、青ロド募集です!(^_^ゞ




排気量2700~660cc、ごった煮状態です。
ま、このオフミーティング、8年も続けていたら乗り続けている方が不思議?

ロドも減る一方ではありません、新たなお仲間も増えました。akiraのランチさん。



こちらも初参加、お名前聞きそびれましたが、どちらも白NC(3?)♪





ここらで、居残り組?は、恒例ランチ会・・・(^_^ゞ
6年前と変らず、ここのレストランでは待たされる、待たされる・・・



量が少ないように見えますが、器が半端無くデカい!



れんげもお玉並みです。ちなみにこの「たぬきうどん」注文されたのは
緑ふさん・・・言うまでも無く、共食いですな。(^_^ゞ


食後はちょっと気になっていた、こんな施設へ。



プレハブで囲って、大事に展示されていますが、ガラス戸は閉じたまま
中へは入れません。ガラス越しに覗くも反射が激しくて、見に苦ッ!



詳しい方々の分析によると、どうやら「なんちゃってゼロ戦」
スマホで検索したりしてその正体を探ると、米ノースアメリカン社製の
T‐6Gという機体にゼロ戦風の塗装を施したものというのが真相のよう。
ゼロ戦レプリカとしては定番なようで、映画や航空ショーに使われるのかな?
ところで「ゼロ戦研究所」コレ置いて何を研究・・・?

オマケのカメ虫ちゃん。

どうもこの虫、明るい色が好きなようで、
以前もクリブルNBに貼り付いていたな。このコは誰かが連れてきた?(^_^ゞ

「ぽか~んの集い」、とかく話題になるのが、お天気!
好天に恵まれないどころか、今まで荒天で中止になること3度。
オープンカーが集まるのに、雨天多し・・・そこで、これまでのデーターを
ピックアップしてみました。
さて、貴方が参加した日の雨天確率は・・・?

1 2005.11/13 こんぜの里りっとう・・・快晴
2 2005.12/11 やぶっちゃの湯・・・曇天
3 2006.3/12 道の駅 とうじょう・・・雨天
4 2006.5/3 美山ふれあい広場・・・快晴
5 2006.5/20 シーサイド高浜・・・雨天
6 2006.7/16 道の駅 いが・・・快晴のち雷雨
7 2006.9/17 青山高原・・・台風のため中止
8 2006.10/1 道の駅 みき・・・雨天
9 2006.12/3 岸和田SA・・・晴天
10 2006.12/10 丹後合同ツーリング・・・雨天
11 2007.3/4 加太国民休暇村・・・快晴
12 2007.4/15 琵琶湖プチツー・・・晴天
13 2007.6/3 るり渓温泉・・・晴天
14 2007.8/5 青山高原ツーリング・・・晴天
15 2007.11/11 道の駅 あいとうMS・・・一時雨
16 2008.3/23 野瀬埠頭・・・雨天
17 2008.6/7 シーサイド高浜・・・晴天
18 2008.10/19 兵庫西部ツーリング・・・晴天
19 2008.10/26 和歌山ツーリング・・・雨天
20 2009.6/13 伊吹山・・・晴天
21 2009.9/13 道の駅 名田庄・・・一時雨
22 2010.5/23 北近江リゾート・・・大雨警報で中止
23 2010.9/26 信楽陶芸の森・・・晴天
24 2011.9/4 日吉ダム・・・大雨暴風警報で中止
25 2011.10/23 道の駅 いが・・・曇天
26 2012.11/4 日吉ダム・・・晴天
27 2013.11/3 るり渓温泉・・・一時雨


さて、帰路は雨の中、こんなんに煽られながらもマイペースで

色は変ってもやっぱり、強面やん!(^_^ゞ


京都縦貫道で合流、紳士なピィさんとは並走♪
ロドスタのロングノーズ・ショートデッキのスタイリングも
なかなかイケてるやろ♪


2013.11/3、ぽか~んの集い in るり渓よりの帰路にて。

いつものように・・・Po♪

2013-11-04 23:17:41 | ぽか~んの集い
今回は台風、豪雨など警報も出ず、無事に開催できました。しかしながら・・・
いつものように? ○○天の下でしたが、集まれただけ幸せ。(^_^ゞ





ロードスター卒業組が多く、集まりが心配でしたが、そこそこ揃って
楽しい1日を過ごすことが出来ました。ご参加ありがとうございました♪



ラウパパさん。今回は唯一のNAとなりました。

もう1台、こちらも唯一。NBです。






NA、NB。もっと来て欲しいな・・・



NCは、NDが登場するまでまた特別仕様車が出るのかな?
何か動きがあってもよさそう。ロードスターって特装車だらけだしね。



久々に見る とら。さんのNC、やっぱりスペシャルな感じです♪



そう言えば、ベースはカーオブザイヤー受賞記念車でしたね。



こちらも内外装とも充分に情熱を注ぎ込まれたROSO号。




これ、みんな参加車両。背の高い箱形もね・・・♪


こちらもお久しぶり!とっちさん一家のRX8。





最後?のロータリーエンジン車。やっぱりスペシャルね。
成長されたQちゃん、ようちゃん。この後、パープルサンガの応援に神戸へと。




なんだか可愛いのが初お目見え、オーナーとイメージが合いません!
去年までネオグリーンのVスペに乗られていた、ふっちゃん。
「ぽ集」名物のオンボロロド、遂に撃沈・・・



マッふ号改め、ふラいパン号? でも「ぽ衆」主張は嬉しいな♪


こちらはラウパパさんが引き連れてこられたコペンくん。
なかなかのスペシャルマシーンでした。



どうも気になる隅っこの3台。どうやら国籍が違う?



ぽ集、初お目見えの独組・・・と言ってもオーナーは常連さんの
せとかさん、jimmy.さん、カッツンさん。いずれもNCから移籍。

そうそう足抜け制裁の悪戯書きは?実行されず。(^_^ゞ



ちょっと遅れてやってきた独組、年期もんのSLKは、あさしんさん。
彼は私が以前乗っていたNBの元オーナー、毎回違うクルマで参加です。


ちょっと離れて遠慮がちの元NBオーナー、7駆さんのプラド。



正面顔は意外と可愛い? オーナー似かも、がっしり重そうなところは。(^_^ゞ
それにしてもあのクリブルのNBはおしいなぁ、欲しかったかも。
ホイールは要らんけど・・・w




どうしてこうなるのか・・・



11月3日は過去30年間の統計で、晴れ度70%。雨が降るのは10年に1度ほど。
今年も前日、翌日ともお日さまが顔を出してくれたというのに・・・
恐ろしいかな「ぽか~んの集い」のジンクス!
なんとか午前中は傘が要らない程度だったのに、やはり、いつものように。(^_^ゞ



快適に晴れている印象が少ないオフ会ですが、今後ともよろしくです!
クルマは何でもイイですから・・・




2013.11/3、るり渓温泉駐車場にて。くもりのち雨・・・

ビアホールでランチ。

2013-11-02 17:11:27 | ランチ/カフェ
四条河原町から1本北のろぉじ(路地)を東に入ると、
まだ昭和の匂いがするお店が何軒か残っています。
その中の1軒、「ビアホール ミュンヘン」に行ってみました。



河原町の東、鴨川の西。間に木屋町通があります。東西には何本も路地があり、
近代的になってしまった表通りとは、ちと違う小さなお店が並んでいます。


ここは1934(昭和9)年創業の喫茶店。

「築地」
つきじと言っても市場じゃありません。京都で初めてウィンナーコーヒーを
出したお店。店名は俳優を志していた創業者が、日本初の新劇専門劇場
「築地小劇場」に因んで名付けたそうです。
当然、子供の頃からある見慣れた店なんですが、入ったことはありません。
外観は、レトロですが異質な個性?(^_^ゞ
店内もアンティークで、タイムスリップしたような空間だそうです。
一度入ってみても良いのですが、どうも接客態度に問題があるようで・・・
口コミや2チャンではボロクソだとか!
本当だとすれば京都のおもてなしの心は?今度確かめてみようかな。


いっぽうここは、おもてなしがウリだと言うお店。



「志る幸」
おしるこを出す甘党のお店?・・・じゃないです。和の香だだよう汁の店。
“汁もの”は常時10種類以上、ひと手間かけた京料理もいただけるとのこと。
創業は1932(昭和7)年と、京都ではまだ比較的新しい料理店ですが、
店舗は幕末に活躍した勤王の志士とも関わりがある歴史的なもののようです。


さてさて、それでは「ミュンヘン」へ。


ここも昭和の空気が流れています。と言っても1952(昭和27)年創業。
私らと同じ年月を過ごしてきたことになります。(^_^ゞ
戦後すぐ、製麺・製パン業を営み、昭和23年四条大宮にて、
グリル「エーワン」を開業。その後、同27年に、当地にアサヒ生ビールと
一般洋食の店舗「ビアホールミュンヘン」を開設って経緯。

未成年の頃は、大人になったら・・・って思っていたのが、アルコールが
苦手!そんなことで今に至るまで入ったことのなかったお店。
洋食、ランチもなかなかイケるってことで来てみました。



ほんとはね、家内がもらったここの生ビール券、この日が期限だったので(^_-)

“誤表示”ちゃうやろな・・・


繁華街のど真ん中?一等地にある店なのに、ランチは680円~880円。
コーヒーor紅茶を付けてもプラス150円と、リーズナブル♪
『ランチメニュー』



ビールを頼めばポップコーン、ランチにはラーメン(中華そば)が付いてくる。
ここの伝統?こだわりかな?(^_^ゞ





結局、私は運転があるのでノンアルコールビア。和牛肉タレ焼き定食を、
家内は昼間ッから小ジョッキ(無料サービス券で)とミックスピザ。

長くやっているお店ってやはりイイですね。店内はレトロで落ち着いているし、
フロアスタッフもベテラン男性が仕切っていて、安心感があります。
客層は老若男女さまざま(ちょっと高年齢)、さすがに子供の姿は無かった。
常連さんが多いのでしょう、観光客はあまり来ないのだろうけど、
旅慣れた方なら見逃さないようなお店ですね♪


ぷはぁ~、昼間ッから飲んだノンダ、ノンアルコール!


2013.10/27、ビアホール ミュンヘンにて。